シンデレラ、白雪姫、赤ずきん、ヘンゼルとグレーテルなど、多くの有名な童話を収集編纂したグリム兄弟は、非常に有名ですね。
ドイツ中を歩き回って、民話を集めたんですが、
同時に、ドイツ中で行われている慣習法も調べて集めていたのでした。

基礎法学を勉強した人や民法の歴史などを勉強した人には、けっこう有名な話なのですが、グリム兄弟は両方とも法学者なのです。 政治的にもかなり活躍しています。特にお兄さんのヤコブの方は大活躍です。
とはいっても、最近の研究ではやはり言語学の方に力を入れたかったのが本心らしいということで、どっちが本業なのかは、謎です。
まあ、どっちでもよいですけど(^o^)

それで、その「慣習法って何?」って話です。 

慣習が法だったりするのです。

慣習って何よ?」っていう話ですよね?

字は習慣の逆さまですね?
習慣」は、「個人のしょっちゅうやってることで当たり前になっちゃったこと」ですね。
慣習」は、「一定の社会の人たちみんながやってる当たり前になっちゃってること」、をいいます。

みんながやってて当たり前になっちゃってるから、すごく当たり前だと法になっちゃうのでした。

それでも、いろいろと考え方の違いもあります。
いつも仲良くというわけにはいきません。
いろいろと言い争いになることもあります。

じゃあ、堂々と議論をして、どっちに理屈があるか正義があるか、ちゃんとした人にジャッジしてもらっちゃいましょう、ということで、裁判になります。

人間社会はけっこう複雑ですが、ある程度、同じようなパターンが繰り返されたりします。
同じようなパターンの事例には同じような主張がされて、同じようなジャッジがされます。
同じような事例に同じようなジャッジが繰り返されると、これまた法になっちゃいます。
これが、判例法です。

慣習法とか判例法でも良いですが、やっぱり、きちんと文章になっていた方が安心ですよね。
みんなで集まって、わいわい話して、きちんとしたシステムを作りたいですよね。
あるいは、権力を持っている人は、これが法だっていうものを作っておきたいですよね。
これを制定法といいます。成文法ともいいます。

どこの国でも、程度の差はありますが、だいたい似たような歴史をたどっているようです。
政教一致の国は例外的ですけどもね。
中世ヨーロッパの教会が裁判やってたころとか。
イスラムの国の中で、政教一致の傾向の強い国とか。


古代ローマ帝国は、何千年も前の大昔に、かなり体系的にしっかりした法典(制定法)を作っています。
今の日本を含む多くの国の民法に大きな影響を与えることになります。すごいですね(^o^)/

日本人は、どうも、法っていうと、「お上が作った、してはいけないことの集まり」=「法度」(はっと)を想像しがちですが、それは、日本人が江戸時代に染み込まされた感覚で、もっと昔からの感覚ではなかったのです。

ちなみに江戸時代に、みなさんご存じの有名人、大岡越前がいますね。
あの人は、町奉行でした。

町奉行っていいますのは、町人(商人、職人 )について、さまざまな行政を行ったり、警察をやったり、訴追したり、裁判をやったりしました。幅広いですね(^o^;
民事の裁判も刑事の裁判もやりました。
獄門(死刑)判決を出したりするのは時代劇の嘘です。そこまでの権限はありませんでした。

話がそれましたが、判例の積み重ねをまとめようという話になります。 
大岡越前を重用した、徳川八代将軍吉宗です。
暴れん坊将軍ですね(^o^)/

吉宗に言われて、お偉いさんにまじって、越前がまとめたのが、公事方御定書(くじがたおさだめがき)、その下巻が刑事の判例をまとめたもので、御定書百箇条(おさだめがきひゃっかじょう)とか呼ばれるものです。
このときの越前は、寺社奉行だったりしますが。

明治になって、近代国家を大急ぎで作ることになりました。
近代的な法律を整備するのには、二つの理由がありました。 
・一つは、近代的な法律を整備しないと富国強兵ができない、ということです。
・もう一つは、不平等条約の改正です。
どういうことかというと、近代法の整備ができていない野蛮な国で「裁判を受けたくない」「関税を決められたくない」と、欧米人に言われて、外国人の治外法権(日本の法律、裁判権が及ばない)、関税自主権が無い、という条約だったのです。 
鹿鳴館で毎日ダンスパーティーをやってたのも同じ理由だったりする(^o^;

