ドン もっとん del 八王子 の つれづれブログ - 憲法、人権、法律をメインに -

憲法・法律・人権をメインに、そのときどきで、考えたことを書いています。 自分らしく生きたいという願いが実現しやすい社会を作るためには、憲法、人権、法律についての正しい理解が不可欠と思っています。 世間にある憲法・法律についての誤解から、個人が生きづらくなっている現状を変えたいと思っています。

憲法、法律、人権、政治

ドン もっとん del 八王子 の つれづれブログ
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世間にある憲法・法律についての誤解から、個人が生きづらくなっている現状を変えたいと思っています。

遠山議員のテロ等準備罪OK動画のウソをあばく

追記:
この私(もっとん)の投稿は、組織犯罪処罰法改正案を国会で審議している最中のものです。



先日、Facebookで、遠山清彦衆議院議員が組織犯罪処罰法改正案について話す動画が公開されました。(Facebook公明党沖縄県本部)

内容は、(おそらくは支持者向けに)、組織犯罪処罰法改正案が問題無いというものです。


引用の下地に黒字は、条文などの引用です。
引用の下地に青字は、遠山氏の発言です。
白地に青字は、最初からの経過時間、動画の中の表題。
なお、リンクも青字です。
赤字は反論そのものではなくて、遠山議員の話し方についての注釈です。

0:00
爆弾とか化学兵器を使ったテロなんていうのは、これ、日本でも、オウム真理教のサリン事件ていうのが有りましたけども、国際社会の中で、この、多くの無実の人が死んでしまうような犯罪を、犯罪組織として、大規模な犯罪を計画をして、えぇ、それをやろうとする集団が残念ながら有る、と。
はい。それで、国連では、テロ対策のための13の条約を作って、日本も締結して、法整備(予備罪など)も済んでいますね。
外務省サイト、テロ防止関連諸条約について

もともと、日本では、所持だけ準備だけで処罰されるというのが外国と比べても多かった上での話です。
               
それを止めるためには、計画して準備をしている段階から捕まえて止めないとだめでしょう、ということで、まずは条約ができました。
これが最近よくメディアでも出てる、TOC条約というものでございまして、このTOC条約というのは、ほとんどの国が入ってます。
ところが日本が(笑)入ってないんです。
「テロを防ぐためのほとんどの国(187)が締結する条約を、日本も締結してテロ対策しなければ」と聞こえます。

締結すべきなのはもちろんです。

「それを止めるためには」がウソ

TOC条約=英語名:Convention against Transnational Organized Crime
日本名:国際的な組織犯罪の防止に関する国際連合条約(日本外務省訳)
略称:国際組織犯罪条約

国際組織犯罪防止条約全文 (外務省のサイト)

これは、マフィアや暴力団対策のための条約で、テロ対策ではない。真っ赤なウソ


第一条 目的
 この条約の目的は、一層効果的に国際的な組織犯罪を防止し及びこれと戦うための協力を促進することに ある。

第二条 用語
 この条約の適用上、
(a)「組織的な犯罪集団」とは、三人以上の者から成る組織された集団であって、一定の期間存在し、か つ、金銭的利益その他の物質的利益を直接又は間接に得るため一又は二以上の重大な犯罪又はこの条約に従って定められる犯罪を行うことを目的として一体として行動するものをいう。

「金銭的利益その他の物質的利益を直接又は間接に得るため」に犯罪をする集団をは、みなさんご存じ、暴力団です。
金銭的利益を得るために犯罪(シノギ)をする集団のことです。

この条約の各国のための立法ガイド作成の中心的人物、パッサス教授も「テロ対策でなくマフィア対策」と言っています。

ちなみに、これでテロ対策をやろうとしても難しい。
(たくさんある)単独犯や単発のテロに対処できない。当然ですが。

日本がこれに入るために、今回、この、えぇ、組織犯罪処罰法改正案というのを出して、で、あのぉ、衆議院を通過したということなんですね。

そもそも、組織犯罪処罰法という法律自体、暴力団対策の法律で、警察で担当している部署は暴力団対策のところです。


1:03

TOC条約に入るために必要な法整備
このTOC条約で、
この条約に入る国はですね、懲役、禁錮刑、4年以上の重大な組織犯罪を犯した者を全部取り締まる法律を国内で準備をして下さい、と。
確かに条約5条にそう書いてあるんですが、これは一つの目安にすぎません。
重大な組織犯罪を未然に防ぐことが大切ということです。
立法ガイドでも、各国の憲法や法体系の中で、条約の趣旨に沿った立法ができれば良いということになっています。
実際、条約締結後に、新たな法整備をした所はほとんどなく、新に法整備をしたところも、条約の5条にぴったり合わせた国はありません。
共謀罪に限って言えば、もともと有ったのはイギリスなどちょびっと、あらたに作ったのもちょびっと。
そもそも条約5条には「合意」「参加」と書いてあって、「合意だけ」とか「合意=共謀」とか書いていないわけですが。
日本には、外国と比較しても、所持とか準備だけで処罰される犯罪規定がたくさん有ります。

政府がこの法律を最初出すときに、626の犯罪について、この、そし、えぇ、テロ等準備罪を適用すると言ったんですが、言ったんですが、

公明党、漆原衆議院議員の公式サイト公明党法務部長としての法案解説。 当時で615個の犯罪について、組織犯罪に限るから、これで問題が無いとの趣旨の発言をしています。
漆原氏公式ページ

公明党がですね、「いやいやいや」と。ね。そんなあのぉ。「たしかに、その、禁錮4年以上の罰がついている犯罪っていうのは600以上有るかもしれないけれども、この 組織犯罪として犯される可能性の有る犯罪はもっと少ないはずだ」と。
「だから、対象を絞り込め」と。
で、要は、犯罪集団がおかしそうな罪だけに絞り込んだら、626から、さ、277になったんです。
数が減っても実質変わっていません。
過失犯とか、共謀が有り得ない(過失を共謀とか共同計画とかってないですよね?)を抜いただけです。
最初から、「減らさなくても良い」と漆原さんが言ってた通りなのです。

公明党がブレーキ役を果たしているとの幻想を見せてるだけです。

あ、違いました。
実質的に減らしています。
暴力団対策に必要な、警察や企業や政府などとの癒着についての犯罪や、選挙違反などが、4年以上の基準に当てはまるのに、どさくさにまぎれて、対象からはずされました。

この277の罪をするために、(編集の跡)準備行為をしたら、犯罪を行う前から警察に捕まるよ、という法改正をしました。

「準備行為をしたら」
これについては、後で出てきますので。

これによって、さっき申し上げたような、多数の無実の方が亡くなるようなテロを、起こる前に防ぐ、と、いうことができるし、TOC条約に日本もこれで入ることができる。

テロ対策にならない。単独犯には無関係。単発にも無関係。
対象犯罪のほとんどがテロと無関係。
TOC条約はテロ対策でない。

2:32 

TOC条約締結に法整備は必要か
野党の中で特に民進党のみなさんが、国会の審議で、法改正しなくてもね、入れる、とおっしゃってるんですが、ま、だったらですね、自分たちが政権とってた3年3か月の間に、入ってれば良かったんですね。
入んなかったわけです。
それに対して、「なぜですか?」。説明有りません。
つまり、彼らは、自分たちが政府与党のときにもおんなじこと言ってた。
これについて、民進党は言い訳できないでしょう。

自分たちが政権になって三年もやってたのに、この条約に入ってないんですね。
今になって急にね、野党だから、責任が無いので、こんなのしなくたって入れるんだ、って言ってるんですが、実はやらないと入れないから、彼らが政権のときも入れなかった。
なので、今回、やることによって、入れるんですね。はい。
そういうことです。はい。

なぜ、民進党も「TOC条約に入るために共謀罪だ」と思っていたか?
法務省の官僚たちが、「共謀罪を4年以上の犯罪を対象に作らないと条約締結できないよ!」という大ウソを吹き込んだ結果、不勉強な政治家がそう思い込んだだけです。
民進党をかばう気はありません。
しかし、今の与党が正しいというわけではありません。
ウソなのです。



03:20
「内心の自由」を侵害するか?

えー、内心の自由が侵されるということは、これは有りません。

なぜかというと、あのぉ、今回の法律というのは、3つの要件が無ければ、そもそも捜査の対象、監視の対象にならない。
で、3つの要件って何かっていうと、

犯罪集団のメンバーにならなければいけない。
で、これは、普通の会社とか労働組合とか宗教団体、文化団体はいっさい含まれません。はい。
じゃ、犯罪集団ってなんですか、と。
わかりやすくいえば、暴力団。
メンバーになれば、それはそういう対象になるかも知れません。
しかし、多くの人はなってませんので(笑)、そういう人たちはまったく心配することはない。
「わかりやすくいえば、暴力団。」

日本は、暴力団大国なので、暴力団対策の法律も進んでいます。
暴力団対策法を根拠に、「暴力団」は「指定」されています。
そして、さまざま特別な取り扱いを受けています。
なぜ、「指定暴力団に限る」としないのでしょう?

組織的犯罪集団の定義はあいまいです。法人でなくても、団体の一部の団体でも、途中で性質が一変しても、認められます(政府の答弁)

「人権団体や環境保護団体も対象になる」と法務大臣も答弁しました。

同時に、今度は実際に具体的な犯罪を計画を、えぇ、しなければいけない、ということになります。
「だれかを殺そうとかなんとか」というですね、えぇ、いうことは、実際に、そういうことを計画をして、準備を、準備の行動をね、たとえばピストルを準備するとか、落とし穴を掘るとか、いろいろな準備行為が有るわけですけれども、そういうことをしなければ、そもそもそういう対象になりません。

「実際に具体的な犯罪を計画をしなければいけない」


条文には「計画」としか書いてません。「具体的な」と書いてあったとしてもおまじないです。
たとえば、殺人「人を殺した」(刑法199条)は目に見えます。未遂でも。
計画は、いくらでも解釈が可能です。今まで有った普通の犯罪とはまったく違うものなのです。

「準備を、準備の行動をね、たとえばピストルを準備するとか、落とし穴を掘るとか、いろいろな準備行為が有るわけですけれども、そういうことをしなければ、」

これと、条文のどこにも書いていない「テロ等準備罪」という言葉を聞くと、犯罪の準備をすると処罰されるのかな? と思いますよね?

問題1
ところが「計画」だけで犯罪が成立します。
与党議員などは「「計画」と「準備行為」両方あわせて構成要件(あとは実質的違法性と責任が有れば犯罪成立)だ」と言います。
しかし、これはウソです。
刑法を勉強したことのある人の常識で、処罰条件の書き方になっています。
処罰条件っていうのは、「それがあれば処罰しますという条件で、犯罪成立とは関係が無いもの」をいいます。
また、「だれか一人が準備行為をすれば良い」という答弁がされています。

問題2

たとえば、殺人の準備をして犯罪になるなら、たとえば、拳銃所持とか殺人予備でOKです。単独犯でもOKです。ご存じのように大昔からです。

改正案には、
「その計画に基づき資金又は物品の手配、関係場所の下見その他の計画をした犯罪を実行するための準備行為が行われたときは、」と書いて有ります。

「資金」「の手配」=拳銃を買うお金の準備、ナイフを買う準備、窃盗をするためのカバンを買うお金の準備でOK、ということです。
「その他」と書いてあるので、なんでもありです。

「犯罪と刑罰は、あらかじめ明確に法律で定めなければならない」という罪刑法定主義にも反します。(憲法31条で保障)

なんで、「窃盗」を出すの?と思ったあなた。
対象犯罪のほとんではテロでなく「等」なのです。窃盗も対象です。

条文などの資料は、他の投稿 → 
共謀罪って何なの?やばいの?やばくないの?

4:30
1億総監視社会になるか?

それから、あのぉ、監視社会になるんではないか、という、あのぉ、意見が、新聞等でおどっておりますけれども、

さも、新聞が大げさにさわいで、政権批判のための「ためにする批判」のように騒いでいるように聞こえますね。


あのぉ、一番わかりやすい話をします。

「わかりやすい話」と言われると、
「わかりやすく話してくれてありがたいな」とか
「『わかりやすい話』をわからない人はバカ。わかる自分は大丈夫。」と思っちゃう。

あのぉ、一人の人を24時間完全に、あのぉ、行動をですね、監視するためには、何人の捜査員が必要かというと、ま、これは、普通はですね、20人以上必要だと言われています。
そうしますとね(笑)
あの、よく、野党のみなさんが、1億総監視社会とかね、そういう、あのおおげさな言葉使ってるんですけども、一人の人間を行動監視するのに20人の捜査員必要だとすると、一億人監視するには、20億人ぐらい捜査員いないとできないですよね。
だから、要するに、そもそも無理なんです、そんなことは。
「日本にいるすべての人を同時に警察官目視個別の電話盗聴などで監視することは不可能」というのは、その通りです。
そんなことを言う人は、遠山さんがおっしゃる「わかりやすい話」がわからない人ですね。
そんなこと、普通のマスコミは誰も言っていないんです。

下は、法務大臣の答弁です。
「合意の手段を限定する方向は考えていない」
「メールやLINEでも合意が成立する」


ネット上のものは、ウェブのフォームに入力したものでもなんでも、傍受することさえできれば、コンピュータにおまかせで分析できます。
Googleとかで、なぜ検索したら該当のサイトがいっぱい出てくるかというと、日ごろからコンピューターが自動でリンクをたどって情報を集めているからです。
防犯カメラもデジタル化してます。変な方を向いている画像やいつもと違う化粧や服でも、誰かを特定するのは、今、そんなに難しいことではありません。

密告も有りますよ。
戦前も密告が横行したそうですからね。

尾行とか通常の通信傍受だって、あやしいと思った人に対してはできるわけです。
むしろ、狙い撃ちになるわけです。
遠慮して「あやしいと思った人」と言いましたが、「捜査したい人」「捕まえたい人」と言い換えることもできます。


そもそも、なぜ、「今回の法案だと監視社会になる」という人が多いのでしょうか?別に今回の法案は関係無いんじゃないの?

普通の犯罪は、結果や危険が起こってから犯罪成立です。
殺人なら、「人が死んだ」で既遂。(殺す故意だけど)「死んでない」が未遂。

その前の段階で監視しないと、立件できないのです。
今まで有った予備罪についても言えることですが、今回の法案は予備罪よりさらに前の段階(計画=共謀)で、かつ、対象犯罪が飛躍的に増えました。

5:25

警察が拡大解釈しないか?
今回の法律も、裁判所の令状が無ければ、あのぉ、警察がね、勝手に捜査とか、家宅捜索とか、あのぉ、できませんよ、というのが維持されておりますし、適正な捜査を確保するということが、法律の中に書かれました。
つまり、警察当局が悪用してね、国民の人権を侵害することが無いように、っていうのは、幾重にも何重にも歯止めがかけられておりますので、
幾重にも何重にも歯止めがかけられておりますので、」と。
最後に、言ったもの勝ちの、とどめの一言ですね。

裁判所は、警察が提出する資料しか見れません。
最近の却下率を見てみましょう。法律文化社のページから
(法律文化社は裁判官や弁護士、学者などが読む雑誌などを出版している有名な会社です)

捜査令状の却下率 0.08%

つまり、警察が捜査令状を請求した場合、10,000件に8回しか却下されていない、ということです。

【参考】
通常逮捕 0.04%
緊急逮捕 0.3%  

「適正な捜査を確保するということが、法律の中に書かれました。」

こんな「おまじない」に効果が有るでしょうか?
シートベルトが努力義務だったとき、安全を考えた人は別として、「義務だから着用する」という人がいたでしょうか?



遠山議員が、あえてこのような話し方、このような内容で、このような法律を通そうと、支持者に訴えるべく、動画を作成して、Facebookに投稿がされたのはなぜでしょうか?
まったく、疑問が無い、立ち止まって考える必要の無い法案だと思われますでしょうか?

なお、共謀罪について、今回の法案を含めて、基本から解説する投稿をしました。

共謀罪って何なの?やばいの?やばくないの?


よろしければこちらもお読みいただければ、と思います。
資料のリンクの用意も有ります。




共謀罪って何なの?やばいの?やばくないの?

公明党の遠山清彦衆議院議員がしている法案成立直前の説明動画についての解説も書きました。




2017年1月10日の投稿に、大幅に改訂を施しました。

資料
国際組織犯罪防止条約
 外務省サイト。訳文PDFと説明書PDFのリンクが有ります。
2月28日時点の法案のPDF (この後、組織的犯罪集団の(意味の無い)例示が足された)
現行の組織犯罪処罰法 政府サイト。
最後に、共謀罪をもろに定める条文についてのみ、このブログの中にテキストで載せました。
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なぜ、共謀罪を創設しようとするのか?


