ドン もっとん del 八王子 の つれづれブログ - 憲法、人権、法律をメインに -

憲法・法律・人権をメインに、そのときどきで、考えたことを書いています。 自分らしく生きたいという願いが実現しやすい社会を作るためには、憲法、人権、法律についての正しい理解が不可欠と思っています。 世間にある憲法・法律についての誤解から、個人が生きづらくなっている現状を変えたいと思っています。

人権

ドン もっとん del 八王子 の つれづれブログ
- 憲法、人権、法律をメインに -

憲法・法律・人権をメインに、そのときどきで、考えたことを書いています。
自分らしく生きたいという願いが実現しやすい社会を作るためには、憲法、人権、法律についての正しい理解が不可欠と思っています。
世間にある憲法・法律についての誤解から、個人が生きづらくなっている現状を変えたいと思っています。

「三権分立」って、何だか本当に知ってる?

最初、2016年2月17日に投稿の記事ですが、大幅に加筆・修正しました。(2017/3/30)



小学校高学年でも習った、三権分立の話です。
立法権行政権司法権の三権 。
国会内閣裁判所が持っていて、

「ジャンケンみたいな三すくみを両方向でやっている」「バランスをとっている」って理解だと思います。合ってます。


ここで質問です。

なぜ、バランスをとってまで分ける必要があるのでしょう?

そもそも、分けた3つの権限の意味を知っていますか?


歴史に沿って、順番に説明します。


歴史的に少しずつ変わったことなので、歴史に沿って考えると、わかりやすいです。

でも、本当の歴史は複雑なので、ちょっとシンプルにして説明します。

だからと言ってウソはつきませんので、安心して下さい。


独裁者の王様がいました。

気に入らない人は犯罪者。

税金を取りたくなったら取る。

それでは困ります。


ですから、

みんなで話し合って決めて(法律を作って)、
それを王様に守ってもらいましょう。

となりました。

まず、行政から立法が別れました。

立法権は、「法律を作る権限」ですが、法律は「国民の権利義務を定めるもの」です。

議会が作る「法律」以外に、国民の権利義務を定めるものを認めたら、何の意味もなくなります。(王様のやりたい放題になる)


日本国憲法41条を見てみましょう。


第四十一条  国会は、国権の最高機関であつて、国の唯一の立法機関である。


「『唯一の』立法機関」って書いてあるでしょう?
この41条は、こういう深い意味があるのです。

そうでなければ、「国会が法律を作る所」って、ただの説明文になっちゃう。


このように、法律でもって、行政をコントロールするという考えを「法治主義」といいます。

「法治主義」と「法の支配」については、「法治国家」って、国家が、国民に法律を守らせてる国家、だと思ってる?に書きました。

王様が勝手に決めると困ることとして例にあげた
犯罪と刑罰税金のことも、憲法の条文に書いてあります。

刑事手続きでの、適正手続きの保障罪刑法定主義を含む)。(他にも細かい刑事手続きの条文が有
ります。)

第三十一条  何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない。



第七章 財政は、財政を国会がコントロールすること(
財政立憲主義)が基本で書かれている。83条は原則。
84条は、租税法律主義


    第七章 財政 第八十三条  国の財政を処理する権限は、国会の議決に基いて、これを行使しなければならない。 第八十四条  あらたに租税を課し、又は現行の租税を変更するには、法律又は法律の定める条件によることを必要とする。 第八十五条  国費を支出し、又は国が債務を負担するには、国会の議決に基くことを必要とする。 第八十六条  内閣は、毎会計年度の予算を作成し、国会に提出して、その審議を受け議決を経なければならない。 第八十七条  予見し難い予算の不足に充てるため、国会の議決に基いて予備費を設け、内閣の責任でこれを支出することができる。 2  すべて予備費の支出については、内閣は、事後に国会の承諾を得なければならない。 第八十八条  すべて皇室財産は、国に属する。すべて皇室の費用は、予算に計上して国会の議決を経なければならない。 第八十九条  公金その他の公の財産は、宗教上の組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため、又は公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業に対し、これを支出し、又はその利用に供してはならない。 第九十条  国の収入支出の決算は、すべて毎年会計検査院がこれを検査し、内閣は、次の年度に、その検査報告とともに、これを国会に提出しなければならない。 2  会計検査院の組織及び権限は、法律でこれを定める。 第九十一条  内閣は、国会及び国民に対し、定期に、少くとも毎年一回、国の財政状況について報告しなければならない。
第八十三条  国の財政を処理する権限は、国会の議決に基いて、これを行使しなければならない。
第八十四条  あらたに租税を課し、又は現行の租税を変更するには、法律又は法律の定める条件によることを必要とする。
第八十五条  国費を支出し、又は国が債務を負担するには、国会の議決に基くことを必要とする。
第八十六条  内閣は、毎会計年度の予算を作成し、国会に提出して、その審議を受け議決を経なければならない。
第八十七条  予見し難い予算の不足に充てるため、国会の議決に基いて予備費を設け、内閣の責任でこれを支出することができる。
2  すべて予備費の支出については、内閣は、事後に国会の承諾を得なければならない。
第八十八条  すべて皇室財産は、国に属する。すべて皇室の費用は、予算に計上して国会の議決を経なければならない。
第八十九条  公金その他の公の財産は、宗教上の組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため、又は公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業に対し、これを支出し、又はその利用に供してはならない。
第九十条  国の収入支出の決算は、すべて毎年会計検査院がこれを検査し、内閣は、次の年度に、その検査報告とともに、これを国会に提出しなければならない。
2  会計検査院の組織及び権限は、法律でこれを定める。
第九十一条  内閣は、国会及び国民に対し、定期に、少くとも毎年一回、国の財政状況について報告しなければならない。



ところで、頭の良い人なら、すぐ気付きます。

ルールを作っても、チェックをしなければ、意味が無い。


議会ももちろんチェックはしますが、他に、チェックをする所が必要です。

それが、司法権です。裁判所です。

第七十六条 すべて司法権は、最高裁判所及び法律の定めるところにより設置する下級裁判所に属する。
2 特別裁判所は、これを設置することができない。行政機関は、終審として裁判を行ふことができない。
3 すべて裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される。


裁判所は昔から有りましたが、王様の言うことを聞かない裁判所を作ったのです。(司法権の独立)

王様を従えさせる裁判所を作ったのです。(法の支配)


裁判所って、犯罪者を「こんにゃろう」ってする場所だと思っていますか?

違います。断言します。


法律にもとづいて(法を解釈適用して)、事件を解決しようとして、国や国民の権利関係最終的に判断して確定できるのが、司法権です。


難しい? (^_^;)


だから、

刑事裁判で、捜査機関が疑っていたり(被疑者)、逮捕したり、検察が起訴したり(被告人)しても、
有罪とか無罪とか、有罪としてどういう処分になるのか、は、裁判の手続きが有って、
最終的に裁判所が決めるのです。


民事もそう。

日本の裁判所は、よほど変な訴えでなくては、最初の訴えの時点で却下しません。

絶対に出ないような判決の結論(ものすごく高額な損害賠償や、ほぼ全く認められないような訴えなど)を想定して訴えることもできます。

後は、裁判の手続きがいろいろ有って、裁判所が決めます。


民事も刑事も、ただ、事実が有ったかどうかではなくて、法律を解釈する権限が裁判所にはあるのです。 「これが法だよ」と宣言できちゃうわけです。(法と法律は違ったりするのだった(;^_^A )
 

裁判は理屈でやってくれます。(そのはずです(^o^;  ) (英語で司法は justice です)

だから、裁判を受ける権利が、憲法で保障されているのです。


第三十二条  何人も、裁判所において裁判を受ける権利を奪はれない。
第三十七条  すべて刑事事件においては、被告人は、公平な裁判所の迅速な公開裁判を受ける権利を有する。
37条の2項3項は省略


「裁判されて吊るしあげられるのはいやだ」っていうのと、発想があべこべですよね?


ところで。

この司法権が裁判所に有る、ってことにも2つの大きな誤解が有ります。

1つは、前に書きました(地方裁判所は国の機関です。都道府県の機関ではないですよ(^o^) )が、どの裁判所も全部、国の機関であること。

2つ目は、司法権が有るのは最高裁判所だけでなく、裁判所全部に有る、ということ。(76条1項)

ちなみに
81条の違憲審査権も最高裁だけでなく全部の裁判所に有ります。
条文だけ読むと最高裁だけと誤解しそうですが、違憲審査権限有る裁判所で「終審裁判所」が最高裁だ、ということです。 


第八十一条  最高裁判所は、一切の法律、命令、規則又は処分が憲法に適合するかしないかを決定する権限を有する終審裁判所である。 

誤解していませんでしたか?


さて。
同じ法律でも、解釈の違いで、いろいろな事件にあてはめたときに、違いが出てきます。


裁判所も、一つの権力です。


裁判所の言うことなら絶対だなんて言っちゃいけません。

なぜ、憲法に、裁判は公開されなければならない(判決の前の審理(対審)については例外も少しだけ有ります。判決については例外が有りません。)と書いてあるのか?

第八十二条  裁判の対審及び判決は、公開法廷でこれを行ふ。

2  裁判所が、裁判官の全員一致で、公の秩序又は善良の風俗を害する虞があると決した場合には、対審は、公開しないでこれを行ふことができる。但し、政治犯罪、出版に関する犯罪又はこの憲法第三章で保障する国民の権利が問題となつてゐる事件の対審は、常にこれを公開しなければならない。


なぜ、フラッと行って、なんの受付も通らず、裁判をやっている部屋に入れるのか?

(傍聴の希望が特別に多いときは、入場整理券を、並んでゲットしなければだめ、ですが。)


裁判官がちゃんとやっているか、国民が監視できるようにするためです。
 

悪いやつが、やりこまれたり、言い訳するのを、見に行くためだと思っていませんでしたか?
それも自由ですが。(;^_^A


モンテスキューが、「司法権は恐ろしい権力だから、行政から分立させなければいけない」と大騒ぎしたから、三権分立があるのです。 


ところで、海難審判所とか、裁判そっくりのことやってるところは、あれって国土交通省の機関(つまり行政機関)でしょう?
行政機関が裁判ってやっていいの?

第七十六条  すべて司法権は、最高裁判所及び法律の定めるところにより設置する下級裁判所に属する。

2  特別裁判所は、これを設置することができない。行政機関は、終審として裁判を行ふことができない。

3  すべて裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される。


76条2項をもう一度見てみましょう。 

行政機関は、終審として裁判を行ふことができない。」って書いてあるでしょう?

つまり、「この審決じゃやだ」(抗告)を、最高裁の系列の裁判所(高等裁判所に)にすることができて、行政審判(行政機関のやる裁判)を最後にすることが強制でなければOKということです。。
なんで、最終的に一つの系列の司法機関に まとめるかというと、
三権分立の意味も当然有りますが(行政でないところが司法権を持つ)
法の下の平等が理由です。(司法が法を確定するので、たくさんの系列があると、統一した一つの法でなくなってしまうから)
(特別裁判所禁止も同じ理由です)

難しい?(;^_^A 

 
 


最後に行政権です。


今、見てきたように、「統治権から、立法権と司法権を引いた残り全部」が、行政権です。


行政権 = 統治権 - 立法権 - 司法権


一応、どんなことがメインなのか、憲法の条文を見てみましょう。
 

「国会が立法」、「司法が裁判所」と違って、行政は、内閣だけとは決まっていません。
でも、ほとんどの行政は、内閣が司令部になって、役所を動かしますので、内閣の条文を見ましょう。

第七十三条  内閣は、他の一般行政事務の外、左の事務を行ふ。

一  法律を誠実に執行し、国務を総理すること。

二  外交関係を処理すること。

三  条約を締結すること。但し、事前に、時宜によつては事後に、国会の承認を経ることを必要とする。

四  法律の定める基準に従ひ、官吏に関する事務を掌理すること。

五  予算を作成して国会に提出すること。

六  この憲法及び法律の規定を実施するために、政令を制定すること。但し、政令には、特にその法律の委任がある場合を除いては、罰則を設けることができない。

七  大赦、特赦、減刑、刑の執行の免除及び復権を決定すること。


どれも重要なんですが、行政の基本は一(1号と読みます)ですね。
法律を誠実に執行し、」です。
最初、西洋から近代憲法の考え方が入ってきたとき、「行法」と訳しました。この方がわかりやすいですよね(^▽^)/

最初の国会の説明のところで書きましたように、内閣は、国会の言う通りにしなければならない機関です。
勝手に内閣だけで決めて良いことって、無いんですね。
条文に「法律」とか「国会」っていう言葉が無いのって、2号と7号くらいでしょう?
(恩赦法という法律は有る)

でも、結局のところ、他のことも含めて内閣のやることはすべて国会に対して政治的責任を負っています。
(国会という国民の代表者を通して、国民に責任を負っています。)(法的責任とは違います。)
憲法の条文にも書いてあります。

第六十六条  

(1項と2項は省略) 

3  内閣は、行政権の行使について、国会に対し連帯して責任を負ふ。

 

閣議について

73条に有る内閣のお仕事、条約締結、予算案作成(「予算」と書いてますが「予算案」です)、政令制定、恩赦などなどは、内閣として決めるので、話し合って(閣議をやって)決めます。

最近、安倍内閣では、なんでもかんでも閣議決定する傾向が有りますが、憲法や法律に権限の根拠が有ること(上の例の条約締結とか)以外のことで、何か決定をしても、
内閣の意思表示の意味しか有りません。
「閣議決定しました」という報道を聞いて、何か権限を持って決めたことだと思ってはいけません。
権限が無ければ、
ただの意思表示なのです。
(実際、内閣の下の役所の人間が言うことを聞くことになるので、問題大ありですが)
そして、一応の権限有ることでも「国会と国会の決めた法律のコントロールの下に無ければいけない」という大原則は、変わらないのです。
(たとえば、条約締結も国会の承認が必要です73条3号)

法案の話も、内閣として法案を提出することを閣議で決めることができるだけで、「法案」は国会で話して決めるたたき台にしかなりません。
あくまでも、法律は国会が作ります。

自由主義、立憲主義 と 権力分立(三権分立、地方自治)


 なお、フランス人権宣言は、「権力分立を定めていない憲法は、憲法じゃない」と言っています。

なんで人権宣言に?と思いますか?

「他人を害さない限り、国はほっとけ」という考え方(自由主義)からすると、
「権力が一つのところに集まっている政府は、何をやらかすかわからん」という心配があるからです。

だから、ただ、「分けました」だけではだめで、うまくバランスをとって、三権のうちどこか一つが強くならないようにしなければならないのです。 
バランスをとらないと、分けた意味が無いのです。 


三権分立は、統治権を内容で分けたのでした。

中央と地方で分けるのは、地方自治制度です。


三権分立も地方自治も、権力分立という同じくくりのもので、自由主義が根本です。





死刑廃止条約とは - 死刑廃止の多国間条約について -

目次
(目次の中のリンクは、ページ内のリンクです)

死刑廃止条約を含む人権条約の説明
 国連
 世界人権宣言
 国際人権規約(社会権規約・自由権規約)
 2つの選択議定書

死刑廃止国の数

(世界的・地域的)人権条約締約国の数・(死刑廃止関連の)選択議定書締約国の数

年表

死刑廃止についての条約の条文
 死刑廃止条約(自由権規約第2選択議定書)
 
 EU基本憲章 第2条
 欧州人権条約
  欧州人権条約 第2条
  欧州人権条約 第6議定書(一部省略)
  欧州人権条約 第13議定書
 米州人権条約 第4条 (英文と和訳:もっとん)
 米州人権条約 死刑廃止に関する選択議定書 (英文)
 米州人権条約 死刑廃止に関する選択議定書 (和訳:もっとん)

このページで引用している条約の条文は、米州人権条約をのぞいて、すべて、ミネソタ大学の人権図書館のWEBサイト(各国語あるうちの日本語のページ)から引用しました。

---------------------------------------------
死刑廃止論全般のまとめは、数日前の投稿に書きました
現在の世界の死刑廃止状況については、別に書きました。
---------------------------------------------------------------

死刑廃止条約とは何か


正式名称

死刑廃止を目指す市民的及び政治的権利に関する国際規約第2選択議定書

Second Optional Protocol to the International Covenant on Civil and Political Rights,Aiming At the Abolition of the Death Penalty

国際規約とは?選択議定書とは?

中心的な役割をしているのは国連なので、まず、国連から


国際連合(国連)


国際連合は、人権保障と世界平和、国際問題での協力を目的に作られた、各国政府(現在193ヵ国)から作られる国際機関です。1945年にできました(国連憲章発効)。
国連憲章が、国連のルールになっています(国連憲章も条約です。)。


国連憲章

第1章 目的及び原則

第1条
 国際連合の目的は、次のとおりであ る。
1 国際の平和及び安全を維持すること。そのために、平和に対する脅威の防止及び除去と侵略行為その他の平和の破壊の鎮圧とのため有効な集団的措置をとること並びに平和を破壊するに至る虞のある国際的の紛争又は事態の調整または解決を平和的手段によって且つ正義及び国際法の原則に従って実現すること。
2 人民の同権 及び自決の原則の尊重に基礎をおく諸国間の友好関係を発展させること並びに世界平和を強化するために他の適当な措置をとること。
3 経済的、社会的、文化的または人道的性質を有する国際問題を解決することについて、並びに人種、性、言語または宗教による差別なくすべての者のために人権 及び基本的自由を尊重するように助長奨励することについて、国際協力を達成すること。
4 これらの共通の目的の達成に当たって諸国の行動を調和するための中心となること。


そして、人権を守るために、宣言を出しました。

世界人権宣言

です。
(Universal Declaration of Human Rights)
(1948年、国連総会決議として)

世界人権宣言は宣言なので、国連の意思表明の意味しか無かった。
(この宣言を基礎にした人権条約、各国の行動などから、現在は、慣習国際法として、法になった、という考えが有力です)

そこで、法的なもの=多国間条約を作りました。

二つの人権条約

です。

略称社会権規約  A規約。 
 正式名称:経済的、社会的及び文化的権利に関する国際規約
  社会権(生存権、労働基本権、教育、健康、文化、科学など、国が福祉のためにやるべき義務)について定めています。
略称自由権規約 B規約。 
 正式名称:市民的及び政治的権利に関する国際規約
  自由権(国に「邪魔すんな」という権利)と参政権などについて定めています。

憲法も、人権を定めて、人権に対応する国家の義務を定めたものですが、
人権条約は、同じ機能を、グローバルスタンダードとして提供するものです。
なんせ、人権は、「人間に共通のことであり、国によって違いがあってはならない」という理想が有るからです。(この人権思想からの法の下の平等を追求すると、国境を廃止という結論になります)

そもそも、憲法は、国家の義務を定めたものです。
法律も、(国民の権利義務関係を定めることができるものですが)、国家の義務を書くものです。
法治主義から当然です。
詳しくは、「法治国家」って、国家が、国民に法律を守らせてる国家、だと思ってる?を読んでください。
条約も国家の義務を書くことができるのは当然です。

両方とも日本批准しています。(日本は、この2つの条約に参加していて、2つの条約が国内法の効力を持っているということです。)

条約は、日本では、憲法より下、法律より上です(日本の通説)。
法令より上なので、条約違反の法令は効力が否定されることとなります。
(日本の裁判所でそこまで言ったのを知りませんが)

このB規約(自由権規約)に、

2つの選択議定書

が有ります。

選択議定書っていうのも、条約なんですが、本体の条約の他にオプションで用意するものです。
一番最初に書いた死刑廃止条約の正式名称の英語にも optional って書いてあるでしょう?
反対が予想される事柄について別にすることで、本体を批准してもらいやすくする、というメリットが有ります。

日本は、選択議定書を2つとも批准していません。

第一選択議定書は、個人が「本体の条約に定める人権を、国家に侵害された」とこの条約に基づいて設置された委員会に訴えることができる」と規定しています(個人通報制度)。
国連が主導して作った人権条約はその後たくさん有りますが(女子差別撤廃条約とか子どもの権利条約とか)、どれも個人通報制度を定めた選択議定書が有ります。
日本は、これらの人権条約の選択議定書を、全部、批准していません。
「日本の主権(統治権の意味)、なかんづく司法権を害する」っていう理屈です。
本来、人権を守るために国家はあるので、本末転倒の、日本国内でしか通用しない、チョーおバカなお話しです。
わかりやすくいえば、「司法権守って、人権守らず」
なんのための司法権かっ。国家かっ。

そして、第二選択議定書もあります。
これが、死刑廃止条約と呼ばれているものです全文(ページ内リンク)

なお、自由権規約(本体)にも死刑廃止に向けた条文(第6条)があります。

他の地域的人権条約では
EUは、EU基本権憲章死刑を廃止しています。(リスボン条約で憲章に法的効力あり)
欧州人権条約には死刑廃止の選択議定書が2つ(第6議定書と第13議定書)。
米州人権条約には死刑廃止の選択議定書があります。(2つ議定書があるうちの1つ)

死刑廃止国の数

国連加盟国         193

死刑廃止国(憲法、法律で)     102
事実上の廃止国を含めると    139

国連非加盟国 ごく少数。
(台湾、バチカン市国、パレスチナなど。)
うち、バチカンは死刑廃止。台湾は復活。

香港、マカオは、廃止
(それぞれ、中国に返還される前からの死刑廃止が、返還後も継続)


アメリカ大陸の死刑存廃

アメリカ大陸(北米・中南米合計) 35 
(アメリカ合衆国は1で計算)

うち、死刑存置国は、
中南米13ヵ国(キューバ、グアテマラ、ジャマイカ、ドミニカなど))
アメリカ合衆国の一部(連邦政府と軍隊と31州)

アメリカ合衆国の廃止は、ワシントンDC、19州、本土以外の自治領などは全部。

OECD(経済協力開発機構)加盟国  35の内訳

OECD加盟国 35
死刑廃止国  32 
死刑存置国  2  (アメリカ合衆国、日本)
事実上廃止国 1  (韓国)

OECD加盟国
は、
ヨーロッパの24ヵ国(うちEU加盟22)。日本と韓国。
オーストラリアとニュージーランド。
アメリカ合衆国、カナダ、メキシコ、チリ。
トルコ。イスラエル。 

(世界的・地域的)人権条約締約国の数
(死刑廃止関連の)選択議定書締約国の数

(個別的人権条約は死刑廃止関連のみ)

国連加盟国(=国連憲章締約国)  193 未加盟国:台湾、バチカンなど(特殊な背景のある国のみ)
  
自由権規約           168 未締約国:中国・キューバなど
自由権規約 選択議定書     115 
自由権規約 第2選択議定書      83 
      (死刑廃止条約)   
社会権規約                      164 未締約国:アメリカ、キューバ、南アフリカなど
社会権規約 選択議定書       21 未締約国:日本など

EU基本権憲章
EU加盟国(リスボン条約)          28  EU加盟国はすべて死刑廃止

欧州人権条約(欧州評議会)       47
欧州人権条約第6選択議定書(平時の死刑廃止)       46
欧州人権条約第13選択議定書(死刑全廃)          43

米州人権条約               24   米大陸の未締約国:カナダ、アメリカ合衆国、キューバ
米州人権条約死刑廃止に関する選択議定書            11

(世界的人権条約締約国の数は2016年10月現在)


年表

1945年 日本、連合国に降伏する(第二次世界大戦終了)→連合国占領
          国際連合、発足(国連憲章、発効) (加盟国51)
1947年 日本国憲法、施行
1948年 世界人権宣言
1949年 欧州評議会結成(ロンドン条約)
1952年 日本、主権回復(占領終了)(サンフランシスコ講和条約、発効)
1953年 欧州人権条約、発効
1956年 日本、国連加盟
1966年 自由権規約((第1)選択議定書を含む) と 社会権規約、国連総会で採択
1976年 社会権規約、(締約国で)発効
      自由権規約((第1)選択議定書を含む)、(締約国で)発効
1978年 日本、社会権規約 と 自由権規約 に署名
1979年 日本、社会権規約 と 自由権規約 批准
1985年 欧州人権条約 第6選択議定書(平時の死刑廃止)、発効
1989年 自由権規約 第2選択議定書(死刑廃止条約)、採択(日本、米、中国、イスラム諸国などが反対した)
1991年 自由権規約 第2選択議定書(死刑廃止条約)、(締約国で)発効
2002年 死刑廃止世界連盟、ローマで設立
     欧州人権条約 第13選択議定書(死刑全廃)、採択
2003年 死刑廃止世界連盟が、世界死刑廃止デー(10月10日)を制定
2007年 EUと欧州評議会が、欧州死刑廃止デー(10月10日)制定(翌年から)
2008年 社会権規約 選択議定書、採択
2013年 社会権規約 選択議定書、(締約国で)発効
2014年 国連総会で、死刑執行停止決議、採択(賛成国:117)



死刑廃止についての条約の条文


自由権規約

正式名称:市民的及び政治的権利に関する国際規約)

第六条
1 すべての人間は、生命に対する固有の権利を有する。この権利は、法律によって保護される。何人も、恣意的にその生命を奪われない。
2 死刑を廃止していない国においては、死刑は、犯罪が行われた時に効力を有しており、かつ、この規約の規定及び集団殺害犯罪の防止及び処罰に関する条約の規定に抵触しない法律により、最も重大な犯罪についてのみ科することができる。この刑罰は、権限のある裁判所が言い渡した確定判決によってのみ執行することができる。
3 生命の剥奪が集団殺害犯罪を構成する場合には、この条のいかなる想定も、この規約の締約国が集団殺害犯罪の防止及び処罰に関する条約の規定に基づいて負う義務を方法のいかんを問わず免れることを許すものではないと了解する。
4 死刑を言い渡されたいかなる者も、特赦又は減刑を求める権利を有する。死刑に対する大赦、特赦又は減刑はすべての場合に与えることができる。
5 死刑は、一八歳未満の者が行った犯罪について科してはならず、また、妊娠中の女子に対して執行してはならない。
6 この条のいかなる規定も、この規約の締約国により死刑の廃止を遅らせ又は妨げるために援用されてはならない。