そこで、 明治に大活躍した雇われ外国人、パリ大学教授のボアソナードの登場です。

ボアソナードは本国フランスの法律の考え方を基本に、まず刑事訴訟法(治罪法)、刑法を作ります。
次に、フランス民法を基本に、日本の民法(案)を作りました。
 フランスの法典といえば、ちょー有名人のナポレオンが作ったものです。
ナポレオンは、缶詰やメートル法など、数々の偉業が有りますが、法典の編纂、特に民法の編纂が一番の功績と言われています。

民法というのは、私法の基本です。
私法というのは、私権について、定めた法です。
国家と国民ではなくて、
国家から自由を保障されたことを前提として、
国民同士が自分の意思で(契約など)活動することについて定めているのです。

ですから、自由の保障を求めて起こったフランス革命が、ナポレオン民法典によって、一応完結した、といって良いのです。人権宣言だけでは終われないのです。
そして、ナポレオンの支配を受けた国がナポレオン法典の影響を強く受けました。


話は日本に戻ります。

フランスの民法は、一つの事例を解決するのに順番に読んでいく書き方がされていますので、一つの同じことについてがあっちこっちに書いてあります。

今の日本の民法の親族とか相続にあたることが、日本に合わない、という人がいて、大騒ぎになったりしたのでした(民法典論争)。
そこで、結局、ボアソナード民法はお蔵入りになってしまいました。

さて、どうしようとなったとき、目をつけたのが、ドイツの民法です。
当時のドイツは、日本同様、後進国で、やはり近代法整備にあせりまくっていました。
そこでできた民法草案は、二つの特徴がありました。
・まだ、たたき台の段階(第一草案)だったので、条文の数がめちゃくちゃ少なかったのでした。
・そして、フランスの民法と違って、同じ関係のものを整理しまくる作り方なのでした。
(そのかわり、初心者にはさっぱりわからんです。)

日本には都合が良かったのです。

なぜかといいますと、親族とか相続の部分は純日本風でいいや、と。
そして、その他の部分(財産法)もいろんな国の条文をつまみ食いできるね、と。
日本独自の制度も入れることが簡単にできるね。
そして、急に本格的な法律を作っても、法律が浮いちゃってもいけないから、隙間だらけにしておいて、後は判例で埋めていけば良いね、と。
結局、千条くらいしかない法律になりました。

ドイツとかスイスの、憲法もその他の法律もおそろしく条文の数が多いのです。 
なぜかと言いますと、行政はもちろんのこと、裁判官が勝手な判断をするなんて許せない、っていう発想があるのでした。
だから、おそろしく細かく具体的に書いてあるのです。

ちなみに、日本の法律は、どうでも良い使えない法律は山のようにあるのですが、細かくきちんと定めるっていうことはできていないです。細かすぎて役所に便利な法律もけっこうありますけどね。
あまり細かすぎても意味が無いのですが、選挙で選ばれた議員が作った法律にあいまいな部分が多いと、結局、行政や司法の好き放題になってしまうのでした。

ちなみに、日本の民法の家族法でない部分、財産法の部分は、形はドイツのですが、中味は、ドイツ法のほかに、フランス法もいっぱい入っていまして、イギリス法もちょっと入っています。
当時の日本の法学界では、イギリス法学とフランス法学が主流だったから、当然でしょう。
明治や法政は、フランス法の法律家が作った大学、中央は、イギリス法の法律家が作った大学です。

さらに、日本的なものも、もちろん入れちゃいました。

比較的わかりやすい話を一つ。
ふつう、外国では、土地とその上に建っている建物は、一つの不動産なのですが、ご存じのように、日本では、土地と建物は別々の不動産です。
そのことからくる不都合を解消するために、法定地上権という日本独自の制度も作って、盛り込んじゃいました(^o^) わからんで良いですよ(^o^)/

明治の日本人は、短期間に、完成度の高い民法典を作ってしまったのでした。

それで、まあ、判例を積み重ねて、今にいたるわけです。

で、日本の国会議員はバカばかりなので、明治の法律家が夢見た、成熟した判例を条文にする作業はほとんど行われずに、平成になって30年近くたっちゃったのでした。民法ができてから、120年たっちゃいました。
多少、社会問題になったものや、外圧や財界の要望があったものは、改正がされましたが。
なお、戦後すぐ新憲法施行と同時に、親族相続は全面的に改正がされました。
でも、70年たっちゃいました。(特別養子縁組制度などの追加は有りました。)
親族相続(家族法)についても、問題がてんこもりなのはご存じの通りです。