ある条約がきっかけです。

略称:国際組織犯罪防止条約
正式名称:国際的な組織犯罪の防止に関する国際連合条約
外務省のWEBページ
英語名:Convention against Transnational Organized Crime

別名:跨国組織犯罪条約、越境組織犯罪条約
(transnationalの訳として「跨国」「越境」が良いとの意見から。internationalと違うから)。

条約の目的
第一条 目的
この条約の目的は、一層効果的に国際的な組織犯罪を防止し及びこれと戦うための協力を促進することにある。

条約でいう「組織的な犯罪集団」ですが。

第2条 
(a) 「組織的な犯罪集団」とは、三人以上の者から成る組織された集団であって、一定の期間存在し、かつ、金銭的利益その他の物質的利益を直接又は間接に得るため一又は二以上の重大な犯罪又はこの条約に従って定められる犯罪を行うことを目的として一体として行動するものをいう。
 
マフィアや日本の暴力団などの組織犯罪を想定しています。
マネーロンダリングなどは、国をまたがってやるのが、ばれにくいのです。 

2000年11月15日に第55回国連総会で決議されました。
現在、187ヵ国が批准しています。(国連加盟国は193ヵ国)

日本は2003年5月に国会で批准について承認しましたが、国内法の未整備を理由に批准していません。

「この条約を締結するために、法整備(共謀罪創設)が必要」というのが、政府の言う理由でした。

今回、2017年1月、通常国会(毎年開会される定例の国会)に、内閣提出法案とする方針が、発表されました。
理由は、「2020年の東京オリンピックに向けた、テロ対策のため」だそうです。
あれ?テロ対策? 

ちなみに、テロ対策で作成された条約は、別に、13有りまして(外務省サイト「テロ防止関連諸条約について」)、日本は、13すべて締結しています。そして、この条約に即した法整備も終わっています。



それでは、共謀罪とは何か?」をおさらいしましょう。(ちょっとむずいですけど )

共謀罪って、何なの?


ざっくり言うと
「だれかとだれかが、犯罪の実行を相談すると、犯罪になる」っていうことです。
(2017年通常国会提出法案では 「計画した」と書かれています。)(追記)

善良な市民の方々は、
「犯罪の相談なんて、物騒だね。相談そのものも犯罪として取り締まって刑罰で懲らしめなきゃだめだね」
と思うでしょう。
当然でしょう。

いったい、何が問題なんでしょうね?

共謀罪っていうのは、今の日本の刑法学の体系(ドイツやフランスなどの国も同じ)からは、本来、認められないものなのです。(従来の政府見解も同じ)


まず、基本

そもそも、刑法では、どういうのが犯罪になっているの?


「殺人」「窃盗」「通貨偽造」とかおなじみですね。(なじみたくないけど(;^_^A  )


刑法

(通貨偽造及び行使等)
第百四十八条  行使の目的で、通用する貨幣、紙幣又は銀行券を偽造し、又は変造した者は、無期又は三年以上の懲役に処する。
2  偽造又は変造の貨幣、紙幣又は銀行券を行使し、又は行使の目的で人に交付し、若しくは輸入した者も、前項と同様とする。
(殺人)
第百九十九条  人を殺した者は、死刑又は無期若しくは五年以上の懲役に処する。
(窃盗)
第二百三十五条  他人の財物を窃取した者は、窃盗の罪とし、十年以下の懲役又は五十万円以下の罰金に処する。


他に
「予備罪」「未遂罪」とかがありますね。
「共犯」(教唆犯(きょうさはん)とか幇助犯(ほうじょはん))っていうのもあります。


「何が犯罪として法律で決まっているのか」というのに「構成要件」という言葉を使います。
(ざっくりした説明です。刑法総論で、刑法学の基礎の考え方の違いから、「構成要件」が具体的に何を意味するかは、ものすごくたくさん考え方があります。)

「殺人」「窃盗」「通貨偽造」とかを基本的構成要件といいます。
「殺人未遂」「殺人予備」「殺人教唆」「殺人幇助」は、修正された構成要件といいます。



条文はどうなっているのでしょうか?


まず、未遂予備

刑法

第一編 総則

   第八章 未遂罪

(未遂減免)
第四十三条  犯罪の実行に着手してこれを遂げなかった者は、その刑を減軽することができる。ただし、自己の意思により犯罪を中止したときは、その刑を減軽し、又は免除する。
(未遂罪)
第四十四条  未遂を罰する場合は、各本条で定める。

43条 本文(「ただし、」の手前まで)が普通の未遂犯(障害未遂)
43条 ただし書き(「ただし、~」)は、中止犯。中止犯の説明は省きます。

減軽は、「減刑」と別の意味です。
「減刑」は確定した判決で決まった刑罰を軽くすること。(恩赦の一種)(恩赦法)
「減軽」は、判決を出すときに、法定刑を軽い刑にすること。
(減軽の方法は総則 第13章 加重減軽の方法(68条~72条)。)

44条に書いてあるように、未遂犯は個別の規定があります。

たとえば、殺人罪。

第二編 罪

   第二十六章 殺人の罪

(殺人)
第百九十九条  人を殺した者は、死刑又は無期若しくは五年以上の懲役に処する。
第二百条  削除
(予備)
第二百一条  第百九十九条の罪を犯す目的で、その予備をした者は、二年以下の懲役に処する。ただし、情状により、その刑を免除することができる。
(自殺関与及び同意殺人)
第二百二条  (省略)
(未遂罪)
第二百三条  第百九十九条及び前条の罪の未遂は、罰する。

201条に、199条(殺人)の場合の予備。予備罪は、予備罪で条文が有ります。
203条に、199条(殺人)の場合の未遂。199条を修正する形で条文が有りますね。。
このように、いちいち条文が無いと、既遂の場合しか処罰できません。(罪刑法定主義から)

罪刑法定主義=犯罪とそれに対応する刑罰について、(国会で作る)法律で、あらかじめ(後からはだめ)明確に定めなければならない。
民主的に決める趣旨と、国民の自由を不当に奪わない趣旨です。
憲法31条は、刑事手続きの適正を国家に義務付けますが、刑事訴訟手続きだけでなく、何が犯罪になり、どの刑罰が適用されるか(実体的デュープロセス)まで含む趣旨と解釈されます。

予備罪は、ちょっとしかなくて、未遂も少ないです。
未遂は重大な犯罪だけで、予備まであるのは、ちょー重大な犯罪だけです。

数   予備・未遂・既遂<未遂・既遂<既遂だけ
重大さ 予備・未遂・既遂>未遂・既遂>既遂だけ

基本的構成要件と直接関係無く、何かの準備をすると犯罪になるもの(凶器準備集合罪など)があります。(今回の法案の準備行為とは違います)

ちなみに、この凶器準備集合罪も、1958年、60年安保闘争に備えて作った、やばい系の条文です。
うわべの目的は、暴力団や過激政治団体同士の抗争を取り締まるため、と。
戦後も、うそついた過去があったのね。あったのね。


共犯は総則にまとめて書いてあります。

第一編 総則

   第十一章 共犯

(共同正犯)
第六十条  二人以上共同して犯罪を実行した者は、すべて正犯とする。
(教唆)
第六十一条  人を教唆して犯罪を実行させた者には、正犯の刑を科する。
2  教唆者を教唆した者についても、前項と同様とする。
(幇助)
第六十二条  正犯を幇助した者は、従犯とする。
2  従犯を教唆した者には、従犯の刑を科する。
(従犯減軽)
第六十三条  従犯の刑は、正犯の刑を減軽する。
(教唆及び幇助の処罰の制限)
第六十四条  拘留又は科料のみに処すべき罪の教唆者及び従犯は、特別の規定がなければ、罰しない。
(身分犯の共犯)
第六十五条  (省略)

60条は、「共同正犯」 (犯罪を共同して実行した場合)いっしょに実行する人が共同正犯
61条は、「教唆犯」(きょうさはん) (他人に教えたりそそのかしたりして、犯罪実行を決意させて、その人が実行した場合)
教唆した人を教唆する場合も同じ。
62条は、「幇助犯(ほうじょはん)(従犯)」 (犯罪を自分で決意して実行する人、を助けること)
2項は、他人に、幇助犯をすることを決意させて幇助を実行させた場合。
63条は、幇助犯の刑 (実行犯の法定刑を減軽する)
64条は、軽い犯罪(拘留または科料の罪)は、教唆と幇助を、原則処罰しない、と。
65条は、その人じゃなきゃできない犯罪(収賄とか横領とか)の共犯についてです。


共犯(共同正犯を含む)も60条~65条に書いてあるから、処罰できるわけですが(罪刑法定主義)、
予備とか未遂などのように、個別の犯罪について、いちいち書くのではなくて、刑法 第一編 総則に書くだけです。
(自殺関与(自殺教唆、幇助)のような特殊なものもある)

この刑法の総則は、「刑法」という法律だけでなく、犯罪と刑罰を定めている他の法令にも適用されます。

(他の法令の罪に対する適用)
第八条  この編の規定は、他の法令の罪についても、適用する。ただし、その法令に特別の規定があるときは、この限りでない。


未遂、予備のポイント


既遂とは、何が違うのか、です。
既遂は、結果が出ちゃってるのです。
殺人だと、死んじゃった。(死んでないと未遂。)
放火だと、燃えちゃってて、人や財産がすごく危険。(危険が発生していないと未遂。)

内心の計画  →  準備的行為 →  実行の着手  →結果の発生
罰則なし     (あれば)予備罪  (あれば)未遂罪    既遂

法益侵害が発生した(既遂)か、重大な法益侵害の危険が大きくなったとき(未遂など)のときに、処罰する必要が有ります。

それに、犯罪は、結果が出てないと、外から見て、わからないんです。
結果が同じように出ていてもわからない場合がありますが。(例:過失致死と傷害致死と殺人)

他人をナイフで刺したとしましょう。
相手は重傷を負ったけど死ななかった。
傷害の故意しか無ければ、傷害罪。殺人の故意が有れば、殺人未遂罪。

故意が有ったか無かったかで判断するしかないんです。
自白に頼るのはまずいし、外から見ても、本気だったかどうかなんて、なかなかわからないですね。

予備罪なんて、もっとシビアです。
人を殺すためにナイフを買った。これで成立です。
(長いナイフを買って銃刀法違反は別の話)
身代金目当てに誘拐(略取)する社長さんがいる家の周辺を、社長さんをしばるロープを車に積んで下見した。これで、身の代金目的略取予備(228条の3)。

ミリオタやサバイバルオタが趣味でナイフを買ったのかもしれないし、ドライブしてただけかもしれませんよ?
なんで、そんなのわかります?

警察官が、危ないと思った人(挙動不審な人)に、職務質問して(警察官職務執行法)、「所持品を見せてね」とか言って、「何だこのナイフは?」とか、「なんでこの辺うろうろしてるの?」「なんで理由言えないの?」「あやしいな」「ちょっと、署で詳しく話を聞かせてくれない?」とか言って、連れてっちゃって、自白をせまるしかない。
たまたま会ったんじゃなくて、あやしいと思う人を尾行していたかもしれません。

無理に判断しようとすれば、権力が横暴になるしかないのです。



共犯のポイント

共犯は二つに分けて考える必要があります。

共同正犯と、教唆、幇助です。

共同正犯は、「正犯」という言葉通り、実行犯なのです。
教唆は教唆しかしていないし、幇助は、幇助の実行はしてるけど(ややこしい)、正犯のやる「犯罪の実行」はしていませんね。

共同正犯が、普通の正犯と違うのは、全部を共同実行する意思で一部しか実行していない点です。
実行してるから「正犯」なんですが、その点違うので、広い意味で「共犯」に含めています。
ああ、ややこしい。
この辺、法学部の学生でもつまづくところなので、気にしないでください。

(未遂と共犯がからむと、すごく難しい試験問題のできあがり(^▽^)/ )


共同正犯も、教唆と幇助も、基本的構成要件を修正して、拡げている点、同じですね。

共同正犯は、他の共同正犯者の存在が前提になります。
教唆、幇助は、実行犯(正犯)の存在が前提になります。
実行犯(正犯)がいない=まだ、犯罪を実行する人がいない段階で、教唆とか幇助とかを罰することはできません。


ちなみに、判例は、戦前の昔から、「共謀共同正犯」という、修正された構成要件を認めてきました。
「「共謀」に加わった者は、全部、共同正犯だ」と言うのです。
自分が実行していなくても、「共謀」すると「正犯」だというのです。
実務では、共犯事件の多くが、「共謀共同正犯」として処理されています。
この判例には批判も多いですが、認めるにしても、厳格さが要求されます。
「黒幕とかを重く処罰したいなぁ」という欲求を満たしたかったらしいのですが、どんどん広く、限定されずに認める場合が増えています。(やばいですね)

教唆犯も、共謀に加わっただけのものも、教唆をした事実共謀をした事実の証拠が無いと有罪にできませんよね?
これはどうやって調べるんでしょうか?

自白だけを証拠にして有罪にしてはいけません。(憲法38条3項、刑事訴訟法319条2項)(補強法則)
アメリカでは、共犯者の自白にも補強法則が必要としていますが、日本では条文が無くて、判例は、共犯者の自白は、自白だけで証拠になるとしています。

つまり、共犯者(とされる人)(実行犯を含む)を追及すれば、チクられた人を有罪にし放題。
自分だけが有罪になるのがいやな人は、他人を道連れにし放題になります。


司法取引を定めた刑事訴訟法改正が2018年までに施行される予定です。
「司法取引」=捜査に協力すると、求刑を軽くしてもらったり、起訴を取り下げてもらったりできる。
よけいに、チクり放題になるでしょうね。

もともと、自首すると、「刑を減軽することができる」(刑法42条)のですが、
今回の法案では、共謀罪を定めるのと同じ条文に、
「実行に着手する前に自首した者は、その刑を減軽し、又は免除する。」と書いてあります。
つまり、自分はまったくの無傷で、計画の事実が無かったとしても他人を告発して有罪にできちゃうのです。



この「共謀共同正犯」の場合でも、実行犯がいないと(殺人罪なら、人が人を殺さないと)、認められません。



そして、共謀罪


共謀罪は、犯罪の相談をすると、犯罪成立です。

殺人とか詐欺とかが実行される必要はありません。

予備罪よりも前です。(今回の法案にある準備行為予備よりも前の話です。)

今回の法案(組織犯罪処罰法 改正案)

ちなみに「テロ」(和訳など含む)とか「テロ等準備罪」という言葉は条文のどこにも有りません。 今回の改正案では、前の提案とは違う点があります。
・「団体」→「組織的犯罪集団」
・「共謀」→「計画」 
・共謀だけ→共謀だけでなく、準備行為も必要。
・「法定刑が四年以上の懲役・禁錮の罪」(600以上) → 277



法務省がいろいろと「理解」を求める文章(言い訳?)が、公式WEBに書いてあって、PDFのリンクが4つ張られています。


「組織的犯罪集団」


=「団体のうち、その結合関係の基礎としての共同の目的が別表第三に掲げる罪を実行することにあるもの」


「組織的犯罪集団」といっても、法務大臣の答弁で有ったように「結成当時からでなくても良い」とか解釈されたら、変わらないし。

「暴力団対策法」とかが、いろいろと限定をして、暴力団として指定してたりするのとは全然違う。
(限定していても、批判はあるが)
結局は、どんな団体でもいける可能性が出てくる。(会社、福祉団体、学校、労働組合、政党、宗教団体など)

今度の「組織的犯罪集団」ですが、比較される治安維持法の「国体ヲ変革スルコトヲ目的トシテ結社」に比べれば、はるかに広い。

「計画」

「二人以上で共謀した」を「二人以上で計画した」に変えました。

「共謀」を「計画」に言い換えても、実質的には同じ。
なのに、なぜ変えたのか。

「準備行為」

 共謀だけよりは、準備行為(表現行為)というものが見えるものが有る方が良い(アメリカの共謀罪もこういうもの)。一応ね。

 法案の条文ではその計画をした者のいずれかによりその計画に基づき資金又は物品の手配、関係場所の下見その他の計画をした犯罪を実行するための準備行為が行われたときは、」と書いてあって、
問題がいっぱい。
1.準備行為とは予備よりもっと前の(犯罪に使う物とかの準備よりもっと前の)資金の手配とかでも 認められる。「その他」と書いてあるから、限定が無い
2.この準備行為が、条文の書き方(「~準備行為が行われたときは」)の常識から処罰条件とされること。
つまり、準備行為が行われなくても犯罪は成立する。
処罰するかどうかは準備行為が行われたかどうか。
3.この準備行為は、共謀した中のだれか一人が行えば、それで条件がととのっちゃいます。

