憲法に、憲法尊重擁護義務が書いてあります。

天皇と、国会議員、大臣、裁判官などの特殊な公務員(特別職の国家公務員)を含む、 公務員に、この義務が書いてあります。

第九十九条  天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。

「これに、国民も入れましょう」という話が有ります。
これに対して、「いや、入れるべきではない」という人たちがいます。

どちらが正しいのでしょうか?

国民を入れよう、という人は、「ドイツの憲法にも書いてあるよ」と言います。

なぜ、ドイツのには書いてあって、日本のには書いていないのでしょうか?
やはり、日本の憲法は、時代遅れなんでしょうか?

まず、日本の憲法には、なぜ書いていないのか? を、考えてみましょう。

そもそも、憲法って何?って話をすれば、自然と答えが出るのです。

「国民・人民の権利を守るために、国家の義務を定めたもの」が憲法です。
人権のカタログ(権利章典)と、統治の、二つの部分でできています。
統治の部分も、どう民主的にするか、どうやって人民の権利を守るか、と考えて、決められています。

この、憲法って何?という基本をすっとばして話されていることは、全部でたらめです。
もはや、憲法についての議論ではないのです。


だから
国家の義務が書いてある=当たり前
公務員が憲法を守る義務が書いてある=当たり前
国民・人民の権利が書いてある=当たり前



とは言っても、国民の義務も書いてありますよね?

学校でも習った三大義務ですね。

納税の義務、子女に教育を受けさせる義務、勤労の義務。


まず、納税の義務から

第三十条  国民は、法律の定めるところにより、納税の義務を負ふ。

どんな団体でもお金が無いと運営できません。
パトロンでもいなければ、会費を集めませんとね。

国家も同じです。
税金を集めませんと。
でも、会の会費は、会費をとられるのをわかってて、会に入りますよね。 
どこの国の国民になるかは、帰化とかが認めらるのでなければ、親の国籍などで決まってしまいます。
自由に入ったり出たりできません。
「強制加入の団体」なのです。 
だから、そこで、問答無用にとられる税金は、取り放題にされては困ります。

だから、租税法律主義といって、(国会が決める)「法律」でしか決められない、ということになっています。
(84条、さっきの30条にも)
役所が命令で決めてもいけません。
裁判所が決めてもいけません。

   第七章 財政

第八十三条  国の財政を処理する権限は、国会の議決に基いて、これを行使しなければならない。
第八十四条  あらたに租税を課し、又は現行の租税を変更するには、法律又は法律の定める条件によることを必要とする。
第八十五条  国費を支出し、又は国が債務を負担するには、国会の議決に基くことを必要とする。

以下略

名前が「○○税」でなくても、手数料とかでなく、とにかく問答無用で取られちゃうのは、この条文でいう「税」です。

租税法律主義も含めて、国家の財政について、民主的に決めなければいけない、っていう考えを、財政民主主義と言います。

脱税とかすると、刑罰などがあったりするのでした。


次に、子女に教育を受けさせる義務

義務教育って言葉、知っていますよね?
この義務で受ける教育のことです。今の日本だと小学校と中学校ですね。

勘違いしている人が、相当多くいますが、
子どもが教育を受ける義務ではありません。

子女(男の子、女の子)に教育を受けさせる義務、です。

義務があるのは、保護者=親(親権者)と未成年後見人です。
よく学校で保護者って呼ぶのは、親だけでなく未成年後見人を含んでいるからです。

民法 第四編 親族  第五章 後見
    第一節 後見の開始

第八百三十八条  後見は、次に掲げる場合に開始する。
一  未成年者に対して親権を行う者がないとき、又は親権を行う者が管理権を有しないとき。
二  後見開始の審判があったとき。
 
以下略

子どもに、「義務教育なんだから、学校に行かなきゃだめじゃないか」は、大間違い。
親に「子どもを学校に行かせてあげなければだめじゃないか」が正解。

子どもに義務があるどころか、憲法は「教育を受ける権利」を保障しています。
これは、自由権として、教育を受けるのを、国家がじゃましてはいけない意味もありますが、
社会権として、国家が、子供を含む国民に、教育を受けることができる環境を提供する義務があるのです。

憲法とは何か?がわかれば、子供に変な義務を課すことが、不自然だと気づくべきなのです。

人が先、国家が後、が、憲法です。立憲主義です。
国家が先、人が後、は、国家主義です。

第二十六条  すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。
2  すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は、これを無償とする。

条文も、教育を受ける権利とセットになっていますでしょう?