死刑廃止条約

正式名称:死刑の廃止をめざす、市民的及び政治的権利に関する国際規約の第二選択議定書)
(自由権規約第二選択議定書)


この議定書の締約国は、 

 死刑の廃止が人間の尊厳の向上 (enhancement of human dignity) と人権の漸進 的発展 (progressive development; [仏] developpement progressif) に寄与す ることを信じ、

  一九四八年一二月一〇日に採択された世界人権宣言の第三条及び一九六六年一二月一六日に採択された「市民的及び政治的権利に関する国際規約」の第六条を想 起し、

  「市民的及び政治的権利に関する国際規約」の第六条が、死刑の廃止が望ましい ことを強く示唆する文言をもって死刑の廃止に言及していることに留意し、死刑の廃止のあ らゆる措置が生命に対する権利 (right to life; [仏] droit a la vie)の享受における前進 (progress; [仏] progres) と考えられるべきであることを確信し、

  このようにして死刑を廃止するという国際的な公約(commitment; [仏] engage- ment)を企図することを願って、次のとおり協定した。

第一条

1 何人も、この選択議定書の締約国の管轄内にある者は、死刑を執行されない。 

2 各締約国は、その管内において死刑を廃止するためのあらゆる必要な措置を とらなければならない。 

第二条

1 批准又は加入の際にされた留保であって、戦時中に犯された軍事的性格をも つ極めて重大な犯罪に対する有罪判決によって、戦争の際に死刑を適用するこ とを規定するものを除くほか、この選択議定書にはいかなる留保も許されない。

2 このような留保をする締約国は、批准又は加入の際に、戦時に適用される国 内法の関連規定を国際連合事務総長に通報 (communicate) するものとする。 

3 このような留保をした締約国は、その領域に適用される戦争状態の開始又は 終了について国際連合事務総長に通告 (notify) するものとする。 

第三条

 この選択議定書の締約国は、規約の第四〇条の規定に従って人権委員会 (Human Rights Committee) に提出する報告書に、この議定書を実施するため にとった措置に関する情報を含めなければならない。 

第四条

 規約の第四一条の規定による宣言 (declaration) をした規約締結国に関し ては、当該締約国が批准又は加入の際に別段の声明 (statement) をしたのでな い限り、一締結国から他の締約国がその義務を履行していない旨を主張してい るという通報について、人権委員会が受理しかつ審議する権限は、この議定書 の規定にも拡張されるものとする。 

第五条

 一九六六年一二月一六日に採択された「市民的及び政治的権利に関する国際 規約」についての(第一)選択議定書の締約国に関しては、当該締約国が批准 又は加入の際に別段の声明をしたのでない限り、その管轄権に服する個人から の通報 (communications) を人権委員会が受理しかつ審議する権限は、この議 定書の規定にも拡張されるものとする。 

第六条

1 この議定書の規定は、規約の追加規定として適用されるものとする。 

2 この議定書の第二条に定める留保の可能性を害することなく、この議定書の 第1条第1項において保障される権 利は、規約の第四条によるいかなる廃止措 置 (derogation; [仏] derogation) をも受けることがないものとする。 

第七条

1 この議定書は、規約に署名したすべての国による署名のために開放される。 

2 この議定書は、規約を批准し又はこれに加入したすべての国により批准され なければならない。批准書は、国際連合事務総長に寄託されるものとする。

3 この議定書は、規約を批准し又はこれに加入したすべての国による加入のた めに開放される。 

4 加入は、国際連合事務総長に加入書を寄託することによって行われる。 

5 国際連合事務総長は、この議定書に署名し又は加入したすべての国に対し、各批准書または加入書の寄託を通知する。 

第八条

1 この議定書は、一〇番目の批准書又は加入書が国際連合事務総長に寄託され た日の後3箇月で効力を生ずる。

2 一〇番目の批准書又は加入書が寄託された後に本議定書を批准し又はこれに 加入する国については、この議定書は、その国の批准書又は加入書が寄託され た日の後三箇月で効力を生ずる。 

第九条

 この議定書の規定は、いかなる制限又は例外もなしに、連邦国家のすべての 地域について適用する。 

第一〇条

 国際連合事務総長は、規約の第四八条第一項に規定するすべての国に、次の 事項について通知 (inform) するものとする。 

(a) この議定書の第二条の規定による留保、通報 (communications) 及び通告 (notifications) 

(b) この議定書の第四条又は第五条の規定によってされた声明 (statements) 

(c) この議定書の第七条の規定による署名、批准及び加入 

(d) この議定書の第八条の規定によるこの議定書の効力発生の日 

第一一条

1 この議定書は、アラビア後、中国語、英語、フランス語、ロシア語及びスペ イン語を等しく正文とし、国際連合に寄託される。 

2 国際連合事務総長は、この議定書の認証謄本を規約の第四八条に規定するす べての国に送付する。

出典  http://www.asahi-net.or.jp/‾ef4j-tkgi/dp/sopiccpr.html  団藤重光・試訳



EU基本権憲章 第2条


第2条 生命に対する権利
(1)何人も、生命に対する権利を有する。
(2)何人も、死刑の宣告または執行をされないものとする。


ヨーロッパ人権条約 第2条

(正式名称:人権 及び基本的自由の保護のための条約についての第六議定書) 
(Convention for the Protection of Human Rights and Fundamental Freedoms)

第二条(生命に対する権利)

1 すべての者の生命に対する権利は、法律によって保護される、何人も、故意にその生命を奪われない。ただし、法律で死刑を定める犯罪について有罪の判決の後に裁判所の刑の言い渡しを執行する場合は、この限りでない。
2 生命の略奪は、それが次の目的のために絶対に必要な、力の行使の結果であるときは、本条に違反して行われたものとみなされない。
(a) 不法な暴力から人を守るため
(b) 合法的な逮捕を行い又は合法的に抑留した者の逃亡を防ぐため
(c) 暴力又は反乱を鎮圧するために合法的にとって行為のため


第6議定書

第一条(死刑の廃止)

 死刑は、廃止される。何人も、死刑を宣告され又は執行されない。

第二条(戦時等における死刑)

 国は、戦時又は急迫した戦争の脅威があるときになされる行為につき法律で死刑の規定を設けることができる。死刑は、法律に定められた場合において、かつ、法律の規定に基づいてのみ適用される。国は、当該の法律の規定を欧州審議会に通知する。

第三条(離脱の禁止)

 この議定書の規定からのいかなる離脱も、条約の第一五条に基づいて行ってはならない。

第四条(留保の禁止)

 この議定書の規定については、いかなる留保も、条約の第五七条に基づいて付すことができない。

(5条~9条略)


第13議定書
(日本語訳はミネソタ大学のサイトに無い。英語などはある)

第6議定書の第2条(戦時等における死刑)を削除して、つめて番号ふり。
つまり、第6議定書にあった戦時の特例をなくして、死刑を完全に廃止する。


米州人権条約

(American Convention on Human Rights)

(原文:英語、和訳:もっとん)

Article 4. Right to Life
1. Every person has the right to have his life respected. This right shall be protected by law and, in general, from the moment of conception. No one shall be arbitrarily deprived of his life.
2. In countries that have not abolished the death penalty, it may be imposed only for the most serious crimes and pursuant to a final judgment rendered by a competent court and in accordance with a law establishing such punishment, enacted prior to the commission of the crime. The application of such punishment shall not be extended to crimes to which it does not presently apply.
3. The death penalty shall not be reestablished in states that have abolished it.
4. In no case shall capital punishment be inflicted for political offenses or related common crimes.
5. Capital punishment shall not be imposed upon persons who, at the time the crime was committed, were under 18 years of age or over 70 years of age; nor shall it be applied to pregnant women.
6. Every person condemned to death shall have the right to apply for amnesty, pardon, or commutation of sentence, which may be granted in all cases. Capital punishment shall not be imposed while such a petition is pending decision by the competent authority.


第4条 (生命に対する権利)

1.すべての人々には、生命を尊重される権利がある。この権利は、受胎されたときから区別なく、法により守られる。何人も、その生命を、恣意的に奪われることはない。
2.死刑を廃止していない国家においては、死刑は、最も重大な犯罪についてのみ、犯罪の実行以前に制定された法で定める死刑に従って、管轄裁判所により下された終局判決をすることで、科すことを妨げない。死刑適用は、現在適用のない犯罪に拡大しない。
3.死刑を廃止した国家は、死刑制度を復活しない。
4.政治犯罪または関連の通常犯罪については、あらゆる場合に、極刑を科さない。
5.極刑は、18歳未満の者、70歳より上の者に科さない。妊娠中の女性にも、極刑を科さない。
6.死刑を宣告されたすべての個人は、恩赦、特赦、減刑が適用される権利を持つ。このことは、あらゆる場合に認められてよい。このような申請が、所管官庁によって未決定の間は、極刑は、科されない。


死刑廃止に関する議定書

(PROTOCOL TO THE AMERICAN CONVENTION ON HUMAN RIGHTS TO ABOLISH THE DEATH PENALTY)

原文:米州機構のWEBページ

(原文:英文、和訳:もっとん)

PREAMBLE

THE STATES PARTIES TO THIS PROTOCOL,

CONSIDERING:

That Article 4 of the American Convention on Human Rights recognizes the right to life and restricts the application of the death penalty;

That everyone has the inalienable right to respect for his life, a right that cannot be suspended for any reason;

That the tendency among the American States is to be in favor of abolition of the death penalty;

That application of the death penalty has irrevocable consequences, forecloses the correction of judicial error, and precludes any possibility of changing or rehabilitating those convicted;

That the abolition of the death penalty helps to ensure more effective protection of the right to life;

That an international agreement must be arrived at that will entail a progressive development of the American Convention on Human Rights, and

That States Parties to the American Convention on Human Rights have expressed their intention to adopt an international agreement with a view to consolidating the practice of not applying the death penalty in the Americas,

HAVE AGREED TO SIGN THE FOLLOWING PROTOCOL TO THE AMERICAN CONVENTION ON HUMAN RIGHTS TO ABOLISH THE DEATH PENALTY

Article 1
The States Parties to this Protocol shall not apply the death penalty in their territory to any person subject to their jurisdiction.

Article 2
1. No reservations may be made to this Protocol. However, at the time of ratification or accession, the States Parties to this instrument may declare that they reserve the right to apply the death penalty in wartime in accordance with international law, for extremely serious crimes of a military nature.
2. The State Party making this reservation shall, upon ratification or accession, inform the Secretary General of the Organization of American States of the pertinent provisions of its national legislation applicable in wartime, as referred to in the preceding paragraph.
3. Said State Party shall notify the Secretary General of the Organization of American States of the beginning or end of any state of war in effect in its territory.

Article 3
1. This Protocol shall be open for signature and ratification or accession by any State Party to the American Convention on Human Rights.
2. Ratification of this Protocol or accession thereto shall be made through the deposit of an instrument of ratification or accession with the General Secretariat of the Organization of American States.

Article 4
This Protocol shall enter into force among the States that ratify or accede to it when they deposit their respective instruments of ratification or accession with the General Secretariat of the Organization of American States.



死刑廃止に関する議定書


(和訳:もっとん)

前文

この議定書の締約国は次のように考える。

米州人権条約第4条は、生命に対する権利と、死刑の適用を制限することを認める。
すべての人には、その生命を尊重される奪われない権利があり、いかなる理由によっても停止(保留)されることない。
死刑廃止に賛成することが、米州にある国家における傾向である。
死刑適用は、誤判を改めることを不可能にする、有罪判決を覆すか変更するいかなる可能性もなくす、取返しのつかない重大性がある。
生命に対する権利のより効果的な擁護を確かにするために、死刑廃止は、有用である。
国際的な合意は、米州人権条約の進歩的発展を伴うことに到達しなければならない。 
そして、米州人権条約締約国は 米州において死刑を適用しないことの実践が確固たるものとなる見通しをもって、国際的な合意を採択する意思を表明し、

死刑廃止に関する米州人権条約の選択議定書に、合意して署名した。

第1条 議定書締約国は、領内で、管轄が及ぶあらゆる個人に対して、死刑を適用しない。
第2条 
1.この議定書には、いかなる留保条件をつけることも許されない。しかしながら、批准と加入において、締約国は、軍事の極端に重大な犯罪について、戦時に、国際法に従って死刑を適用する権限を留保する宣言をすることを妨げない。
2.この留保をする締約国は、批准または加入において、前項において言及しているように、戦時に適用できる国家の立法の関係条項を、米州機構の事務総長に、報告するものとする。
3.前記の締約国は、領内における事実上の戦争の、始めまたは終わり、あらゆる状態を、米州機構の事務総長に通知するものとする。 

第3条
1.この議定書は、米州人権条約締約国により、署名、批准、加入ができる状態にする。
2.この議定書のさらなる批准または加入は、米州機構の事務総局で批准または加入の書面を付託することで、完成する。

第4条 この議定書は、米州事務総局に、おのおのの批准または加入の書面が寄託されるとき、その批准または加入する国家において、効力を生じる。


なお、このページで引用している条約の文章は、米州人権条約をのぞいて、すべて、ミネソタ大学の人権図書館のWEBサイト(各国語あるうちの日本語のページ)から引用しました。

その他、アムネスティインターナショナル、アムネスティインターナショナル日本支部、ヒューライツ大阪、などの、WEBサイトを参考にさせていただきました。
厚く、御礼申し上げます (o*。_。)oペコッ


数字などのデータは、何度も見直しました。
条文の和訳は、他の条約の和訳文なども参考にしました。(難しかったです( ノД`)シクシク…)

誤訳、不自然など、ありましたら、お知らせいただきますと幸いです。





被害者の人権と死刑制度の関係 - 死刑廃止論者は被害者の人権を考えないトンデモなのか

加害者の人権
被疑者の人権
被告人の人権

について、考えたい、と思います。

これらについて、誤解があるのかな、と思います。 

・この4つの立場の人の意味、
・人権、という言葉の意味、
・民法と刑法の違い(目的と機能)


まず、言葉の意味を一つずつ。

人権」は、「あらゆる人に平等に認められた権利の総称(すべての呼び名(つまり人権はたくさんある))」です。
国家と国民・人民の関係で、国家権力が人権を侵害するのを防ぐ目的で、憲法が作られました。
人権には、国家がおせっかいをしない義務を定めたもの(自由権など)と、国家がする義務を定めたもの(社会権など)があります。


国民と国民の間でも、一応人権侵害の問題は起こりますが、
1.民事で、契約が無効(民法90条)
2.民事で、損害賠償請求など(民法415条、709条)
3.刑事で、犯罪となる。

となります。

1と2の民事は、加害者と被害者の問題。
3の     刑事は、国家 と加害者の問題。(国家が加害者を罰するという問題)



被疑者」とは、「検察官に起訴される前の、捜査機関(警察など)に疑われている人」
のことをいいます。
(容疑者は法律用語ではありません)
被告人」とは、「検察官に起訴された、刑事訴訟の当事者」です。

無罪の推定」といいまして、有罪判決が確定するまでは、被疑者・被告人は無罪の人(善良な(とは限りませんが)一市民)として扱われなくてはいけません。
そして、「有罪だということを検察側が証明する」ということをしないと、無罪にしなければなりません。

だって、これを読んでるあなた、たまたま運悪く警察に疑われて、犯人じゃないのに犯人みたいに扱われて、そして、自分の潔白を証明しろ、って言われて、有罪になったら、いやでしょう?

ただ、そうはいっても、有罪だっていう絶対の確信を最初から持てるんであれば、裁判なんかいらないし、
反対に、有罪の確信が無いんだったら、強制捜査をまったくしちゃいけない、って言われちゃったら、犯人に逃げられたり証拠隠滅されたり、証拠を探し当てられなかったりします。

ですから、被疑者・被告人の人権と、真実を発見する目的、と、天秤にかけて、バランスをとっているのが、刑事訴訟法なのです。日本の憲法にもかなり詳しい条文が有ります。



さて、

被害者の人権と、死刑の話

に戻ります。

まず、確認しておきたいのは「被害者の人権と加害者の人権とを比べてバランスを考えるということ」意味が不明、ということです。
後で詳しくいいます。

そして、さらに、被疑者・被告人の人権と比べるのは、意味が無いどころか、絶対におかしい。
被疑者・被告人は、あくまでも、無罪の人として扱われる存在ですから。
法律家でもこういう言葉遣いをする人がいますが、頭がおかしい、と言って良いレベルでしょう。

では、あらためて、

被害者の人権と加害者の人権

の話に戻ります。

刑罰を科すことで、被害者は救われません。

できることで考えられるのは、
・民事の賠償をきちんと受けられるようにすること(死刑執行したら不可能になることです)
・国家が補償すること(制度はあります。改善の余地もあります。)
・精神的なケアなどをすること

もともと、凶悪犯罪に限らず、犯罪に限らず、労働問題も交通事故も、責任を負うべき者が責任を負って損害賠償をしたりなど、被害者との崩れたバランスを戻す(戻そうとする)のは、民法の担当です。
刑法は、それとは別に、犯罪を防ぐために、国家が違法行為をした者を処罰することを担当。

民法と刑法では、目的も機能も全然違います。



救われるということを強調する人が言うことは、
結局、
1.報復感情を満たすこと。
2.殺したら、殺せ。(絶対的応報刑)
両方とも、現在の刑法学理論からは、刑法、刑罰の役割として認めていません。
(結果として、そういう機能が果たされているという見方はあるでしょう。)
ですから、この2点を言う人は、まず、刑法学の基本から論証しなければいけません。


死刑廃止論に対する存置論者=被害者の利益を代弁、という構図を、作る連中は、
・本当に、心底から被害者や被害者遺族のことを考えず
・問題を被害者のことにすりかえて、存置論を正当化しようとしている

裏返して言えば、
存置論を主張するために、被害者や被害者遺族を利用している。


そもそも
死刑廃止をした国の、国会議員の多く(廃止に賛成)は、被害者の人権を考えていないひどい人たちなの?
国連は、主導して、人権条約としての多国間条約、死刑廃止条約を作りましたが(日本は批准していない)、被害者の人権を考えない、トンデモな大馬鹿たれの悪人どもなの?
去年、死刑廃止すべきと言い始めた、ローマ法王(フランシスコ)も、大馬鹿たれなの?

よろしければ、先日書きました、「死刑廃止論」という投稿で、死刑廃止論の理論的なことを最小限(でも長いけど)に、わかりやすくまとめましたので、お読みください。
死刑廃止論全般について先日書いた投稿



 

死刑廃止論

死刑の話です。


 
必要以上に詳しく書くと、キリが無いし、論点がぼやける。

要点を過不足無く書こうと思います。(結局、長いけどm(__)m )

今回は、廃止すべき理由として、理論的なことだけ書きます。

1.死刑制度の運用の問題点(判決まで、と、執行)と、
  死刑廃止に向けての課題。
2.死刑廃止をめぐる政治状況(日本国内、と、世界規模)、政策的な話。
別の投稿で書きます。


最初にぜひ確認したいこと


あらゆる人間の生命は大切なものです。
死刑は、「死刑」という名前の、「国家により正当化された殺人」です。
死刑制度の正当性を証明ができなければ、制度を存続維持すべきではない。
死刑制度の廃止をいう人に対して、「死刑制度が効果がある(抑止力など)ことが、無い、ということを証明せよ」というのは間違いである。


死刑廃止をすべき本質的理由
(国家権力の限界)


国家は、人間の生命を奪う権限を持たない。
「国家がどういう刑罰を科して良いか」という問題は、広く人権(人身の自由など)の問題ですが、
死刑は、単に、人権を「制限する」という通常の人権問題ではなく、
生命を奪う=”人権享有主体性そのものを奪う”ということです。

人権を享有する=人権がある。人権享有主体=人権がある存在=人間
人身の自由(身体の自由)=正当な理由なしに身体的活動を拘束されないこと。自由権の基礎。最近話題になった奴隷的拘束と苦役の禁止も人身の自由。

個人の尊厳原理社会契約説を根拠としています。

社会契約説=国家の正当性の契機を(市民の)契約にあるとする。
(つまり、みんなで「国家を作りましょう」「そうしましょう」って言って作ったものだから、国家は国家として認められる。)
もちろんフィクションです。実際はそんなことはありません。
でも、大事なのは、
・契約で作ったんだから、国家はこうあるべきだ、ということが言えるということ。
・市民の契約で有り得ないようなことをする国家は、国家として認めない、と言えるということ。

つまり、「他者の利益を害しないなど一定の正当な目的のために、国家権力から止むを得ない(人権の)制限を受けることがあるとしても、人権があることの根拠=「人間として生きていること」まで、否定する権限は無い」という論理です。

まあ、「社会契約論」では一番有名なルソーが、「契約の際に死刑の存在についても同意しているはずだ」という論理で存置論です。
もともと社会契約自体フィクションなので、水掛け論になるかもしれませんが。

この論点は、人間とは何か、人間の生命とは何か、国家とは何か、という理解、認識、信条、信仰などと深く関わるものと思います。


刑法理論(犯罪者に刑罰を科す理由)


いろいろとややこしい理論があるのです。

まず、詳しい説明をする前にもっとんの立場

犯罪者の改善可能性は有る、と信じます。(困難さの程度の違いこそあるでしょうが)
改善可能性が有るから、あきらめず、国家は改善の努力(教育)をする。
死刑は反対。
(同じ理由から、(仮出所の可能性の無い)無期懲役、無期禁錮(終身刑)には、反対です。)

この改善可能性については、教育学、心理学によるところが大きくて、今の人智では解明ができていない分野です。
ここでも、やはり、認識、信条、信仰が関わります。

改善可能性が無い、という証明が無い限り、死刑は廃止すべきです。


刑法学は、大きく分けて二つの立場があります。
 
1.「悪い人」が、犯罪を起こすことによって、「悪い人」だとわかる。
.ある人が、犯罪を起こすことによって、「犯罪を起こした事実」がわかる。

1の立場は、悪い人を何とかする必要があるので、「未遂犯か既遂犯か」「結果が重大かそうでないか」などに関係無く、悪い人を教育しなければならない、ということになります。(教育刑論)
2の立場は、犯罪を犯した人に、犯した犯罪に見合った刑罰を科すということになります。(応報刑論)

は(教育刑論)一見魅力的ですが、
科学的にその人の悪さ加減を見極めて、適切な教育を施すのは難しいですし、
権力の恣意的な運用が心配されます。
(例えば、懲役刑の期間を決めないとか。やっていることは大したことではないが、改善の必要がある性分だから教育しちゃおうとか)。
つまり、自由が不当に制限される結果になります。

日本は、一応、2の応報刑論ですが、
犯罪とまったく同じものを刑罰として科す、タリオの法理(目には目を、歯には歯を)=絶対的応報刑論ではなくて、1の立場なども取り入れた形になっています(相対的応報刑論)
絶対的応報刑論は、1の問題にある権力による恣意的な刑罰の適用を排除できる点、とても良いです(カントもこれを理由として強調して、絶対的応報刑論をとり、その当然の帰結として、死刑を肯定している)。
しかし、いつも、極悪の人間だけが重いとされる犯罪を起こすとは限らず、軽い刑罰や執行猶予をつける運用ができなくなります。
日本の刑法(という名の法律)は、かなり弾力的に運用ができるようになっています。(立法のとき、1の立場の影響が強かった)

教育刑の理論は、少年法に多少取り入れられていますが、少年院だけでなく、少年刑務所、通常の刑務所も、世界的に日本は遅れています。
再犯を防ぐ意味から(本人のためにも社会のためにも)重要な課題です。

絶対的応報刑論を採用すれば、死刑は肯定の結論になります。
相対的応報刑論からは、「相対的」なので、一概に答えが出ません。

応報を重視すれば、肯定に傾くでしょう。
日本は、殺人すべてを死刑にしているのではないので、相対的応報刑ですが、”2人以上”など条件を絞って(判例)、死刑判決を出しているので、その中で、ある程度、応報を重視しているといえるでしょう。(最近、裁判員裁判などで例外が有る)
また、死刑の判決文(判決理由)で、「矯正教育による改善更生の可能性がない」という表現が使われるのが普通ですが、これは、ぼくらが普段使う言葉に言い直すと、「どうしようもなく悪い奴で、悪い奴でなくすることはムリ。あきらめちゃおう。悪い奴だから抹殺するしかない」ということになるでしょう。
これも応報を重視しているように見えます。

なお、世間で言われる話の中に、「仏教徒は「因果応報」を信じるから、死刑肯定のはずである」というものがある。
仏教でいうところの「因果」と「因果応報」は自然摂理のものです。人間がそれを代行することを認めるという論理には必ずしもならない。
旧約聖書やコーランにタリオの法理(目には目を歯には歯を)が書いてあって、法令に採用された例もありますので、ユダヤ教、キリスト教、イスラムにも、同様のことが言えます。(ここ数十年で死刑廃止したヨーロッパの国々は、キリスト教国が多い。もちろんその他も有ります)

「月に代わってお仕置き」をするセーラームーンとかだめです。
(もっとんは、セーラームーンについては全然知らないという自覚は有りますので、セーラームーンの話に特化した批判は勘弁願います。)