何も法益侵害の危険が無い段階(=相談だけの(結果や危険を招く行為をしていない)段階)で、犯罪として取り締まったら、何でもありでしょっ。
日本の刑法学の体系が、「行為」を犯罪としているのは、そのためです。


277って多すぎでしょっ 


今まで、予備も未遂も処罰が無かった多くの犯罪が該当します。
窃盗とかも入ってます。

今回の法案提出前の議論で600以上と言っていました。
「4年以上の懲役を定める犯罪」(条約2条(b)「重大な犯罪」の基準)ということです。

国際組織犯罪に限定しないで共謀罪を創設するのは、条約34条2項の要求だと法務省は言う。

第三十四条 条約の実施
1 締約国は、この条約に定める義務の履行を確保するため、自国の国内法の基本原則に従って、必要な措置(立法上及び行政上の措置を含む。)をとる。
2 第五条、第六条、第八条及び第二十三条の規定に従って定められる犯罪については、各締約国の国内法において、第三条1に定める国際的な性質又は組織的な犯罪集団の関与とは関係なく定める。ただし、第五条の規定により組織的な犯罪集団の関与が要求される場合は、この限りでない。
3 締約国は、国際的な組織犯罪を防止し及びこれと戦うため、この条約に定める措置よりも精細な又は厳しい措置をとることができる。

しかし、法務省の言うことは、「公的記録のための解釈的注」に明確に反する。

1項で、、国内法の原則に従って国内法化すれば良い。(共謀罪は、日本の刑法の原則に反するというのが従来の政府見解でもある)。つまり、共謀罪を無理やり創設しなくても良い。
条約批准にあたって、ドイツ、フランスなどは共謀罪を創設してない。
参加罪があります。参加罪は共謀罪と違います。法務省は、資料を出して、ドイツもフランスもいっしょだぞと言いたいみたいですが(言ってはいません。ずるい)


国内法化するにあたって、国をまたがったものに限定するのは、支障は無くて、条約の趣旨からは望ましい。
そして、国内法の原則にあわないものを無理に採用しないことの根拠になる。

セントクリストファー・ネイビス(カリブ海の国)で、条約批准と同時に共謀罪を、なんの留保もつけずに、越境犯罪に限定して、創設しました。締約国会議では全然問題にされていません。

結局、277になりました。
過失犯など共謀が有り得ない犯罪を抜いただけです。
実質、同じです!!!!

※提出予定法案にある共謀罪が設けられることになる犯罪
東京新聞政治部作成のリスト(ツイッター)
朝日新聞サイト 東京新聞サイト
テロと関係無い犯罪がすごくいっぱいあるじゃんね。

テロ等の「等」がほとんどじゃないかっ!


じゃあ、最初の案はまずかったと認めるのね。
少なくしても、テロ対策に支障は無いってことね。
「条約に反する」って言ってたのもウソだったのね
なめんなよ

減らしたからバランスとれた?公明党がブレーキ?
何も変わっていないじゃないか。
偽善者め!


さて、
共謀罪は、捜査手法とも関係します。


予備罪や共犯をおさらいしたのでわかるように、予備、準備より前の共謀の時点、さらに、共謀した後準備した時点で、立件するのは、あやしいと決めつけた奴を捜査して初めてできることです。
通信傍受法(捜査機関が捜査のために盗聴できる法律)は、最近(2016年5月)、改正されて(12月1日施行)、
・薬物犯罪、銃器犯罪、集団密航、組織的殺人
(追加)→ 財産犯(窃盗、強盗、詐欺、恐喝)、殺人、傷害、傷害致死、現住建造物等放火、爆発物使用などの殺傷、逮捕・監禁、略取・誘拐、児童ポルノの提供
盗聴の数:年間数十件 → 年間数百件(専門家の予測)

・東京の通信事業者施設一か所で行い、通信業者の立会が必要→都道府県警で行うことができ、立会不要に。(この方法は3年以内に準備ができたら開始)
データを県警本部に伝送して行う。
伝送されたデータに限っては、全部聞き放題になってしまいます(憲法21条2項(通信の秘密)違反)

「組織的犯罪集団」の一員でなくても、傍受し放題です。
捜査機関は、組織的犯罪集団の一員とわかっている人と話している相手方も、組織的犯罪集団の一員かもしれないし、協力者かもしれない、と思いますしね。

今までと違って、窃盗の疑いも盗聴できちゃいますから。
そもそも、電話の盗聴とかメールやLINEの盗聴とか、聞いてみて見てみて初めて、犯罪捜査の対象になるかどうかがわかりますから。

前から今後も裁判官の発する令状(捜査関係の令状は、命令状でなく許可状)は必要ですが、よほどでなければ、許可すべきでない捜査かどうか、盗聴の場合、わからないでしょう。
他の令状も、警察などに請求されて、出されないことは滅多に無いのに。

法律なく、令状なしで、勝手にGPS発信器を車にくっつけちゃう警察さんがやることですよ?

昔より格段に性能の良い防犯カメラが大量に有って、 
マイナンバーが有って、
たくさんのデータのたくわえがあって、
昔より格段に性能の良いコンピュータが有って、
大量のデータを、目的に沿って、解析してくれる。

データにアクセスさえできれば、
人間がぼけっとしてても、コンピュータまかせで、かなり細かいこと(人の外見、健康状態、発言、思想、どこにいて、何をしたか)を把握することが可能です。 


刑法でどういうことが犯罪の対象になるかの問題が大きいのは、もちろんですが、捜査の過程で多くの“一般市民”のプライバシーが侵害される危険があるのが、共謀罪です。

なぜ、上の文中で、“一般人” “一般市民”というように、「“ ”」でくくるのかというと、そもそも、捜査機関から見て、犯罪者と一般人の区別って、いったい何よ?って話があるからです。



日本政府と政権与党のしたいことの本音は?


多くの国が、国連主導の条約を誠実に批准しています。そして法整備をしています。
人権条約も、このような人権を制限する条約もです。

日本は、人権条約の選択議定書は批准せず、国連の勧告を無視して法整備をせず、裁判でも重視されない(無視?)傾向があります。
代用監獄制度の廃止をしないとか、ヘイトスピーチを犯罪として規制する法律を作らない、秘密保護法の情報アクセスへの制限を広く認めるとか、夫婦同姓強制を改正しないとか。

「国民を守る」と言うなら、国が国民を取り締まる法律より先に、人権を守るための法律が先でしょう?

こういう「国際組織犯罪防止条約」のような国民の人権を制限する条約については、条約を批准する前に、
テロ対策という、国民に受け入れられやすい理由で、国民の不安をあおって、
積極的に立法しようとする態度、バランス感覚を見て、
なんかおかしくね?
とは思いませんか?

今もテロ対策には十分な、予備や準備段階を犯罪として取り締まる法律たくさん有るのに。

共謀、予備などで、現行法で整備されているものの数を整理

共謀罪 15  (実はちょっと有ったりする)(秘密保護法、自衛隊法など)
陰謀罪  8  (共謀罪に似てます)
予備罪 40
準備罪  9

合計 72

組織犯罪集団関連の主要犯罪については、予備段階での処罰できる体制が万全(すぎ?)です。

 テロ対策の13の条約は、ちゃんと批准してるしね。
外務省サイト、テロ防止関連諸条約について
 
ところで、昔から共謀罪がいっぱい有る、アメリカやイギリスで、テロってなかったっけ?防げてた?
 
っつーかさ。今まで後回しにしたりできたのは何だったのだ。(条約ができてから15年以上、国会承認してから13年以上)。
その間、テロが有ったら大変なのは変わらないのに、国民の反対を理由にのんきにしてたの?
前よりも要件を(言い回しだけ?)絞ったら安心、って、おかしくない?
じゃあ、やっぱり最初の法案はやばかったんじゃない?
(今回のならやばくない、とは言いません)

イギリスアメリカがこの条約に合わせて何か国内法を整備したか?というとしてません。
もともと共謀罪が有るからでしょうか?

共謀罪が無い(体系上無理)、ドイツフランスがこの条約に合わせて何か国内法を整備したか?というとしてません!!(参加罪という、ちょっと似てるけど、全然違うものはあります)

なぜ、日本だけ?


「共謀罪」か「テロ等準備罪」か

首相「これを『共謀罪』と呼ぶのは全くの誤りだ」国会の答弁で言いました。
組織犯罪集団に限定して、準備行為がある場合に限定するからだそうです。
名前も「テロ等準備罪」にするということでした。
しかし、条文に「テロ」という言葉はどこにも出てきません。 
対象犯罪の大多数はテロと無関係です。

組織犯罪集団に限定しても、共謀罪は共謀罪です。
「計画」と書いても、共謀罪です。
準備行為(表現行為)を要件とするのは、アメリカの共謀罪と同じです。
どうして、共謀罪と呼ぶのが誤り(まちがい)なのか、全然わかりません。

呼び方を変える理由は、
国民をだまくらかす目的以外には考えられません。

ほとんどのメディアが共謀罪と呼ぶのに対して、一部のメディアが「テロ等準備罪」と呼びますが、国民をだます政府の共犯者です。

「国民のため」「社会のため」「世界平和のため」と言って、結局のところ、その内実は、本来、目的であるはずの人間一人一人を国家のための道具として見て、やっているということは、過去の歴史を少しでも学んだことが有る者には、バレバレなのだ。


資料--------------------------------------------

2017年通常国会提出の法案(組織犯罪処罰法改正案)の条文の中、もろ共謀罪についての条文を載せます。

第六条の次に次の一条を加える。

(実行準備行為を伴う組織的犯罪集団による重大犯罪遂行の計画)

第六条の二 次の各号に掲げる罪に当たる行為で、組織的犯罪集団(団体のうち、その結合関係の基礎としての共同の目的が別表第三に掲げる罪を実行することにあるものをいう。次項において同じ。)の団体の活動として、当該行為を実行するための組織により行われるものの遂行を二人以上で計画した者は、その計画をした者のいずれかによりその計画に基づき資金又は物品の手配、関係場所の下見その他の計画をした犯罪を実行するための準備行為が行われたときは、当該各号に定める刑に処する。ただし、実行に着手する前に自首した者は、その刑を減軽し、又は免除する。

一 別表第四に掲げる罪のうち、死刑又は無期若しくは長期十年を超える懲役若しくは禁錮の刑が定められているもの 五年以下の懲役または禁錮

二 別表第四に掲げる罪のうち、長期四年以上十年以下の懲役又は禁錮の刑が定められているもの 二年以下の懲役又は禁錮

2 前項各号に掲げる罪に当たる行為で、組織的犯罪集団に不正権益を得させ、又は組織的犯罪集団の不正権益を維持し、若しくは拡大する目的で行われるものの遂行を二人以上で計画した者も、その計画をした者のいずれかによりその計画に基づき資金又は物品の手配、関係場所の下見その他の計画をした犯罪を実行するための準備行為が行われたときは、同項と同様とする。


2月28日時点の法案のPDF (この後、組織的犯罪集団の(意味の無い)例示が足された)「テロリズム集団その他の組織的犯罪集団」
現行の組織犯罪処罰法 政府サイト。

国際組織犯罪防止条約 外務省サイト。訳文PDFと説明書PDFのリンクが有ります。 

------------------------------------


なお、今回、共謀罪の背景、国際組織犯罪防止条約についてなど、下の本を参考にさせていただいたことが多く有りました。
お礼を述べさせていただくとともに、紹介いたします。
以前から、共謀罪について(反対する趣旨で)取り組んで来られた方々の共著です。

この本は、わかりやすく、詳しく書いてありますが、少し難しいかもしれません。




↓ 最近のもの(今国会提出法案を踏まえている)で、詳しいものです。



↓ 2017年5月20日発売予定
岩波ブックレットなので、安くて薄いです(^▽^)/






 

「三権分立」って、何だか本当に知ってる?

最初、2016年2月17日に投稿の記事ですが、大幅に加筆・修正しました。(2017/3/30)



小学校高学年でも習った、三権分立の話です。
立法権行政権司法権の三権 。
国会内閣裁判所が持っていて、

「ジャンケンみたいな三すくみを両方向でやっている」「バランスをとっている」って理解だと思います。合ってます。


ここで質問です。

なぜ、バランスをとってまで分ける必要があるのでしょう?

そもそも、分けた3つの権限の意味を知っていますか?


歴史に沿って、順番に説明します。


歴史的に少しずつ変わったことなので、歴史に沿って考えると、わかりやすいです。

でも、本当の歴史は複雑なので、ちょっとシンプルにして説明します。

だからと言ってウソはつきませんので、安心して下さい。


独裁者の王様がいました。

気に入らない人は犯罪者。

税金を取りたくなったら取る。

それでは困ります。


ですから、

みんなで話し合って決めて(法律を作って)、
それを王様に守ってもらいましょう。

となりました。

まず、行政から立法が別れました。

立法権は、「法律を作る権限」ですが、法律は「国民の権利義務を定めるもの」です。

議会が作る「法律」以外に、国民の権利義務を定めるものを認めたら、何の意味もなくなります。(王様のやりたい放題になる)


日本国憲法41条を見てみましょう。


第四十一条  国会は、国権の最高機関であつて、国の唯一の立法機関である。


「『唯一の』立法機関」って書いてあるでしょう?
この41条は、こういう深い意味があるのです。

そうでなければ、「国会が法律を作る所」って、ただの説明文になっちゃう。


このように、法律でもって、行政をコントロールするという考えを「法治主義」といいます。

「法治主義」と「法の支配」については、「法治国家」って、国家が、国民に法律を守らせてる国家、だと思ってる?に書きました。

王様が勝手に決めると困ることとして例にあげた
犯罪と刑罰税金のことも、憲法の条文に書いてあります。

刑事手続きでの、適正手続きの保障罪刑法定主義を含む)。(他にも細かい刑事手続きの条文が有
ります。)

第三十一条  何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない。



第七章 財政は、財政を国会がコントロールすること(
財政立憲主義)が基本で書かれている。83条は原則。
84条は、租税法律主義


    第七章 財政 第八十三条  国の財政を処理する権限は、国会の議決に基いて、これを行使しなければならない。 第八十四条  あらたに租税を課し、又は現行の租税を変更するには、法律又は法律の定める条件によることを必要とする。 第八十五条  国費を支出し、又は国が債務を負担するには、国会の議決に基くことを必要とする。 第八十六条  内閣は、毎会計年度の予算を作成し、国会に提出して、その審議を受け議決を経なければならない。 第八十七条  予見し難い予算の不足に充てるため、国会の議決に基いて予備費を設け、内閣の責任でこれを支出することができる。 2  すべて予備費の支出については、内閣は、事後に国会の承諾を得なければならない。 第八十八条  すべて皇室財産は、国に属する。すべて皇室の費用は、予算に計上して国会の議決を経なければならない。 第八十九条  公金その他の公の財産は、宗教上の組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため、又は公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業に対し、これを支出し、又はその利用に供してはならない。 第九十条  国の収入支出の決算は、すべて毎年会計検査院がこれを検査し、内閣は、次の年度に、その検査報告とともに、これを国会に提出しなければならない。 2  会計検査院の組織及び権限は、法律でこれを定める。 第九十一条  内閣は、国会及び国民に対し、定期に、少くとも毎年一回、国の財政状況について報告しなければならない。
第八十三条  国の財政を処理する権限は、国会の議決に基いて、これを行使しなければならない。
第八十四条  あらたに租税を課し、又は現行の租税を変更するには、法律又は法律の定める条件によることを必要とする。
第八十五条  国費を支出し、又は国が債務を負担するには、国会の議決に基くことを必要とする。
第八十六条  内閣は、毎会計年度の予算を作成し、国会に提出して、その審議を受け議決を経なければならない。
第八十七条  予見し難い予算の不足に充てるため、国会の議決に基いて予備費を設け、内閣の責任でこれを支出することができる。
2  すべて予備費の支出については、内閣は、事後に国会の承諾を得なければならない。
第八十八条  すべて皇室財産は、国に属する。すべて皇室の費用は、予算に計上して国会の議決を経なければならない。
第八十九条  公金その他の公の財産は、宗教上の組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため、又は公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業に対し、これを支出し、又はその利用に供してはならない。
第九十条  国の収入支出の決算は、すべて毎年会計検査院がこれを検査し、内閣は、次の年度に、その検査報告とともに、これを国会に提出しなければならない。
2  会計検査院の組織及び権限は、法律でこれを定める。
第九十一条  内閣は、国会及び国民に対し、定期に、少くとも毎年一回、国の財政状況について報告しなければならない。



ところで、頭の良い人なら、すぐ気付きます。

ルールを作っても、チェックをしなければ、意味が無い。


議会ももちろんチェックはしますが、他に、チェックをする所が必要です。

それが、司法権です。裁判所です。

第七十六条 すべて司法権は、最高裁判所及び法律の定めるところにより設置する下級裁判所に属する。
2 特別裁判所は、これを設置することができない。行政機関は、終審として裁判を行ふことができない。
3 すべて裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される。


裁判所は昔から有りましたが、王様の言うことを聞かない裁判所を作ったのです。(司法権の独立)

王様を従えさせる裁判所を作ったのです。(法の支配)


裁判所って、犯罪者を「こんにゃろう」ってする場所だと思っていますか?