ここでいう法律は、教育基本法や学校教育法です。

ところで、子供を学校に行かせないと、親が罰を受けることがあります。
でも、いじめにあってる子どもを学校に行かせない、とか、正当な理由がある場合は、もちろんOKです。
あくまでも、子供の幸せのための、親の義務であり、国家の義務なのですから。

学校が、子供の事情を無視して、とにかく来させろ、みたいに言うのは、頭おかしいのです。


次に、勤労の義務

国民は、働かなければいけない、ってことなのです。

が、しかし、働いてなくても、何か罰を受けるとか、そういうことはありませんよね?
働けるのに、就職できるのに、働かない人は、生活保護などは受けられませんよ、と。
ただ、それだけの意味です。

お金持ちで、働く必要が無い人。
病気とかで働けない人。

そういう人に、「働け」というようなことを、憲法が言っているわけではないのです。

第二十七条  すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負ふ。
2  賃金、就業時間、休息その他の勤労条件に関する基準は、法律でこれを定める。
3  児童は、これを酷使してはならない。

この条文(1項)は、もろ、一つの文で、権利と義務がセットでしょう?
2項、3項も、労働者を守る条文でしょう?


さて、話をもとに戻しましょう。

そもそも、憲法とは何か?から、憲法に、国民の義務が書いてあることが例外なのがわかりました。

では、なぜ、ドイツの憲法(ドイツ連邦共和国基本法)には、国民が憲法を守る義務が書いてあるのでしょう?

ドイツは、「戦う民主制」 を採用しているからです。

「戦う民主制」 って何よ?

普通の民主制は、みんなが言いたいこと言って良い状態(表現の自由が保障されている状態)で、議論をいっぱいすると、正しい答えが出てきて良いじゃんか、と。(思想の自由市場)

それで、多数決(法律など )で、少数派がいじめられるときは、人権侵害として、その法律などを無効にして、助けましょう。(立憲民主制)

ドイツも、もちろん、立憲民主制なのですが、
ドイツは、戦後、反省しまくるのです。
そして、日本と違って、ずっと決意が固いままなのです。

多数派の意見が通って少数派がいじめられる状態が出来上がってしまっているのが全体主義です。
ドイツは、戦前、全体主義になってしまった歴史を絶対に繰り返してはいけない、と固く決意したのです。
憲法を慎重に徹底的に良く作るのは当然で、その上で、どんなに良いと思った憲法の下でも、国が間違った方向(全体主義)に行ってしまうのをなんとしてでも防ごう、という決意です。 

ですから、「民主主義に反対する表現の自由などを認めない」という、かなり思い切った民主制を導入したのです。
18条から21条に書いてあります。
その場合でも、人権を不当に制限しないように、条文が作られています。


そうすると、なぜ、ドイツの憲法が、国民に、憲法を守る義務を定めているのか、答えが見えますね?

ドイツの考え方は、それなりの合理性があります。

日本や他の国でも、表現の自由は無制限では無いものの、他人に害が無ければ、極力尊重されるべきものです。
詐欺や脅迫、名誉棄損などの表現は、当然に制限があります。

実害が無い場合は、制限がありません(なぜか日本にはたくさん有るように見えますが)。

実害の無い場合に、表現の自由を、内容で分けて規制するドイツのやりかたには、やはり批判があります。


こんな議論、見たこと、聞いたことありましたか?


日本人の、「ドイツが国民の憲法を守る義務を決めてるから、日本でも」ってのは、レベルが低すぎるのです。
ってか、そもそも、まともな議論ではないのです。

ドイツが、全体主義になった過去を反省して、矛盾を承知でやっていることと、
日本人のばか政治家が、憲法を理解せず、憲法を憲法でないものにしようとしている、
国民の権利が、無原則に侵害される状況を作り出そうとしている、というのは、
真逆の方向に向かっているのです。

改憲をじゃんじゃんしましょう、って言う人の中には、
ドイツは、たくさん憲法を改正しているじゃんか、って言う人がいますね?

背景には、ドイツの憲法が、日本の憲法に比べて改正しやすい、っていうのもありますが、
ドイツの憲法が改正されるときは、ほとんどが、技術的な改正なのでした。