そもそも、「憲法って何よ?」って話です。


「憲法」にもいろいろありますよね?


日本で、「憲法」ってつくものは、何があるでしょうね?

・十七条憲法
・大日本帝国憲法(明治憲法)
・日本国憲法(現行憲法)
・ナルちゃん憲法

とりあえず、日本史上有名な、名前に「憲法」と入っているものは、これくらいでしょうか?

「ナルちゃん憲法」は、憲法じゃないですよね?

皇室で、美智子皇后が、生後7か月のナルちゃん=徳仁(なるひと)=皇太子のために、14日間の公務訪米旅行の際に世話係に託した育児メモですからね。

「十七条憲法」も憲法じゃないですからね。

国(聖徳太子)が定めたものだし、「憲法って名前だから憲法じゃん」っていうツッコミが入りそうですので、「憲法」という言葉について、調べましょう。

「憲」という字ですが、「おきて」とか「法律」とかいう意味が、基本としてあります。
漢和辞典で、「憲」という字のところの「憲法」には2つの意味が書いてありまして、
1つ目が、昔から、使われていた意味=「おきて」「法律」です。晋(中国の265年 - 420年の王朝)で使われた例が漢和辞典に載っています。(三省堂 新明解漢和辞典)
2つ目が、日本国憲法とかで使われる場合の憲法です。

十七条憲法は、1つ目の意味で使われていて、今の「憲法」とは意味が違います。
別の言葉と思った方が良いでしょう。

みなさんご存じのように、日本に無いもので外国から入って来たものの呼び方で困る場合があります。

そのときの解決法として、
1.中国語を、漢字のまま仕入れちゃう場合(例:十七条憲法の「憲法」、朝廷)
2.そのまま、漢字で当て字にしたり、仮名(かな)にしちゃう場合。(例:珈琲、型録、英吉利、天婦羅、カレンダー、ライブ、カルテ、かるた)
3.欧米語を、中国語やそのとき有った言葉にあてはめちゃう場合。(例:権利、憲法)
(当然、元の中国語や日本で使っていた意味とは違います。)
4.欧米語を翻訳した言葉を日本語として漢熟語を作っちゃう場合(例:科学、技術、神経、動脈、郵便、野球)

今の「憲法」は、3です。
英語(フランス語も同じ)の constitution を訳したのが憲法です。
幕末から明治の始めには、「政体」とか「政体書」と訳されました。

もともとは、(人間の)体質とか、組織、構造という意味です。

よく、憲法を「国家の統治の基礎を定める法」という説明が有りますが、その意味です。
「そんなの知ってるよ」という人も多いと思います。

ところがどっこい、それだけじゃビミョーなのです。


それでは、明治憲法(大日本国憲法)と今の憲法(日本国憲法)について、見てましょう。


明治憲法と今の憲法は、両方とも憲法なんですよね?」
それが違うのです。

どう違うか?

思い出して下さい。
学校で、日本国憲法は3つの柱がある、と聞いたでしょう?
基本的人権の尊重主権在民平和主義ですね。
「この3つは、明治憲法と違うのだ」と教わりましたよね?

この3つとも重要ですが、特に大事なのが、基本的人権の尊重です。

人権の尊重がなければ、憲法ではないのです。
(ちなみに、「基本的人権」と「人権」は同じ意味です。)

そもそも、憲法(constitution)とは何か。

「憲法を作って、国家に勝手をやらせず、憲法でコントロールしよう」というのが、立憲主義
立憲主義で作られたものが、憲法です。

立憲主義はconstitusionalismの訳です。
憲法主義と訳した方が自然でした(南野先生もそうおっしゃって本の題名にされました)。
字に引きずられて、「憲法を作ること。おわり。」と考えたら、大間違いです。

ごく最近、この立憲主義の考え方と違う憲法の話をしようとする人が多くいますが、
立憲主義を否定したり、
音声や字は「立憲主義」を使っても違う意味にしようとする人の話は、
すでに「憲法」の話ではなく、全然関係が無い話です。
だから、こういう話をする人は、今までの憲法を否定する、日本だけでなく世界でも珍しい変わったことを言ってる自覚を持っていただいて、他の人にもそれを宣言した上で、お話しくださいませm(__)m
議論がかみ合うわけありませんので(^▽^)/