違います。断言します。


法律にもとづいて(法を解釈適用して)、事件を解決しようとして、国や国民の権利関係最終的に判断して確定できるのが、司法権です。


難しい? (^_^;)


だから、

刑事裁判で、捜査機関が疑っていたり(被疑者)、逮捕したり、検察が起訴したり(被告人)しても、
有罪とか無罪とか、有罪としてどういう処分になるのか、は、裁判の手続きが有って、
最終的に裁判所が決めるのです。


民事もそう。

日本の裁判所は、よほど変な訴えでなくては、最初の訴えの時点で却下しません。

絶対に出ないような判決の結論(ものすごく高額な損害賠償や、ほぼ全く認められないような訴えなど)を想定して訴えることもできます。

後は、裁判の手続きがいろいろ有って、裁判所が決めます。


民事も刑事も、ただ、事実が有ったかどうかではなくて、法律を解釈する権限が裁判所にはあるのです。 「これが法だよ」と宣言できちゃうわけです。(法と法律は違ったりするのだった(;^_^A )
 

裁判は理屈でやってくれます。(そのはずです(^o^;  ) (英語で司法は justice です)

だから、裁判を受ける権利が、憲法で保障されているのです。


第三十二条  何人も、裁判所において裁判を受ける権利を奪はれない。
第三十七条  すべて刑事事件においては、被告人は、公平な裁判所の迅速な公開裁判を受ける権利を有する。
37条の2項3項は省略


「裁判されて吊るしあげられるのはいやだ」っていうのと、発想があべこべですよね?


ところで。

この司法権が裁判所に有る、ってことにも2つの大きな誤解が有ります。

1つは、前に書きました(地方裁判所は国の機関です。都道府県の機関ではないですよ(^o^) )が、どの裁判所も全部、国の機関であること。

2つ目は、司法権が有るのは最高裁判所だけでなく、裁判所全部に有る、ということ。(76条1項)

ちなみに
81条の違憲審査権も最高裁だけでなく全部の裁判所に有ります。
条文だけ読むと最高裁だけと誤解しそうですが、違憲審査権限有る裁判所で「終審裁判所」が最高裁だ、ということです。 


第八十一条  最高裁判所は、一切の法律、命令、規則又は処分が憲法に適合するかしないかを決定する権限を有する終審裁判所である。 

誤解していませんでしたか?


さて。
同じ法律でも、解釈の違いで、いろいろな事件にあてはめたときに、違いが出てきます。


裁判所も、一つの権力です。


裁判所の言うことなら絶対だなんて言っちゃいけません。

なぜ、憲法に、裁判は公開されなければならない(判決の前の審理(対審)については例外も少しだけ有ります。判決については例外が有りません。)と書いてあるのか?

第八十二条  裁判の対審及び判決は、公開法廷でこれを行ふ。

2  裁判所が、裁判官の全員一致で、公の秩序又は善良の風俗を害する虞があると決した場合には、対審は、公開しないでこれを行ふことができる。但し、政治犯罪、出版に関する犯罪又はこの憲法第三章で保障する国民の権利が問題となつてゐる事件の対審は、常にこれを公開しなければならない。


なぜ、フラッと行って、なんの受付も通らず、裁判をやっている部屋に入れるのか?

(傍聴の希望が特別に多いときは、入場整理券を、並んでゲットしなければだめ、ですが。)


裁判官がちゃんとやっているか、国民が監視できるようにするためです。
 

悪いやつが、やりこまれたり、言い訳するのを、見に行くためだと思っていませんでしたか?
それも自由ですが。(;^_^A


モンテスキューが、「司法権は恐ろしい権力だから、行政から分立させなければいけない」と大騒ぎしたから、三権分立があるのです。 


ところで、海難審判所とか、裁判そっくりのことやってるところは、あれって国土交通省の機関(つまり行政機関)でしょう?
行政機関が裁判ってやっていいの?

第七十六条  すべて司法権は、最高裁判所及び法律の定めるところにより設置する下級裁判所に属する。

2  特別裁判所は、これを設置することができない。行政機関は、終審として裁判を行ふことができない。

3  すべて裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される。


76条2項をもう一度見てみましょう。 

行政機関は、終審として裁判を行ふことができない。」って書いてあるでしょう?

つまり、「この審決じゃやだ」(抗告)を、最高裁の系列の裁判所(高等裁判所に)にすることができて、行政審判(行政機関のやる裁判)を最後にすることが強制でなければOKということです。。
なんで、最終的に一つの系列の司法機関に まとめるかというと、
三権分立の意味も当然有りますが(行政でないところが司法権を持つ)
法の下の平等が理由です。(司法が法を確定するので、たくさんの系列があると、統一した一つの法でなくなってしまうから)
(特別裁判所禁止も同じ理由です)

難しい?(;^_^A 

 
 


最後に行政権です。


今、見てきたように、「統治権から、立法権と司法権を引いた残り全部」が、行政権です。


行政権 = 統治権 - 立法権 - 司法権


一応、どんなことがメインなのか、憲法の条文を見てみましょう。
 

「国会が立法」、「司法が裁判所」と違って、行政は、内閣だけとは決まっていません。
でも、ほとんどの行政は、内閣が司令部になって、役所を動かしますので、内閣の条文を見ましょう。

第七十三条  内閣は、他の一般行政事務の外、左の事務を行ふ。

一  法律を誠実に執行し、国務を総理すること。

二  外交関係を処理すること。

三  条約を締結すること。但し、事前に、時宜によつては事後に、国会の承認を経ることを必要とする。

四  法律の定める基準に従ひ、官吏に関する事務を掌理すること。

五  予算を作成して国会に提出すること。

六  この憲法及び法律の規定を実施するために、政令を制定すること。但し、政令には、特にその法律の委任がある場合を除いては、罰則を設けることができない。

七  大赦、特赦、減刑、刑の執行の免除及び復権を決定すること。


どれも重要なんですが、行政の基本は一(1号と読みます)ですね。
法律を誠実に執行し、」です。
最初、西洋から近代憲法の考え方が入ってきたとき、「行法」と訳しました。この方がわかりやすいですよね(^▽^)/

最初の国会の説明のところで書きましたように、内閣は、国会の言う通りにしなければならない機関です。
勝手に内閣だけで決めて良いことって、無いんですね。
条文に「法律」とか「国会」っていう言葉が無いのって、2号と7号くらいでしょう?
(恩赦法という法律は有る)

でも、結局のところ、他のことも含めて内閣のやることはすべて国会に対して政治的責任を負っています。
(国会という国民の代表者を通して、国民に責任を負っています。)(法的責任とは違います。)
憲法の条文にも書いてあります。

第六十六条  

(1項と2項は省略) 

3  内閣は、行政権の行使について、国会に対し連帯して責任を負ふ。

 

閣議について

73条に有る内閣のお仕事、条約締結、予算案作成(「予算」と書いてますが「予算案」です)、政令制定、恩赦などなどは、内閣として決めるので、話し合って(閣議をやって)決めます。

最近、安倍内閣では、なんでもかんでも閣議決定する傾向が有りますが、憲法や法律に権限の根拠が有ること(上の例の条約締結とか)以外のことで、何か決定をしても、
内閣の意思表示の意味しか有りません。
「閣議決定しました」という報道を聞いて、何か権限を持って決めたことだと思ってはいけません。
権限が無ければ、
ただの意思表示なのです。
(実際、内閣の下の役所の人間が言うことを聞くことになるので、問題大ありですが)
そして、一応の権限有ることでも「国会と国会の決めた法律のコントロールの下に無ければいけない」という大原則は、変わらないのです。
(たとえば、条約締結も国会の承認が必要です73条3号)

法案の話も、内閣として法案を提出することを閣議で決めることができるだけで、「法案」は国会で話して決めるたたき台にしかなりません。
あくまでも、法律は国会が作ります。
政令は内閣が閣議で決めますが、憲法や法律に反する政令は無効です。

自由主義、立憲主義 と 権力分立(三権分立、地方自治)


 なお、フランス人権宣言は、「権力分立を定めていない憲法は、憲法じゃない」と言っています。

なんで人権宣言に?と思いますか?

「他人を害さない限り、国はほっとけ」という考え方(自由主義)からすると、
「権力が一つのところに集まっている政府は、何をやらかすかわからん」という心配があるからです。

だから、ただ、「分けました」だけではだめで、うまくバランスをとって、三権のうちどこか一つが強くならないようにしなければならないのです。 
バランスをとらないと、分けた意味が無いのです。 


三権分立は、統治権を内容で分けたのでした。

中央と地方で分けるのは、地方自治制度です。


三権分立も地方自治も、権力分立という同じくくりのもので、自由主義が根本です。





憲法とは?立憲主義とは?立憲民主制とは?民主主義とは? 知ってるつもり?

そもそも、「憲法って何よ?」って話です。


「憲法」にもいろいろありますよね?


日本で、「憲法」ってつくものは、何があるでしょうね?

・十七条憲法
・大日本帝国憲法(明治憲法)
・日本国憲法(現行憲法)
・ナルちゃん憲法

とりあえず、日本史上有名な、名前に「憲法」と入っているものは、これくらいでしょうか?

「ナルちゃん憲法」は、憲法じゃないですよね?

皇室で、美智子皇后が、生後7か月のナルちゃん=徳仁(なるひと)=皇太子(=今上天皇、追記)のために、14日間の公務訪米旅行の際に世話係に託した育児メモですからね。

「十七条憲法」も憲法じゃないですからね。

国(聖徳太子)が定めたものだし、「憲法って名前だから憲法じゃん」っていうツッコミが入りそうですので、「憲法」という言葉について、調べましょう。

「憲」という字ですが、「おきて」とか「法律」とかいう意味が、基本としてあります。
漢和辞典で、「憲」という字のところの「憲法」には2つの意味が書いてありまして、
1つ目が、昔から、使われていた意味=「おきて」「法律」です。晋(中国の265年 - 420年の王朝)で使われた例が漢和辞典に載っています。(三省堂 新明解漢和辞典)
2つ目が、日本国憲法とかで使われる場合の憲法です。

十七条憲法は、1つ目の意味で使われていて、今の「憲法」とは意味が違います。
別の言葉と思った方が良いでしょう。

みなさんご存じのように、日本に無いもので外国から入って来たものの呼び方で困る場合があります。

そのときの解決法として、
1.中国語を、漢字のまま仕入れちゃう場合(例:十七条憲法の「憲法」、朝廷)
2.そのまま、漢字で当て字にしたり、仮名(かな)にしちゃう場合。(例:珈琲、型録、英吉利、天婦羅、カレンダー、ライブ、カルテ、かるた)
3.欧米語を、中国語やそのとき有った言葉にあてはめちゃう場合。(例:権利、憲法)
(当然、元の中国語や日本で使っていた意味とは違います。)
4.欧米語を翻訳した言葉を日本語として漢熟語を作っちゃう場合(例:科学、技術、神経、動脈、郵便、野球)

今の「憲法」は、3です。
英語(フランス語も同じ)の constitution を訳したのが憲法です。
幕末から明治の始めには、「政体」とか「政体書」と訳されました。

もともとは、(人間の)体質とか、組織、構造という意味です。

よく、憲法を「国家の統治の基礎を定める法」という説明が有りますが、その意味です。
「そんなの知ってるよ」という人も多いと思います。

ところがどっこい、それだけじゃビミョーなのです。


それでは、明治憲法(大日本国憲法)と今の憲法(日本国憲法)について、見てましょう。


明治憲法と今の憲法は、両方とも憲法なんですよね?」
それが違うのです。

どう違うか?

思い出して下さい。
学校で、日本国憲法は3つの柱がある、と聞いたでしょう?
基本的人権の尊重主権在民平和主義ですね。
「この3つは、明治憲法と違うのだ」と教わりましたよね?

この3つとも重要ですが、特に大事なのが、基本的人権の尊重です。

人権の尊重がなければ、憲法ではないのです。
(ちなみに、「基本的人権」と「人権」は同じ意味です。)

そもそも、憲法(constitution)とは何か。

「憲法を作って、国家に勝手をやらせず、憲法でコントロールしよう」というのが、立憲主義
立憲主義で作られたものが、憲法です。

立憲主義はconstitusionalismの訳です。
憲法主義と訳した方が自然でした(南野先生もそうおっしゃって本の題名にされました)。
字に引きずられて、「憲法を作ること。おわり。」と考えたら、大間違いです。

ごく最近、この立憲主義の考え方と違う憲法の話をしようとする人が多くいますが、
立憲主義を否定したり、
音声や字は「立憲主義」を使っても違う意味にしようとする人の話は、
すでに「憲法」の話ではなく、全然関係が無い話です。
だから、こういう話をする人は、今までの憲法を否定する、日本だけでなく世界でも珍しい変わったことを言ってる自覚を持っていただいて、他の人にもそれを宣言した上で、お話しくださいませm(__)m
議論がかみ合うわけありませんので(^▽^)/

近代になって、自由主義革命をしたときに、
昔からある自然権(もともと有る権利)思想と結びつき、自由(自由権)を人権として、
これを守るために、国家に義務を課したのが、近代立憲主義であり、近代憲法なのです。
国民みんなでした国家が守る義務を定めた契約なのです。(社会契約

昔の憲法は、文字通り、国家の統治機関についてだけ書いてあって(もちろん人権を守る体制)、
一つ一つの人権は、別の「権利章典」に書いてありました。

フランス憲法は、今でも、原理的なものといくつかの人権条文以外は、個々の人権の条文がありません。
フランス人権宣言が、今でも有効なのと、新しい人権の条文を書いた第四共和国憲法が今でも有効だからです。
(今の憲法(第五共和国憲法)の前文に、フランス人権宣言と第四共和国憲法が今でも有効だ、と書いてある。)

アメリカ合衆国憲法も、権利章典部分は後から追加されました。

その後、国が憲法を作るとき、最初から、権利章典と統治をセットにして憲法を作りました。


そこで、疑問ですよね?

「明治憲法も、国民の権利が書いてあるし、近代に作られたものじゃん」って。

確かに書いてあるんですが、人権でなく臣民(「しんみん」と読む。天皇の家来としての国民)の権利でした。
それでも、「内容が人権と同じなら、良いじゃん」ってことになるとは思います。
ところが、そうではなかったのです。

人権思想で自由権(国家が個人の邪魔をしないという国家の義務)は、他者に害を与えない限り認められなければいけません。(無制限ではない。そんなめちゃくちゃなわけない。)
(経済的自由権は、社会的弱者保護の観点からの制限も認められます。)

しかし、明治憲法では、法律で決めればどのような制限も認められました(法律の留保)
また、信教の自由は、国家のためなら、理屈なく制限が可能でした。

法律の留保の例

第29条 日本臣民ハ法律ノ範囲内ニ於テ言論著作印行集会及結社ノ自由ヲ有ス
(太字はもっとん)

(今の日本語で書くと)日本臣民は法律の範囲内において、言論著作印行集会及び結社の自由を有する。

信教の自由

第28条 日本臣民ハ安寧秩序ヲ妨ケス及臣民タルノ義務ニ背カサル限ニ於テ信教ノ自由ヲ有ス
(太字はもっとん)

(今の日本語で書くと)日本臣民は安寧秩序(あんねいちつじょ。安全と秩序)を妨(さまた)げず、臣民としての義務に背(そむ)かない限りで、信教の自由を有する。



そもそも、「なぜ、明治政府は、人権思想が無いのに、憲法を作ったか?」というと、
1.近代資本主義国家として経済を発展
2.欧米列強に負けないための軍事力強化
(1と2で富国強兵)
3.他の国と、野蛮人の国でない国として、対等のつきあいをする必要から。
(当面の目標は、不平等条約の改正(関税自主権の回復と外国人の治外法権の廃止))
(憲法だけでなく、近代法制の整備をしました。)
(鹿鳴館で毎晩ダンスパーティー開催と同じ理由です。)

だから、逆に言えば、
経済の発展や軍事力強化のためなら、個人が犠牲になってもしかたがない、という思想なのでした。今のどこかの国と似てるかも?
(人権思想の根本は個人の尊重)
実際、戦前は、ずいぶん、たくさんの自由の侵害がありました。

このように、見せかけの立憲主義なので、外見的立憲主義と呼ばれています。
本来の立憲主義とは別物なのです。


また、最近、「立憲主義=国家権力を憲法が縛るという思想は、絶対王政の時代の思想である」ということを言う相当いかれた人(どこかの国の首相?)がいます(先ほど言いました、「憲法の話でない話」の例です。)。
「個人の人権を侵害する国家は、絶対的権力者であって、民主主義ではありえない」とかと言ってますね。

今、世界では、少しの立憲君主制の国は有るものの、ほとんどの国は、立憲民主制です。
立憲君主制の国も形式的なことが多く、実質的には、立憲民主制の国がほとんどです。
では、これら、世界の多くの国々の、憲法は、昔ながらの立憲主義ではないのでしょうか?


