11月3日は、文化の日ですね。

国民の祝日に関する法律2条は、国民の祝日のリストです。

文化の日 十一月三日 自由と平和を愛し、文化をすすめる。

とあります。

まあ、これだけ読むと、いいじゃんね、って思うんですが、

なぜ、11月3日が「文化の日」になったのか



ご存じの方も多いと思いますが、日本国憲法の公布の日です。

公布は、「国民に、法律などを公表して知らせること」です。

本当は、この日を「憲法記念日」にする話が有力でした。
でも、施行の日である、5月3日「憲法記念日」です。

施行された日を「憲法記念日」にする国もありますが、
制定された日(議会で可決成立した日)を「憲法記念日」にすることが多いようです。

では、
なぜ、公布の日が、「文化の日」になったのか。

そこには、ドラマがあるのでした。

まず、明治の最初にさかのぼります。

江戸時代(将軍を頂点とする武士の時代)が終わり、
天皇の時代になります。
(1868年、今から、150年くらい前)

1873年(明治6年)11月3日を祝日にしました。天長節という名前です。
天長節=天皇誕生日 という意味です。
明治天皇(睦仁)の誕生日が、(新暦になおすと)11月3日なのです。


1912年(明治45年)に、明治天皇が崩御(死亡)します。

大正天皇が即位します(元号も大正に)。

天長節は、大正天皇の誕生日(8月31日)になりました。(当然ですね)


1926年(大正15年)大正天皇崩御と昭和天皇の即位で、

元号は、昭和になり、天長節は、昭和天皇の誕生日(4月29日)=今の祝日「昭和の日」

そして、翌年の1927年(昭和2年)に、11月3日を、「休日に関する件」という勅令で、「明治節」という名前の休日にしたのです。

1945年(昭和20年)、戦争が終わります。

(敗戦。連合国の占領(間接統治)下で、たくさんの指令、日本国憲法制定、公布、施行)

GHQが連合国の極東委員会で決定された政策を遂行します。
間接統治というしかたで、日本国政府の上で、あれこれ指示を出します。

そういう占領下で、

最初、5月1日を憲法施行の日にして、公布は、半年前11月1日にしようとしました。
でも、5月1日はメーデーと重なるから、施行:5月3日、公布:11月3日にしようか、と。
そして、11月3日を憲法記念日にしようと、貴族院が主張。GHQが反対。
衆議院が、5月3日を憲法記念日とすることに同意。
GHQが、11月3日を「憲法記念日」以外の他の名前の日なら良い、と。

それで、結局、
新憲法ができて、自由と平和を尊重する国として、文化的に発展したという意義をこめて、「文化の日」となったのでした。


今、また、11月3日を「明治の日」にしようと、一部の政治家が言い始めています。


いかれてます( ノД`)シクシク…