被害者感情について


存置論をとろうが廃止論をとろうが、死刑など刑罰を論ずるより前に、最初に、犯罪被害にあった人と家族などの精神的・物理的両面のケアを考えるべきです。

そのために、法律や国家ができることは、
・犯罪被害者の国家による補償を厚くして、手続きを簡単にして、速やかな支払いが行われること。
・民事裁判や和解(加害者に対する損害賠償請求など)のバックアップ、請求権が認められた(判決が出た)後で、その履行(支払)が確実に行われるようにすること。
・精神科医や臨床心理カウンセラーによる精神的なケアを、積極的に行う制度を作る。
などです。

これらのことを行わず、考えずに、まず最初に死刑を語るのは、本当にすべき被害者のケアを、自らが忘れて、他人にも忘れさせることになります。


死刑存置論者は、被害者感情と被害者遺族の感情を、根拠とする場合があります。
たしかに、殺された本人、また、殺された人の家族・友人などの心情は、いくら想像してもしたりない。
おそらくは相当壮絶な、「壮絶」という言葉で言い尽くせない、感情でしょう。


そのことを前提として、あえて言う。
被害者感情または被害者の遺族などの感情を、死刑を肯定する根拠とすることは、「被害者保護」を偽装した、「報復」に過ぎない。
個人で、復讐をすれば、殺人罪です。現在は、江戸時代に武士に認められていたような合法的な仇討ちは無い。
国家がやると正当性があるように言うのは、ごまかしでしかない。

そして、加害者が死んだところで、被害者が生き返るわけでなし、被害者の遺族や友人の心が癒されるか。
精神医療や心理学の観点から、専門家の意見を聞きたい。

もう一つ

死刑存置論の弁護士は、被害者遺族すべてが死刑に賛成かのように言うが、それは間違いです。

なお、この問題については、別にも書きました。
被害者の人権と死刑制度の関係 - 死刑廃止論者は被害者の人権を考えないトンデモなのか


刑法の目的


刑法の目的は、法益を守ることです。
法益とは、「生命、身体、財産その他の権利などなど(「権利」に限らず、法によって守られるべき社会生活上の利益」をいいます。)
法益侵害を違法といいます。

この法益の中でも防ぐ必要の高いと考えられるものを、刑罰という強力な手段で守るのが、刑法の役割です。
刑法学で「保護法益」といった場合、最初から「刑法で守るべき利益」ということです。
犯罪を防ぐことを「予防」といいます。
予防には2つあります。
犯罪を犯した人の再犯を防ぐのを「特別予防」といいます。
犯罪を犯した人を処罰することを手段として、その他の人の将来の犯罪を防ぐことを、「一般予防」といいます。

特別予防の観点からは、通常、教育・更生ということが重視されます。
しかし、改善可能性を否定すれば、終身刑や、抹殺=死刑になるでしょう。

一般予防の観点からは、抑止力(将来の犯罪を防ぐ力)が問題となります。
今まで、多くの統計学などのプロが「死刑が凶悪犯罪の抑止力になること」の証明に挑戦しましたが、いまだに証明ができていません。

しかし、仮に、抑止力が証明されたとしても、もっとんは死刑に反対します。
 
上にあげた二つの理由(国家は人権享有主体性を奪う権限が無い、改善可能性を否定しない)に加えて、
もう一つ、凶悪犯罪を行った者であっても、他の凶悪犯(人の命を奪うことなど)を防ぐために、生命を手段としてはならない。
 
一般予防の目的で死刑を手段にするのは、どんなに正義ぶっても、所詮、内実は、見せしめです。
そして、報復抹殺という本音が隠れているのです。



死刑制度一般にある不都合


誤判の場合に、取り返しがつかない。 

冤罪(濡れ衣)のときのことです。
冤罪は「えんざい」
濡れ衣は「ぬれぎぬ」と読みます 

この点、「他の刑罰と同じではないか?」という人がいます。

・お金を取り上げた(罰金刑)。
・懲役刑で、20年閉じこめて働かせた(懲役刑)。
この二つと、殺しちゃった(死刑)。
同じですか?

刑罰自体に、量的な程度問題の差ではなくて、質的な差(性質の違い)があるのです。
だから、この場合、「取り返しがつかない」という言葉の持つ意味、性質が違ってきます。

死刑判決が確定して長期間閉じ込められて、冤罪が疑われるから再審開始を決定して釈放された、袴田さん。(まだ再審やろうとしませんが)

追記:この後、なんと、再審開始決定が取り消されました。

人生取り返しがつかないひどいことになってはいるんですが、死刑が執行されていたら、全然違う意味で取り返しがつかない。

刑法学者の団藤重光は、最高裁の判事をつとめたときの経験から、死刑の場合の誤判が決定的にまずいことを認識して、死刑廃止論者となります。
裁判官をつとめた刑事裁判で、裁判長が死刑判決を読み上げた後、退廷するとき、傍聴席から、「人殺しっ」との声が聞こえたそうです。

・過去の死刑事件の誤判の事例を実際に見ることができる。
・将来、どんなに法令を整えて、どんなに審理を尽くしても、誤判が出る可能性が有ることは否定できない。

この事実を認識していて、(報復は論外ですが)、抑止力を根拠として、死刑を存続させるべき、という論者は、結局のところ、「将来の犯罪を防止するためには、無実の者を殺すこともしょうがない。処刑された人は、たまたま偶然アンラッキーな人」というような認識なのでしょう。
「人殺し」以外の何物でもない。正義の人ぶって、自分は手を染めずに。


憲法36条が禁じる「残虐な刑罰」にあたり憲法違反


憲法
第三十六条  公務員による拷問及び残虐な刑罰は、絶対にこれを禁ずる。

戦後すぐ、死刑の事件で、この問題について言った最高裁判決があります。
最高裁は、死刑一般は「残虐な刑罰」にあたらない、といいました。
(将来、国民感情の変化などを理由に、違憲になる可能性も言っています)

しかし、死刑を合憲とすることは、憲法36条の通常の解釈とは矛盾が有ります。

まず、刑罰の種類の説明。
刑罰は、有罪になった人から、何を奪うかで、分類されます。
・生命刑(生命を奪う)=死刑一般
・身体刑(身体を害する)=手などを切り落とす、むち打ち、百叩きなど(今の日本には無い)
・自由刑(自由を奪う)=懲役、禁錮
・財産刑(財産を奪う)=罰金など


この中で、日本の確立された不動の解釈で、36条の「残虐な刑罰」とされているものがあります。
身体刑です。(日本の現行法にはありません)

上のような分類でいくと、それぞれは全く違うもののように見えます。

しかし、「死ぬ結果にいたる”身体刑”」が死刑なのです。

火炙り、釜茹ではもちろん、銃殺、ギロチン、絞首刑(日本で執行されている方法)は、やはり、身体刑です。
ですから、むち打ちが憲法違反なら、あらゆる死刑が、憲法違反になるのです。
(なお、「薬殺刑が残虐な刑罰と言えるか」は、いちおう議論がある)


「憲法13条と31条が、死刑を肯定している」と言えるか


ところで、憲法13条と31条を根拠に、
1.憲法は死刑を許容している。(上の最高裁はこの立場を判決で言っている)
または、
2.憲法は死刑を積極的に肯定している。
という人がいます。

憲法
第十三条  すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

第三十一条  何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない。


「13条も、31条も、生命刑=死刑の存在を想定している」のは間違い有りません。

しかし、許容しているとまでは言えません。

13条と31条の趣旨は、現在有る刑罰などの制度を前提として、適正手続きの保障だからです。

これを言う人は、13条、31条を文理解釈・反対解釈します。
文理解釈とは「条文の言葉を文字通りにとらえ(生命、身体、財産を例示とはとらえずに)解釈すること」
これを裏面から行ったものが反対解釈。
つまり「適正手続きを保障すれば、死刑を科して良い」と読みます。

憲法に限らず、法解釈学では、条文によって、さまざまな解釈の方法がとられ、条文の趣旨から、文理解釈・反対解釈が正しい解釈の場合も、当然有ります。

しかし、13条、31条を文理解釈して、死刑を積極的に肯定するのは、明らかに間違った読み方、解釈です。

むしろ、「個人の尊厳原理」を宣言している13条は、最初にも言いましたが、死刑廃止の根拠になるとさえ言えます。


世論と死刑

政府のアンケート調査によると、死刑廃止派は少数派のようです。

政府のアンケートの仕方は、判断に必要な情報を与えず、そして誘導的ですが、ここでは論じません。(別の投稿で書きます)

問題なのは、死刑の存廃を論じるのは、人権問題だという認識が欠けていることです。

主権者である国民が国会を通じて、民主主義で決めた、「法律」でさえも、ひっくり返すことができるのが、人権思想であり、自由主義であり、立憲主義なのです。
立憲民主制は、憲法に制限された民主主義なのです。
多数派から、少数派を守るために、憲法はあるのです。

「世論を無視しろ」というのはいけません。主権者国民を尊重しなければいけません。もちろんです。
しかし、人権問題の根拠に世論を使って正当化するのは、「人権」という言葉をまったく知らない人のやることです。

ヨーロッパの国々で廃止しようとしたとき、世論は反対がかなり多かったことが参考になると思います。
また、死刑廃止国で何年かして、制度復活の世論調査をすると、
「復活しないで良い」がかつての廃止派より増えていたり、 
「復活した方が良い」という人が比較的多くても、政府が復活させなかったり。

別に書いたものも参考にしてください。
死刑廃止条約とは - 死刑廃止の多国間条約について -

世界の潮流、外国の思想。そして日本がどこの国に近いか。

今回、このブログでは初めて、コメント欄を設置しました。
忌憚の無いご意見、お願いいたします。
罵詈雑言もご自由にどうぞ。

これも書いたので、読んでくださいませ(o*。_。)oペコッ
死刑制度と現場での犯人射殺 - 全然違うものを比べてはいけない



EUとは。人権、憲法などとの関係で考える。国連のことも。

イギリスが、国民投票で、EUから離脱することを決めましたね。

経済的な混乱が世界的に起きているようですね。
離脱まで、そして、離脱後にどのような世界になるのか。

※EUはEuropean Union の略です。日本語では、欧州連合と訳されています。

これからの世界情勢や経済のことについて、専門的に論じることは、このブログではやりません。
もっとんより能力の有る人にまかせれば良いです(^o^)


このブログでは、人権思想とEUの関係について書きます。

思いましたか?
なんの関係があんの?って。
 
それが大有りなんです。

国家とは何か?人権とは何か?という話からなのです。

人権とは、あらゆる人々が一人も例外無く、人間であるということだけを理由に認められる権利の集まりです。
一人一人が、例外無く、かけがえの無い、大切な存在だとして、扱うということが、人権を守るということです。

一人一人が大切ということから、当然に人権の内容も同じでなければいけません。

ここから、法の支配法の下の平等という考え方が出てきます。

 
正しい法が一つでなければいけない、ということになります。

国家も一つ、
憲法も一つ、
憲法が守られているかの最終判断をする所(裁判所)なども一つ、

ということになります。

「じゃあ、世界中全部同じ法律にしろってことか?」っていうツッコミは、ちょっと違います。
 
日本にもその他多くの国にも地方自治がありますよね?
それに、アメリカやドイツを始めとしてたくさんの連邦国家がありますね?

連邦国家の詳しい説明は省略しますが、
ざっくり言うと、連邦国家とは、
一つ一つの州が国家(一つの法システムで運営されている)で、さらに州の集まりが連邦として一つの国家にまとまっている(一つの法システム=連邦法でで運営されている)。
というものです。
連邦国家によって、違いもたくさんありますけどね。(連邦の権限、州の権限が違う)

難しい?(;^_^A

何が言いたいか、というと、
人権思想から、一つの憲法、一つの国家といっても、それぞれの地域の実情を無視して、全体の考えを押し付けるのではない、ということです。
押し付けだと、自由主義ではなくて、全体主義になってしまう。
三権分立と並んで、地方自治も、自由主義からの結論なのです。 

そもそも、自由主義、近代立憲主義自体が、国民の自由を尊重しろ、国家の価値観を押し付けるな、というのが出発点なのですから。

押し付けを広げるのだと、戦前の、日本の八紘一宇の大東亜共栄圏とか、ドイツの第三帝国になってしまう。



世界が一つの国なら、国と国との戦争は無いのです。
国でないテロ集団とかとの戦争や、内戦とかはあったりするのだった(;^_^A


戦後できた国連(国際連合)はどうなの?

基本的には、国の代表者が集まって話し合う場ですね。たくさんのNGOも参加していますが。
いろいろな機関があって、それこそ、複雑に大変な仕事をしている人がおおぜいいます。
詳しい説明は省きます。また今度(^o^)/ 

国連は、戦後、人権保障と平和のために、作られました。
国ごとにバラバラではだめだと考えたからです。
 
なかなかうまくいかないことも多いかもですが、なんとかかんとか頑張ってらっしゃる。
国連憲章という条約を基本にいろいろな条約で運営しています。
条約は、国と国との約束です。
目指すところは、地球連邦とか世界連邦ですが、まだ、途中の妥協です。

妥協だから、民族の自決権とか集団的自衛権を認めたりしているのでした。 
この2つ、特に民族自決をどう考えるかは、ものすごく難しいかもです。 

国際法、国際人権法との関係で重要なことは2つ。

1.国際法(国際公法=国と国との関係の国際法)の問題は、国際司法裁判所で決着をつけましょう。

2.人権侵害があって、その国の裁判所などで解決されない場合は、個人が国連の機関に訴えることができるようにしましょう(個人通報制度
(いくつかの人権条約(自由権規約など)の選択議定書にかかれています。
選択議定書も条約ですが、オプションにすることで、本体の条約を批准しやすくするためです。
なお、日本は、司法権の独立を理由に、これらの選択議定書全部を批准していません。アメリカもです。他の先進国では無いことです。)


また、国連だけでなく、地域ごとに、こういう取り組みをしているところがあります。
アメリカ大陸とヨーロッパ大陸です。

アメリカ大陸には、中南米24カ国が加盟している米州人権条約とそれに基づく米州人権裁判所が有ります。
加盟国と米州人権委員会が訴えることができます。個人通報制度はありません。

ヨーロッパの欧州人権条約欧州人権裁判所は、個人通報制度があります。国連といっしょです。(国連が後ですが)

そして、欧州人権裁判所の判決は、加盟国に対して強制力があります。
これは非常に大事なことです。

考えても見て下さい。
法だ、法だ、これが正義だ、判決だ、と言ってみたところで、強制力が無いとただの宣言なのです。こわくないのです。
刑罰が執行されない刑事判決みたいなもんです。

そして、国連の委員会のには、強制力が無いのでした。


欧州人権裁判所は、欧州評議会の機関です。欧州評議会には、他にもいろいろ機関があります。

1949年に、欧州評議会規程(ロンドン条約)で、欧州評議会が作られました。
他にもたくさんロンドン条約と呼ばれるものがあるので注意。
加盟国は47です。(EU加盟国27は全部加盟しています)。
設立国は、イギリスを含む10ヶ国でした。
その他、欧州人権条約を含む多くの条約があります。

日本の降伏直前まで、イギリスで首相だったチャーチルが、ヨーロッパ合衆国や欧州評議会を作ろう、と演説したりしていました。

今回、EU離脱をイギリスが決めちゃったのは皮肉ですね。

欧州評議会規程前文には、
「その人民の共同の世襲財産であり,かつ, すべての真正の民主主義の基礎を成す原則である個人の自由,政治的自由 及び法の支配の真の根源である精神及び道徳の価値のために献身するこ と」
と書いてあります。

第1条には、
「加盟国の共同の世襲財産たる理想及び主義を保護実現し, ならびに加盟国間に一層緊密な統一を達成すること」

第3条には、
「欧州評議会の各加盟国は,法の支配という原則 とその管轄権内にあるすべての者が人権及び基本的自由を享有するという 原則を受諾し,かつ,第1章に明記する評議会の目的の実現に誠実にかつ 有効に協力しなければならない。」
と書いてあります。

以上、立命館大学のページ(PDF)からの引用です。


こういういきさつがあって、こういう目的なので、当然、ヨーロッパが協力して、一つの国を作ろう、という流れなのです。

それで、いろいろと、~機構とか~共同体などが作られました。
みなさんご存じのOEEC、NATO、EEC、ECとか。

いろいろ紆余曲折が有って、やっと、1993年にEUが誕生するのでした。(マーストリヒト条約=欧州連合条約
EUは、もう一つ、1958年の欧州経済共同体設立条約も根拠にしています。ややこしい?

政治的まとまりも重要ですが、経済的な統合があったりします。
通貨統合(ユーロ)をしたりしてますね。
EUのすべての加盟国でない点に注意です。イギリスもずっとポンドを使っていますね。

いろいろな改革を盛り込んだ、欧州憲法条約を作って、いよいよ本格的に一つの国家になろうとしたんですが、フランスとオランダが国民投票で拒否。

結局、2007年、リスボン条約ができて、2009年に発効しています。

※リスボン条約=欧州連合条約および欧州共同体設立条約を修正するリスボン条約


まとめ

人権、平和、憲法、国家、国連、EU
これらの言葉をばらばらに理解などできないのです。

経済が大事でないとは言いません。人間、食べていけてなんぼです。

でも、それだけでは幸福ではない。

日本人は、字とか音声ばかりにとらわれて、言葉の定義を確認した上で話すということが苦手のようですが、それでは議論ができないのです。言葉遊び?
なんのために議論をするのか。
同じ字、同じ音声の言葉を、ほぼ同じ意味で使わなければ、コミュニケーションができないじゃんか。

せっかく、「けんぽう」とか「りっけんしゅぎ」とかという音声が、多く聞かれるようになったんだから。

EUについて、話すときも、ちょっとだけ、人権とか、憲法とか世界平和の話をしましょうよ。


EUが、加盟国に、死刑廃止を要求するのは、みなさんも知っているでしょう?
不思議ではなかったですか?
EU基本権憲章に書いてあるのです。 (リスボン条約で、法的効力を持ちました)
欧州人権条約の第6議定書と第13議定書にも書いてあります。
一応、もう1回確認しますが、欧州人権条約は、欧州評議会の条約です。

に書きました。


難民や経済の問題など多くの問題が有って、なかなか理想通りにはいかない。
けれども、今回のイギリスの結果が、理想に近づく流れに逆行しているのは確かなのです。
北部アイルランドが独立の動きを再開するのではないか、という心配も有ります。
スコットランドもね。
独立自体に反対はしませんけども。



※条約についての基礎知識メモ

条約の締結とか批准とかって、よく聞くけど何よ?

条約は、国と国の約束ですから、「締結」っていうのはわかりますよね?

「批准」が難しい(;^_^A

日本で言うと、内閣が署名した条約を国会が承認すると、締約国に義務を負うと同時に、日本の国内法になるんです。これが批准です。(締結の一つの方法です。)
日本では、憲法の下、法律の上。
国によって、手続きが違ったり、批准が不要だったりとかします。
条約の位置も違ったりします。


3ヶ国以上の国の間で条約を結ぶことが多いです。
多国間条約といいます。

これにたくさんの国で署名して「こんな条約で良いよね」と確認します。これで条約の内容が決まります。
署名した国=署名国

その後、批准しちゃうのです。署名した国に限りません。

署名だけして、批准しないこともあったりするのです。
普通の多国間条約は、少しの国の間だけで決めても意味が無いので、意味がある国の数を決めておいて、その数を批准国が超えると発効する、と決めてあるのが普通です。

外務省のページにわかりやすい図(PDF)があるので、どうぞ。 



国連憲章の前文の全文と、第1条の一部の日本語訳を載せておきます。
国連広報センターのページの引用です。

もっとんが、キーワードと思う言葉を太字にしました。 

日本の憲法の前文と9条に似てません? 


国連憲章の前文

われら連合国の人民は、 
われらの一生のうちに二度まで言語に絶する悲哀を人類に与えた戦争の惨害から将来の世代を救い、
基本的人権と人間の尊厳及び価値と男女及び大小各国の同権とに関する信念をあらためて確認し、
正義と条約その他の国際法の源泉から生ずる義務の尊重とを維持することができる条件を確立し、
一層大きな自由の中で社会的進歩と生活水準の向上とを促進すること
並びに、このために、
寛容を実行し、且つ、善良な隣人として互いに平和に生活し、
国際の平和及び安全を維持するためにわれらの力を合わせ、
共同の利益の場合を除く外は武力を用いないことを原則の受諾と方法の設定によって確保し、
すべての人民の経済的及び社会的発達を促進するために国際機構を用いることを決意して
、 これらの目的を達成するために、われらの努力を結集することに決定した。
よって、われらの各自の政府は、サン・フランシスコ市に会合し、全権委任状を示してそれが良好妥当であると認められた代表者を通じて、この国際連合憲章に同意したので、ここに国際連合という国際機構を設ける。


第1章 目的及び原則

第1条

国際連合の目的は、次のとおりである。
1.国際の平和及び安全を維持すること。そのために、平和に対する脅威の防止及び除去と侵略行為その他の平和の破壊の鎮圧とのため有効な集団的措置をとること並びに平和を破壊するに至る虞のある国際的の紛争又は事態の調整または解決を平和的手段によって且つ正義及び国際法の原則に従って実現すること。
2.人民の同権及び自決の原則の尊重に基礎をおく諸国間の友好関係を発展させること並びに世界平和を強化するために他の適当な措置をとること。
3.経済的、社会的、文化的または人道的性質を有する国際問題を解決することについて、並びに人種、性、言語または宗教による差別なくすべての者のために人権及び基本的自由を尊重するように助長奨励することについて、国際協力を達成すること。
4.これらの共通の目的の達成に当たって諸国の行動を調和するための中心となること。






 

マスコミが言ってる、条文に無い法律用語っぽいものとか、混乱してるのとか 拉致、着服、(婦女)暴行、容疑者、被告、拘置、弁護人

まずは、法律用語でないのに、法律用語のように使っているもの

拉致(らち)・監禁
着服
婦女暴行
容疑者



拉致(らち)・監禁

拉致罪とか、拉致・監禁罪というのは有りません。

こういうのは、通常、略取罪です。
暴行脅迫などを手段として、人を保護されている安全な場所から、連れて行って、自分の支配下におさめる犯罪です。
誘惑とか、だましたり、とかを手段として行うのは、誘拐罪です。
略取罪と、一つの条文でセットになっています。
略取と誘拐とセットにした言葉が「拐取」(かいしゅ)です。

以前から、マスコミは、略取の場合も誘拐という言葉を使っていました。
いつごろからか、拉致というようになりました。

グリコ・森永事件のとき(若い人は知らないかも?)、グリコの社長が連れていかれたのですが、「誘拐された」と報道されていました。かっこわるっ(^o^)/

一応、監禁罪とか、逮捕罪と同じ条文でセットの言い方で、逮捕・監禁罪という言葉はあります。
逮捕罪は、人の移動の自由を一時的に奪う罪、監禁罪は、人の移動の自由を継続して奪う罪。

略取してから監禁が続くのが通常ですが、その場合、略取罪一つです。監禁は略取罪に含まれます。


刑法
 第三十三章 略取、誘拐及び人身売買の罪

(未成年者略取及び誘拐)
第二百二十四条  未成年者を略取し、又は誘拐した者は、三月以上七年以下の懲役に処する。
(営利目的等略取及び誘拐)
第二百二十五条  営利、わいせつ、結婚又は生命若しくは身体に対する加害の目的で、人を略取し、又は誘拐した者は、一年以上十年以下の懲役に処する。
(身の代金目的略取等)
第二百二十五条の二  近親者その他略取され又は誘拐された者の安否を憂慮する者の憂慮に乗じてその財物を交付させる目的で、人を略取し、又は誘拐した者は、無期又は三年以上の懲役に処する。
2  人を略取し又は誘拐した者が近親者その他略取され又は誘拐された者の安否を憂慮する者の憂慮に乗じて、その財物を交付させ、又はこれを要求する行為をしたときも、前項と同様とする。
(所在国外移送目的略取及び誘拐)
第二百二十六条  所在国外に移送する目的で、人を略取し、又は誘拐した者は、二年以上の有期懲役に処する。

226条の2~229条まで省略

  第三十一章 逮捕及び監禁の罪

(逮捕及び監禁)
第二百二十条  不法に人を逮捕し、又は監禁した者は、三月以上七年以下の懲役に処する。
(逮捕等致死傷)
第二百二十一条  前条の罪を犯し、よって人を死傷させた者は、傷害の罪と比較して、重い刑により処断する。

 
着服

他人の物を持っていて、自分のものにしてしまうのは、横領罪です。5年の懲役です。
仕事とかで、預かっていたものについては、業務上横領です。倍の10年の懲役です。

これと似たものに、背任があります。自分の計算で、他人に損をさせて、自分や人をもうけさせることです。
事実をよくつめないと、横領か背任の区別が難しい場合も多くて、刑事裁判でも、検察官が、横領または背任で起訴、というやり方で、起訴したりします。

取締役などが背任をすると、特別背任罪です。これは会社法に条文があります。

マスコミは、昔は、「横領背任の疑い」とかって、言ってたんですが、いつの間にか、「着服の疑い」とか、って言うようになりましたね。

刑法
 第三十八章 横領の罪

(横領)
第二百五十二条  自己の占有する他人の物を横領した者は、五年以下の懲役に処する。
2  自己の物であっても、公務所から保管を命ぜられた場合において、これを横領した者も、前項と同様とする。
(業務上横領)
第二百五十三条  業務上自己の占有する他人の物を横領した者は、十年以下の懲役に処する。