そもそも、民主主義がわかっていないから、こんな意味不明な発言が出てきます。

では、民主主義とは何か?

人権思想の根本である個人の尊重を基本とすると、「人は、自分を自分で支配する」(他人に支配されることはない)ということになります(治者被治者の自同性)

個人の意見が国政に関係する豊富な情報に基づいて発言されて(表現の自由の保障)、そのことによって自由闊達な議論がされて、正しい意見に集約されていく(思想の自由市場)。

国民全員が話し合って決めるの(直接民主制)は難しいので、選ばれた代表者に話し合ってもらったり(間接民主制)、全員一致で決めるのは難しいので、多数決で決めたりします。
本当に重要なことは、全員一致で決めます。
ある程度重要なことは、2/3以上など過半数より多い多数決で決めます。

ある程度の賛成があれば良いことは、過半数より少ない、1/3以上などの賛成で決めることもあります。

すごく重要なことは、代表者だけでなく、国民投票や住民投票で決めたりします。


こういった治者被治者の自同性を確保するための手続きが保障されているのが民主主義であって、この手続きのことを民主的手続きと呼びます・。

このように、表現の自由は、民主主義になくてはならないもので、自由主義と民主主義は良い関係なのです。

自由、特に表現の自由などの精神的自由権が不当に制限されると、
・国政について情報が得られず(知る権利が制限される)(知る権利は、表現の自由の一環として理解される)
・情報について科学的な認識が持てない(学問の自由の話)
・自由な思想を持てない(思想・良心の自由、信教の自由の話)
・自由な発言ができない、自由な議論ができない(言論の自由、集会の自由、結社の自由などの表現の自由の話)
・自由な政治運動ができない((政治的)表現の自由の話)
ということになって、民主主義が成り立たないのです。


なお、自由というのは「公権力から、やること、やらないこと、を邪魔されない」という意味です。←これって重要です。

しかし
ここからが本番(前置き、長っ)

立憲民主制の説明です。

民主主義の手続きがどのように保障されていても、国民の自由を奪う法律が作られれば、自由主義ではありません。
(今の憲法に書いていなくても)法律の留保を認めていることになってしまいます。
「とにかく条文さえ変えなければ、憲法を守ることになる」という考え方はお花畑です。 

法律の留保は、二つの意味があります。
1.法律でなければ、政府は国民の権利を制限できない(法治主義の意味。良い意味)
2.法律で決めれば、国民の権利の制限が許される(法実証主義の意味、悪い意味)

多数決で決めたことを常に良いこととして決めてはいけないのです。
(「少数の意見を必ず用いるべき」というわけわからん主張はしません)

議論の過程で、少数の意見をよく聞くのはもちろん大事ですが、
決まってからでも、
決まったことに反対の人についてはもちろん、賛成の人についても、
その個人の尊厳を侵害すること許してはいけません。

この「個人の尊厳を侵害することを許さない」のが人権の保障であって、 
国家権力を行使する者の責任として、大臣や議員を含む、公務員全員に、憲法を守る義務があって、 
人権を侵害する法律は、憲法違反として無効であって、
人権を侵害する法を認めない、国内法の一番上にあるから、最高法規であって、 
それを司法が宣言できるのが、違憲審査権です。


日本国憲法

第十三条  すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

第八十一条  最高裁判所は、一切の法律、命令、規則又は処分が憲法に適合するかしないかを決定する権限を有する終審裁判所である。

(81条の違憲審査権は、最高裁だけでなく、全部の裁判所にあります。最高裁は終審というだけです。)
 

   第十章 最高法規

第九十七条  この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。

第九十八条  この憲法は、国の最高法規であつて、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。
 日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする。

第九十九条  天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。

(第十章はこれが全条文です。)


三権分立も、司法権の独立も、地方自治も、
権力の暴走を防いで、国民の自由を守るために考え出されたものです。

民主主義的な手続きで決めたことであっても、人権侵害を許さない、そのための国家の体制を作ろうというのが「憲法」であって、その考え方を「立憲主義」といって、「国家権力を憲法でしばる民主主義体制」が「立憲民主制」です。

全体の利益や多数の利益を尊重して、少数の意見に耳を貸さず、さらには、許されないはずの権利の制限を認めるのを、「全体主義」といいます。
「全体主義」は、「個人主義」や「民主主義」の対義語として使われます。


なお、なぜか誤解する人が多いので言いますと、
今回の説明は、日本国憲法の普通の説明です。一つの意見とかではありません。
これとずれた話は、憲法の議論ではありません。






11月3日は、なぜ、「文化の日」なのか。






11月3日は、文化の日ですね。

国民の祝日に関する法律2条は、国民の祝日のリストです。

文化の日 十一月三日 自由と平和を愛し、文化をすすめる。

とあります。

まあ、これだけ読むと、いいじゃんね、って思うんですが、

なぜ、11月3日が「文化の日」になったのか



ご存じの方も多いと思いますが、日本国憲法の公布の日です。

公布は、「国民に、法律などを公表して知らせること」です。

本当は、この日を「憲法記念日」にする話が有力でした。
でも、施行の日である、5月3日「憲法記念日」です。

施行された日を「憲法記念日」にする国もありますが、
制定された日(議会で可決成立した日)を「憲法記念日」にすることが多いようです。

では、
なぜ、公布の日が、「文化の日」になったのか。

そこには、ドラマがあるのでした。

まず、明治の最初にさかのぼります。

江戸時代(将軍を頂点とする武士の時代)が終わり、
天皇の時代になります。
(1868年、今から、150年くらい前)

1873年(明治6年)11月3日を祝日にしました。天長節という名前です。
天長節=天皇誕生日 という意味です。
明治天皇(睦仁)の誕生日が、(新暦になおすと)11月3日なのです。


1912年(明治45年)に、明治天皇が崩御(死亡)します。

大正天皇が即位します(元号も大正に)。

天長節は、大正天皇の誕生日(8月31日)になりました。(当然ですね)


1926年(大正15年)大正天皇崩御と昭和天皇の即位で、

元号は、昭和になり、天長節は、昭和天皇の誕生日(4月29日)=今の祝日「昭和の日」

そして、翌年の1927年(昭和2年)に、11月3日を、「休日に関する件」という勅令で、「明治節」という名前の休日にしたのです。

1945年(昭和20年)、戦争が終わります。

(敗戦。連合国の占領(間接統治)下で、たくさんの指令、日本国憲法制定、公布、施行)

GHQが連合国の極東委員会で決定された政策を遂行します。
間接統治というしかたで、日本国政府の上で、あれこれ指示を出します。

そういう占領下で、

最初、5月1日を憲法施行の日にして、公布は、半年前11月1日にしようとしました。
でも、5月1日はメーデーと重なるから、施行:5月3日、公布:11月3日にしようか、と。
そして、11月3日を憲法記念日にしようと、貴族院が主張。GHQが反対。
衆議院が、5月3日を憲法記念日とすることに同意。
GHQが、11月3日を「憲法記念日」以外の他の名前の日なら良い、と。

それで、結局、
新憲法ができて、自由と平和を尊重する国として、文化的に発展したという意義をこめて、「文化の日」となったのでした。


今、また、11月3日を「明治の日」にしようと、一部の政治家が言い始めています。


いかれてます( ノД`)シクシク… 




 

世界の死刑存置、廃止、執行国など



国連加盟国                     193(バチカンなど一部の特殊な国を除いて、全世界の国家ほとんど)


死刑廃止国と存置国

法律上または事実上廃止国合計  140 (世界の国の7割強

うち、
全ての犯罪について廃止した国     102 (世界の国の5割強


憲法に死刑廃止の条文がある国:
カンボジア、ネパール、アンゴラ、アンドラ、フランス、イタリア、スウェーデン、メキシコ、コスタリカ、ニカラグア、パナマ、アルゼンチン(政治犯)、ボリビア、コロンビア、パラグアイ、スリナム、ウルグアイ、ベネズエラ

OECD加盟国で、死刑存置は、アメリカ合衆国と日本のみ

アメリカ合衆国(存置国)の内訳 ]
 
法律で存置:連邦政府、軍隊、31州

法律で廃止:ワシントンDC、19の州、自治領などは全部(プエルトリコ、グアムなど)
(うち違憲判決:カンザス)

10年以上執行が無い州:連邦、軍隊、7州
その内、事実上廃止
ニューハンプシャー
(70年以上執行していない)
軍隊(50年以上執行していない)
ノースカロライナ(法律で医師協力だが医師が拒否)


2015年に死刑を執行した国

世界全体: 25 (世界の国の1割強


地域別内訳

ヨーロッパ:0
 
オセアニア:0
 
アメリカ大陸(北米と中南米あわせて):1
 
アメリカ合衆国の6州(フロリダ、ジョージア、ミズーリ、オクラホマ、テキサス、バージニア)
 アメリカ合衆国の執行数は全部で28

アフリカ:5
(エジプト、チャド、スーダン、南スーダン、ソマリア)

アジア:19
(アフガニスタン、バングラデシュ、中国、インド、インドネシア、イラン、イラク、日本、ヨルダン、マレーシア、北朝鮮、オマーン、パキスタン、サウジアラビア、シンガポール、(台湾)、アラブ首長国連邦、ベトナム、イエメン)

その他:1
シリア(法的な死刑をアムネスティが未確認)


執行数が多い国

中国 以前から多いが2015年は特に多いらしい(正確な数が不明)。
少なく見て1000人以上、一説には4000人以上とも。(世界一)

イラン(977)、パキスタン(326)、サウジアラビア(158)も多い。


アメリカ合衆国の死刑制度の歴史

1847年以前に、死刑適用犯罪を減らす、死刑を廃止して復活など

1847年 ミシガン州が廃止
1853年 ウィスコンシン州で廃止
1887年 メイン州で廃止
1898年 
グアムで廃止
1899年 サモアで廃止
1911年 ミネソタ州で廃止
1917年 ヴァージン諸島で廃止
1929年 プエルトリコで廃止
1945年 北マリアナ諸島で廃止
1957年 アラスカ州ハワイ州で廃止
1964年 バーモント
で廃止
1965年 
アイオワウエストバージニアで廃止 
1972年 連邦最高裁が、合衆国憲法修正8条の残虐な刑罰で違憲という判決を出した。
・この判決を受けて、40州、死刑が無効、629人中断。
1973年 ノースダコタ州で廃止 
1976年 連邦最高裁が、死刑は合衆国憲法に違反しない、という判決を出した。
1981年 ワシントンDCが廃止
1984年 マサチューセッツ州、ロードアイランド州で廃止
1973~2001 DNA鑑定で96名が冤罪で釈放された
2004年 (連邦法で)冤罪者保護法、成立。(有罪判決確定後にDNA鑑定を受ける権利を保障)
2004年 ニューヨーク州で廃止
2007年 ニュージャージー州で廃止
2009年 ニューメキシコ州で廃止
2011年 イリノイ州で廃止
2012年 コネチカット州で廃止
2013年 メリーランド州で廃止
2015年 ネブラスカ州で廃止


残虐でないとして考案された薬殺刑(毒薬注射)も、
最近、残虐であるとして、問題になっている。

2015年
に、アメリカ合衆国で死刑判決が出た州:連邦裁判所と14州

日本の状況

確定者総数(死刑が確定して拘置所にいる人数) 126
確定者数(死刑が確定した数)          4
執行前死亡(確定後、執行とは別で死亡)      1
執行者数(死刑が執行された人数)        3

アジアの廃止国

(アジアは存置して執行してる国が多いので廃止国を書いた方が早い。アジア以外の地域は廃止が多い)

ロシア連邦(裁判所の決定で)、アルメニア、アゼルバイジャン、東ティモール、(香港)、(マカオ)、ネパール、ブルネイ(50年凍結)、カンボジア、ブータン、モンゴル、フィリピン、トルコ(復活検討中)

韓国(18年凍結)

ロシアトルコは、ヨーロッパとアジアにまたがっていますので、アジアの項目に書きました
香港マカオは国家ではありませんが、イギリスやポルトガル時代からの廃止を、中国返還後も維持しています。

世界で最初に死刑を廃止した国

(ギネスブックこの記録のページ )   ( ギネスブックトップページ(日本語) )
(トップページから「deah penalty」で検索をかけて4件HITのうちの1つ)
(日本語のページなのに、「死刑」で検索をかけると、なぜか、長寿の猫?????)

1798年 リヒテンシュタイン公国
(日本は寛政10年(江戸時代)。寛政の改革が終わったばかり)
(最後の執行は、1785年、
正式の廃止は、1987年)


 

今日まで続いている廃止、存置の状況について書きましたが、
日本でも、347年間、事実上、死刑を廃止していた(平安時代)。
ロシア
も、81年間、事実上死刑を廃止していた(一部の例外あり)(1744~1825)。その後も廃止と復活を繰り返す。現在は(裁判所の決定で)廃止

また、日本で、20年ほど前、3年4か月、死刑執行が無かった期間がある(1989~1993)




 

死刑廃止条約とは - 死刑廃止の多国間条約について -

目次
(目次の中のリンクは、ページ内のリンクです)

死刑廃止条約を含む人権条約の説明
 国連
 世界人権宣言
 国際人権規約(社会権規約・自由権規約)
 2つの選択議定書

死刑廃止国の数

(世界的・地域的)人権条約締約国の数・(死刑廃止関連の)選択議定書締約国の数

年表

死刑廃止についての条約の条文
 死刑廃止条約(自由権規約第2選択議定書)
 
 EU基本憲章 第2条
 欧州人権条約
  欧州人権条約 第2条
  欧州人権条約 第6議定書(一部省略)
  欧州人権条約 第13議定書
 米州人権条約 第4条 (英文と和訳:もっとん)
 米州人権条約 死刑廃止に関する選択議定書 (英文)
 米州人権条約 死刑廃止に関する選択議定書 (和訳:もっとん)

このページで引用している条約の条文は、米州人権条約をのぞいて、すべて、ミネソタ大学の人権図書館のWEBサイト(各国語あるうちの日本語のページ)から引用しました。

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死刑廃止論全般のまとめは、数日前の投稿に書きました
現在の世界の死刑廃止状況については、別に書きました。
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死刑廃止条約とは何か


正式名称

死刑廃止を目指す市民的及び政治的権利に関する国際規約第2選択議定書

Second Optional Protocol to the International Covenant on Civil and Political Rights,Aiming At the Abolition of the Death Penalty

国際規約とは?選択議定書とは?