近代になって、自由主義革命をしたときに、
昔からある自然権(もともと有る権利)思想と結びつき、自由(自由権)を人権として、
これを守るために、国家に義務を課したのが、近代立憲主義であり、近代憲法なのです。
国民みんなでした国家が守る義務を定めた契約なのです。(社会契約

昔の憲法は、文字通り、国家の統治機関についてだけ書いてあって(もちろん人権を守る体制)、
一つ一つの人権は、別の「権利章典」に書いてありました。

フランス憲法は、今でも、原理的なものといくつかの人権条文以外は、個々の人権の条文がありません。
フランス人権宣言が、今でも有効なのと、新しい人権の条文を書いた第四共和国憲法が今でも有効だからです。
(今の憲法(第五共和国憲法)の前文に、フランス人権宣言と第四共和国憲法が今でも有効だ、と書いてある。)

アメリカ合衆国憲法も、権利章典部分は後から追加されました。

その後、国が憲法を作るとき、最初から、権利章典と統治をセットにして憲法を作りました。


そこで、疑問ですよね?

「明治憲法も、国民の権利が書いてあるし、近代に作られたものじゃん」って。

確かに書いてあるんですが、人権でなく臣民(「しんみん」と読む。天皇の家来としての国民)の権利でした。
それでも、「内容が人権と同じなら、良いじゃん」ってことになるとは思います。
ところが、そうではなかったのです。

人権思想で自由権(国家が個人の邪魔をしないという国家の義務)は、他者に害を与えない限り認められなければいけません。(無制限ではない。そんなめちゃくちゃなわけない。)
(経済的自由権は、社会的弱者保護の観点からの制限も認められます。)

しかし、明治憲法では、法律で決めればどのような制限も認められました(法律の留保)
また、信教の自由は、国家のためなら、理屈なく制限が可能でした。

法律の留保の例

第29条 日本臣民ハ法律ノ範囲内ニ於テ言論著作印行集会及結社ノ自由ヲ有ス
(太字はもっとん)

(今の日本語で書くと)日本臣民は法律の範囲内において、言論著作印行集会及び結社の自由を有する。

信教の自由

第28条 日本臣民ハ安寧秩序ヲ妨ケス及臣民タルノ義務ニ背カサル限ニ於テ信教ノ自由ヲ有ス
(太字はもっとん)

(今の日本語で書くと)日本臣民は安寧秩序(あんねいちつじょ。安全と秩序)を妨(さまた)げず、臣民としての義務に背(そむ)かない限りで、信教の自由を有する。



そもそも、「なぜ、明治政府は、人権思想が無いのに、憲法を作ったか?」というと、
1.近代資本主義国家として経済を発展
2.欧米列強に負けないための軍事力強化
(1と2で富国強兵)
3.他の国と、野蛮人の国でない国として、対等のつきあいをする必要から。
(当面の目標は、不平等条約の改正(関税自主権の回復と外国人の治外法権の廃止))
(憲法だけでなく、近代法制の整備をしました。)
(鹿鳴館で毎晩ダンスパーティー開催と同じ理由です。)

だから、逆に言えば、
経済の発展や軍事力強化のためなら、個人が犠牲になってもしかたがない、という思想なのでした。今のどこかの国と似てるかも?
(人権思想の根本は個人の尊重)
実際、戦前は、ずいぶん、たくさんの自由の侵害がありました。

このように、見せかけの立憲主義なので、外見的立憲主義と呼ばれています。
本来の立憲主義とは別物なのです。


また、最近、「立憲主義=国家権力を憲法が縛るという思想は、絶対王政の時代の思想である」ということを言う相当いかれた人(どこかの国の首相?)がいます(先ほど言いました、「憲法の話でない話」の例です。)。
「個人の人権を侵害する国家は、絶対的権力者であって、民主主義ではありえない」とかと言ってますね。

今、世界では、少しの立憲君主制の国は有るものの、ほとんどの国は、立憲民主制です。
立憲君主制の国も形式的なことが多く、実質的には、立憲民主制の国がほとんどです。
では、これら、世界の多くの国々の、憲法は、昔ながらの立憲主義ではないのでしょうか?


そもそも、民主主義がわかっていないから、こんな意味不明な発言が出てきます。

では、民主主義とは何か?