254条、255条は、省略します。

 第三十七章 詐欺及び恐喝の罪  (246条~251条)

(背任)
第二百四十七条  他人のためにその事務を処理する者が、自己若しくは第三者の利益を図り又は本人に損害を加える目的で、その任務に背く行為をし、本人に財産上の損害を加えたときは、五年以下の懲役又は五十万円以下の罰金に処する。


会社法
 第八編 罰則

(取締役等の特別背任罪)
第九百六十条  次に掲げる者が、自己若しくは第三者の利益を図り又は株式会社に損害を加える目的で、その任務に背く行為をし、当該株式会社に財産上の損害を加えたときは、十年以下の懲役若しくは千万円以下の罰金に処し、又はこれを併科する。
一  発起人
二  設立時取締役又は設立時監査役
三  取締役、会計参与、監査役又は執行役
四  民事保全法第五十六条 に規定する仮処分命令により選任された取締役、監査役又は執行役の職務を代行する者
五  第三百四十六条第二項、第三百五十一条第二項又は第四百一条第三項(第四百三条第三項及び第四百二十条第三項において準用する場合を含む。)の規定により選任された一時取締役(監査等委員会設置会社にあっては、監査等委員である取締役又はそれ以外の取締役)、会計参与、監査役、代表取締役、委員(指名委員会、監査委員会又は報酬委員会の委員をいう。)、執行役又は代表執行役の職務を行うべき者
六  支配人
七  事業に関するある種類又は特定の事項の委任を受けた使用人
八  検査役
2  次に掲げる者が、自己若しくは第三者の利益を図り又は清算株式会社に損害を加える目的で、その任務に背く行為をし、当該清算株式会社に財産上の損害を加えたときも、前項と同様とする。
一  清算株式会社の清算人
二  民事保全法第五十六条 に規定する仮処分命令により選任された清算株式会社の清算人の職務を代行する者
三  第四百七十九条第四項において準用する第三百四十六条第二項又は第四百八十三条第六項において準用する第三百五十一条第二項の規定により選任された一時清算人又は代表清算人の職務を行うべき者
四  清算人代理
五  監督委員
六  調査委員


 
(婦女)暴行

暴行罪はありますが、これは、暴力をふるったりする罪です。相手に当たらない場合でも、暴行になる場合があります。(狭い部屋で刀を振り回すなど。)
結果、相手をケガさせれば、傷害罪です。(殺人の故意があれば、殺人未遂になることが多い)
結果、死んでしまえば、傷害致死罪です。(殺人の故意があれば、殺人罪)

何かしら、抵抗が困難な状態にして(暴行とか脅迫とか)、性的なことをすれば、強制わいせつ罪
(13歳未満については、合意があっても、成立)
女性に対して、挿入行為があれば、強姦罪です。(露骨な表現をして、すみません(o_ _)o)) )
(これも、13歳未満については、合意があっても、成立)

マスコミが、暴行とか婦女暴行とか言うのは、
1.被害女性に対する配慮
2.直接的な表現を避ける
などが理由として、言われています。

しかし
1.被害の重大さに目をそむけてしまうことになるし、
2.そもそも直接的な表現をしたくないなら、報道しなければ良い。
3.それに、暴行だけだと、何をしたかさっぱりわからない。
暴力をふるったのか、強制的に性的なことをしたのか、強姦までしたのか。

言わなくてもわかるだろう?っていう人もいるかもしれません。めんどうくさい国ですね。


刑法  
  
  
第二十二章 わいせつ、姦淫及び重婚の罪   (174条~184条)

(強制わいせつ)
第百七十六条  十三歳以上の男女に対し、暴行又は脅迫を用いてわいせつな行為をした者は、六月以上十年以下の懲役に処する。十三歳未満の男女に対し、わいせつな行為をした者も、同様とする。
(強姦)
第百七十七条  暴行又は脅迫を用いて十三歳以上の女子を姦淫した者は、強姦の罪とし、三年以上の有期懲役に処する。十三歳未満の女子を姦淫した者も、同様とする。
(準強制わいせつ及び準強姦)
第百七十八条  人の心神喪失若しくは抗拒不能に乗じ、又は心神を喪失させ、若しくは抗拒不能にさせて、わいせつな行為をした者は、第百七十六条の例による。
2  女子の心神喪失若しくは抗拒不能に乗じ、又は心神を喪失させ、若しくは抗拒不能にさせて、姦淫した者は、前条の例による。
(集団強姦等)
第百七十八条の二  二人以上の者が現場において共同して第百七十七条又は前条第二項の罪を犯したときは、四年以上の有期懲役に処する。


   第二十七章 傷害の罪(204条~208条の2)

(暴行)
第二百八条  暴行を加えた者が人を傷害するに至らなかったときは、二年以下の懲役若しくは三十万円以下の罰金又は拘留若しくは科料に処する。


以上は、逮捕とか起訴とか言って、法律上の犯罪としての報道なのに、なぜか、法律用語ではないものが、使われている、という場合でした。


容疑者

容疑者というのは、警察とマスコミが使う言葉です。
昔は呼び捨てにしていましたが、いつの間にか、容疑者と呼ぶようになりました。

一般の辞書などでは、「法律用語ではなくて、法律用語の「被疑者」と同じ意味」と書いてあります。
でも、字が違う。漢字には意味があるから、当然、意味が変わります。本当は。

刑事訴訟法では、警察などの捜査機関に疑われている段階の人を、逮捕前か後を問わず、「被疑者」といいます。「疑われている人」、という意味です。
「容疑者」は「疑いを容(い)れる人」、つまり、「疑ってもよい人」という意味になります。

起訴されると、「被告人」になります。
「訴えられた人」という意味です。

刑事訴訟では、判決が出るまでは、検察と被告人が、同じ立場で自分の主張をする場であって、途中で犯罪者である、と決めつけてはいけません。
そして、有罪の証拠を出さなければいけない責任は検察側にあって、被告人の側には、無罪の証拠を出す義務はありません。(犯罪そのものについてではなくする主張で、被告人側が主張しないと有罪になってしまうものもありますが。)
これを、「無罪の推定の原則」といいます。

疑っている、張本人の捜査機関が「容疑者」と言ってもよいですが、中立の立場のマスコミが使ってはまずいでしょう?
法律を勉強しないで、警察発表をそのまま記事にする、っていう、頭を使わない、報道とは名ばかりの、単純肉体労働をやっているから、そういうことになる。
最近、脳科学者の茂木さんも「まちがっている」と言っていました。


さっき、犯罪の名前について、正確に使われていない、という話をしました。
「通じればいい」と思いますか?
刑事訴訟法では、「~罪で起訴」、って、起訴状に書かなくてはいけません。(刑事訴訟法256条4項)
なぜか、と言いますと、被告人の側に防御の機会を与えなくてはいけないからです。
何罪で訴えられているのかわからなければ、防御のしようがないです。
これは、人権問題です。
犯罪者の人権ではないですよ。かんちがいしてはいけません。被告人の人権問題です。

実務では、刑法という法律に書かれている犯罪と一部の犯罪については、「○○罪 ××条」で起訴、と起訴状に書きますが、たとえば、その他は「~~法違反~~条」というふうに書きます。これは、裁判所が認めている書き方です。

マスコミは、「~~法違反」だけ言うことが多いです。
何の罪で疑われたり、訴えられたのか、さっぱりわからないです。

刑事訴訟法

第二百五十六条  公訴の提起は、起訴状を提出してこれをしなければならない。
2  起訴状には、左の事項を記載しなければならない。
 一  被告人の氏名その他被告人を特定するに足りる事項
 二  公訴事実
 三  罪名
3  公訴事実は、訴因を明示してこれを記載しなければならない。訴因を明示するには、できる限り日時、場所及び方法を以て罪となるべき事実を特定してこれをしなければならない。
4  罪名は、適用すべき罰条を示してこれを記載しなければならない。但し、罰条の記載の誤は、被告人の防禦に実質的な不利益を生ずる虞がない限り、公訴提起の効力に影響を及ぼさない。
5  数個の訴因及び罰条は、予備的に又は択一的にこれを記載することができる。
6  起訴状には、裁判官に事件につき予断を生ぜしめる虞のある書類その他の物を添附し、又はその内容を引用してはならない。

条文の言葉の解説
公訴は、検察官=国が訴えること。起訴ですね。
公訴事実とか訴因は、わかんなくて良いです。わかったら、大学の法学部の刑事訴訟法でAとか優がもらえます。
「虞」は、「おそれ」と読みます。「~のおそれ」、っていう具合に、「~の心配」みたいな意味です。法律でよく使う言い回しですが、法律用語ではありません。

 
混乱してるもの

被告人

「被告人」のことについて、書きましたが、「被告」ではないの?と思う方も多いでしょう。
マスコミも、よく「被告」と言っています。
刑事訴訟で訴えられた人は、「被告人」です。上の起訴状についての条文にも書いてありますよ。
民事訴訟で訴えられた人が「被告」です。
まあ、そんなに目くじらを立てるほどの問題ではないかもしれませんが、法律の条文、法律用語としては違います。
民事で訴えられた人が、裁判所から送られた書類を見て、「犯罪の嫌疑をかけられているみたいで、いや」ということにもなっているようです。 


弁護人

この言葉については、マスコミより一般人に言えるかも知れません。

「弁護士」という職業がありますね。
 これは資格の名前で、同時に職業の名前です。(弁護士法

刑事訴訟で、被告人の弁護をすると、法律では、弁護人と呼ばれます。
これが非常に重要なことと考えられて、「弁護士」という名前になったようです。

民事訴訟では、訴えた人(原告)、訴えられた人(被告)のどちらの立場に立つかは、それぞれです。
法廷で民事訴訟についての味方をする人を「訴訟代理人」といいます。弁護人とはいいません。

ちなみに、弁護士以外の人でも、「訴訟代理人」になれる場合があります。

代理というのは、本人に代わって、本人の(法律上の)ことをすることです。
訴訟でなくても、代理とか代理人はあります。

この「弁護人」で書いたことは、全部、条文があります。
書かなかったのは、いっぱい出てくるからです。


拘置


警察に逮捕されたら、(警察署にある)留置場に入れられます。
逮捕した後は、すぐに、送検しなければいけません(例外で釈放の場合もたくさんあります) 

送検して、 勾留(こうりゅう)に切り替えます。
警察などから、 法務省に、身柄も移ることになるので、置かれる施設は、(法務省がやってる)拘置所です。
この「勾留」を、マスコミはなぜか「拘置」と言ったりします。

拘置とは、「刑罰として、収監すること」全般をいいます。(懲役とか禁錮とか拘留です。)

勾留と拘置に似た言葉に、拘留(これも、「こうりゅう」と読みます)というのがありますが、
拘留は、一日以上30日未満、拘留場に入れられる刑罰のことです。それ以上になると、禁錮になります。
(最近、禁固とか書くことが増えましたが、当て字です。)

起訴された人が、入れられる勾留は、拘置所に置かれるのが原則です。
例外として、留置場に引き続き置かれたりします。

この制度を「代用監獄」といいます。監獄(拘置所や刑務所)の代わりに留置場を使うからです。
世界では、日本にしか無いです。イラクにも、フセイン政権崩壊までありました。
国連も、世界中の法律家も、この制度に反対しています。
daiyokangokuという言葉は、人権に関心のある人には世界中で通用します。

今は、監獄法が改正されて、「監獄」という法律用語はなくなりました。「刑事施設」になりました。
でも、代用監獄の制度は残ったままです。

刑事収容施設及び被収容者等の処遇に関する法律(略して、刑事収容施設法)
  第二章 刑事施設

(刑事施設)
第三条  刑事施設は、次に掲げる者を収容し、これらの者に対し必要な処遇を行う施設とする。
一  懲役、禁錮又は拘留の刑の執行のため拘置される者
二  刑事訴訟法 の規定により、逮捕された者であって、留置されるもの
三  刑事訴訟法 の規定により勾留される者
四  死刑の言渡しを受けて拘置される者
五  前各号に掲げる者のほか、法令の規定により刑事施設に収容すべきこととされる者及び収容することができることとされる者

   第三章 留置施設

(留置施設)
第十四条  都道府県警察に、留置施設を設置する。
 留置施設は、次に掲げる者を留置し、これらの者に対し必要な処遇を行う施設とする。
 警察法 (昭和二十九年法律第百六十二号)及び刑事訴訟法 の規定により、都道府県警察の警察官が逮捕する者又は受け取る逮捕された者であって、留置されるもの
 前号に掲げる者で、次条第一項の規定の適用を受けて刑事訴訟法 の規定により勾留されるもの
 前二号に掲げる者のほか、法令の規定により留置施設に留置することができることとされる者
第十五条  第三条各号に掲げる者は、次に掲げる者を除き、刑事施設に収容することに代えて、留置施設に留置することができる。
 懲役、禁錮又は拘留の刑の執行のため拘置される者(これらの刑の執行以外の逮捕、勾留その他の事由により刑事訴訟法 その他の法令の規定に基づいて拘禁される者としての地位を有するものを除く。)
 死刑の言渡しを受けて拘置される者
 少年法 (昭和二十三年法律第百六十八号)第十七条の四第一項 、少年院法 (平成二十六年法律第五十八号)第百三十三条第二項 又は少年鑑別所法 (平成二十六年法律第五十九号)第百二十三条 の規定により仮に収容される者
 逃亡犯罪人引渡法 (昭和二十八年法律第六十八号)第五条第一項 、第十七条第二項若しくは第二十五条第一項、国際捜査共助等に関する法律 (昭和五十五年法律第六十九号)第二十三条第一項 又は国際刑事裁判所に対する協力等に関する法律 (平成十九年法律第三十七号)第二十一条第一項 若しくは第三十五条第一項 の規定により拘禁される者
 法務大臣は、国家公安委員会に対し、前項の規定による留置に関する留置施設の運営の状況について説明を求め、又は同項の規定により留置された者の処遇について意見を述べることができる。



黙秘権とか自己帰罪拒否権、自白だけでは有罪の決め手にならない、ということが、憲法・刑事訴訟法に書かれています。
そして、逮捕は、被疑者の逃亡または証拠隠滅を防止するのが目的でするものです。
警察の中の留置場に置いて、(検察官と違って)法律家ではない、警察官が自由に取り調べをする環境があることは、被疑者・被告人を嘘の自白に追い込んで、有罪にしてしまう、ということの温床になっています。

取り調べの可視化(録画・録音など)といっしょで、早く改めなくてはいけません。

自分に関係無い問題だと思いますか?
無実でも、警察に疑われたら最後、大変なことになります。
ですから、犯罪を絶対にしない、善良なあなたにも関係がおおありのことなのです。
人権とは、人間すべての権利なのです。

冗談でも、TVの映像の中での、取り調べ室で、かつ丼とか、机ドンとかやるべきではありません。違法です。

憲法を守るとか言う人がいますが、条文が変わらなければそれでいい、ということではありません。
憲法違反の法律や行政が、野放しにならないことが一番大事です。裁判所の行為もですが。
どんなに良い憲法だって、どんなに良い刑事訴訟法だって、守られなければ、意味無いです。あほくさいです。 

ただ、実際に入った人の話だと、同じ被告人でも、拘置所は、かなりおっかない所らしいです。
法務省の刑務官が担当です。
取り調べとかをしちゃう検察官とは独立した立場だから、逆に好き放題しちゃうのでしょうか。
警察は、取り調べをしやすくするために、わざと留置場をゆるくしているのでしょうか?
留置場担当の警察官が聞き出して、言いつけることもあるらしいですしね。 


マスコミが、法律用語を正確に使わないことは、
1.事実が正しく伝わらない(報道として致命的)
2.法律や制度を、受け手に誤解させる可能性がある。
3.当事者に、悪い影響がある。
4.国家権力があいまいな運用をすることを、国民が許してしまう土壌を作ることになりかねない。
など、良いことは一つも無いと、思います。

1.マスコミが、法律用語を専門用語であるとの認識が甘い。
2.法律用語に込められた意味についての理解が無い。 (つまり、法律についての教養が無い)
この2つが、原因でしょう。 

なんとなく、通じれば良い、という話ではすまされない、ということです。 




 

好きなことをやること、自分らしく生きること。「幸福追求権」

今日は、もっとんがブログを始めたきっかけについて、お話ししたいと思います。

もっとんは、20年くらい前から、 今書いているようなことを発信したい、と思っていました。

でも、我慢していました。

以前のもっとんは、好きでないことでも、「生きるためにはしかたがない。他人様(ひとさま)のお役に立って、自分が生活できればそれで良いではないか。」と思っていました。

でも、それって、良くないのです。合理的ではないのです。 

人間は、つまらないこと、いやなこと、をやると、ドーパミンが出ないのです。ドーパミンが出ないと、うつ気味になり、やる気が出ないし、頭が働かないのです。頭が働かないと仕事がうまくいかないのです。
もちろん、仕事を楽しくやる努力も必要です。楽しくなるようになるまで辛抱する時期も少しは必要でしょう。

でも、我慢をすることばかりになってしまって、仕事を楽しめる状況を作り出せないこともあるでしょう。
そして、余暇も無く、長時間労働をして、睡眠時間が少なくて、上司がしかるばかりで、さらに給料が安かったり、いつ首になるかわからない、だと、うつ病で自殺しない方が不自然です。 
極端な例かもしれませんが、自殺をする人の数が、抜群に多い日本では、深く考える必要が有ります。

やっていること自体が楽しいことなら、今は、はかどらなくて、長時間労働で、睡眠時間が少なくて、給料などの収入が少なくても、平気です(^O^)v
限度は有りますが(^_^;)

もっとんの個人的感想ではなくて、医学的に言っても、十分、合理的です。

最近、タモリさんとかたけしさんとかが「いつか先の夢のために今を犠牲にするという生き方ではなくて、今を楽しんでいたら、いつの間にか、成功した、と言われるようになった」というような話をしていました。二人のお話しには多少のニュアンスの違いがあるかもですが。

いろいろな人と接したりして、わかったことですが、タモリさんなどが否定している生き方は、うつ病などの人の生き方・考え方の共通点です。
自分が楽しんでなければ、他人に役立つパフォーマンスを発揮できませんし、嫌な気持ちが伝わります。
他人の成功をうらやんで、世間を憎みます。
自分をもろに犠牲にすると、他人をも不幸に巻き込んでしまうのです。

そんな生き方は良くないです。

客観的には、自分を犠牲にしているように見えても、その人にとっては楽しいことで幸福を感じられて、他人にも役立っていれば、一番です\(^o^)/

ここ、10年くらい、しんどいことは減らさないと、と思っていましたが、なかなかうまくいきません。妥協して、本当に自分のやりたいこと(自分の意見を発信すること)は我慢をしていたからだと思います。
ここ1年くらい、個人のFacebookページで、ニュースなどをシェアして、多少言いたいことを言っていました。でも、身近な友人を相手に、自分のことでないことを、くどくど言うのは、なんか違うかな、やっぱりブログが良いかな、とか思っていたのです。

そんなとき、Facebookで、他の人が頻繁に「いいね」するブログを読みました。(SNSの拡散力おそるべし。)

有名なブロガーだそうですが、知りませんでしたm(_ _)m
ブロガーというと、はあちゅうさんを最近知ったばかりです。
尊敬している学者とか弁護士のブログ以外では、前から読んでいる加藤紀子さんのブログと、最近、たまに、真野恵里菜さんのブログを読むくらいでした(^o^)m(__)m

好きなことを仕事として、仕事を成立させる手段としてブログで発信する、ということが、メインテーマのようです。

もっとんは、ブログで発信すること自体に興味があったので、多少、違うかもです(^_^;)


ここから、法学の話です。もっとんのブログらしくなってきました(^o^)

無理やりだなぁ、と思いますか?
ところが、ものすごく深い関係が有るのです。 

幸福追求権の話です。

憲法の13条に書いてあります。

第十三条  すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

シンプルに言うと、人権の基本が書いてある条文、っていうことです。
個人の尊厳原理(人権思想の根本原理)
幸福追求権(人権、または、人権の中の特に自由権を、包括する権利)(多少、学者によって解釈が違います)
について書かれています。


自由権というのは、人権の一種で、「国家権力が、国民、人民に、何かすることを邪魔できない、という権利全般」のことです。つまり、「ほっとけ」という権利です。

3種類有ります。
精神的自由権(思想・良心の自由、表現の自由、信教の自由、学問の自由など)
経済的自由権(財産権、職業選択の自由、居住・移転の自由など)
身体的自由権(奴隷的拘束からの自由、適正手続の保障など)

自由権は、何をしても良い、という意味ではありません。
他人を害さなければ、何をしても、権力が邪魔してはいけない、ということです。
(経済的自由権はさらに認められる制約がありますが。)
「公共の福祉に反しない限り」というのはそういう意味です。
 
他人を害さないにしても、自分が好かないことをする人はたくさんいます。
もっとんにも、好かない人はいっぱいいます(^_^;)

でも、その価値判断を、国家権力にまかせてはいけない、ということです。
どんなに、奇人変人の行為でも、ぎりぎりのところまで、放置すべきなのです。

「個人が幸福だと思う生き方を国家権力がじゃましないように」というのが、幸福追求権です。

カトリック教会に逆らう人がいたから、信教の自由が認められました。
専制君主や貴族政治に反発した人がいたから、民主主義ができました。 

スティーブ・ジョブスという変人がいたから、マッキントッシュができましたし、マイクロソフト社がマネをしました。
iPhoneなどのスマートフォンもできました。

モーツァルトがいたから、ビートルズがいたから、新しい音楽が生まれました。
北斎がいたから、ピカソがいたから、岡本太郎がいたから、新しい美術が生まれました。

政党を支援したり、国家権力を批判するような宗教団体を、宗教団体に権力(裁判権とか徴税権とか自動的に公務員にさせたりとか)を持たせている国(政教一致している国)(戦前の国家神道の日本など)が、弾圧しました。
言論人も、学者も、芸術家も弾圧されました。 
中世ヨーロッパでは、政教一致の国=教会が、魔女裁判をしました。絵を修正しました。
ソ連では、芸術に、国をたたえることが求められました。ショスタコーヴィチやチャイコフスキーは、それを逆手にとっていますが(^o^)
1970年前後の中国では、資本家や、弁護士、医者、学者が弾圧され、文化遺産、宗教施設が破壊され、芸術も厳しく制限されました。麻雀も禁止。

新しいことをやる人は、みんな、最初は、奇人変人として、やっかい者扱いをされたり、バカ扱いされたのです。
そして、国家権力を批判する人、特に、宗教人、学者は、弾圧されたのです。
批判していない人まで、国の思想と違うと言って、弾圧したのです。

だれかが、自分のやりたいことをやろうとするときに、それが他人を害するものでなければ、邪魔をするのはやめましょうよ。
わがままだ、とか言うのはよしましょうよ。
好きにさせとけばいいじゃんか。

空気を読めとか言って、他人を邪魔して、
自分がたまたま居心地が良いグループにいたりして、でも、細かいことでは本当は違うのに我慢して、つまらない思いをして、とにかくグループ内で嫌われなければ良い、なんていう生き方はやめましょうよ。

仲間はずれされてる人のことも、明日は我が身です。
だって、本当は、人それぞれ全部違うんですから。
仲間の方にいようとしたって、ちょっとした結果で、仲間からはずされます。
一生、それにおびえて生きていくなんて、おかしいでしょう?
おびえなければいけないクソみたいな世の中を変えましょうよ。

空気を読めない人間を、国家権力が排除しようとすれば、それを自由権侵害と呼ぶのです。
みんなが空気を読むことが一番良いこととされている状態を「全体主義」「ファッショ」「ファシズム」と呼ぶのです。

民主主義の手続を踏んでいても、多数決でも侵害できないのが、人権なのです。だから、憲法違反の法律は無効なのです。これを立憲民主制といいます。

空気を読むことを第一にしている人は、 人権思想を理解できないです。
日本の中で空気を読んでいると、人権思想を重んじる外国から、日本は、悪く言われますよ。
すでに、国連からしょっちゅう「勧告」されていますけども。日本のマスコミがあまり報道しないので、知らない人が多いでしょうけど。

もちろん、空気を読むことは大事です。
あまりに場を考えない振る舞いは、他人を悲しませます。
以前、個人主義が進みすぎたヨーロッパには、そういう反省も有ります。

自分のことも、他人のことも、同じ人間として、同じように尊重することが大切なのではないでしょうか。
これが、自由主義で言うところの、平等です。
お金とかを平等にしようというのは、社会主義でいう平等です。

こういう文脈で考えれば、名誉毀損やヘイトスピーチが、表現の自由があっても、制限して良い場合だ、ということがわかるでしょう?
自由の意味がわからないから、何が問題かわからないから、
変な制限は積極的にする(路上ライブの取り締まりとか)くせに、放送法、電波法は危険な解釈をする余地があるまま放置で、そして、ヘイトスピーチなどには及び腰なのです。

憲法的価値観を教育する、道徳教育こそ、すべきなのではないでしょうか。
「人権を保障する=国の義務を書く」のがメインテーマの憲法に、国民が憲法を守る義務やその他の国民の義務を書くなんて、あさっての方向の話をしている場合ではないのです。


あとがき

いつも、長文ですみません。

12月10日にブログの初投稿をしました。
12月10日に、初の投稿日を選んだのは、自分のブログの方針を明確にしたかったからです。

今後とも、こびずに、しかし、共感していただけることを目指して、書き続けたい、と思います。
もっとんが言ってることが、「あたりまえじゃん」 って、言われることが多くなるまで。
そしたら、このブログの意味が無くなっちゃうかもですけど(^o^)

もっとんは、空気を読むのが不得意です。空気を読んだ上で、価値的な思想・行動を正しく選択できる人間でありたい、と思う今日このごろです(^o^)
未熟者で、ずっと未熟者のままかもですが、未熟者のまま、正直に頑張りますp(^O^)q


追記(2016年9月25日)

この投稿の題名と内容を一部変更しました。
(文章の趣旨、脈略、実質的な内容は変えていません。)




 

電波停止ってできるの? 放送法と表現の自由




2016年2月8日の衆議院予算委員会で民主党の奥野総一郎議員の質問に対する、高市早苗総務大臣の答弁が問題にされていますね。

ちょっと遅くなりまして、すみませんm(_ _)m

法的に何が問題なのかを考えたいと思います。
具体的には、放送法、電波法と行政手続法(行政指導)についてです。あと、憲法も。

放送法について


まず、この法律の目的です。
---------------------------------------------------------------

   第一章 総則

(目的)
第一条  この法律は、次に掲げる原則に従つて、放送を公共の福祉に適合するように規律し、その健全な発達を図ることを目的とする。
一  放送が国民に最大限に普及されて、その効用をもたらすことを保障すること。
二  放送の不偏不党、真実及び自律を保障することによつて、放送による表現の自由を確保すること。
三  放送に携わる者の職責を明らかにすることによつて、放送が健全な民主主義の発達に資するようにすること。

--------------------------------------------------------------- 
まず、「放送」についての法律だということです。ラジオとかテレビの話です。
映画館の映画とか、新聞とか雑誌とかは関係が無いってことです。ここ重要です。

それで、この第1条を読んで、どう思います?
まあ、なかなか、国民=視聴者にやさしい法律なのね、って思いますか?