中心的な役割をしているのは国連なので、まず、国連から


国際連合(国連)


国際連合は、人権保障と世界平和、国際問題での協力を目的に作られた、各国政府(現在193ヵ国)から作られる国際機関です。1945年にできました(国連憲章発効)。
国連憲章が、国連のルールになっています(国連憲章も条約です。)。


国連憲章

第1章 目的及び原則

第1条
 国際連合の目的は、次のとおりであ る。
1 国際の平和及び安全を維持すること。そのために、平和に対する脅威の防止及び除去と侵略行為その他の平和の破壊の鎮圧とのため有効な集団的措置をとること並びに平和を破壊するに至る虞のある国際的の紛争又は事態の調整または解決を平和的手段によって且つ正義及び国際法の原則に従って実現すること。
2 人民の同権 及び自決の原則の尊重に基礎をおく諸国間の友好関係を発展させること並びに世界平和を強化するために他の適当な措置をとること。
3 経済的、社会的、文化的または人道的性質を有する国際問題を解決することについて、並びに人種、性、言語または宗教による差別なくすべての者のために人権 及び基本的自由を尊重するように助長奨励することについて、国際協力を達成すること。
4 これらの共通の目的の達成に当たって諸国の行動を調和するための中心となること。


そして、人権を守るために、宣言を出しました。

世界人権宣言

です。
(Universal Declaration of Human Rights)
(1948年、国連総会決議として)

世界人権宣言は宣言なので、国連の意思表明の意味しか無かった。
(この宣言を基礎にした人権条約、各国の行動などから、現在は、慣習国際法として、法になった、という考えが有力です)

そこで、法的なもの=多国間条約を作りました。

二つの人権条約

です。

略称社会権規約  A規約。 
 正式名称:経済的、社会的及び文化的権利に関する国際規約
  社会権(生存権、労働基本権、教育、健康、文化、科学など、国が福祉のためにやるべき義務)について定めています。
略称自由権規約 B規約。 
 正式名称:市民的及び政治的権利に関する国際規約
  自由権(国に「邪魔すんな」という権利)と参政権などについて定めています。

憲法も、人権を定めて、人権に対応する国家の義務を定めたものですが、
人権条約は、同じ機能を、グローバルスタンダードとして提供するものです。
なんせ、人権は、「人間に共通のことであり、国によって違いがあってはならない」という理想が有るからです。(この人権思想からの法の下の平等を追求すると、国境を廃止という結論になります)

そもそも、憲法は、国家の義務を定めたものです。
法律も、(国民の権利義務関係を定めることができるものですが)、国家の義務を書くものです。
法治主義から当然です。
詳しくは、「法治国家」って、国家が、国民に法律を守らせてる国家、だと思ってる?を読んでください。
条約も国家の義務を書くことができるのは当然です。

両方とも日本批准しています。(日本は、この2つの条約に参加していて、2つの条約が国内法の効力を持っているということです。)

条約は、日本では、憲法より下、法律より上です(日本の通説)。
法令より上なので、条約違反の法令は効力が否定されることとなります。
(日本の裁判所でそこまで言ったのを知りませんが)

このB規約(自由権規約)に、

2つの選択議定書

が有ります。

選択議定書っていうのも、条約なんですが、本体の条約の他にオプションで用意するものです。
一番最初に書いた死刑廃止条約の正式名称の英語にも optional って書いてあるでしょう?
反対が予想される事柄について別にすることで、本体を批准してもらいやすくする、というメリットが有ります。

日本は、選択議定書を2つとも批准していません。

第一選択議定書は、個人が「本体の条約に定める人権を、国家に侵害された」とこの条約に基づいて設置された委員会に訴えることができる」と規定しています(個人通報制度)。
国連が主導して作った人権条約はその後たくさん有りますが(女子差別撤廃条約とか子どもの権利条約とか)、どれも個人通報制度を定めた選択議定書が有ります。
日本は、これらの人権条約の選択議定書を、全部、批准していません。
「日本の主権(統治権の意味)、なかんづく司法権を害する」っていう理屈です。
本来、人権を守るために国家はあるので、本末転倒の、日本国内でしか通用しない、チョーおバカなお話しです。
わかりやすくいえば、「司法権守って、人権守らず」
なんのための司法権かっ。国家かっ。

そして、第二選択議定書もあります。
これが、死刑廃止条約と呼ばれているものです全文(ページ内リンク)

なお、自由権規約(本体)にも死刑廃止に向けた条文(第6条)があります。

他の地域的人権条約では
EUは、EU基本権憲章死刑を廃止しています。(リスボン条約で憲章に法的効力あり)
欧州人権条約には死刑廃止の選択議定書が2つ(第6議定書と第13議定書)。
米州人権条約には死刑廃止の選択議定書があります。(2つ議定書があるうちの1つ)

死刑廃止国の数

国連加盟国         193

死刑廃止国(憲法、法律で)     102
事実上の廃止国を含めると    139

国連非加盟国 ごく少数。
(台湾、バチカン市国、パレスチナなど。)
うち、バチカンは死刑廃止。台湾は復活。

香港、マカオは、廃止
(それぞれ、中国に返還される前からの死刑廃止が、返還後も継続)


アメリカ大陸の死刑存廃

アメリカ大陸(北米・中南米合計) 35 
(アメリカ合衆国は1で計算)

うち、死刑存置国は、
中南米13ヵ国(キューバ、グアテマラ、ジャマイカ、ドミニカなど))
アメリカ合衆国の一部(連邦政府と軍隊と31州)

アメリカ合衆国の廃止は、ワシントンDC、19州、本土以外の自治領などは全部。

OECD(経済協力開発機構)加盟国  35の内訳

OECD加盟国 35
死刑廃止国  32 
死刑存置国  2  (アメリカ合衆国、日本)
事実上廃止国 1  (韓国)

OECD加盟国
は、
ヨーロッパの24ヵ国(うちEU加盟22)。日本と韓国。
オーストラリアとニュージーランド。
アメリカ合衆国、カナダ、メキシコ、チリ。
トルコ。イスラエル。 

(世界的・地域的)人権条約締約国の数
(死刑廃止関連の)選択議定書締約国の数

(個別的人権条約は死刑廃止関連のみ)

国連加盟国(=国連憲章締約国)  193 未加盟国:台湾、バチカンなど(特殊な背景のある国のみ)
  
自由権規約           168 未締約国:中国・キューバなど
自由権規約 選択議定書     115 
自由権規約 第2選択議定書      83 
      (死刑廃止条約)   
社会権規約                      164 未締約国:アメリカ、キューバ、南アフリカなど
社会権規約 選択議定書       21 未締約国:日本など

EU基本権憲章
EU加盟国(リスボン条約)          28  EU加盟国はすべて死刑廃止

欧州人権条約(欧州評議会)       47
欧州人権条約第6選択議定書(平時の死刑廃止)       46
欧州人権条約第13選択議定書(死刑全廃)          43

米州人権条約               24   米大陸の未締約国:カナダ、アメリカ合衆国、キューバ
米州人権条約死刑廃止に関する選択議定書            11

(世界的人権条約締約国の数は2016年10月現在)


年表

1945年 日本、連合国に降伏する(第二次世界大戦終了)→連合国占領
          国際連合、発足(国連憲章、発効) (加盟国51)
1947年 日本国憲法、施行
1948年 世界人権宣言
1949年 欧州評議会結成(ロンドン条約)
1952年 日本、主権回復(占領終了)(サンフランシスコ講和条約、発効)
1953年 欧州人権条約、発効
1956年 日本、国連加盟
1966年 自由権規約((第1)選択議定書を含む) と 社会権規約、国連総会で採択
1976年 社会権規約、(締約国で)発効
      自由権規約((第1)選択議定書を含む)、(締約国で)発効
1978年 日本、社会権規約 と 自由権規約 に署名
1979年 日本、社会権規約 と 自由権規約 批准
1985年 欧州人権条約 第6選択議定書(平時の死刑廃止)、発効
1989年 自由権規約 第2選択議定書(死刑廃止条約)、採択(日本、米、中国、イスラム諸国などが反対した)
1991年 自由権規約 第2選択議定書(死刑廃止条約)、(締約国で)発効
2002年 死刑廃止世界連盟、ローマで設立
     欧州人権条約 第13選択議定書(死刑全廃)、採択
2003年 死刑廃止世界連盟が、世界死刑廃止デー(10月10日)を制定
2007年 EUと欧州評議会が、欧州死刑廃止デー(10月10日)制定(翌年から)
2008年 社会権規約 選択議定書、採択
2013年 社会権規約 選択議定書、(締約国で)発効
2014年 国連総会で、死刑執行停止決議、採択(賛成国:117)



死刑廃止についての条約の条文


自由権規約

正式名称:市民的及び政治的権利に関する国際規約)

第六条
1 すべての人間は、生命に対する固有の権利を有する。この権利は、法律によって保護される。何人も、恣意的にその生命を奪われない。
2 死刑を廃止していない国においては、死刑は、犯罪が行われた時に効力を有しており、かつ、この規約の規定及び集団殺害犯罪の防止及び処罰に関する条約の規定に抵触しない法律により、最も重大な犯罪についてのみ科することができる。この刑罰は、権限のある裁判所が言い渡した確定判決によってのみ執行することができる。
3 生命の剥奪が集団殺害犯罪を構成する場合には、この条のいかなる想定も、この規約の締約国が集団殺害犯罪の防止及び処罰に関する条約の規定に基づいて負う義務を方法のいかんを問わず免れることを許すものではないと了解する。
4 死刑を言い渡されたいかなる者も、特赦又は減刑を求める権利を有する。死刑に対する大赦、特赦又は減刑はすべての場合に与えることができる。
5 死刑は、一八歳未満の者が行った犯罪について科してはならず、また、妊娠中の女子に対して執行してはならない。
6 この条のいかなる規定も、この規約の締約国により死刑の廃止を遅らせ又は妨げるために援用されてはならない。


死刑廃止条約

正式名称:死刑の廃止をめざす、市民的及び政治的権利に関する国際規約の第二選択議定書)
(自由権規約第二選択議定書)


この議定書の締約国は、 

 死刑の廃止が人間の尊厳の向上 (enhancement of human dignity) と人権の漸進 的発展 (progressive development; [仏] developpement progressif) に寄与す ることを信じ、

  一九四八年一二月一〇日に採択された世界人権宣言の第三条及び一九六六年一二月一六日に採択された「市民的及び政治的権利に関する国際規約」の第六条を想 起し、

  「市民的及び政治的権利に関する国際規約」の第六条が、死刑の廃止が望ましい ことを強く示唆する文言をもって死刑の廃止に言及していることに留意し、死刑の廃止のあ らゆる措置が生命に対する権利 (right to life; [仏] droit a la vie)の享受における前進 (progress; [仏] progres) と考えられるべきであることを確信し、

  このようにして死刑を廃止するという国際的な公約(commitment; [仏] engage- ment)を企図することを願って、次のとおり協定した。

第一条

1 何人も、この選択議定書の締約国の管轄内にある者は、死刑を執行されない。 

2 各締約国は、その管内において死刑を廃止するためのあらゆる必要な措置を とらなければならない。 

第二条

1 批准又は加入の際にされた留保であって、戦時中に犯された軍事的性格をも つ極めて重大な犯罪に対する有罪判決によって、戦争の際に死刑を適用するこ とを規定するものを除くほか、この選択議定書にはいかなる留保も許されない。

2 このような留保をする締約国は、批准又は加入の際に、戦時に適用される国 内法の関連規定を国際連合事務総長に通報 (communicate) するものとする。 

3 このような留保をした締約国は、その領域に適用される戦争状態の開始又は 終了について国際連合事務総長に通告 (notify) するものとする。 

第三条

 この選択議定書の締約国は、規約の第四〇条の規定に従って人権委員会 (Human Rights Committee) に提出する報告書に、この議定書を実施するため にとった措置に関する情報を含めなければならない。 

第四条

 規約の第四一条の規定による宣言 (declaration) をした規約締結国に関し ては、当該締約国が批准又は加入の際に別段の声明 (statement) をしたのでな い限り、一締結国から他の締約国がその義務を履行していない旨を主張してい るという通報について、人権委員会が受理しかつ審議する権限は、この議定書 の規定にも拡張されるものとする。 

第五条

 一九六六年一二月一六日に採択された「市民的及び政治的権利に関する国際 規約」についての(第一)選択議定書の締約国に関しては、当該締約国が批准 又は加入の際に別段の声明をしたのでない限り、その管轄権に服する個人から の通報 (communications) を人権委員会が受理しかつ審議する権限は、この議 定書の規定にも拡張されるものとする。 

第六条

1 この議定書の規定は、規約の追加規定として適用されるものとする。 

2 この議定書の第二条に定める留保の可能性を害することなく、この議定書の 第1条第1項において保障される権 利は、規約の第四条によるいかなる廃止措 置 (derogation; [仏] derogation) をも受けることがないものとする。 

第七条

1 この議定書は、規約に署名したすべての国による署名のために開放される。 

2 この議定書は、規約を批准し又はこれに加入したすべての国により批准され なければならない。批准書は、国際連合事務総長に寄託されるものとする。

3 この議定書は、規約を批准し又はこれに加入したすべての国による加入のた めに開放される。 

4 加入は、国際連合事務総長に加入書を寄託することによって行われる。 

5 国際連合事務総長は、この議定書に署名し又は加入したすべての国に対し、各批准書または加入書の寄託を通知する。 

第八条

1 この議定書は、一〇番目の批准書又は加入書が国際連合事務総長に寄託され た日の後3箇月で効力を生ずる。

2 一〇番目の批准書又は加入書が寄託された後に本議定書を批准し又はこれに 加入する国については、この議定書は、その国の批准書又は加入書が寄託され た日の後三箇月で効力を生ずる。 

第九条

 この議定書の規定は、いかなる制限又は例外もなしに、連邦国家のすべての 地域について適用する。 

第一〇条

 国際連合事務総長は、規約の第四八条第一項に規定するすべての国に、次の 事項について通知 (inform) するものとする。 

(a) この議定書の第二条の規定による留保、通報 (communications) 及び通告 (notifications) 

(b) この議定書の第四条又は第五条の規定によってされた声明 (statements) 

(c) この議定書の第七条の規定による署名、批准及び加入 

(d) この議定書の第八条の規定によるこの議定書の効力発生の日 

第一一条

1 この議定書は、アラビア後、中国語、英語、フランス語、ロシア語及びスペ イン語を等しく正文とし、国際連合に寄託される。 

2 国際連合事務総長は、この議定書の認証謄本を規約の第四八条に規定するす べての国に送付する。

出典  http://www.asahi-net.or.jp/‾ef4j-tkgi/dp/sopiccpr.html  団藤重光・試訳



EU基本権憲章 第2条


第2条 生命に対する権利
(1)何人も、生命に対する権利を有する。
(2)何人も、死刑の宣告または執行をされないものとする。


ヨーロッパ人権条約 第2条

(正式名称:人権 及び基本的自由の保護のための条約についての第六議定書) 
(Convention for the Protection of Human Rights and Fundamental Freedoms)

第二条(生命に対する権利)

1 すべての者の生命に対する権利は、法律によって保護される、何人も、故意にその生命を奪われない。ただし、法律で死刑を定める犯罪について有罪の判決の後に裁判所の刑の言い渡しを執行する場合は、この限りでない。
2 生命の略奪は、それが次の目的のために絶対に必要な、力の行使の結果であるときは、本条に違反して行われたものとみなされない。
(a) 不法な暴力から人を守るため
(b) 合法的な逮捕を行い又は合法的に抑留した者の逃亡を防ぐため
(c) 暴力又は反乱を鎮圧するために合法的にとって行為のため


第6議定書

第一条(死刑の廃止)

 死刑は、廃止される。何人も、死刑を宣告され又は執行されない。

第二条(戦時等における死刑)

 国は、戦時又は急迫した戦争の脅威があるときになされる行為につき法律で死刑の規定を設けることができる。死刑は、法律に定められた場合において、かつ、法律の規定に基づいてのみ適用される。国は、当該の法律の規定を欧州審議会に通知する。

第三条(離脱の禁止)

 この議定書の規定からのいかなる離脱も、条約の第一五条に基づいて行ってはならない。

第四条(留保の禁止)

 この議定書の規定については、いかなる留保も、条約の第五七条に基づいて付すことができない。

(5条~9条略)


第13議定書
(日本語訳はミネソタ大学のサイトに無い。英語などはある)

第6議定書の第2条(戦時等における死刑)を削除して、つめて番号ふり。
つまり、第6議定書にあった戦時の特例をなくして、死刑を完全に廃止する。


米州人権条約

(American Convention on Human Rights)

(原文:英語、和訳:もっとん)

Article 4. Right to Life
1. Every person has the right to have his life respected. This right shall be protected by law and, in general, from the moment of conception. No one shall be arbitrarily deprived of his life.
2. In countries that have not abolished the death penalty, it may be imposed only for the most serious crimes and pursuant to a final judgment rendered by a competent court and in accordance with a law establishing such punishment, enacted prior to the commission of the crime. The application of such punishment shall not be extended to crimes to which it does not presently apply.
3. The death penalty shall not be reestablished in states that have abolished it.
4. In no case shall capital punishment be inflicted for political offenses or related common crimes.
5. Capital punishment shall not be imposed upon persons who, at the time the crime was committed, were under 18 years of age or over 70 years of age; nor shall it be applied to pregnant women.
6. Every person condemned to death shall have the right to apply for amnesty, pardon, or commutation of sentence, which may be granted in all cases. Capital punishment shall not be imposed while such a petition is pending decision by the competent authority.