人権思想の根本である個人の尊重を基本とすると、「人は、自分を自分で支配する」(他人に支配されることはない)ということになります(治者被治者の自同性)

個人の意見が国政に関係する豊富な情報に基づいて発言されて(表現の自由の保障)、そのことによって自由闊達な議論がされて、正しい意見に集約されていく(思想の自由市場)。

国民全員が話し合って決めるの(直接民主制)は難しいので、選ばれた代表者に話し合ってもらったり(間接民主制)、全員一致で決めるのは難しいので、多数決で決めたりします。
本当に重要なことは、全員一致で決めます。
ある程度重要なことは、2/3以上など過半数より多い多数決で決めます。

ある程度の賛成があれば良いことは、過半数より少ない、1/3以上などの賛成で決めることもあります。

すごく重要なことは、代表者だけでなく、国民投票や住民投票で決めたりします。


こういった治者被治者の自同性を確保するための手続きが保障されているのが民主主義であって、この手続きのことを民主的手続きと呼びます・。

このように、表現の自由は、民主主義になくてはならないもので、自由主義と民主主義は良い関係なのです。

自由、特に表現の自由などの精神的自由権が不当に制限されると、
・国政について情報が得られず(知る権利が制限される)(知る権利は、表現の自由の一環として理解される)
・情報について科学的な認識が持てない(学問の自由の話)
・自由な思想を持てない(思想・良心の自由、信教の自由の話)
・自由な発言ができない、自由な議論ができない(言論の自由、集会の自由、結社の自由などの表現の自由の話)
・自由な政治運動ができない((政治的)表現の自由の話)
ということになって、民主主義が成り立たないのです。


なお、自由というのは「公権力から、やること、やらないこと、を邪魔されない」という意味です。←これって重要です。

しかし
ここからが本番(前置き、長っ)

立憲民主制の説明です。

民主主義の手続きがどのように保障されていても、国民の自由を奪う法律が作られれば、自由主義ではありません。
(今の憲法に書いていなくても)法律の留保を認めていることになってしまいます。
「とにかく条文さえ変えなければ、憲法を守ることになる」という考え方はお花畑です。 

法律の留保は、二つの意味があります。
1.法律でなければ、政府は国民の権利を制限できない(法治主義の意味。良い意味)
2.法律で決めれば、国民の権利の制限が許される(法実証主義の意味、悪い意味)

多数決で決めたことを常に良いこととして決めてはいけないのです。
(「少数の意見を必ず用いるべき」というわけわからん主張はしません)

議論の過程で、少数の意見をよく聞くのはもちろん大事ですが、
決まってからでも、
決まったことに反対の人についてはもちろん、賛成の人についても、
その個人の尊厳を侵害すること許してはいけません。

この「個人の尊厳を侵害することを許さない」のが人権の保障であって、 
国家権力を行使する者の責任として、大臣や議員を含む、公務員全員に、憲法を守る義務があって、 
人権を侵害する法律は、憲法違反として無効であって、
人権を侵害する法を認めない、国内法の一番上にあるから、最高法規であって、 
それを司法が宣言できるのが、違憲審査権です。


日本国憲法

第十三条  すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

第八十一条  最高裁判所は、一切の法律、命令、規則又は処分が憲法に適合するかしないかを決定する権限を有する終審裁判所である。

(81条の違憲審査権は、最高裁だけでなく、全部の裁判所にあります。最高裁は終審というだけです。)
 

   第十章 最高法規

第九十七条  この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。

第九十八条  この憲法は、国の最高法規であつて、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。
 日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする。

第九十九条  天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。

(第十章はこれが全条文です。)


三権分立も、司法権の独立も、地方自治も、
権力の暴走を防いで、国民の自由を守るために考え出されたものです。

民主主義的な手続きで決めたことであっても、人権侵害を許さない、そのための国家の体制を作ろうというのが「憲法」であって、その考え方を「立憲主義」といって、「国家権力を憲法でしばる民主主義体制」が「立憲民主制」です。

全体の利益や多数の利益を尊重して、少数の意見に耳を貸さず、さらには、許されないはずの権利の制限を認めるのを、「全体主義」といいます。
「全体主義」は、「個人主義」や「民主主義」の対義語として使われます。


なお、なぜか誤解する人が多いので言いますと、
今回の説明は、日本国憲法の普通の説明です。一つの意見とかではありません。
これとずれた話は、憲法の議論ではありません。