「不偏不党」 って書いてあるでしょう?

「そんなのムリっ」、っていうのが、なきゃいけない感覚です。
だってね。どんなメディアでも、具体的には、テレビ、ラジオだけでなく、 新聞でも、雑誌でも、広告が有るでしょう?広告主(スポンサー)がすごく嫌がることは書けるわけがない。

たとえば、自動車会社がスポンサーのドラマで、自動車事故で大変なことになる話は、ムリ。
保険会社がスポンサーの場合に、保険会社が保険金を出し渋るのと戦うドラマは、ムリ。

それに、そもそも、日本人は、マスコミに、中立性を求める、っていうことを、フツーに言っちゃう人が多いですけど。
産経だって、読売だって、朝日だって、どれもこれも、同じことを違うように報道しているでしょう?
そもそも、中立、ってどこですか?
自動車のギヤみたいに、ニュートラル(中立)の場所がはっきりしてますか?(最近、自動車のことを知らない人が多いから、わかんないたとえかも?)
だいたい真ん中だと、中立ですか?
日本人みんながかたよっていたら、その真ん中は、中立ですか?

外国では、宗教の新聞とか、政党などの新聞が、多くの人に読まれるようになって、メジャーになるっていうことがよくあります。
ある新聞が、どこの政党支持なのか、というのが、非常に明確なのです。

実際、民主党が政権を取ったときの前後、読売新聞は減っています。
そして、今は、朝日新聞が減っています。(いろいろ有りましたが)

別に、それで、いいじゃないですか。

そもそも、他人の名誉毀損をしているでもなく、 他人のプライバシーを侵害しているでもなく、テロの扇動をしているのでもないわけですから。
まあ名誉毀損とかはしてるかも?


なんで、放送に限って、不偏不党を求められるのかっ。

「なんで、こういうことを、放送に限って定めているか」の理由ですが、

1.放送の電波って、少ないでしょう、有限でしょう?ってことです。
2.新聞とかと違って、放送は時間単位でスポンサーに売るから、勝手にさせると、どんどん、商業的になっちゃう、ってこと、です。

1は、理系でない人には、わかりにくいかも知れませんが、
周波数(電波の波のサイクルの長さ)が近いとだめですし、周波数が高すぎるとだめだし、低すぎてもだめ。そして、テレビやラジオより高いところや低いところは、携帯電話やアマチュア無線や飛行機の無線やその他いろいろな無線が割り当てられているのです。外国とも協力しています。
最近、デジタルになって、少ない帯域(周波数の高い低いが狭い)で、良い画質やたくさんのチャンネルが放送できるようになりました(^o^)/
その分、チャンネルがすごく多くなれば、この1の理由も無くなる(完全には無くならない)のですが、少なくてすんだ分、他の電波(携帯電話の電波とか)の帯域が増えちゃったりしたのですね(T_T)/



さっき見た1条の次の第2条 定義と、第3条、どんな制約があるのか見ましょう。

----------------------------------------------------------------
第二条  この法律及びこの法律に基づく命令の規定の解釈に関しては、次の定義に従うものとする。
 「放送」とは、公衆によつて直接受信されることを目的とする電気通信(電気通信事業法 (昭和五十九年法律第八十六号)第二条第一号 に規定する電気通信をいう。)の送信(他人の電気通信設備(同条第二号 に規定する電気通信設備をいう。以下同じ。)を用いて行われるものを含む。)をいう。
 「基幹放送」とは、電波法 (昭和二十五年法律第百三十一号)の規定により放送をする無線局に専ら又は優先的に割り当てられるものとされた周波数の電波を使用する放送をいう。
 「国内放送」とは、国内において受信されることを目的とする放送をいう。
十二  「内外放送」とは、国内及び外国において受信されることを目的とする放送をいう。
 
3号と5号~11号と13号~は省略

  第二章 放送番組の編集等に関する通則

(放送番組編集の自由)
第三条  放送番組は、法律に定める権限に基づく場合でなければ、何人からも干渉され、又は規律されることがない。

(国内放送等の放送番組の編集等)
第四条  放送事業者は、国内放送及び内外放送(以下「国内放送等」という。)の放送番組の編集に当たつては、次の各号の定めるところによらなければならない。
一  公安及び善良な風俗を害しないこと。
二  政治的に公平であること。
三  報道は事実をまげないですること。
四  意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること。
2  放送事業者は、テレビジョン放送による国内放送等の放送番組の編集に当たつては、静止し、又は移動する事物の瞬間的影像を視覚障害者に対して説明するための音声その他の音響を聴くことができる放送番組及び音声その他の音響を聴覚障害者に対して説明するための文字又は図形を見ることができる放送番組をできる限り多く設けるようにしなければならない。 
----------------------------------------------------------------------
こんなに、いろいろなことが求められているのですね。

特に、問題になるのは、
2号の、「政治的に公平であること。」
ですね。

そして、放送法や、放送法にもとづく命令(内閣が定める政令や省(この場合は総務省)が定める省令のこと)、放送法にもとづく処分に違反した場合は、総務大臣の権限で、放送業務の停止を命じることができます。(放送法174条)
そして、無線局の運用の停止(電波の停止=停波)などが、総務大臣の権限でできます。(電波法76条)
----------------------------------------------------------------

放送法
   第十章 雑則

(業務の停止)
第百七十四条  総務大臣は、放送事業者(特定地上基幹放送事業者を除く。)がこの法律又はこの法律に基づく命令若しくは処分に違反したときは、三月以内の期間を定めて、放送の業務の停止を命ずることができる。
----------------------------------------------------------------
----------------------------------------------------------------
電波法

第七十六条  総務大臣は、免許人等がこの法律、放送法 若しくはこれらの法律に基づく命令又はこれらに基づく処分に違反したときは、三箇月以内の期間を定めて無線局の運用の停止を命じ、又は期間を定めて運用許容時間、周波数若しくは空中線電力を制限することができる。
----------------------------------------------------------------


放送以外の電波も、放送の電波免許制なのです。(ほんの一部、免許制でないのもありますが)
そして、放送業務も、認定が必要です。

-----------------------------------------------------------
電波法
(無線局の開設)
第四条  無線局を開設しようとする者は、総務大臣の免許を受けなければならない。ただし、次の各号に掲げる無線局については、この限りでない。
1号~4号は省略 
-----------------------------------------------------------
そして、基幹放送局として、免許を受ける手続きについて、後の条文に書いてあります。

放送法には、NHKの根拠が書いてあります。そして、民間放送については、認定を受けなければならない、とか、認定の更新が必要だと、書いてあります。

所管は総務省なので、電波法とか放送法では、総務大臣という言葉が頻繁に出てきます。



表現の自由の問題



ある人が、何か、言論なり芸術などの手段によって、外部に何かしらの表現をすることを、他人に危害を与えない限り、国家権力は制限してはならない、ということです。
これは、「表現の自由」 の説明です。

放送で、何かを表現する場合も、表現の自由の「表現」ですね。特に、ニュースの場合は、表現の自由の中の報道の自由の問題です。

日本国憲法21条に書いてあります。
--------------------------------------------------------
第二十一条  集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
2項は省略
--------------------------------------------------------

「他人に危害を与えない限り」 と上にも書きました。
これは、harm principle(ハーム プリンシプル)といって、 すべての自由権に共通する原則です。
日本語では危害原理と訳されます。

例えばですね。

名誉毀損について、考えましょう。
名誉毀損は表現の自由の問題です。
名誉毀損をすると、刑法の名誉毀損罪になります。 

-------------------------------------------------------- 
(名誉毀損)
第二百三十条  公然と事実を摘示し、人の名誉を毀損した者は、その事実の有無にかかわらず、三年以下の懲役若しくは禁錮又は五十万円以下の罰金に処する。
2項は省略 
-------------------------------------------------------- 


そして、民法の不法行為として、損害賠償責任を負うことになります。 
-------------------------------------------------------- 
 (不法行為による損害賠償)
第七百九条  故意又は過失によって他人の権利又は法律上保護される利益を侵害した者は、これによって生じた損害を賠償する責任を負う。
(財産以外の損害の賠償)
第七百十条  他人の身体、自由若しくは名誉を侵害した場合又は他人の財産権を侵害した場合のいずれであるかを問わず、前条の規定により損害賠償の責任を負う者は、財産以外の損害に対しても、その賠償をしなければならない。
--------------------------------------------------------
国家が刑罰を課す、とか、民事で義務を負わせる判決を書くとか、これは、両方とも、表現の自由の制限なのです。
他人に危害を与える場合ですから、当然、憲法上許される制約ということになります。

憲法の人権の問題、特に自由権の問題は、国がする制限が、して良いものかどうか、の問題です。

してはいけない制限を法律が決めている場合、憲法違反の法律ということになります。
法律に問題が無くても、行政や裁判所が、憲法違反のことをする場合もあります。

危害原理について、自由権に共通する問題として書きましたが、
経済的自由権は、さらに他にも制限をかけて良い場合があります。
くわしくは別の機会に書きますが、社会権(労働者の権利や環境についての権利など)を大切にすると、財産権などを制限しなくてはならないからです。 


表現の自由の限界はどこか? それはなぜか?

憲法学には、有名な、学説で、二重の基準論(ダブル スタンダード)というのがあります。

どういうことかと言いますと、
精神的自由権と経済的自由権では、違憲にするかどうかの判定基準(違憲審査基準)が違う、ということです。
精神的自由権の審査基準を、厳しくする、ということです。

(表現の自由は、精神的自由権の一つです。他には、思想・良心の自由、信教の自由、学問の自由などが有ります。)

理由
精神的自由権を不当に制約すると、民主主義の政治の過程(プロセス)自体が傷ついてしまう。
→取り返しがつかない。
経済的自由権を不当に制約しても、民主政治の過程が正常なら、後から直せます。
それに、経済政策とか社会政策とかが関わってくる話なので、裁判所が判断するのは難しいです。


思想の自由市場といいまして、いろいろな人のいろいろな意見が自由に表明されて、そして、自由に聞くことができる状態で、正しい意見が勝利して、人類が進歩できる、という考え方です。

いろんな人が、いろんな所で、いろんなことを、邪魔されずに、言えないといけません。
そうしないと、みんなが、情弱(情報弱者)になってしまうのです。
このブログは、足りない情報を補うことが目的です(^o^)v

(ちなみに、この思想の自由市場という話を頑張ると、マスコミの一方通行の独占的な情報は、すごく問題になります。でも、それを言っちゃうと、今回の報道の自由の話が元も子も無くなりますので(^_^;))


そこで、表現の自由の制約は、 ものすごく例外的なものなのです。よほどのことが無ければ、憲法違反だろう、と言えるというくらいになるのです。

そして、今、生きている憲法学者で、このことを違うじゃんって言う人はほとんどいないとは思いますが、日本の最高裁判所は、まだまだです。
(一応、二重の基準論については言っていても、経済的自由権の制限の話をするときに使っているだけで、精神的自由権の制限については、使わずに、甘々です。)


厳しい審査基準に、照らし合わせて、考える

内容については、具体的に重大な実害が無いのに、制限するのは、おかしいです。
また、どういう場合に制限するのかが明白でないといけません。

だって、前もって、あいまいに言われると、広い範囲のことについて、萎縮してしまいますでしょう?

そして、内容について、制限するのが仕方ないとしても、
制限は、最小限のものでなくてはなりません。

放送法は、違憲でないとは言い切れない、と思うのですが。どうでしょう?


「総務相、電波停止に言及」報道に驚く - 早苗コラム | 高市早苗(たかいちさなえ)

いろいろ言い訳をしています。
これだけ読むと、総務大臣としては、まともですね。なんくせをつける意味がわかりません。

ですが、最近やっている行政指導とかをからめて考えると、おや?とは思います。

行政指導というのは、行政が行った指導について、あくまでも、国民が協力するかどうかは自由、自主的にやるものです。高市総務大臣もそう言っていますね。

ここがミソなのです。

強制じゃないよ。あくまで、そちらの自由ですよ、と。
でも、強制ではないから、「不当な行政処分を受けた、回復してくれ」という、行政不服審査法行政手続法のような制度、手続きは無いのです。
(一応、行政手続法に、後から(2015年施行)36条の2を加えて、救済っぽいことは書きましたけどねぇ。意味無いのよね。)
(この行政手続法の所管も総務省なのよね。電波とか放送は、昔は、郵政省だったんですがね。大昔は逓信省。)

行政指導について、条文も確認しましょう。

行政手続法

-------------------------------------------------------------------------
(定義)
第二条  この法律において、次の各号に掲げる用語の意義は、当該各号に定めるところによる。
二  処分 行政庁の処分その他公権力の行使に当たる行為をいう。
五  行政機関 次に掲げる機関をいう。
 行政指導 行政機関がその任務又は所掌事務の範囲内において一定の行政目的を実現するため特定の者に一定の作為又は不作為を求める指導、勧告、助言その他の行為であって処分に該当しないものをいう。
1号、3号、4号と7号~は省略
-------------------------------------------------------------------------

「指導、勧告、助言」とか書いてあるでしょう。
いるでしょう?面倒くさいいやなやつほど、「命令だ」と言わず、「アドバイスだよ」と言う。
命令だったら、「なんだと?」と言えます。
アドバイスだと、ありがたく頂戴しないといけないわけですよ。その先がこわいですからね。

つまり、「真綿で首を締める」のが行政指導です。日本独特の制度です。こんなのばっかし(^_^;)



行政指導の問題はこの辺にしましょう。

行政指導を守らなかった先に有るものが問題です。

先にも書いたように、法律が、そもそもしょうもない作りなのです。

本当に、日本のテレビ・ラジオのことを考えるなら、本当に日本国民のことを考えるなら、放送法を改正して、行政がいろいろ勝手にできる可能性が無いようにしたら、良いと思います。

予算委員会で大臣をいじって、中継されて、報道されて、喜ぶんでなくて、質問の最後でも言っていたように、最初から総務委員会で話すべきです。
NHKの中継を利用して、予算委員会で質問をしていて、放送界や国民のことを考えているようなことを言えるか、バカ。
国民にとって、大事な、予算審議の時間をなんだと思っているのか。
予算委員会はTV中継されますから、アピールする場としては、もってこい。もちろん、そういう場ではない。





今日は建国記念の日。2月11日になんかあったっけ?

今日は、建国記念日ですね。正確には、「建国記念の日」。


元日に、国民の祝日について書きました。


元日だから、祝日の話


そこで、建国記念の日だけ、おかしな決め方になっている、という話もしました。


「国民の祝日に関する法律」

という法律には、日付祝日の名前意義が書いてあります。

元日だから、祝日の話に法律をまるごと引用しています。(短い法律です。)


「建国記念の日」だけが、「政令で定める日」と書いてあって、浮いています。


この法律自体は、1948年(昭和23年)に成立しているのですが、

後から、改正で、「建国記念の日」は、1966年(昭和41年)につけくわえました。


2月11日を建国記念の日にしようとする与党自民党と、

反対する野党(日本社会党、公明党、民社党)との間の妥協で、

とりあえず日付を後回しにすることで法律になりました。

そして、結局、政令で2月11日になったのでした。



日本の建国記念日について考える前に、

世界の国は、何の日を建国記念日にしているか」

という所から見てみましょう。


独立の日


アメリカは7月4日のイギリスから独立宣言をした日ですね。

アフリカの各国も、イギリスやフランスから独立した日ですね。

他にもたくさんあります。

これはわかりやすいですよね。


革命の日


革命をすると、国家体制が変わります。
自由主義革命、社会主義革命、イスラム革命、反共産主義革命、などがあります。

独立の日ほど、多くはないですが、革命の関係の日を、建国記念日にしている国が多数あります。

民族(nation)としては継続している場合でも、国家(state)としては、新しくなっているわけです。

難しいですか?



これを、日本に当てはめてみましょう。


独立の日はいつ?


1952年4月28日です。サンフランシスコ講和条約の発効の日です。


日本が、独立国でなかったことなどあったっけ?

1945年(昭和20年)、連合国に負けた日本は、連合国軍に占領されました。

総司令部(GHQ)が、直接ではなく、日本の政府の上で指示を出すという、間接統治という方法でした。

サンフランシスコ講和条約(正式名称:日本国との平和条約)が締結されて、占領が終わって、独立国家としてスタートすることになります。



革命の日または国家体制が変わった日はいつ?


明治維新が革命と言えるかどうかは、ともかく、

前の国体から今の国家体制に変わったのは、1947年(昭和22年)5月3日です。

日本国憲法はこの日から効力があります(施行されました)。

なんせ、主権者が変わっています。

天皇主権から主権在民になっています。


ここで、当然の疑問です。

日本国憲法は、大日本帝国憲法の改正手続きで改正された。(大日本帝国憲法第73条)


上諭(日本国憲法施行前の日本における天皇の言葉として記された法令の公布文。)が下のようになります。

---------------------------------------------------------

は、日本國民の總意に基いて、新日本建設の礎が、定まるに至つたことを、深くよろこび、樞密顧問の諮詢及び帝國憲法第七十三條による帝國議會の議決を經た帝國憲法の改正を裁可し、ここにこれを公布せしめる。

御名 御璽

昭和二十一年十一月三日

内閣總理大臣兼

外務大臣       吉田茂

國務大臣   男爵 幣原喜重郎

司法大臣       木村篤太郎

以下省略

-----------------------------------------------------------


大きな矛盾があるのです。

主権者である天皇が、今までの憲法を改正しましたよ、というものの内容(新しい憲法)が、天皇の主権を否定しているのです。

形式的に連続しているように見えますが、法的な意味での国家(state)が変わってしまった。


国の名前も変わりましたしね。

大日本帝国 → 日本国


これって、有り得ないのです。

形式的に改正なのに、実質的にはまったく別物の憲法なのです。


昔、宮沢俊義っていう憲法の先生がいまして、この現象をこう説明しました。

1945年(昭和20年)敗戦=ポツダム宣言を受諾したときに、一種の革命が起こったんだ。だから、主権が変わっても、後の憲法の成立には正当性があるんだ、と。(八月革命説)

まあ、おもしろい説明なんですけど、ちょっと言葉遊びっぽい(^o^)
でも、
今の憲法が無効だなんて言っちゃだめです。良い憲法が定着してますから。 


いずれにしても、stateはつながっていないわけです。

nationとしては連続していますが。



じゃあ、どの日が良いでしょうね?


4月28日、サンフランシスコ講和条約発効の日を主張したのが、公明党。

5月3日、憲法が施行された日を主張したのが、日本社会党。


上にあげた2つですね。


他に、

4月3日、聖徳太子の十七条憲法制定の日を主張したのが、民社党。

これは、意味がよくわからないです。

憲法という名前ではあっても、十七条憲法は、公務員の道徳的な訓示くらいの意味ですから。 (英語やフランス語のconstitutionの訳としての憲法とは全然無関係。) 



そして、

2月11日を主張したのが、与党の自民党。

では、

2月11日に何があったのか?何の日なのか?


2月11日は、1873年(明治6年)から紀元節という祝日でした。

そして、1948年(昭和23年)に、GHQに言われて、廃止したのでした。


なぜ、祝日だったり、廃止したり、また、復活させようとしたのか。


そもそも、紀元節って何?


神武天皇(初代天皇)が即位した日=紀元節です。

古事記と日本書紀に書いてあります。

紀元前660年の1月1日(旧暦=昔のカレンダー)です。

新暦(今のカレンダー)に換算すると、2月11日になります。



明治政府は、天皇を神として、政教一致天皇主権の国家でした。

政教一致は、国家神道といって、伊勢神宮を始めとする神社神道に特権を与えるものでした。

国のお金で神社が作られました。

伊勢神宮をトップとして、全国の神社を、国の管理の下、組織しました。


その根拠は、今の天皇が、天照大神(てんしょうだいじん、あまてらすおおみかみ)(太陽の女神)の5代後の子孫である神武天皇(じんむてんのう)の子孫、ということでした。


神武天皇が実際にいたかどうかは、かなりあやしい、というのが、歴史学者の普通の意見です。あくまでも、神話。

古事記(712年)、日本書紀(720年)を編纂した大和朝廷の創作話だという意味です。


-------------------------------

大日本帝国憲法

第一章 天皇

第一条 大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス


第ニ条 皇位ハ皇室典範ノ定ムル所ニ依リ皇男子孫之ヲ継承ス

第三条 天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス

第四条 天皇ハ国ノ元首ニシテ統治権ヲ総攬シ此ノ憲法ノ条規ニ依リ之ヲ行フ

以下省略

-------------------------------

ちょっと、読みづらいし、わかりづらいですが。


1条は、神武天皇からの一つの系統の子孫の天皇が、支配する国だということ。

3条は、天皇は神様で、絶対だということ。

4条は、天皇は、国家元首で、国の統治権(支配する権限)を全部持っていて、この憲法にしたがって、統治する。


ということが書かれています。



天皇が神で、天皇主権で、政教一致の体制で、天皇陛下の名前を使って、軍も政府も、さらには議会も、責任をとらず、好き勝手やった結果が、国民を苦しめ、外国の国民を苦しめたということだった、というのが、連合国の認識・理解でした。

そして、ポツダム宣言は、日本の無条件降伏や武装解除を迫るだけでなく、そのような国の体制を改めて、思想の自由、表現の自由、信教の自由などの人権を守って、民主主義国家を作ることを要求した内容だったのです。


ポツダム宣言の十条に、こう書いてあります。(国立国会図書館のページから引用)

----------------------------------------

十、吾等ハ日本人ヲ民族トシテ奴隷化セントシ又ハ国民トシテ滅亡セシメントスルノ意図ヲ有スルモノニ非サルモ吾等ノ俘虜ヲ虐待セル者ヲ含ム一切ノ戦争犯罪人ニ対シテハ厳重ナル処罰加ヘラルヘシ日本国政府ハ日本国国民ノ間ニ於ケル民主主義的傾向ノ復活強化ニ対スル一切ノ障礙ヲ除去スヘシ言論、宗教及思想ノ自由並ニ基本的人権ノ尊重ハ確立セラルヘシ

-----------------------------------------

読みづらいですが、後半に、今、上に書いたような意味が書いてあります。



当然、GHQは、このまずい思想がもとになっている紀元節を廃止しろ、と言いました。

国から神社神道を分離する、神道指令も出されました。


けっこう具体的に細かい内容なのですが、

一言で言えば、


政教分離しろ、

国を戦争する方向に向ける間違った思想にもとづく宣伝・教育をするな、


ということです。



ちなみに、神道は、「しんとう」と読みます。



神道指令(国家神道、神社神道ニ対スル政府ノ保証、支援、保全、監督並ニ弘布ノ廃止ニ関スル件)は、
文部科学省のページに、他の指令といっしょに載っています。



結局

紀元節は、戦後、しばらくしてから、「建国記念の日」として、復活したのでした。






「法治国家」って、国家が、国民に法律を守らせてる国家、だと思ってる?

「法治国家」とは、


普通の人の理解

国民を、法律で治めている国家(国民に法律を守らせている国家)


本当の意味


国会が作る法律を、国家(特に行政)が守る=法治主義の国家

国会が作る良い法律を、国家が守る=実質的法治主義の国家



正反対の意味なのですよ。




最近、憲法の説明として、


憲法は、国家をしばるもの

法律は、国民をしばるもの


としているものがあります。


憲法について、わかりやすい説明です。


確かに、法律は、国民の権利義務関係を定めることができるものです。

国民をしばるもの、というのも正しいです。

九州大学の南野先生が、AKBの内山奈月さんに、憲法を教える本「憲法主義」でも、こういう説明をしています。


だから、やたらと法律を作ることができては大変なので、

「法律」を作る権限(立法権)を、憲法は、国民の代表で作る国会だけに与えています。


日本国憲法 第四章 国会

----------------------------------------------

第四十一条  国会は、国権の最高機関であつて、国の唯一の立法機関である。

----------------------------------------------

そういう深い意味がこめられている条文なのですよ。(^o^)v



でも、国民が、法律にしばられるだけではありません。


行政関係の法律などは、行政が守らなければならないことだらけですし。


基本的に、国民をしばっているように見える法律でも、作った立法府(国会)はもちろんのこと、行政(内閣とその下の役所など)をしばっているのです。


たとえば、

犯罪の法律などは、もろに国民をしばっていますよね?