ここまで話しておいて、なんですが、判例ってなんでしょうね? 
ちなみに、みなさん、結論の部分について、先例となっているものと思っている人が、相当多いと思うんですが、残念ながら違います。
~年の~刑とか、~万円を払え、とかっていうところは、判決の中の主文といいまして、判例にはならないのです。

その主文に持って行く理屈をこねているのが、判決理由になるわけですが、判決理由の中の、証拠を元にした事実認定ではなくて、どう法解釈をするかの理屈をこねている部分の中で、後の判決理由を書く先例となる部分があります。
これをラテン語で、レイシオデシデンダイっていうんですが(わからんでいいです(^o^) )

どうも、日本で、裁判例といわれているものは この辺りのこと(まったく同じではないかも)で、最高裁判所の裁判例が、判例といわれます。
なぜ、最高裁判所の裁判例が判例といわれて特別扱いなのかというと、法の下の平等の要請です。

よく、みんな、下の裁判所から上の裁判所に訴える、っていうと、「とにかく上に判断してもらおう」とか、「とにかく三回やってもらおう」とか言いますが、そういう問題じゃないのです。
日本のあちこちで、同じようなことで違う判断がされたら、
ちょっと前と、今と、ちょっと後で、同じようなことで違う判断がされたら、
平等じゃないのです。
だから、そろえるために、同じ系列の裁判所の上に判断を求めることができるのです。
そして、上の裁判所も同じことをやってくれると思ったら大間違いなのでした。
まあ、物理的にも無理なのです(じいさん(裁判官)たちが死んじゃう)が、実際、上の裁判所に訴えても、却下されることが圧倒的に多いです。
フランスの最高裁判所にあたる裁判所は、その名もずばり「破棄院」です。

憲法
第七十六条
 すべて司法権は、最高裁判所及び法律の定めるところにより設置する下級裁判所に属する。
2  特別裁判所は、これを設置することができない。行政機関は、終審として裁判を行ふことができない。
3  すべて裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される。

この憲法76条の司法権が裁判所にある、っていう話は、それだけ重要な意味があるのです。

 
イギリスは、コモンローの国で、いろいろと歴史で積み上げてきたものが中心で、国会の作る法律で補っています。
アメリカは、判例法の国で(ルイジアナはナポレオン法典ですが)、判例を、議会が作る法律が補っています。

日本は、ドイツやフランスと同じで、制定法主義の国です。

制定法っていうのは、ちゃんと作る人がいて、条文になっているものです。成文法ともいいます。
国会の作る法律、内閣が作る政令などや、内閣が結んで国会が承認する条約などです。
ちなみに、慣習法とかの、制定法でないものは、不文法といいます。

日本は制定法の国なので、慣習法などは、制定法の下になるのが基本ですし、判例は判例法という法源にはならないはずです。
ただ、ドイツやフランスは裁判官を信用しない傾向があって、とにかく法律を細かく決めます。
日本は、判例で補っている部分がかなり多くて、一種の判例法があるといっても、全然おかしくありません。

なんか、難しい話ですね(@_@)
なんで難しいのかな、と。
「三権分立をどう考えるのか」「民主主義をどう考えるのか」というような、根本の問題が、底にあるから難しいのです。
三権分立って、何だか本当に知ってる?に詳しく書きました。

前にも書いたこと(弁護士や裁判官は、六法全書を丸暗記してるって、本当?)ですが、「法律の条文を読めば、憶えれば、法律家が勤まる」なんてことは、日本を含めたどこの国にも存在しないことだ、ということはわかっていただけるでしょうか?

ちなみに、一応言っておきますと、商法の分野では、強行規定以外のことでは、民法より商慣習が上だったりします。

商法

(趣旨等)
第一条  商人の営業、商行為その他商事については、他の法律に特別の定めがあるものを除くほか、この法律の定めるところによる。
2  商事に関し、この法律に定めがない事項については商慣習に従い、商慣習がないときは、民法 (明治二十九年法律第八十九号)の定めるところによる。

ややこしいですね。

グリムから、ここまで話を引っ張るのってどうよ?って人もいるかもしれませんが、導入から中味、結論にいたるまで、確信犯のもっとんなのでした (^o^)v

こんな長い文章を最後まで読んでいただいて、本当にありがとうございますm(_ _)m