第4条 (生命に対する権利)

1.すべての人々には、生命を尊重される権利がある。この権利は、受胎されたときから区別なく、法により守られる。何人も、その生命を、恣意的に奪われることはない。
2.死刑を廃止していない国家においては、死刑は、最も重大な犯罪についてのみ、犯罪の実行以前に制定された法で定める死刑に従って、管轄裁判所により下された終局判決をすることで、科すことを妨げない。死刑適用は、現在適用のない犯罪に拡大しない。
3.死刑を廃止した国家は、死刑制度を復活しない。
4.政治犯罪または関連の通常犯罪については、あらゆる場合に、極刑を科さない。
5.極刑は、18歳未満の者、70歳より上の者に科さない。妊娠中の女性にも、極刑を科さない。
6.死刑を宣告されたすべての個人は、恩赦、特赦、減刑が適用される権利を持つ。このことは、あらゆる場合に認められてよい。このような申請が、所管官庁によって未決定の間は、極刑は、科されない。


死刑廃止に関する議定書

(PROTOCOL TO THE AMERICAN CONVENTION ON HUMAN RIGHTS TO ABOLISH THE DEATH PENALTY)

原文:米州機構のWEBページ

(原文:英文、和訳:もっとん)

PREAMBLE

THE STATES PARTIES TO THIS PROTOCOL,

CONSIDERING:

That Article 4 of the American Convention on Human Rights recognizes the right to life and restricts the application of the death penalty;

That everyone has the inalienable right to respect for his life, a right that cannot be suspended for any reason;

That the tendency among the American States is to be in favor of abolition of the death penalty;

That application of the death penalty has irrevocable consequences, forecloses the correction of judicial error, and precludes any possibility of changing or rehabilitating those convicted;

That the abolition of the death penalty helps to ensure more effective protection of the right to life;

That an international agreement must be arrived at that will entail a progressive development of the American Convention on Human Rights, and

That States Parties to the American Convention on Human Rights have expressed their intention to adopt an international agreement with a view to consolidating the practice of not applying the death penalty in the Americas,

HAVE AGREED TO SIGN THE FOLLOWING PROTOCOL TO THE AMERICAN CONVENTION ON HUMAN RIGHTS TO ABOLISH THE DEATH PENALTY

Article 1
The States Parties to this Protocol shall not apply the death penalty in their territory to any person subject to their jurisdiction.

Article 2
1. No reservations may be made to this Protocol. However, at the time of ratification or accession, the States Parties to this instrument may declare that they reserve the right to apply the death penalty in wartime in accordance with international law, for extremely serious crimes of a military nature.
2. The State Party making this reservation shall, upon ratification or accession, inform the Secretary General of the Organization of American States of the pertinent provisions of its national legislation applicable in wartime, as referred to in the preceding paragraph.
3. Said State Party shall notify the Secretary General of the Organization of American States of the beginning or end of any state of war in effect in its territory.

Article 3
1. This Protocol shall be open for signature and ratification or accession by any State Party to the American Convention on Human Rights.
2. Ratification of this Protocol or accession thereto shall be made through the deposit of an instrument of ratification or accession with the General Secretariat of the Organization of American States.

Article 4
This Protocol shall enter into force among the States that ratify or accede to it when they deposit their respective instruments of ratification or accession with the General Secretariat of the Organization of American States.



死刑廃止に関する議定書


(和訳:もっとん)

前文

この議定書の締約国は次のように考える。

米州人権条約第4条は、生命に対する権利と、死刑の適用を制限することを認める。
すべての人には、その生命を尊重される奪われない権利があり、いかなる理由によっても停止(保留)されることない。
死刑廃止に賛成することが、米州にある国家における傾向である。
死刑適用は、誤判を改めることを不可能にする、有罪判決を覆すか変更するいかなる可能性もなくす、取返しのつかない重大性がある。
生命に対する権利のより効果的な擁護を確かにするために、死刑廃止は、有用である。
国際的な合意は、米州人権条約の進歩的発展を伴うことに到達しなければならない。 
そして、米州人権条約締約国は 米州において死刑を適用しないことの実践が確固たるものとなる見通しをもって、国際的な合意を採択する意思を表明し、

死刑廃止に関する米州人権条約の選択議定書に、合意して署名した。

第1条 議定書締約国は、領内で、管轄が及ぶあらゆる個人に対して、死刑を適用しない。
第2条 
1.この議定書には、いかなる留保条件をつけることも許されない。しかしながら、批准と加入において、締約国は、軍事の極端に重大な犯罪について、戦時に、国際法に従って死刑を適用する権限を留保する宣言をすることを妨げない。
2.この留保をする締約国は、批准または加入において、前項において言及しているように、戦時に適用できる国家の立法の関係条項を、米州機構の事務総長に、報告するものとする。
3.前記の締約国は、領内における事実上の戦争の、始めまたは終わり、あらゆる状態を、米州機構の事務総長に通知するものとする。 

第3条
1.この議定書は、米州人権条約締約国により、署名、批准、加入ができる状態にする。
2.この議定書のさらなる批准または加入は、米州機構の事務総局で批准または加入の書面を付託することで、完成する。

第4条 この議定書は、米州事務総局に、おのおのの批准または加入の書面が寄託されるとき、その批准または加入する国家において、効力を生じる。


なお、このページで引用している条約の文章は、米州人権条約をのぞいて、すべて、ミネソタ大学の人権図書館のWEBサイト(各国語あるうちの日本語のページ)から引用しました。

その他、アムネスティインターナショナル、アムネスティインターナショナル日本支部、ヒューライツ大阪、などの、WEBサイトを参考にさせていただきました。
厚く、御礼申し上げます (o*。_。)oペコッ


数字などのデータは、何度も見直しました。
条文の和訳は、他の条約の和訳文なども参考にしました。(難しかったです( ノД`)シクシク…)

誤訳、不自然など、ありましたら、お知らせいただきますと幸いです。





死刑制度と現場での犯人射殺 - 全然違うものを比べてはいけない

死刑廃止論全般のまとめは、数日前の投稿に書きました。

死刑の話をすると、必ずと言って良いほど、(廃止論者の側からは出なくて)存置論者の方から出てくる話がいくつかあります。

それは
「死刑を廃止してても、現場で射殺しちゃえば同じだし、むしろひどくない?」
ということです。

誤解が多く含まれています

(だから、廃止論者は言いません)。



そこで、まず、誤解を解きましょう。


国によっても多少の違いはありますが、警察官が武器を使うのは、犯人の逃走を防止したり、人質などを守ったりするためです。
やたらめったら発砲して良いとなると、法治国家ではなくなります。

発砲した結果、たまたま、標的が死んでしまった(発砲そのものの是非はともかく)場合も考慮されるべきことではありますが、
発砲したら、ほぼ死ぬだろうと思って発砲する場合、正当防衛の要件が必要であろうと思います。

そもそも、正当防衛って、何でしょうか?


1.まず、正当防衛にならない例

AさんがBさんをナイフで刺して逃げた。
Bさんはケガをしながらも、逃げるAさんを追いかけて、自分のナイフでAさんを刺した。

これは絶対に正当防衛にならないケースです。


2.次に、正当防衛になるケース

Aさんが、ナイフを構えて、Bさんに近いところで、Bさんを刺そうと、上半身を本気で刺そうとして、よけるBさんに対して、何度もナイフを突き出してきた。
Bさんは、持ってるナイフで、Aさんを刺した。
Aさんは首に傷を負って、出血多量などで死にました。

何が違うか、と言いますと、
1は、AさんがBさんを刺した後で、Aさんはもう攻撃をしてこない(逃げた)のに、BさんはAさんを刺してます。

これは、AさんのBさんに対する傷害罪、と、BさんのAさんに対する傷害罪が、2つ成立するということです。(動機はたぶん仕返しでしょう)

2は、Bさんとしては、Aさんに殺されるか重傷を負わされる危機が迫っている。それを防ぐために、BさんはAさんを攻撃した。
これは、
AさんのBさんに対する暴行罪または殺人未遂と(Bさんがケガをすれば傷害罪)
BさんのAさんに対する(殺人の構成要件に該当する行為だけれども)正当防衛で違法性が無いから、無罪。
(銃刀法違反とかは、この場合、考えてません)


ということになります。

日本(他の国でも現代の文明国)では、復讐とか決闘は禁止されています。

正当防衛は、なぜ、正当防衛になる(違法性が無くなる)か、といいますと、
緊急事態だということと、
不正な(違法な)攻撃に対して、
守るべき利益(生命など)と防衛の結果がバランスがとれている(緊急なのである程度で良い)。

以上は、日本の場合で、国によって違いまして、外国は、もうちょっと緩い所が有ったりします。

刑法

(正当防衛)
第三十六条  急迫不正の侵害に対して、自己又は他人の権利を防衛するため、やむを得ずにした行為は、罰しない。
2  防衛の程度を超えた行為は、情状により、その刑を減軽し、又は免除することができる。


正当防衛についての誤解が解けました。

他に、緊急事態のときに、違法性が無くなる(通説)ものとして、緊急避難が有ります。

正当防衛と同じ所、違う所。
だれかに、急な危険が迫っているのは同じ。
でも、悪いやつが攻撃してくるわけではない
(だれかの適法な行為だったり、野生動物や自然(土砂崩れとか)だったり)
避難した(文字通り、危険(難)を避けた)結果、その被害を受けるのは、別の(悪くない)人

どういう場合かと言いますと、
たとえば、
・野良犬が追いかけてきて生命の危険を感じた人が、通りかかった家の玄関ドアのかぎが開いていたので、勝手に入った。(緊急避難でなければ、住居侵入罪)
・従業員がオフィスの火災から逃げるために、窓ガラスをたたき割った。(緊急避難でなければ、器物損壊罪)

刑法
(緊急避難)
第三十七条  自己又は他人の生命、身体、自由又は財産に対する現在の危難を避けるため、やむを得ずにした行為は、これによって生じた害が避けようとした害の程度を超えなかった場合に限り、罰しない。ただし、その程度を超えた行為は、情状により、その刑を減軽し、又は免除することができる。
2  前項の規定は、業務上特別の義務がある者には、適用しない。



本論

次に、

死刑と現場射殺を比較

してみましょう。

   死刑               現場射殺
1.刑罰            刑罰でない(人質などの人命を守るためのもの)
2.裁判をやっている      裁判をやっていない。
3.現行犯逮捕でない場合がある 現行犯である(少なくとも現行犯の認識がある)

もし、仮に刑罰の代わりとして、現場射殺が行われているのであれば、それは絶対にいけません。
裁判をやらずに刑罰を執行するのは絶対にいけません。
しかし、逆にいえば、刑罰でないからこそ、刑罰の執行が正当化される論理(適正な手続き=裁判をした)とは違った論理で行われているのです。(そうでなければいけません)

日本の警察は、やたらと発砲しないようですね。

死刑廃止国のヨーロッパなどと比べる人も多いようですが、アメリカほどではないにしても、日本より銃犯罪が多い(銃を持ってる)ので、ある程度、発砲をするようになってしまうようです。
しかし、それでも、発砲が適切だったかは、後で警察官などが責任を問われることはあるようです。

けっして、死刑を廃止しているから、代わりに、現場で凶悪犯を射殺してしまおう、ということではないです。
仮に、そういう警察官などが個別にいたとしても、正当化される法システムにはなっていません。

仮に外国が悪いことをやっていたとしても、日本の存廃論に理論的な影響は有りません。
「日本も死刑を廃止したら、現場射殺が増えると」いう変なことを言う人がいますが、上に書きましたように、治安状況、銃犯罪の量などの違い、警察官の人たちをどこまで信頼できるのか、ということ考えずに言っちゃいけません。


最近、テロを防止する観点で、国内外で、共謀して実行に移す前に積極的に取り締まったり、問答無用の対応が正当化されるような空気になっています。大きな問題です。
もちろんテロは、前もって防がなければいけませんが。
人権を保障した捜査をしつつ、かつ、テロを防ぐ、これをどうすれば良いか、正直、もっとんもわかりません。


日本の警察官が、武器を使うときの条件について

警察官職務執行法

(武器の使用)
第七条  警察官は、犯人の逮捕若しくは逃走の防止、自己若しくは他人に対する防護又は公務執行に対する抵抗の抑止のため必要であると認める相当な理由のある場合においては、その事態に応じ合理的に必要と判断される限度において、武器を使用することができる。但し、刑法 (明治四十年法律第四十五号)第三十六条 (正当防衛)若しくは同法第三十七条 (緊急避難)に該当する場合又は左の各号の一に該当する場合を除いては、人に危害を与えてはならない。
一  死刑又は無期若しくは長期三年以上の懲役若しくは禁こにあたる兇悪な罪を現に犯し、若しくは既に犯したと疑うに足りる充分な理由のある者がその者に対する警察官の職務の執行に対して抵抗し、若しくは逃亡しようとするとき又は第三者がその者を逃がそうとして警察官に抵抗するとき、これを防ぎ、又は逮捕するために他に手段がないと警察官において信ずるに足りる相当な理由のある場合。
二  逮捕状により逮捕する際又は勾引状若しくは勾留状を執行する際その本人がその者に対する警察官の職務の執行に対して抵抗し、若しくは逃亡しようとするとき又は第三者がその者を逃がそうとして警察官に抵抗するとき、これを防ぎ、又は逮捕するために他に手段がないと警察官において信ずるに足りる相当な理由のある場合。

死刑廃止論全般のまとめは先日の投稿に書きました。








 

被害者の人権と死刑制度の関係 - 死刑廃止論者は被害者の人権を考えないトンデモなのか

加害者の人権
被疑者の人権
被告人の人権

について、考えたい、と思います。

これらについて、誤解があるのかな、と思います。 

・この4つの立場の人の意味、
・人権、という言葉の意味、
・民法と刑法の違い(目的と機能)


まず、言葉の意味を一つずつ。

人権」は、「あらゆる人に平等に認められた権利の総称(すべての呼び名(つまり人権はたくさんある))」です。
国家と国民・人民の関係で、国家権力が人権を侵害するのを防ぐ目的で、憲法が作られました。
人権には、国家がおせっかいをしない義務を定めたもの(自由権など)と、国家がする義務を定めたもの(社会権など)があります。


国民と国民の間でも、一応人権侵害の問題は起こりますが、
1.民事で、契約が無効(民法90条)
2.民事で、損害賠償請求など(民法415条、709条)
3.刑事で、犯罪となる。

となります。

1と2の民事は、加害者と被害者の問題。
3の     刑事は、国家 と加害者の問題。(国家が加害者を罰するという問題)



被疑者」とは、「検察官に起訴される前の、捜査機関(警察など)に疑われている人」
のことをいいます。
(容疑者は法律用語ではありません)
被告人」とは、「検察官に起訴された、刑事訴訟の当事者」です。

無罪の推定」といいまして、有罪判決が確定するまでは、被疑者・被告人は無罪の人(善良な(とは限りませんが)一市民)として扱われなくてはいけません。
そして、「有罪だということを検察側が証明する」ということをしないと、無罪にしなければなりません。

だって、これを読んでるあなた、たまたま運悪く警察に疑われて、犯人じゃないのに犯人みたいに扱われて、そして、自分の潔白を証明しろ、って言われて、有罪になったら、いやでしょう?