殺人罪をおかすと、一番すごいときは、死刑にしちゃいます、っていうんですから。


------------------------------------------

(殺人)

第百九十九条  人を殺した者は、死刑又は無期若しくは五年以上の懲役に処する。

------------------------------------------



でもね。

刑事訴訟法の、

逮捕はどういうときにできるか?(刑事訴訟法199条など)

家宅捜索などの強制捜査はどういうときにできるか?(刑事訴訟法222条1項と99条~)

どういうときに起訴できるか?(247条~)

というのも、殺人罪とリンクして行政(警察や検察)をしばっているのです。


そして、さらに、

どういうふうに裁判の手続き(公判の手続き)をすすめるか?

どういうふうなものを証拠と認めるか?(271条~)

どういうときに有罪とするか?

刑罰は、どういうふうに定めるか?

というのも、

刑法と刑事訴訟法が、裁判所をしばっているのです。




法治主義法の支配との違い。今はほぼ同じ


法治主義ドイツなどで発達した考え方です。


法の支配は、イギリスで発達した考え方です。

法の支配の、「法」は法律ではなくて、法律の上にある法(人権を守る法)に、国家はしばられる、という意味です。

法律で決めたことならなんでも良いのではなく、正義の体系=法にもとづかない、勝手な政治をしてはいけない、という意味なんです。


だから、憲法を作って、法律より上に置いて、憲法に合わない法律を憲法違反として、うっちゃっちゃいましょう、ということになります。


憲法が最高法規なのも、裁判所に違憲立法審査権(81条)が有るのも法の支配の考え方なのです。


---------------------------------------------------

  第十章 最高法規

第九十七条  この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。

第九十八条  この憲法は、国の最高法規であつて、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。

○2  日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする。

第九十九条  天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。

----------------------------------------------------.

自民党憲法改正草案が、97条を削除して、99条の義務を負う人間に国民を追加することが、どれだけ狂ったことか。


-----------------------------------------------------

第八十一条  最高裁判所は、一切の法律、命令、規則又は処分が憲法に適合するかしないかを決定する権限を有する終審裁判所である。

-----------------------------------------------------



ドイツで法治主義が考えられるようになったときは、そんな、上の法とかは考えなくて、しょせん何が正しいかなんてわからない、議会が作った法律がすべてなんだ=法実証主義ということになっていました。


だから、法律を行政が守れば良かったのです。形式的法治主義と言います。


でも、今のドイツは違います。


法律は正しくなくてはいけないもので、正しい法にしたがって、国家は政治をしなければいけない、という発想です。実質的法治主義と言います。


だから、憲法裁判所で、法律が憲法違反かどうかの判断をします。

日本と違って、何かしらの裁判で憲法違反の法律が問題になっていないのに、憲法判断ができてしまいます。(抽象的違憲審査制


そもそも、正しい法がある、って考え方ですが、

そんなの、何が正しいかなんて、わかるわけないじゃん、っていう人もいらっしゃると思います。

法実証主義もそういう考えが基礎です。

ドイツのビスマルク宰相のときに作った憲法(ワイマール憲法の前)をまねした日本の明治の憲法は、人権ではなくて、臣民の権利と書いていました。まねしたんだから当たり前ですが。

今の憲法の第三章の表題も「人権」ではなくて「国民の権利及び義務」なのは惜しい。


でも、人権とか、正しい法とか、って、だれが決めたのよ?って話ですよね?

そもそも正しい、って所から出発して、宗教でもやったら?なんて言われそうですよね。


近代人権思想自体が、ルネサンスやプロテスタンティズムの影響を強く受けているのです。

人権思想や立憲主義の基礎に、宗教が深く関係しているというのは、憲法を普通に勉強した人の常識なのです。


しょせん、西洋の宗教、キリスト教の話で、イスラムや仏教とは関係無いじゃん、っていう話になるかも知れません。

でも、イスラムも、法を尊重して、政教一致でなければ、人権思想と矛盾しないものを多く持っています。(女性差別など克服しなければならない問題もありますが)

また、仏教も、特に法華経にあるように、万人が仏だ(仏の生命がある)という思想は、キリスト教の神のもとに平等という考え方よりも、人権の基礎にある個人の尊厳の原理を、説明しやすいと思います。

また、仏教は、もともと法として説かれています。仏教という言葉は、近代になってから使われるようになった言葉で、仏法と呼ぶのが普通でした。


しょせん、人権思想も、宗教と同じで、信じるか、信じないか、の世界なのですね。

今の憲法を、国民が受け入れたということは、人権思想にもとづく国家を、日本国民が作ったということ、人権思想という共通の思想、価値観を持っている、ということなのです。

でもね。

人権の意味も、憲法の意味も、わからない人が、改憲だの護憲だの言ってる。

憲法がちゃんと機能していない、人権が守られていない、今の日本について、あまりにも無認識、無関心。


それだと、結局、最初からやり直しじゃん。

いや、マイナスからのスタートかも。

いや、逆のベクトル?










生徒の政治活動。子供の人権は大人と違うのか

高校生の政治活動について、文部科学省がQ&A集を作成した、というニュースがあります。

高校生の政治活動でQA集 文科省作成 毎日新聞の記事です。

子供を、性悪説で見てるんだ(性善説で見ろとも言いませんが。)。そうやって、とにかく管理する発想。それで、教育ができると思ってる。学校を(表面だけ)良い子ちゃん製造工場にしたいのか。


選挙権が18才からになる前から、そもそも、小学生の頃から、政治についてどう向き合うか、社会科とか公民とかで、ちゃんと教えれば良いのだ。


政治は大人の趣味ではないんだ。

もちろん、子供の趣味でもない。


学校生活を台無しにしてまで、他人の迷惑をかえりみずに、政治活動をするのは、もちろん、良いことではない。
でも、それって、政治活動に限ったことではないんじゃない?
わざわざ、政治活動に限って、校則に定めることも、だめとは言わない、って、何それ?


どうせ、若い人は、ラディカルな(急進的な)、現政権に批判的な方に、のめり込むとか、警戒しているんだろう?

大正時代に、民主主義思想が盛り上がって(大正デモクラシー)、(男子)普通選挙(納税額などの制限を一切認めない)を決めたと同時に、治安維持法を定め、選挙運動を厳しく限定する法律(運動期間を直前に限定。投票日当日の運動を禁止。戸別訪問禁止など)を作って、共産主義勢力が台頭するのを防ごうと思ったのと、似たような考えだろう?(今の公職選挙法にも残ってしまってる、世界的にも珍しい制限)

デモ行進を仕方ない限度で規制するのではなく、デモをやってる人は暴力を振るう人たちになると、はなっから決めつけて取り締まろうとする連中と同じ発想だろう?

そもそも、庶民は、特に若い人は、何をしでかすかわからん、たちの悪い連中だ、と思っているだろう?


何様のつもりだ。


現にそういう人もいるかも知れないけど。

そうやって決めつけるのはだめだろう?

そもそも、まともな政治教育をしないから、大騒ぎになっちゃうか、それを冷めて見る人の両極になってしまうのではないか。
生徒たちを利用しようとする勢力に、生徒たちが利用されてしまうのを、防ぐことができなくなってしまうではないか。

マスコミも、権力闘争の話ばかりをしたり、政策の話をするにも、政治家の発言を(自分たちの意図に当てはめて)報道してちゃ、だめだろう。

そもそも、マスコミが、政治家の発言以前に、よく政治(政治に限らず)を勉強した上で、政治家や政党の発言を冷静に分析して、報道しなければだめだろう。

問題が出てから、マスコミが好きな、たった一人とかの法学部の先生や政治学の先生に、インスタントな講義を受けて、分かった気になって、エラソーに変な記事を書いてる場合じゃないだろう。


私は、マスコミの背景に、どういう、権力や、商業的な力が働いているかは、知りません。そういう分析は必要でしょう。

でも、マスコミのことをマスゴミとか言ってる一部の若い人たちよ。
法学や政治学や経済学や社会学などを、少しでも、まともに勉強した上で、何が正しいのか(何が国民みなの幸福のためになるのか)を自分なりに考えた上で、マスコミを批判しようよ。

ゴミと同じ穴のむじなになってしまうよ。


子供も、政治の意味がわからない状態の人にも、国の政治は関係があるんだ。国民は国家の支配下にあるんだから。

だから、本来、民主主義を徹底すれば、子供だって、大人だって、政治にどんどん参加するのがまともなのに。

ただ、選挙権だけは、一定の年齢以上という区切りで判断力があると仮定して、妥協して、行使できる人を区切っているだけなんだから。

基本、選挙権を含む参政権は、本来、国民ならだれにでも認められるべきものなんだ。

日本は永住権を持っている外国人にさえ、選挙権を認めない。そもそも、永住権をちょっとやそっとじゃ認めないし。

永住する気なら、母国を捨てて帰化しろ、というスタンス。(帰化もあまり認めないけど。)

日本に住んでいたら、国民でなくたって(日本国籍が無くたって)、日本国の支配に服するんだ。
所得税も消費税も固定資産税も、外国人も日本人と同じようにとられているのに。
他のことだって、国民と同じように義務があるじゃないか。
むしろ、国民でないことで、不利益が多すぎる。なんなんだ、このバランスは。


選挙権を認めない。その他の参政権を認めなかったとしても。

言論の自由や、集会の自由、結社の自由を不当に制約することはやめよう。

大人についても不当に制約しようとするし、不当な制約を規定する(つまり憲法違反の)法律が多いから、子供にはもっと厳しくしたいのだろう。

でも、あからさまに厳しくしようとすると、左翼勢力の教育者たちを中心に騒がれるから、学校がやるならどうぞ、みたいなスタンスなんだろう。


法の下の平等という言葉を知っていますか?


(公立学校は、国や自治体の権力が及んでいるから、人権を不当に制約してはいけないのは当たり前だが)

私立学校も、一定の限度で、学校の教育の目的にそった自治が認められるとはいえ、生徒の人権を不当に制約してはいけないんだ。

そうでなければ、憲法が最高法規であって、日本の国家の支配が、国民と国内にいる人たちに及ぶ、という大原則が崩れてしまう。(近代以前の封建制などになってしまう)

一定のくくりの中で、人権が認められない=人間扱いがされない、ということになってしまうじゃないか。
 

老人保護施設や障害者施設や保育園や家庭内などで虐待をする人間の意識も、そして問題が発覚するまで動きが鈍い国や自治体も、考え方の根は同じだろう。

宗教団体だって、信者に何かを強制をしたり、信者を虐待してはいけないんだ。当たり前のことなんだ。そんなことを保護することは、信教の自由の意味とはまったく違う。

会社だってそう。強制は一切だめです。犯罪です。
会社に命令されて働いていることは、強制ではないです。本人が望んで(自由な意思で)雇用契約をしているから(自由主義)。ただ、労働者は会社の提示する条件に従うしかない弱い立場だから、あえて国がバックアップします(社会主義の考え方を取り入れている。)。


子供に特別な人権があるわけではない。人権が大人と違うわけでもない。

生まれたら、もう人間なんだから、人権もあるんだ。

ただ、国が、子供を守る立場からの親心で(パターナリスティックな)制限をできるに過ぎないんだ。あくまでも、例外なのだ。だから、行き過ぎはまずい。

そもそもそういう理念を知らず(または無視して)、子供を人間扱いしないことが、世界中で行われているから、あえて、子供の人権の保障を強調して、守る必要があるんだ。子どもの権利条約もそういう意味からできたものだ。


文部科学省にこういう基本的な理解が無いことが、日本の学校で、正しい人権教育ができないことの大きな原因になっているのではないか、と思える。

そして、正しい人権教育を受けられなかった、人権が何かを全くわかっていない連中が、文部科学省の官僚になって、バカを繰り返すのか。

あるいは、政治家になって、より良くする憲法改正ではなく、人権思想を無視した、憲法を憲法でないものにすることを、なんの臆面も無く言い出すのか。


どこかで断ち切らないと。


追記

いったんアップした後、誤解されそうかな、と思われることについて、後から書きました。

一つは、外国人について、永住権とか帰化についてです。 これは、一般的な話です。 戦前に韓(朝鮮)半島から来た人とその子孫、いわゆる在日韓国人、在日朝鮮人とについては、また違った話になります。帰化は簡単に認められているようです。
もう一つは、以前も、今回も、共産主義勢力について、不当な取り締まりをすることに、批判的なことを書いていますが、自由主義を尊重する立場から書いているだけで、私自身が共産主義勢力の考え方に同調することを表明しているわけでもなければ、日本共産党の支持を表明しているわけでもありません。

あえて書く必要が無いのですが、誤解する人が多いのではないかな、と、今までの経験上思いますので、書きました。





 

公安だらけ(公安委員会、公安部、公安調査庁、公安条例)、警察の組織など

よく、公安が話題になりますよね。

もともとは、「公共の安寧(あんねい)」という意味です。
「公共の安全」、という意味で大体合っています。

ただ、よく刑事ドラマに出てくる、「公安」は、ちょっと、違います。

組織の名前ですね。
他にも、よく見るのは、自動車の運転免許証に書いてある、「○○県公安委員会」ですね。
組閣(新しく大臣の人事を決めること)をしたときも、「国家公安委員長」っていう人がいるなあ、と思いますね。

他にも、公安調査庁とか公安審査委員会もあります。


混乱してる人が多いみたいです。



※ まとめを最後に書きますので、時間が無い方は、まとめだけ読んで下さい。
先に、まとめを読んでから、この下を読んでくださっても、わかりやすいかもしれませんね。



国家公安委員会と都道府県公安委員会は、警察と関係が深いので、

まず、日本の警察の組織の大枠を説明します。


警察のことを決めている法律は、警察法です。


具体的に、警察の業務をやっているのは、都道府県にそれぞれ一つずつある警察の組織の人たちです。


東京都だけ、警視庁、といいます。トップは警視総監

京都府は、京都府警察本部。トップは、京都府警察本部長。

大阪府は、大阪府警察本部。トップは、大阪府警察本部長。

北海道は、北海道警察本部。トップは、北海道警察本部長。

その他の県は、たとえば、神奈川県警察本部、など。トップは、神奈川県警察本部長、など。


警察法 第四章 都道府県警察 第三節 都道府県警察の組織

-------------------------------------------

(警視庁及び道府県警察本部)

第四十七条  都警察の本部として警視庁を、道府県警察の本部として道府県警察本部を置く。

 警視庁及び道府県警察本部は、それぞれ、都道府県公安委員会の管理の下に、都警察及び道府県警察の事務をつかさどり、並びに第三十八条第四項において準用する第五条第三項の事務について都道府県公安委員会を補佐する。

 警視庁は特別区の区域内に、道府県警察本部は道府県庁所在地に置く。

 警視庁及び道府県警察本部の内部組織は、政令で定める基準に従い、条例で定める。

(警視総監及び警察本部長)

第四十八条  都警察に警視総監を、道府県警察に道府県警察本部長を置く。

 警視総監及び道府県警察本部長(以下「警察本部長」という。)は、それぞれ、都道府県公安委員会の管理に服し、警視庁及び道府県警察本部の事務を統括し、並びに都警察及び道府県警察の所属の警察職員を指揮監督する。

-------------------------------------------


49条~は省略しました。


47条4項を見ますと、それぞれの都道府県警察は、(政令準拠の)条例で決める、と書いてありますね。

条例とは、国の法令に反しない限度で認められる、普通地方公共団体(=自治体)(都道府県、市町村)の議会で作る、その自治体のことについて決める法令です。(憲法94条と地方自治法14条1項)
古い法律とかで、「~条例」とかありますが、関係無いです。


各都道府県で、各都道府県の組織である各都道府県警察の組織の具体的なことについて、条例で決めているのです。


そういうわけで、警視庁とか愛知県警察本部とかの組織に、刑事部とか交通部とか警備部があるわけです。大体似ていますが、都道府県によって、違いもあります。

そして、お勤めの方々の身分は、地方公務員なのです。

(国家公務員=警察庁の人が、出向で勤務していたりはします)


公共の安全のことは、警備部がやります。

いろいろな、やばい団体・集団の暴動とかの防止、捜査、鎮圧とか、要人警護とか、イベントの警備などです。


機動隊も警備部の所属です。


そして、この警備部の中で、、やばい団体関係、テロ、外国スパイとかを、公安課が担当します。


そして、東京都の警察=警視庁だけ、公安部があります。警備部とは別です。

刑事ドラマに出てくる「公安」はこれです。


CIAみたいに情報活動をやってるらしいです。

極左とか右翼、変な宗教団体や、政党、官僚、大手マスコミ、自衛隊、公安の中の同僚も、調べているらしいです。

具体的に公安が何をやっているのかは、よくわかりません。

警察の人も、公安以外の人はよく知らないそうです。

警察の人も、だれが公安にいるかもよくわからないそうです。

公安を調べていると、尾行されるそうです。


警察庁(これは国です)の警備局が、国全体の公安警察の指揮・管理を行います。基本は、各都道府県警察がほぼ独立しているのですが、公安は例外です。


さて、

この各都道府県警察を管理しているのが、都道府県の公安委員会です。

委員の数は、東京都、北海道、大阪府、京都府と政令指定都市がある県は5人、その他の県は3人です。(警察法38条2項)
運転免許、交通規制、風俗営業の許可、デモ行進の届けで受理、古物商の許可、質屋の許可などの事務をやってます。実際は委任とかして警察とかがやってることが多いです。

警察職員に対する苦情の受付先でもあります。


この上に都道府県知事がいるわけです。(警察法38条1項)


警察法 第四章 都道府県警察 第二節 都道府県公安委員会

-------------------------------------------

(組織及び権限)

第三十八条  都道府県知事の所轄の下に、都道府県公安委員会を置く。

 都道府県公安委員会は、都、道、府及び地方自治法 (昭和二十二年法律第六十七号)第二百五十二条の十九第一項 の規定により指定する市(以下「指定市」という。)を包括する県(以下「指定県」という。)にあつては五人の委員、指定県以外の県にあつては三人の委員をもつて組織する。

 都道府県公安委員会は、都道府県警察を管理する。

-------------------------------------------

4項~6項と39条~は省略しました。

2項にある指定する都市っていうのは、政令指定都市のことです。


ちょっと整理をしましょうか。


都道府県知事→都道府県公安委員会→都道府県警察です。


東京都  の場合は、東京都知事 →東京都公安委員会 →警視庁

神奈川県の場合は、神奈川県知事→神奈川県公安委員会→神奈川県警察本部


北海道だけ方面本部(51条)と方面公安委員会(46条)というのがありまして、


北海道知事→北海道公安委員会┬─北海道警察本部

                      ┗─方面公安委員会(4つ)─方面本部(4つ)


となります。


なんで、こんなもの(都道府県公安委員会)を作ったのか、と言いますと、警察の民主的運営と政治的中立性を考えて、警察行政の大綱方針を作って、大綱にそってやってるか監督するためです。

今、形ばかりで、役に立っていません。



次は、警察庁国家公安委員会です。地方でなく、国の話です。


国家公安委員会は、

内閣府の外局。警察行政の民主的管理と政治的中立性の確保のため警察庁を管理する行政委員会。」


-------------------------------------------

警察法 


 第二章 国家公安委員会

(設置及び組織)

第四条  内閣総理大臣の所轄の下に、国家公安委員会を置く。

 国家公安委員会は、委員長及び五人の委員をもつて組織する。

(任務及び所掌事務)

第五条  国家公安委員会は、国の公安に係る警察運営をつかさどり、警察教養、警察通信、情報技術の解析、犯罪鑑識、犯罪統計及び警察装備に関する事項を統轄し、並びに警察行政に関する調整を行うことにより、個人の権利と自由を保護し、公共の安全と秩序を維持することを任務とする。

 国家公安委員会は、前項の任務を達成するため、次に掲げる事務について、警察庁を管理する。

(委員長)

第六条  委員長は、国務大臣をもつて充てる。

 委員長は、会務を総理し、国家公安委員会を代表する。

-------------------------------------------

5条2項の1号~25号、3項、4項、6条の3項~、7条~は、省略しました。


これも、警察にやりたい放題をさせないために、国の警察である警察庁の監督をするために、作りました。直接命令はしません。

国家公安委員会に監督される、警察庁が、警察の事務をやって、警察庁長官が、都道府県警察を指揮、監督します。


警察法

-------------------------------------------

第三章 警察庁

    第一節 総則

(設置)

第十五条  国家公安委員会に、警察庁を置く。

(長官)

第十六条  警察庁の長は、警察庁長官とし、国家公安委員会が内閣総理大臣の承認を得て、任免する。

 警察庁長官(以下「長官」という。)は、国家公安委員会の管理に服し、警察庁の庁務を統括し、所部の職員を任免し、及びその服務についてこれを統督し、並びに警察庁の所掌事務について、都道府県警察を指揮監督する。

(所掌事務)

第十七条  警察庁は、国家公安委員会の管理の下に、第五条第二項各号に掲げる事務をつかさどり、及び同条第三項の事務について国家公安委員会を補佐する。

-------------------------------------------

18条~は省略


国家公安委員長は国務大臣(内閣のメンバー)です。


そして、警察庁は、お役所で、事務しかやりません。アメリカのFBIみたいのを想像しちゃだめです。)


国家公安委員会も、形だけになってます。




今は、国と都道府県に分かれている警察ですが、国で一つにまとまっていたのを、戦後GHQに解体するように命令されたのでした。


戦前の警察制度


内務大臣┬警視総監→警視庁

    └府県知事→道府県警察部


全部、国家の機関です。戦前は地方自治制度が無かったので当たり前なんですが(^o^;



公安委員会の説明だけで良いのに、なんで、戦前の話までするのかな?と思っている方、いらっしゃいますか?


警察の公安部門(警視庁公安部、道府県警察本部の警備部公安課)は、戦前のやりたい放題を一番やった所=特別高等警察(略して特高)を復活させたものだからです。

まったく同じものではないので、正確には、復活ではないのですが。

戦前、GHQに言われて、警察の改革をやったとき、特別高等警察は廃止されました。

そして、特別高等警察にいた人は首になりました(公職追放)。

アメリカの占領が終わった後、ほとぼりが冷めて、多くの公職追放になった人が公務員に復帰しています。特別高等警察にいた人は、このころ作った公安に戻ってきたのです。


特別高等警察は、政治警察・思想警察で、内務省直属でした。公安が警察庁から直に指示を受けるのと似てますでしょう?

使った法律は、新聞紙法、治安警察法、治安維持法などです。


これらの法律もGHQに言われて廃止しました。


治安維持法は、最初、共産主義者だけを標的にしていましたが、政府を批判する者は全部、右翼や自由主義者や宗教団体の弾圧にも使われました。

拷問も相当派手にやっていたようです。

有名なところでは、日本共産党(当時非合法)の小林多喜二が、留置場から病院に運ばれてすぐに死んでいます。公式には拷問とはなっていませんが、ひどく拷問されたあとが体中に有ったそうです。



戦後すぐの警察との警察


では、戦後すぐの組織が今に続いているかというと、そうではないのです。

戦後すぐは、本当に、警察はバラバラになります。

市と人口5千人以上の町村に自治体警察を作っていて、その他の地域で、国が、国家地方警察という組織で警察をやっていました。


1954年に、今の、警察庁と都道府県警察の体制にしました。(分権→中央集権)

このとき、公安も作ったのでした。



次に、公安調査庁公安審査委員会です。


この2つは、内閣府関係でもないし、警察関係でもないですね。

両方とも、法務省の外局です。

外局とは、中央官庁(この場合は法務省)に直属して、そして独立性が強い役所のこと。


公安調査庁は「公共の安全を脅かす可能性がある団体等に対し調査をおこなう法務省の外局。」です。


両方とも、1952年に、破壊活動防止法とセットでできました。

調査だけです。警察みたいに捜査(逮捕などを含む)はやりません。


公安調査庁設置法

-------------------------------------------

   第一章 総則

(目的)

第一条  この法律は、公安調査庁の設置並びに任務及びこれを達成するため必要となる明確な範囲の所掌事務を定めるとともに、その所掌する行政事務を能率的に遂行するため必要な組織を定めることを目的とする。

(設置)

第二条  国家行政組織法 (昭和二十三年法律第百二十号)第三条第二項 の規定に基づいて、法務省の外局として、公安調査庁を設置する。

 公安調査庁の長は、公安調査庁長官とする。

(任務)

第三条  公安調査庁は、破壊活動防止法 (昭和二十七年法律第二百四十号)の規定による破壊的団体の規制に関する調査及び処分の請求並びに無差別大量殺人行為を行った団体の規制に関する法律 (平成十一年法律第百四十七号)の規定による無差別大量殺人行為を行つた団体の規制に関する調査、処分の請求及び規制措置を行い、もつて、公共の安全の確保を図ることを任務とする。

(所掌事務)

第四条  公安調査庁は、前条の任務を達成するため、次に掲げる事務をつかさどる。

 破壊的団体の規制に関する調査に関すること。

 無差別大量殺人行為を行つた団体の規制に関する調査に関すること。

 破壊的団体に対する処分の請求に関すること。

 無差別大量殺人行為を行つた団体に対する処分の請求に関すること。

 無差別大量殺人行為を行つた団体に対する規制措置に関すること。

 政令で定める文教研修施設において所掌事務に関する研修を行うこと。

 前各号に掲げるもののほか、法律(法律に基づく命令を含む。)に基づき公安調査庁に属させられた事務

-------------------------------------------

5条~は省略します。


3条にあるように、破壊活動防止法団体規制法を根拠に活動する、情報機関です。

2つの法律の規制する団体に該当するかどうかを、調査、処分、請求します。

この調査は、警察みたいに強制捜査はできません。


その請求を受けて、処分を審査・決定する行政委員会が、公安審査委員会です。


公安審査委員会設置法

-------------------------------------------

(目的)

第一条  この法律は、公安審査委員会の設置並びに任務及びこれを達成するため必要となる明確な範囲の所掌事務を定めるとともに、その所掌する行政事務を能率的に遂行するため必要な組織を定めることを目的とする。

(設置)

第一条の二  国家行政組織法 (昭和二十三年法律第百二十号)第三条第二項 の規定に基づいて、法務省の外局として、公安審査委員会(以下「委員会」という。)を設置する。

(任務)

第一条の三  委員会は、破壊活動防止法 (昭和二十七年法律第二百四十号)及び無差別大量殺人行為を行った団体の規制に関する法律 (平成十一年法律第百四十七号)の規定により公共の安全の確保に寄与するために行う破壊的団体及び無差別大量殺人行為を行つた団体の規制に関し適正な審査及び決定を行うことを任務とする。

(所掌事務)

第二条  委員会は、前条の任務を達成するため、次に掲げる事務をつかさどる。

 破壊的団体に対する規制に関する審査を行うこと。

 破壊的団体に対する活動制限の処分を行うこと。

 破壊的団体に対する解散の指定を行うこと。

 無差別大量殺人行為を行つた団体に対する観察処分を行うこと。

 無差別大量殺人行為を行つた団体に対する再発防止処分を行うこと。

 前各号に掲げるもののほか、法律(法律に基づく命令を含む。)に基づき委員会に属させられた事務

-------------------------------------------

3条~は省略しました。


1952年にできた、破壊活動防止法は、暴力主義的破壊活動を行った団体を規制する法律です。

公安調査庁のターゲットは、日本共産党、右翼は日本愛国党など8団体、北朝鮮の在日の団体(在日本朝鮮人総連合会)などです。

念のため言っておきますと、北朝鮮の国籍の日本にいる人(在日朝鮮人)で、朝鮮総連に入っていない人は多く、北朝鮮国籍の人みんなが、今の北朝鮮政府が好きなわけではないです。当たり前のことですが。


内閣から法案が出たときは、かなりやばい内容で、治安維持法の復活と言われました。

多くの反対にあって、けっこう骨抜きになりました。

しかし、結社の自由やその他多くの人権との関係で、たくさんの問題が多く含まれています。憲法違反の疑いが強い法律の一つです。

ただ、弱い法律だと、暴力革命をする団体を、暴力革命を防止する目的で規制するのが難しい。

強い法律だと、人権問題がわんさか。


団体活動の規制の他に、解散指定とかができます。


オウム真理教が、これに該当するのではないか、ということで、公安調査庁が、処分請求をしましたら、公安審査委員会が却下しまして、結局、団体規制法の方で観察処分にしました。このとき、破防法は意味の無い法律だと批判されました。


まあ、団体規制法は、オウムのために、1999年に作ったんですから、適用できるのは当たり前ですが。

この法律も、結社の自由との関係で、問題となります。


なお、結社の自由は憲法21条ですが、宗教団体の場合は20条、労働組合の場合は28条、と条文が変わります。



最後に公安条例です。


条例ですから、自治体が定めたものです。

デモ行進などについての規制が書いてある条例を、こう呼ぶことが多いです。


集会の自由(憲法21条)との関係で問題があります。



公安条例以外のまとめ


警察のまとめ


内閣総理大臣─国家公安委員会─警察庁┬都知事   ─ 東京都公安委員会 ─ 警視庁

                  ├北海道知事 ─ 北海道公安委員会 ┬ 北海道警察本部

                  │                 └ 方面公安委員会─方面本部

                  府県知事 ─ 府県公安委員会  ─ 府県警察本部

警視庁の中に公安部

各道府県警察本部の警備部に公安課


法務省のまとめ


法務省の外局として、公安調査庁公安審査委員会







 

世の中、単純じゃない。政治も単純じゃないでしょう?

私が言いたいのは、
単純化しないで、物事を分析しなければいけない、ということです。
 
安倍=ヒトラー=悪。というのは簡単です。
あるいは、野党は、平和ボケとかいうのは簡単です。

ですけど、そうそう単純に割り切れるのなら、6歳児から選挙権を行使できるようにすれば良い。

自民党の主張の何が問題なのか。
自民党の意見は、どのように形成されているのか?
さらに、公明党も含む与党の中で、どのような議論がされているのか?
安倍首相の影響力はどうなのか?

日本が独裁国家になることを危惧しているみなさん。 たしかに、日本の民主主義は未熟です。 しかし、
まだ、現状は、安倍首相の独裁国家ではないのですから、安倍だけでなく、自民だけでなく、自民公明の与党だけでなく、政治家だけでなく、だれのどういう思想が影響して、どういうように形になって、私達の目に見えるようになっているのか?を考えましょう。


そりゃ、戦争より平和の方が良い。
独裁より民主が良い。

レッテル張りをして、わあわあ言ってる人の人気取りに利用されるだけです
 
正しいことが実現されません。
 
結局、多数派や権力を持っている人間のいいようになるだけです。かつての55年体制の社会党の二の舞いです。
(社会党が大騒ぎをする→結局、自民党政権の法案が無修正で通る。)

与党の中はもちろん、野党も含めて、議論をしなければ。
ただ、レッテル張りをして、敵を批判して、自分を良く見せる。
そんなやつらにはうんざりだ。

反知性主義を撲滅したい。
statesman(国家を語る政治家)ではないpolitician(政治屋)よ。
右翼も左翼も関係無い。
バカ(何が大切かの価値観がおかしいという意味)は全部、議員をやめて下さい。 政党助成金をもらっていない政党の政治家さんも、あなたがたの議員報酬も税金です。

6歳児でもわかる言葉で、国民を誘導しないで下さい。

難しいことを職場で一生懸命やっていらっしゃる、多くの有能な国民の方々。
いつもは「世の中、複雑なんだ。お前が言うみたいに単純ではない」と言ってるでしょう?
法律とか政治だけ、変に単純に考えるのは、やめましょうよ。
安倍にまかせておけば、とりあえず、日本はなんとかなる、とか。
野党結集とか安倍打倒とか言って、それですべてが解決すると思っている一部の国民のみなさん。
どっちも、甘すぎます。

最後にあえて言います。
物事を、政治を、もっと単純に考えましょうよ。
自分の家族なり大切な人の幸福を真剣に考えて、そして、その願いを多くの人の幸福に広げて、そのときに、何がもっとも良い政治かを考えましょう。ここで例外を作らないことが大事なポイントです。 お父さん、お母さん、奥さん、だんなさん、恋人、息子、娘、孫を、真剣に愛しているみなさん。 あなたなら、必ずできます。 バカに利用されないで下さい。





緊急事態条項って、やばいの?

安倍首相が、憲法に、緊急事態条項を盛り込むことを、積極的に考えているようです。

そこで、

緊急事態条項、って何?

緊急事態条項って、有った方が良いの?悪いの?

ということを、書きます。

まず、 緊急事態条項が有った方が良いかも、っていう話から。


憲法の基本

憲法は、

1.法律は国会で作って、

2.内閣が法律を執行して、
3.何かあったら、裁判所に、法の解釈適用をすることで解決してもらいましょう、
となっています。

その際、 1.人権を侵害するような法律は作ってはいけないし、
2.人権を侵害するような行政、
3.人権を侵害するような裁判をしてはいけない、
ということになっています。

あくまでも、「国家権力を制限することで人権を守るために憲法を作った」(立憲主義)が基本です。

このシステムは、昔から、頭の良い人が、たくさんの苦労をして考えたものだけあって、よくできています。 でも、欠点も有ります。

人権を守るような憲法・法律で、普段通りの行政をしていると、かえって、国民・住民の生命・財産が危険になる場合がある。
その場合、普段通りの手続きで対処しようとすると、遅くて間に合わない。
こういう
緊急事態にどうするの?

憲法は国民の人権を保障して、幸せになる基礎を作るためのものなのに、 憲法を守っていたら、かえって、国民・住民が、どんどん死んだり、道路や建物が壊れたり、というときに、「憲法を守りましょう」ってふざけたことを言うのか、って話です。

ここでいう、緊急事態(非常事態ともいいます)は、
1.海外から侵略された
2.内乱
3.大災害 などです。

なので、国家緊急権と言いまして、 「緊急事態に(憲法を守ったら、かえって、国民を守れない、っていうとき)に、 国が無くなるのを防ぐために、秩序回復(普通に憲法が機能する状態に戻す)のために、 憲法通りのことをしないという権限」が、国家にもともとあるんじゃない?っていう考えがあります。

ただ、認めるにしても、
・そもそも、こういう権限があるってことと(国家緊急権の存在)
・どういうときに、この権限を使えるのか?(行使の条件) ・具体的にどういう権限が認められるのか?
・いつまで認められるのか?
・やっちゃいけないことをしたかどうかのチェックを、どうやってするのか?

などを、憲法に書いていた方が良いのではないかな? ということが多く言われています。

ただ、国家緊急権を認めて、いざというとき、やりたい放題じゃ困るわけです。

----------------------------------
ここで、勘違いしてはいけないこと
・国家緊急権を認めることと、
・緊急事態条項を定めるべきかどうか、
という議論は別だということです。

国家緊急権の存在を認めない→ end
国家緊急権の存在を認める → 緊急事態条項を作らない → end
               緊急事態条項を条文とする→ 緊急事態条項をどのように定めるか
----------------------------------

日本は、憲法に緊急事態条項
有りません。

(憲法54条2項ただし書きの、参議院の緊急集会の制度は、一応、緊急のときにそなえたものですが、緊急事態条項とまでは言えません。)

明治憲法(大日本帝国憲法)には、ありました。
緊急勅令(きんきゅうちょくれい)(第8条)、戒厳令(かいげんれい)(第14条)、非常大権(ひじょうたいけん)(第31条)です。
 第八条 天皇ハ公共ノ安全ヲ保持シ又ハ其ノ災厄ヲ避クル為緊急ノ必要ニ由リ帝国議会閉会ノ場合ニ於テ法律ニ代ルヘキ勅令ヲ発ス
 此ノ勅令ハ次ノ会期ニ於テ帝国議会ニ提出スヘシ若議会ニ於テ承諾セサルトキハ政府ハ将来ニ向テ其ノ効力ヲ失フコトヲ公布スヘシ

第十四条 天皇ハ戒厳ヲ宣告ス 戒厳ノ要件及効力ハ法律ヲ以テ之ヲ定ム

第三十一条 本章ニ掲ケタル条規ハ戦時又ハ国家事変ノ場合ニ於テ天皇大
権ノ施行ヲ妨クルコトナシ

天皇が出す命令のことを「勅令」といいますが、法律より下です。
緊急勅令」は、緊急命令(緊急事態のときに、議会から独立して、政府が発することができる命令で、法律と同じ力がある)の一種です。
戒厳令は、緊急事態のときに、全国または一地方を軍が警備する必要があるので、行政や司法の権限の一部を軍司令官に移行する制度。 非常大権は、戦時または国家事変のときに、国民の権利の全部または一部を停止することができる、という天皇の大権。

海外では、
フランスの憲法に(第16条)に、大統領に非常措置大権が書いてあります。
ドイツの憲法には10a章に、たくさんの条文で、くわしく書いてあって、他の章の条文でリンクしているものもあります。
イギリスアメリカは、憲法には書いてなくて、法律である程度対処しています。 (マーシャル・ロー(martial law)=戒厳令)
(もっとも、イギリスは、「憲法」っていう、一つのまとまったものが無いんですが(;^_^A  )
ここまで、有った方が良いかも、という話でした。



次に

緊急事態条項って、やばいんじゃないの?

という話


やっぱり危険なわけですよ。
決め方にもよりますが、
人権の制限を認めたり、
首相とかに権限を集中させたり、
法律でできないことになっていることも国会で話すことなく認めたり、
軍隊に警備をまかせたり、
っていうのはですね。
一時的にせよ、危ないでしょう?

実際、ワイマール憲法という、なかなか良いと言われていた、戦前のドイツの憲法が、大統領の非常権限を認めていたわけですが、これを利用して、独裁を勝ち取ったのがヒトラーなのですね。
ヒトラーが首相になったあと、
2つの大統領令を、大統領に出させて、
その大統領令で、共産党と社会民主党などの議員を逮捕して、
出席できない議員を、議会の議員の数に入れない、議院運営規則改正案を通して、
残った党の人を、ある程度、味方につけて、 3分の2以上の賛成多数で、全権委任法を成立させました。
(憲法改正手続きは、(立法(法律を作る)と同じだが、二院とも)、2/3以上の出席と2/3以上の賛成が必要)
この全権委任法は、立法権を政府にゆずって、憲法に違反する法律でも有効(国会・第2院と大統領権限を除く)というもの。

緊急事態条項に反対する方々が、ヒトラーの例を持ち出すのはこういう背景あります。

でも、かなり複雑ですし、ワイマール憲法の条文に問題が有ったんですよね。
だから、ヒトラーとナチ(国家社会主義ドイツ労働者党の略)の独裁を経験したドイツが、緊急事態について、今の憲法(ドイツ共和国基本法)に書いて、でも、手続きについて、ものすごく細かく書いているのは、すごい賢いのです。

何が大事か 口だけ、憲法を守る、って言っても、意味が無いのです。 憲法はあくまでも、国民を守る手段なのです。
改憲とか、護憲とか、って何それ?に詳しく書きました。) 憲法で国民を守れない事態のときは、国民を守るために、一時的に憲法を否定しなくてはいけないのです。 だからといって、なんでもかんでもやらせては危険です。 権力者は、「国民のため」と言って、権力を持とうとします。 憲法秩序の回復が目的(普段通り憲法が機能して、個人の人権保障ができる状態の回復が目的)
と書いて、 ・どういう場合を緊急事態と認めるか、くわしく書いて、 ・遅くならないように、でも、できるだけ民主的な手続きをとって、権限を集中させて、 ・できることをある程度きちんと決めて
(細かく決めすぎると緊急事態条項を決めた意味が少なくなったり、無くなったりします。)
なるべく早く、権限の集中を終わりにさせるように、工夫して、 ・後から、問題が無かったかのチェックをできるようにする。

そうでなければ、権力が暴走することを許して、憲法の自殺になってしまう。

自民党案はまさに憲法の自殺です。
こんな条文を作ろうと思う人間の、憲法理解度はゼロと言ってよい。
もっとんは、正月にスター・ウォーズの今までのを見ました。 実は黒幕だった議長に、非常大権をあげてしまって、大変なことになっちゃう、というストーリーがありました。 あ、これじゃん、やばいじゃん。って思ったんですが、弁護士さんに、先に言われてしまいました。

これも、あげっぱなしになるような安易な決め方だったのですが。



自民党のブレーンになっている
日本政策研究センターが、当然ながら、緊急事態条項の必要性を語っています。 共産党は、反対しています。 民主党が記者会見で、法律があるし、憲法に緊急事態条項は不要、と言っています。





改憲とか、護憲とか、って何それ?

憲法の話を、毎日のようにニュースで見ます。

多いのが、憲法改正ですね。


「憲法を改正すべきだ」って言う人と、

「憲法をまもろう」って言う人。


改憲とか、護憲とか


世の中の多くの人は、この対立そのものに、違和感が無いみたいに見えます。

なんか、日本の政治とか憲法を語るときに、定着していることのように思えます。


でも。

普通に憲法を勉強したことがある人には、正直なところ、意味がわからない話なんです。

逆から言えば、改憲、とか、護憲、って言ってる人は、憲法がわからないで言ってるか、わかっててあえて自分たちのために言ってる悪い人なんです。

憲法は、あくまで手段なんですよ。憲法自体が目的になってしまってる。下らん。

みんなの幸福のための手段である憲法を、自分たちのための手段にしている、という言い方もできるかも知れませんね。



まず憲法を改正してはいけないの?、っていう話からです。


憲法は、人間が作ったものです。

だから、

作ったときに、想定していなかったことがあったりします。

間違いも有るかも知れません。


だから、憲法自体に、改正手続きを定めています。1条(第96条)しか無い第九章です。

改正がありえること自体、憲法自体が、当たり前じゃん、って言ってるんです。

---------------------------

  第九章 改正

第九十六条  この憲法の改正は、各議院の総議員の三分の二以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行はれる投票において、その過半数の賛成を必要とする。

○2  憲法改正について前項の承認を経たときは、天皇は、国民の名で、この憲法と一体を成すものとして、直ちにこれを公布する。

---------------------------


たとえば、新しい人権(昔は、人権として考えられていなかったもの)を憲法の条文に入れましょう、という話。

プライバシー権とか、環境権とか。

一応、(個人の尊厳原理と幸福追求権を定めた)13条などを根拠に、ある程度解釈で認めていますが、独立した条文で、人権の名前を書いた方が良いに決まっています。


憲法89条は、宗教団体や私的な教育事業などに公金(国などのお金)を出すことを禁じていますが、この条文も問題があります。


第七章 財政の中の条文です。

----------------------------------------------------------

第八十九条  公金その他の公の財産は、宗教上の組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため、又は公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業に対し、これを支出し、又はその利用に供してはならない。

----------------------------------------------------------

宗教団体にお金を出さない、のは、もちろん良いことです。政教分離からです。

でも、私立の学校にお金を出さないのはまずいですし、実際、いっぱい出しています。解釈で一応OKになっていますが、条文の言葉を変えた方がすっきりします。



他にも、大きく変える話だと、


二院制をやめて、一院制にしよう。

参議院の力を強化しよう。

参議院に、職能代表を入れよう。

憲法裁判所を作ろう。

最高裁判所が抽象的違憲立法審査権を持つようにしよう。

首相公選制にしよう。

天皇制をもう少しはっきりさせよう。

天皇制を廃止しよう。


など、論点をあげるといっぱいあります。

細かい論点(言葉づかいを直した方が良い、とか、もう少し具体的に書いた方が良い、とか)をあげたら、かなり多くあります。


アンテナを張っていないと、なかなか、入ってこない話だと思います。


いずれにしても改憲=軍国主義者だから、悪いやつ、みたいなのは、やめましょう。




次、「改正すべきだ」、って人


1.押し付け憲法だから、改正しよう、とか。

2.義務が少ないから、改正しよう、とか。

3.普通の国のように、軍隊を持ちたいから、改正しよう、とか。


1と2はまったくナンセンス。

3はビミョー。


押し付け憲法ではないし、押し付けだったとしても、改正の理由にはならない。


GHQ=(連合国軍)総司令部が作った草案が元だから、押し付けられた。

というんですが、

松本試案という案を作っていまして、明治憲法よりは進歩的だったみたいですが、天皇主権の体制=国体を変更していないものでした。

他のもうちょっと進歩的な案も作っていたらしいのですが、GHQに提出する前に、毎日新聞にスクープされちゃったんですね。

天皇制を残すことを、GHQ草案受け入れの条件にされたようです。

まあ、形を変えたとはいえ(象徴天皇制)、天皇制を残すことについて、よく連合国を説得できたなぁと驚きますが。


そもそも、占領されているのに、間接統治という形で、GHQの下とはいえ、日本の統治機関による政治をさせてもらって、新憲法の草案を作らせてもらうチャンスを与えられただけ、すごいことです。


さらに、GHQの草案を下地にしたとはいえ、日本の政府が草案を作って、衆議院で男女平等の普通選挙を実施した上で開かれた帝国議会で、多くの修正や付け加えが有って、できた憲法です。

そして、この新しい憲法を、当時の国民は、喜んで受け入れた。


これって、押し付けですか?


たしかに、ちょっと見たとき、日本の憲法の成立の過程は、ちょっと不幸な感じがしますね。

でも、新しい憲法ができるときって、大きなこと(戦争とか革命とか)が起こった後が普通なんですよね。

日本は、敗戦がきっかけとはいえ、かなり良い方なのではないでしょうか?


憲法制定の過程については、国会図書館のサイト内の日本国憲法の誕生に詳しいです。


内容も、当時の各国の憲法の良いところに学んだ、先進的な内容でした。

また、日本の人権侵害の歴史を踏まえたものにもなっていました。

(信教の自由の具体的条文、政教分離の徹底、刑事手続の適正に関する具体的条文、学問の自由、家庭内の男女平等、社会権(生存権、労働三権など)を規定、戦争の放棄など多数)

刑事手続に関する条文などは、刑事訴訟法の条文ではないか、と思うほどです。

同時に改正された刑事訴訟法も、この憲法の条文を踏まえた内容になっています。

ちゃんと守られていませんけど。



そもそも、なんのために憲法があるか、といえば、人権を保障するためです。

国家が人権を侵害しないために、国家に義務を課しているものです。

民主主義を確保しつつ、人権を侵害しないように、国家の統治機関(立法、司法、行政)を、作るためです。


----------------------------------------

   第十章 最高法規

第九十七条  この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。

第九十八条  この憲法は、国の最高法規であつて、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。

○2  日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする。

第九十九条  天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。

----------------------------------------


だから、最高法規の章に、人権の意義について書いてあるの(97条)はすばらしいことです。

98条は、読んでいただくとして、(憲法に反する法令は無効、、国際法規遵守)

99条に、公務員の憲法をまもる義務が書いてあるのは、当然すぎることだし、良いことです。


内容が良ければ、仮に押し付けだったとしても、あえて変える必要が無いし、国民の義務を書いていない(少ない)のは当たり前すぎることです。


この辺のことを変えよう、と言うのであれば、できたものは、名前はともかく、憲法ではなくなってしまいます。


自民党は、97条を削除したり、99条の義務を負う者に、国民を入れようとしていますが、憲法を憲法でない違うものに変える案です。(自民党の憲法改正草案(pdfファイル)(自民党のサイト))

人権思想自体、否定しているようです。

人権思想は、自由権を人権として、国家権力を制限して、国民の自由を守ることを憲法を作ることで実現する=自由主義=立憲主義から出発しました。

国民が、国家に守らせる義務を書いた契約書が憲法なのです。


自由民主党(自民党の正式名称)は、自由党と民主党が合体して作られた政党です。(昭和30年、1955年)

自由主義と民主主義の政党であるはずです。


立党宣言には

われら立党の政治理念は、第一に、ひたすら議会民主政治の大道を歩むにある。従ってわれらは、暴力と破壊、革命と独裁を政治手段とするすべての勢力又は思想をあくまで排撃する。第二に、個人の自由と人格の尊厳を社会秩序の基本的条件となす。故に、権力による専制と階級主義に反対する。

と書いてあります。(下線はもっとんによる。)


また、平成17年(2005年)の新理念には、

・わが党は、すべての人々の人格の尊厳と基本的人権を尊重する、真の自由主義・民主主義の政党である。

と書いてあります。


平成22年(2010年)綱領を読むと、

個人の尊重とか自由が大切というような意味が書いてあるが、同時に、秩序とか義務とかを強調していて、明治憲法のように、あくまでも国の枠組みの中で、自由が保障されている、というニュアンスを読み取ることができる。(あくまでも、私=もっとんの見解ですが)

人権思想は、そもそも、国家が成立する以前に、もともと人間全員にある権利だ、っていうのが出発点ですから、矛盾します。

以上、自民党のサイトの立党宣言・綱領のページを参考にしました。


フランス人権宣言には、こう書いてあります。(引用:「解説 世界憲法集 第3版」樋口陽一・吉田喜明 編、三省堂)

---------------------------------------

第16条(権利の保障と権力分立) 権利の保障が確保されず、権力の分立が定められていないすべての社会は、憲法をもたない。

---------------------------------------

ややこしい言い方ですが、憲法っていうのは、人権保障があって、権力分立(三権分立とか地方自治とか)の統治機構がある、っていうのだけをいう、と言っているわけです。

ちなみに、憲法は、最初、フランスもアメリカも、人権宣言(権利章典)と憲法(統治機構について定めていた)が別々でした。

今の憲法は、日本の憲法も、権利章典と統治機構の両方の部分からできていますね。


自民党には、自由の党の看板を下ろすことを強くおすすめします。



軍隊を持つことができるように改正しようか?という話は、なかなか難しい問題です。

そもそも、自衛隊が違憲だ、という話もありますが、

現実問題としては、とりあえず、自衛隊の整備をしっかりして、自衛以上のことをしないようにすることが重要かと思います。

この点、昨年(2015年)成立した、安保法制が違憲か合憲かの問題もありますし、そもそも、このような政策が良いのかどうか、との話もありますが、非常に難しい問題ですので、別の機会に書こうと思います。

いずれにしても、憲法を変えて軍隊を持とうとするのは、やめておいた方が良いでのはないかな、とは思います。

ちなみに、この話では9条ばかりが論点になりますが、軍事裁判所(軍法会議)を作ることを許していない憲法76条が大きな問題になります。最近、軍隊を持つ国でも、独立した軍法や軍事裁判所をやめる傾向がありますが。

また、今の憲法の下で、なしくずし的に、さまざまなことができるようになって、9条が無視されるような事態も避けなければいけないでしょう。すでに無視されてる?


これは9条に限りません。


日本は、国連から、しょっちゅう、人権に関して、勧告を受けています。

憲法違反のことが多く野放しになっているのが現状です。

中国とかアメリカのことなどは、マスコミが報じるので、知っている方も多いでしょう。

日本のことは、NHKも含めて、日本のマスコミは報じません。なぜでしょうか?

国連がなんでこういうことを言うか、ですが、

そもそも、国連がなんのためにあるのか、どういうものか、っていうことを教わっていない、のですね。組織の名前ばかり暗記させる。

今、憲法がちゃんと(形だけ守られていて)実際は守られていない状況で、憲法を守ろうとか、時代に合わないとか言っても、おばかな話なんです。

政治家も、「人権」って騒いでいたり、「人権は守るべき」と言っていても、全然認識が足りていないようです。

そもそも、人権とは何か、について、具体的に知識・教養・認識が無いのです。


人権とは何か、っていう話は、また、別の機会に書きます。

そんなに詳しく書かなくても、膨大な量の文章になってしまいます。

普通の人は、そんなの読めませんよね。僕も、そんなの読むのだるいです(^o^;


人権とは何か、という大きなテーマの他に、

具体的な人権の具体的な内容、たとえば表現の自由の中で、選挙運動について、とかを、

一つずつ書くことを積み重ねる方が、良いのかな、と思っています。



左翼=護憲?


さっき、改憲=軍国主義者だから悪いやつ、っていうのはよしましょう、って書きました。

憲法改正すべき、って言っている人が、右翼の仲間と思われると、ものすごく困ります


しかし、もっと不思議なことがあります。


左翼、っていう言葉ですが、もともとは、体制に反対している勢力のことです。

日本の体制=憲法は、自由主義を基本として社会主義的な修正を加えたものです。

これは、一部の国を除いて、多くの国の体制です。(細かいところの違いはもちろんたくさんあります。)

この体制に反対しているのが、日本の左翼、っていうことになります。

普通は、社会主義者、共産主義者のことですね。

この人たちは、革命を起こして(国の統治体制を暴力で破壊して)、国の体制(憲法)を変えようという人たちです。


今の共産党は、社会主義革命の前に民主主義革命をする、とか、言っています。今の綱領(2004年の綱領)(日本共産党のサイト)

革命が、暴力革命なのかそうでないのかの説明は有りません。普通、特別な説明が無い場合は、暴力革命=刑法の内乱罪なのですが、どうも、そうでないようなニュアンスがあるようですが。意味がよくわかりません。

綱領を見ると、憲法の全条項を守る、って言っています。

警察庁は、広報誌「焦点」で、「暴力革命の方針を堅持する日本共産党」という題の記事を書いていますが。


また、社会民主主義の人たちは、自由主義でいう民主主義(今の日本のような国の民主主義)の中で、革命を起こさず、社会主義を達成していこう(憲法を社会主義的に解釈したり、社会主義を強化する法律を作ったり、社会主義の憲法を作ったり)、という人たちです。


この人達が、憲法をまもる?

とりあえず守るにしても、

改憲がだめ?

何かの冗談ですか?


ちなみに、9条について言うと、、

共産党は、憲法を制定する議会で、9条に反対して、軍隊を持つべきだと言った、ただ一つの政党です。


政党も、その他のいろんな人も、言葉を好き勝手に使って、イメージ戦略でやっているようです。

自分たちもわかっていないのかも知れませんが、言葉に込められた先人の苦労を考えず、理念も何も無いです。もともと嘘つきだから、しょっちゅう平気で嘘をつく。嘘つきの自覚も無いのかも知れない。


冗談がまかり通る国、国民をだまして平気でいる指導者が充満している国。それが今の日本です。


こういうことを言うと、日本をしょっているつもりになっている人におこられちゃいそうです。


内容にかかわらず、日本を良く言うことで満足して、日本を悪く言うことを不満に思う人たちが多いですね。

自分自身が小さな存在で、人間的に扱われていないことの不満のはけ口になっているのでしょう。


逆に、とにかく、強いものを悪くいうことで、自分が強くなったような錯覚におちいっている人も多いかも知れません。


しかし、弱い人々を苦しめないために、国民みんな、住んでいる人みんなを苦しめないために、国をもっと良くしたい、今の日本ではだめなんだ、と言いたいのです。


日本をしょった気で、いきがっている人たち(右翼)も、強い者に反発しているだけの人たち(左翼)の思想も、私とは全然違って真逆ともいえますが、そういう人たちの味方になりたいのです。(役に立ちたい、という意味です。賛同するという意味ではないです。)


また、そういう人たちに、ドン引きして、冷静になって(しらけて)いる人たちが気の毒です。

普通の人たちが、満足する議論を提供したいです。


わかっていただけますでしょうか?






 

夫婦同姓制度(夫婦別姓ってどう?)

2015年12月16日、最高裁判所で夫婦同姓制度について、合憲の判決が出ました。


そもそも、夫婦同姓制度って何?


常識?本当?


民法第四編 親族、第二章 婚姻、第二節 婚姻の効力に条文が有ります。
 

第七百五十条  夫婦は、婚姻の際に定めるところに従い、夫又は妻の氏を称する。 


夫婦は、夫か妻かどちらかの苗字を、結婚するときに決めて、同じ苗字を名乗ることになっています。


という意味です。

まず、確認したいんですが、必ず、奥さんがだんなさんに合わせるわけではないのです。

どっちがどっちでも良いのです。

だんなさんが合わせるっていう場合は、婿養子でしょう?っていうのも違います。

だんなさんが奥さんの親と養子縁組をするかどうかといっしょにしなくて良いのです。


実際は、多くの人が勘違いしていることでもわかりますが、女性が男性に合わせることが圧倒的に多くなっています。(2014年の統計で96%)


「称する」っていう書き方ですが、名乗らなくちゃだめ、っていう強制です。


最高裁は、

同じ姓を称することで家族の一員であることを実感できる。とか

通称が認められていることが多くなっているから、不都合が無いじゃんか


とか言いますが、

・苗字だけで、家族の絆が生まれて実感するんですか?
・強制的に、夫婦同姓なのは、日本くらいしかないんですけど、外国の家庭は崩壊してるんですか?


・公的文書(役所に提出する文書とか証明書とか(免許証とか))に使えない。

通称戸籍の苗字が違う


とかいう、ややこしいことが起こる。


また、

・通称が、ある程度広まっているとはいっても、認められていない会社も多い。


それから、

・ほとんど、女性の側が姓を変えることになって不利益を被っているから、事実上、女性差別になっている。


結婚して、突然名前が変わっちゃうと、友達とか、お客さんとかに、だれだっけ?って言われちゃいます。

名刺を見たら、だれだっけ?同窓会名簿を見たら、だれだっけ?親友のだれだれちゃんの名前が無い。名簿も旧姓を載せていますけど、わかりづらい。

Facebookは旧姓も入力することができて、検索はできますけど、やっぱり、だれだっけ?は避けられない。

学者とかデザイナーとかだって、論文の著作者の名前や、作者の名前を今まで通り使いたい。


・子供との関係で不都合も有ります。

子供がいる女性と結婚した都議会議員がブログで書いていましたが、結局、女性が、 議員の苗字に変更することになり、いっしょに、子供の苗字も議員の苗字になりました。持ち物に書いてある名前などを全部変更したそうです。


仕事などで、ある程度、通称を使える人でも、戸籍の名前は違うから、

・公共の契約、その他、ものすごくたくさんの場面で、いちいち名前を変更する手続きをしなくてはいけない。

・結婚をきっかけに、結婚前のデータが継続使用されない危険がある。



婚姻の自由の制限


結局、強制的に苗字を変えられるのがいやで、婚姻届を出さない、っていう人がいっぱいいます。

かわいそうじゃんか、そんな不自由させて。

だから、憲法違反だって、最高裁の少数意見は言っています。

第二十四条  婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。

    配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。

つまり、両性の合意のみで、あとは自由(国家に余計な制限をされることが無い)っていう

「婚姻の自由」を不当に制限している、っていうことです。



不平等


それに、この24条にも書いている、両性の本質的平等に反する、と少数意見にあります。

2014年の統計で、女性が苗字を変更する場合が、96%だそうです。

法の下の平等を定める14条にも違反するということになります。



女子差別撤廃条約


第16条

締約国は,婚姻及び家族関係に係るすべての事項について女子に対する差別を撤廃するためのすべての適当な措置をとるものとし,特に,男女の平等を基礎として次のことを確保する。
(a) 婚姻をする同一の権利
(b) 自由に配偶者を選択し及び自由かつ完全な合意のみにより婚姻をする同一の権利
(c) 婚姻中及び婚姻の解消の際の同一の権利及び責任
(d)~(h)は省略


この条約は、日本も批准しています。

この16条1項の(b)違反していると考えられます。

今回の訴訟でも、原告側は、このことも主張していました。


条約は、憲法より下で、法律より上です。

ですから、条約違反の法律はだめなのです。


この条約の2条は、この条約に違反する法規を改廃する義務を締結国(つまり日本)に課しています。



憲法第13条


憲法13条の人格権としての「氏の変更を強制されない自由」を不当に制限していて、違反ということにもなります。


世界ではどうか


そもそも、夫婦同姓を強制する国は、今、日本くらいしか見当たらないのです。

夫婦別姓の国が多いです。

日本のように同姓だったけれども別姓にした国も多いです。

元の苗字と結婚してからの苗字と両方使える国も多いです。

選択的夫婦別姓(同姓か別姓か選べる)の国も多く有ります。


国民感情とか世論とか


日本では、明治に戸籍を作ったときに、夫婦同姓制度を始めただけで、日本の伝統とは言えません。

最高裁の多数意見は、選択的夫婦別姓制度を国会がやるんだったら、良いんじゃないか?と言っています。


新聞なども、世論はどうかについて報道します。


たしかに、家族のことをどう決めるか、は、日本の歴史や、国民感情、その他が大事です。

大事でないとは言いません。


しかし、人権問題については、世論が99%反対でも、関係無いのです。


立憲民主制とは、民主主義で基本的に政治を行うが、多数の人に少数の人がいじめられるの(多数決の横暴)を防ぐために、民主主義で決めたことさえ制限する、憲法というものを作って、国(立法、行政、司法)を縛る、そういう体制のことを言うのですから。

これをわかっていない人は、憲法について、ちょびっとも、わかっていない、と断言して差し支えありません。




最高裁の豆知識


最高裁判所の裁判官は、全員で15人います。

普通の裁判では、小法廷といって、5人ずつ、3グループでやっています。

特別なときだけ、大法廷と言って、15人全員でやります。


特別なときは、

・判決理由の中で、憲法判断をするとき

・判例変更をするとき

の2つの場合です。

裁判所法10条ただし書きです。


裁判所法
 

第十条

(大法廷及び小法廷の審判) 事件を大法廷又は小法廷のいずれで取り扱うかについては、最高裁判所の定めるところによる。但し、左の場合においては、小法廷では裁判をすることができない。

一 当事者の主張に基いて、法律、命令、規則又は処分が憲法に適合するかしないかを判断するとき。(意見が前に大法廷でした、その法律、命令、規則又は処分が憲法に適合するとの裁判と同じであるときを除く。)

二 前号の場合を除いて、法律、命令、規則又は処分が憲法に適合しないと認めるとき。

三 憲法その他の法令の解釈適用について、意見が前に最高裁判所のした裁判に反するとき。


10条本文にも最高裁判所が決める場合が書いてあります。
最高裁判所規則にも、少し書いてあります。







 

再婚禁止期間

違憲判決

再婚禁止期間について、最高裁判所違憲判決が出ましたね。2015年12月16日

制度そのものではなく、「期間が長過ぎる」っていうものですが(;^_^A


夫婦同姓制度は合憲だっていう判決も出ましたね。

15人の裁判官のうち、5人は反対意見(違憲)ですが

(違憲の意見です。ややこしいですね。

夫婦同姓制度については、別に書きますね。 


再婚禁止期間って何?

日本のニュースとか新聞は基本的なことを言わなくて、さっぱりわからないことで世界では有名です。

国民みんなが六法を持ち歩いているとでも思っているんでしょうか?

今はスマホで読めますが。


まず、民法には、下のような条文がある、ということを、確認したいと思います。


民法の第四編 親族、第二章 婚姻、第一節 婚姻の成立、第一款 婚姻の要件にある条文です。

(再婚禁止期間)

第七百三十三条  女は、前婚の解消又は取消しの日から六箇月を経過した後でなければ、再婚をすることができない。

 女が前婚の解消又は取消しの前から懐胎していた場合には、その出産の日から、前項の規定を適用しない。

条文が何を言っているか、簡単に説明しますと、

「女性は、離婚して(死別も含む)から、6ヶ月間は、結婚しちゃだめ」ってことです。

つまり、市役所とかで、婚姻届を受け付けないってことです。


上の説明で、条文の中の「取消し」って言葉の説明は省いています。わかんなくて良いです。


そもそも、なんで、こんな条文があるの?
(再婚禁止期間の制度の趣旨)

えらそうなババアは、「離婚して、すぐ結婚するのってどうよ。半年でも短いわ」っていうツッコミをするでしょうけど。


法律に詳しくない人でも、特に女性は、「なんでやねん」と突っ込みたくなる条文ですよね。

「法律で決めることないじゃん。人にはいろいろ事情があるのよ。」とか、

「なんで、男はよくて女はだめなのよ。不公平じゃないの」とつっこみたくなるのが、普通の感覚でしょう。


なんで、こんな条文があるかというと、


再婚してから産んだ子供の父親が、前の夫だか後の夫だかわかんなくなっちゃうでしょう?

っていう話。


妊娠期間は、10ヶ月ちょっとが普通だから、なんで6ヶ月なのか、よくわかんないですよね?


嫡出の推定



実は民法の別の条文とリンクしてるんです。

民法 第四編 親族、第三章 親子 第一節 実子 にあります。

(嫡出の推定)

第七百七十二条  妻が婚姻中に懐胎した子は、夫の子と推定する。

 婚姻の成立の日から二百日を経過した後又は婚姻の解消若しくは取消しの日から三百日以内に生まれた子は、婚姻中に懐胎したものと推定する。

まず、1項から。1項っていうのは、第七百七十二条って書いてある次の「妻が~」のところです。


奥さんが結婚している最中に妊娠したら、反対の証拠が無ければ、だんなさんの子供ということにします。


っていうことです。
 

「推定」っていうのは、法律用語です。

「反対の証拠が無ければ、(法律上)~ということにします。」

という意味なんですよね。

見出しにある「嫡出」っていうのも法律用語です。「夫の子」ってことです。

夫じゃない人の子を「非嫡出子」っていいます。
(不倫とは限りませんよ。内縁の夫とか婚約者とか恋人の子供もです。最近、「婚外子」ともいいますね。)


次は2項です。2項は、「2」のところです。

(昔は、この「2」も書いてなくて、最近の法律は「1」以外は書いてあります。全部書けば良いのに(●`ε´●)  )


婚姻届を役所に出した日から200日たった後、または、離婚して(死別も含む)から300日以内に生まれた子供は、反対の証拠が無ければ、結婚している最中に妊娠したこととします。


今度も「取消し」については省略します。


この条文だけだとおかしなことになるんです。


離婚した次の日に結婚できるとすると、、再婚してから201日目~300日目は、前の夫と再婚した夫と両方推定する、っていう、有り得ない結論になっちゃいますよね。

だから、ダブリの期間について、女性が結婚できないようにしましょう、ってしたんですね。


でも、ダブリを防ぐのが目的なら、

300-200=100、100日で良いじゃんってことです。


でも、733条は、再婚禁止期間を6ヶ月と定めています。大体、180日くらいですね。


180-100=80


80日も意味不明の余裕が有るわけです。
 
まあ、一応、妊娠半年なら、外から見て、妊娠してるってわかるようになる、っていう、もっともらしい理屈があったらしいですけど。


今回の最高裁の判決は、「100日を超えるのは、婚姻の自由の過剰な制限だ」っていうことなんですね。


弁護士ドットコムのページにわかりやすい図解が載っています。

https://www.bengo4.com/other/1146/1287/n_4067/



今回の判決が出た結果、どうなるのか


違憲判決が出たからと言って、自動的に法律が改正されるわけではありません。

ただ、行政は、立法と司法にしたがわなければならない立場ですから、戸籍を管轄している法務省(民事局)は、全国の自治体に100日経っていれば、婚姻届を受理してね、と通知するそうですね。戸籍事務は、市役所とかでやっていますから。


そして、法務省はさらに、100日に改正する法案を、国会に提出する方針にした、と言っています。法務省の官僚が頑張って作ったものを、内閣が閣議で決めて、法案を国会に提出する、っていうことになります。(民法772条を改正する法律です。ややこしい(^o^)   )


最高裁は、期間が長すぎるという理由で違憲にしましたが、

制度そのものが違憲で良いと思います。


そもそもさ、「722条の嫡出の推定、ってどうなのよ」って話です。
 

最高裁は「父親がだれかを早期に確定する必要があるから合憲」とかもっともらしいことを言っていますが。

誰の子どもかわかんなかったら、昔はともかく(条文は違いますが制度自体は明治から有った)、今だったら、DNA鑑定で調べれば良いでしょう?

とりあえず、揉め事が起きたときに、家庭裁判所でだれが父親かを決めれば良いでしょう?


真面目な大手マスコミとかは書いてない話ですけど、ぶっちゃけると、

不倫は論外ですが、今どき、結婚と妊娠時期をリンクさせるのって、違和感を感じる人は多いんじゃないでしょうか?意味無いですよね?
 

(結婚しなきゃ子作りしちゃいけないっていう真面目な方々を否定するつもりはありませんよ。結婚前に何が起こるかわかりませんから、男女の将来と子供の将来を考えれば、堅実で良いと思いますよ、もちろん。)


戸籍を管理する役所や、揉め事を持ち込まれる家庭裁判所が面倒くさいだけじゃん。

本人たちと周りが平和なら、それで良いじゃんか。


科学が進んだ今、似たような法律があった海外では、どんどん廃止しています。


立法政策だけの問題ではなくて「この再婚禁止期間も条文自体が憲法違反だ」っていう話で良いと思います。

以前から国連女子差別撤廃委員会などは、日本政府に対して「女性差別にあたる」として、再婚禁止期間の条文を廃止するよう勧告していましたし。

(女子差別撤廃委員会は女子差別撤廃条約の実施のために国連に設置されたものです。この条約を日本は批准しています。しかし、委員会への個人通報制度(国に差別された女子が委員会に通報できる制度)を定めた選択議定書は批准していません。)



ところで憲法の何条に違反ですか?


おそろしいことに、かなり詳しく書いてある大手の記事を読んでも、憲法の何を定めた何条に違反する、っていうことがちゃんと書いていない。なんなんだ、日本のマスコミは(●`ε´●)


法24条です。

第二十四条  婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。

   配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。

24条ですが、「婚姻の自由」「家族生活での両性の平等」を定めています。
そのために2項では、法律制定の基準が書かれています。


再婚禁止期間は、この「婚姻の自由」の制限なわけです。不当な制限だと憲法違反です。


「婚姻の自由」っていうのは何か、ですが、

婚姻=結婚っていうのは契約です。本人たちがOKなら、国が制限してはいけない。本人たちのOKが無いなら、結婚も有り得ない、っていうことです。

(この場合の国は行政だけでなく、立法も司法も当然に入ります。法律でも制限してはいけない、判決でも制限してはいけない、ってことです。)


(本人たちの合意だけで結婚できるっていうのは当たり前だと思うかも知れませんが、戦前の日本では、本人同士が結婚したくても、親がだめだと言って結婚できなかったりしました。事実としてだけでなく、違法なことではなかったのです。

海外では、今も、まだ小学生くらいの子供が、親の意思で、結婚させられるという国がたくさんあります。

子供はもちろん女の子です。)


再婚禁止期間っていうのは、余計な制限だ、許される制限ではない、ということです。

有っていいのは、届けが必要だ(制限とは言えないレベル)とか、年齢制限が有るとか、未成年は親の同意が必要とか、です。


今回、制度自体は合憲としている最高裁は、14条違反とは言いませんでした。

女性に対する不当な差別であると主張すると、14条が問題になります。

第十四条  すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。

  華族その他の貴族の制度は、これを認めない。

   栄誉、勲章その他の栄典の授与は、いかなる特権も伴はない。栄典の授与は、現にこれを有し、又は将来これを受ける者の一代に限り、その効力を有する。

法の下の平等を定めた、14条1項に違反する、っていうことです。14条の中にも、「性別」っていう言葉がありますね。女性にだけ不利益な条文は、これに違反する可能性があるわけです(もちろん男性差別もだめ)。差別の条文に合理性が無いと憲法違反なのです。



夫婦別姓制度については別に書きました。


<$ArticlePermalink$><$ArticleTitle ESCAPE$>



法務省は人権を守る気があるのか? 人権週間に思う

12月10日は世界人権デーです。



1948(昭和23)年のこの日、世界人権宣言が、、パリで行われた第3回国連総会で採択されました。
それを記念して1950(昭和25)年の12月4日の第5回総会国連総会で「人権デー」と定めました。


日本では、1949年(昭和24年)から毎年12月4日から10日までの一週間を、人権週間としています。


それで、法務省などが、啓発活動を毎年行っています。


ポスターとか、見ました?

今年の法務省のウェブサイトには、こう書いてあります。


みんなで築こう 人権の世紀

~考えよう 相手の気持ち 未来へつなげよう 違いを認め合う心~


これを普通に読むと、「国民のみなさん、他人を思いやろうね」と読めます。


それって変?って思いましたか?


変です。


普通に「人権」という言葉を勉強した人は、違和感を感じるんです。


だって、人権って、もともとは、国家権力から自由を奪われた人が、国家権力は余計なことをするな(自由主義、自由権)、とか、弱肉強食では弱者が生きていけないから、はなんとかしろ(社会権)、っていう話ですから。


もちろん、現代社会で、国民同士が他者の人権を尊重しよう、っていうのは大事ですけど、それを国の機関(法務省)が、自分たちのことを言わずに言うのって、変でしょう?


国民に訴えるより前に、法務省や、検察庁、そして、他の行政機関全般に、人権侵害が無いか、をチェックすべきではないですか?

国連から、頻繁に指摘されている、日本国政府(行政だけでなく、立法、司法を含む)による人権侵害について、黙殺している場合ではないでしょう?


さすがは、自由権規約の第一選択議定書(国家による自由権侵害を国連の自由権規約委員会に、被害者である国民が訴えることができる、という内容)を締結していない、先進国の中では珍しい国のやることですよね?
その他の人権条約の選択議定書も締結していませんしね。 



障害者の人権とか、外国人の人権とか、っていうと、、なんか人権って、特別な立場の人だけに関係する話みたいじゃないですか。


違うの?って思いましたか?


違います
 

人権は、人間全員に日常的に関係する話なんです。


普段、人権侵害をされていないか、されていても慣れてしまって気づいていないだけなのです。


人権は、人間なら平等に誰にでも有る権利なのですから、

「人権が不当に制限される」
ってことは「人間扱いされていない」ってことなのです。



下に参考になるページのリンクを張ります。



世界人権宣言(外務省のページ)


自由権規約(外務省のページ)


自由権規約第一選択議定書(日弁連のページ)
(批准していないので、政府のページに無いのです)


法務省サイトの人権週間についてのページ





最新記事

法学をどんなものか知りたい人に良いです。
法学の考え方、基本的な法律がどんなものか、わかりやすく一般向けに書いてあります。
同じような内容の本はなかなか無いと思います。
よく有る他の法律の入門書は断片的な知識しか得られません。
大学の学部選択の参考にもなりますよ(^▽^)/
木村草太先生の著作です。




AKB48(当時)の内山奈月さんに、九州大学教授の南野森先生が、憲法を講義したものを本に。
高校生(当時)の内山さんは憲法暗唱できて高校社会科の知識はあるが、憲法学は素人。でも、すごく賢くて、南野先生の講義もはかどる。
初心者から入れるけど、内容は深いものも含む。
初心者にも、勉強したことある人にもおすすめ。





ツイッターで有名なミゾイキクコさんの本です。
人生で一番大切な要素、平和、結婚、家族が凝縮された内容。経験と教養にもとづいて、飾らず、率直に、語る。


記事検索
タグ絞り込み検索
Facebook
もっとんのFacebookページはココ Facebookだけを利用されている方はどうぞ。

Twitterは現在諸事情によりお休みしております。
このブログのトップページのURL
QRコード
LINE読者登録QRコード
コンセプト

憲法・法律・人権をメインに、そのときどきで、考えたことを書いています。
自分らしく生きたいという願いが実現しやすい社会を作るためには、憲法、人権、法律についての正しい理解が不可欠と思っています。
世間にある憲法・法律についての誤解から、個人が生きづらくなっている現状を変えたいと思っています。
自己紹介


東京都八王子市 出身

好きな動物:猫。犬も好き。
趣味:カラオケ

創価大学法学部法律学科卒業
大学ゼミ:刑法(内藤謙先生)

お世話になっています。

似顔絵:似顔絵メーカーで作りました。
Facebookシェアなどのボタン:
忍者ツールズの忍者おまとめボタンです。
写真:
 ホームページ制作会社 合資会社電広堂
 東京発フリー写真素材集
 写真素材 足成
 フリー写真素材フォトック
ゆんフリー写真素材集
家紋画像:発光大王堂
イラスト:
 無料イラスト素材.com
 フリー素材の来夢来人