ただ、そうはいっても、有罪だっていう絶対の確信を最初から持てるんであれば、裁判なんかいらないし、
反対に、有罪の確信が無いんだったら、強制捜査をまったくしちゃいけない、って言われちゃったら、犯人に逃げられたり証拠隠滅されたり、証拠を探し当てられなかったりします。

ですから、被疑者・被告人の人権と、真実を発見する目的、と、天秤にかけて、バランスをとっているのが、刑事訴訟法なのです。日本の憲法にもかなり詳しい条文が有ります。



さて、

被害者の人権と、死刑の話

に戻ります。

まず、確認しておきたいのは「被害者の人権と加害者の人権とを比べてバランスを考えるということ」意味が不明、ということです。
後で詳しくいいます。

そして、さらに、被疑者・被告人の人権と比べるのは、意味が無いどころか、絶対におかしい。
被疑者・被告人は、あくまでも、無罪の人として扱われる存在ですから。
法律家でもこういう言葉遣いをする人がいますが、頭がおかしい、と言って良いレベルでしょう。

では、あらためて、

被害者の人権と加害者の人権

の話に戻ります。

刑罰を科すことで、被害者は救われません。

できることで考えられるのは、
・民事の賠償をきちんと受けられるようにすること(死刑執行したら不可能になることです)
・国家が補償すること(制度はあります。改善の余地もあります。)
・精神的なケアなどをすること

もともと、凶悪犯罪に限らず、犯罪に限らず、労働問題も交通事故も、責任を負うべき者が責任を負って損害賠償をしたりなど、被害者との崩れたバランスを戻す(戻そうとする)のは、民法の担当です。
刑法は、それとは別に、犯罪を防ぐために、国家が違法行為をした者を処罰することを担当。

民法と刑法では、目的も機能も全然違います。



救われるということを強調する人が言うことは、
結局、
1.報復感情を満たすこと。
2.殺したら、殺せ。(絶対的応報刑)
両方とも、現在の刑法学理論からは、刑法、刑罰の役割として認めていません。
(結果として、そういう機能が果たされているという見方はあるでしょう。)
ですから、この2点を言う人は、まず、刑法学の基本から論証しなければいけません。


死刑廃止論に対する存置論者=被害者の利益を代弁、という構図を、作る連中は、
・本当に、心底から被害者や被害者遺族のことを考えず
・問題を被害者のことにすりかえて、存置論を正当化しようとしている

裏返して言えば、
存置論を主張するために、被害者や被害者遺族を利用している。


そもそも
死刑廃止をした国の、国会議員の多く(廃止に賛成)は、被害者の人権を考えていないひどい人たちなの?
国連は、主導して、人権条約としての多国間条約、死刑廃止条約を作りましたが(日本は批准していない)、被害者の人権を考えない、トンデモな大馬鹿たれの悪人どもなの?
去年、死刑廃止すべきと言い始めた、ローマ法王(フランシスコ)も、大馬鹿たれなの?

よろしければ、先日書きました、「死刑廃止論」という投稿で、死刑廃止論の理論的なことを最小限(でも長いけど)に、わかりやすくまとめましたので、お読みください。
死刑廃止論全般について先日書いた投稿



 

死刑廃止論

死刑の話です。


 
必要以上に詳しく書くと、キリが無いし、論点がぼやける。

要点を過不足無く書こうと思います。(結局、長いけどm(__)m )

今回は、廃止すべき理由として、理論的なことだけ書きます。

1.死刑制度の運用の問題点(判決まで、と、執行)と、
  死刑廃止に向けての課題。
2.死刑廃止をめぐる政治状況(日本国内、と、世界規模)、政策的な話。
別の投稿で書きます。


最初にぜひ確認したいこと


あらゆる人間の生命は大切なものです。
死刑は、「死刑」という名前の、「国家により正当化された殺人」です。
死刑制度の正当性を証明ができなければ、制度を存続維持すべきではない。
死刑制度の廃止をいう人に対して、「死刑制度が効果がある(抑止力など)ことが、無い、ということを証明せよ」というのは間違いである。


死刑廃止をすべき本質的理由
(国家権力の限界)


国家は、人間の生命を奪う権限を持たない。
「国家がどういう刑罰を科して良いか」という問題は、広く人権(人身の自由など)の問題ですが、
死刑は、単に、人権を「制限する」という通常の人権問題ではなく、
生命を奪う=”人権享有主体性そのものを奪う”ということです。

人権を享有する=人権がある。人権享有主体=人権がある存在=人間
人身の自由(身体の自由)=正当な理由なしに身体的活動を拘束されないこと。自由権の基礎。最近話題になった奴隷的拘束と苦役の禁止も人身の自由。

個人の尊厳原理社会契約説を根拠としています。

社会契約説=国家の正当性の契機を(市民の)契約にあるとする。
(つまり、みんなで「国家を作りましょう」「そうしましょう」って言って作ったものだから、国家は国家として認められる。)
もちろんフィクションです。実際はそんなことはありません。
でも、大事なのは、
・契約で作ったんだから、国家はこうあるべきだ、ということが言えるということ。
・市民の契約で有り得ないようなことをする国家は、国家として認めない、と言えるということ。

つまり、「他者の利益を害しないなど一定の正当な目的のために、国家権力から止むを得ない(人権の)制限を受けることがあるとしても、人権があることの根拠=「人間として生きていること」まで、否定する権限は無い」という論理です。

まあ、「社会契約論」では一番有名なルソーが、「契約の際に死刑の存在についても同意しているはずだ」という論理で存置論です。
もともと社会契約自体フィクションなので、水掛け論になるかもしれませんが。

この論点は、人間とは何か、人間の生命とは何か、国家とは何か、という理解、認識、信条、信仰などと深く関わるものと思います。


刑法理論(犯罪者に刑罰を科す理由)


いろいろとややこしい理論があるのです。

まず、詳しい説明をする前にもっとんの立場

犯罪者の改善可能性は有る、と信じます。(困難さの程度の違いこそあるでしょうが)
改善可能性が有るから、あきらめず、国家は改善の努力(教育)をする。
死刑は反対。
(同じ理由から、(仮出所の可能性の無い)無期懲役、無期禁錮(終身刑)には、反対です。)

この改善可能性については、教育学、心理学によるところが大きくて、今の人智では解明ができていない分野です。
ここでも、やはり、認識、信条、信仰が関わります。

改善可能性が無い、という証明が無い限り、死刑は廃止すべきです。


刑法学は、大きく分けて二つの立場があります。
 
1.「悪い人」が、犯罪を起こすことによって、「悪い人」だとわかる。
.ある人が、犯罪を起こすことによって、「犯罪を起こした事実」がわかる。

1の立場は、悪い人を何とかする必要があるので、「未遂犯か既遂犯か」「結果が重大かそうでないか」などに関係無く、悪い人を教育しなければならない、ということになります。(教育刑論)
2の立場は、犯罪を犯した人に、犯した犯罪に見合った刑罰を科すということになります。(応報刑論)

は(教育刑論)一見魅力的ですが、
科学的にその人の悪さ加減を見極めて、適切な教育を施すのは難しいですし、
権力の恣意的な運用が心配されます。
(例えば、懲役刑の期間を決めないとか。やっていることは大したことではないが、改善の必要がある性分だから教育しちゃおうとか)。
つまり、自由が不当に制限される結果になります。

日本は、一応、2の応報刑論ですが、
犯罪とまったく同じものを刑罰として科す、タリオの法理(目には目を、歯には歯を)=絶対的応報刑論ではなくて、1の立場なども取り入れた形になっています(相対的応報刑論)
絶対的応報刑論は、1の問題にある権力による恣意的な刑罰の適用を排除できる点、とても良いです(カントもこれを理由として強調して、絶対的応報刑論をとり、その当然の帰結として、死刑を肯定している)。
しかし、いつも、極悪の人間だけが重いとされる犯罪を起こすとは限らず、軽い刑罰や執行猶予をつける運用ができなくなります。
日本の刑法(という名の法律)は、かなり弾力的に運用ができるようになっています。(立法のとき、1の立場の影響が強かった)

教育刑の理論は、少年法に多少取り入れられていますが、少年院だけでなく、少年刑務所、通常の刑務所も、世界的に日本は遅れています。
再犯を防ぐ意味から(本人のためにも社会のためにも)重要な課題です。

絶対的応報刑論を採用すれば、死刑は肯定の結論になります。
相対的応報刑論からは、「相対的」なので、一概に答えが出ません。

応報を重視すれば、肯定に傾くでしょう。
日本は、殺人すべてを死刑にしているのではないので、相対的応報刑ですが、”2人以上”など条件を絞って(判例)、死刑判決を出しているので、その中で、ある程度、応報を重視しているといえるでしょう。(最近、裁判員裁判などで例外が有る)
また、死刑の判決文(判決理由)で、「矯正教育による改善更生の可能性がない」という表現が使われるのが普通ですが、これは、ぼくらが普段使う言葉に言い直すと、「どうしようもなく悪い奴で、悪い奴でなくすることはムリ。あきらめちゃおう。悪い奴だから抹殺するしかない」ということになるでしょう。
これも応報を重視しているように見えます。

なお、世間で言われる話の中に、「仏教徒は「因果応報」を信じるから、死刑肯定のはずである」というものがある。
仏教でいうところの「因果」と「因果応報」は自然摂理のものです。人間がそれを代行することを認めるという論理には必ずしもならない。
旧約聖書やコーランにタリオの法理(目には目を歯には歯を)が書いてあって、法令に採用された例もありますので、ユダヤ教、キリスト教、イスラムにも、同様のことが言えます。(ここ数十年で死刑廃止したヨーロッパの国々は、キリスト教国が多い。もちろんその他も有ります)

「月に代わってお仕置き」をするセーラームーンとかだめです。
(もっとんは、セーラームーンについては全然知らないという自覚は有りますので、セーラームーンの話に特化した批判は勘弁願います。)


被害者感情について


存置論をとろうが廃止論をとろうが、死刑など刑罰を論ずるより前に、最初に、犯罪被害にあった人と家族などの精神的・物理的両面のケアを考えるべきです。

そのために、法律や国家ができることは、
・犯罪被害者の国家による補償を厚くして、手続きを簡単にして、速やかな支払いが行われること。
・民事裁判や和解(加害者に対する損害賠償請求など)のバックアップ、請求権が認められた(判決が出た)後で、その履行(支払)が確実に行われるようにすること。
・精神科医や臨床心理カウンセラーによる精神的なケアを、積極的に行う制度を作る。
などです。

これらのことを行わず、考えずに、まず最初に死刑を語るのは、本当にすべき被害者のケアを、自らが忘れて、他人にも忘れさせることになります。


死刑存置論者は、被害者感情と被害者遺族の感情を、根拠とする場合があります。
たしかに、殺された本人、また、殺された人の家族・友人などの心情は、いくら想像してもしたりない。
おそらくは相当壮絶な、「壮絶」という言葉で言い尽くせない、感情でしょう。


そのことを前提として、あえて言う。
被害者感情または被害者の遺族などの感情を、死刑を肯定する根拠とすることは、「被害者保護」を偽装した、「報復」に過ぎない。
個人で、復讐をすれば、殺人罪です。現在は、江戸時代に武士に認められていたような合法的な仇討ちは無い。
国家がやると正当性があるように言うのは、ごまかしでしかない。

そして、加害者が死んだところで、被害者が生き返るわけでなし、被害者の遺族や友人の心が癒されるか。
精神医療や心理学の観点から、専門家の意見を聞きたい。

もう一つ

死刑存置論の弁護士は、被害者遺族すべてが死刑に賛成かのように言うが、それは間違いです。

なお、この問題については、別にも書きました。
被害者の人権と死刑制度の関係 - 死刑廃止論者は被害者の人権を考えないトンデモなのか


刑法の目的


刑法の目的は、法益を守ることです。
法益とは、「生命、身体、財産その他の権利などなど(「権利」に限らず、法によって守られるべき社会生活上の利益」をいいます。)
法益侵害を違法といいます。

この法益の中でも防ぐ必要の高いと考えられるものを、刑罰という強力な手段で守るのが、刑法の役割です。
刑法学で「保護法益」といった場合、最初から「刑法で守るべき利益」ということです。
犯罪を防ぐことを「予防」といいます。
予防には2つあります。
犯罪を犯した人の再犯を防ぐのを「特別予防」といいます。
犯罪を犯した人を処罰することを手段として、その他の人の将来の犯罪を防ぐことを、「一般予防」といいます。

特別予防の観点からは、通常、教育・更生ということが重視されます。
しかし、改善可能性を否定すれば、終身刑や、抹殺=死刑になるでしょう。

一般予防の観点からは、抑止力(将来の犯罪を防ぐ力)が問題となります。
今まで、多くの統計学などのプロが「死刑が凶悪犯罪の抑止力になること」の証明に挑戦しましたが、いまだに証明ができていません。

しかし、仮に、抑止力が証明されたとしても、もっとんは死刑に反対します。
 
上にあげた二つの理由(国家は人権享有主体性を奪う権限が無い、改善可能性を否定しない)に加えて、
もう一つ、凶悪犯罪を行った者であっても、他の凶悪犯(人の命を奪うことなど)を防ぐために、生命を手段としてはならない。
 
一般予防の目的で死刑を手段にするのは、どんなに正義ぶっても、所詮、内実は、見せしめです。
そして、報復抹殺という本音が隠れているのです。



死刑制度一般にある不都合


誤判の場合に、取り返しがつかない。 

冤罪(濡れ衣)のときのことです。
冤罪は「えんざい」
濡れ衣は「ぬれぎぬ」と読みます 

この点、「他の刑罰と同じではないか?」という人がいます。

・お金を取り上げた(罰金刑)。
・懲役刑で、20年閉じこめて働かせた(懲役刑)。
この二つと、殺しちゃった(死刑)。
同じですか?

刑罰自体に、量的な程度問題の差ではなくて、質的な差(性質の違い)があるのです。
だから、この場合、「取り返しがつかない」という言葉の持つ意味、性質が違ってきます。

死刑判決が確定して長期間閉じ込められて、冤罪が疑われるから再審開始を決定して釈放された、袴田さん。(まだ再審やろうとしませんが)

追記:この後、なんと、再審開始決定が取り消されました。

人生取り返しがつかないひどいことになってはいるんですが、死刑が執行されていたら、全然違う意味で取り返しがつかない。

刑法学者の団藤重光は、最高裁の判事をつとめたときの経験から、死刑の場合の誤判が決定的にまずいことを認識して、死刑廃止論者となります。
裁判官をつとめた刑事裁判で、裁判長が死刑判決を読み上げた後、退廷するとき、傍聴席から、「人殺しっ」との声が聞こえたそうです。

・過去の死刑事件の誤判の事例を実際に見ることができる。
・将来、どんなに法令を整えて、どんなに審理を尽くしても、誤判が出る可能性が有ることは否定できない。

この事実を認識していて、(報復は論外ですが)、抑止力を根拠として、死刑を存続させるべき、という論者は、結局のところ、「将来の犯罪を防止するためには、無実の者を殺すこともしょうがない。処刑された人は、たまたま偶然アンラッキーな人」というような認識なのでしょう。
「人殺し」以外の何物でもない。正義の人ぶって、自分は手を染めずに。


憲法36条が禁じる「残虐な刑罰」にあたり憲法違反


憲法
第三十六条  公務員による拷問及び残虐な刑罰は、絶対にこれを禁ずる。

戦後すぐ、死刑の事件で、この問題について言った最高裁判決があります。
最高裁は、死刑一般は「残虐な刑罰」にあたらない、といいました。
(将来、国民感情の変化などを理由に、違憲になる可能性も言っています)

しかし、死刑を合憲とすることは、憲法36条の通常の解釈とは矛盾が有ります。

まず、刑罰の種類の説明。
刑罰は、有罪になった人から、何を奪うかで、分類されます。
・生命刑(生命を奪う)=死刑一般
・身体刑(身体を害する)=手などを切り落とす、むち打ち、百叩きなど(今の日本には無い)
・自由刑(自由を奪う)=懲役、禁錮
・財産刑(財産を奪う)=罰金など


この中で、日本の確立された不動の解釈で、36条の「残虐な刑罰」とされているものがあります。
身体刑です。(日本の現行法にはありません)

上のような分類でいくと、それぞれは全く違うもののように見えます。

しかし、「死ぬ結果にいたる”身体刑”」が死刑なのです。

火炙り、釜茹ではもちろん、銃殺、ギロチン、絞首刑(日本で執行されている方法)は、やはり、身体刑です。
ですから、むち打ちが憲法違反なら、あらゆる死刑が、憲法違反になるのです。
(なお、「薬殺刑が残虐な刑罰と言えるか」は、いちおう議論がある)


「憲法13条と31条が、死刑を肯定している」と言えるか


ところで、憲法13条と31条を根拠に、
1.憲法は死刑を許容している。(上の最高裁はこの立場を判決で言っている)
または、
2.憲法は死刑を積極的に肯定している。
という人がいます。

憲法
第十三条  すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

第三十一条  何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない。


「13条も、31条も、生命刑=死刑の存在を想定している」のは間違い有りません。

しかし、許容しているとまでは言えません。

13条と31条の趣旨は、現在有る刑罰などの制度を前提として、適正手続きの保障だからです。

これを言う人は、13条、31条を文理解釈・反対解釈します。
文理解釈とは「条文の言葉を文字通りにとらえ(生命、身体、財産を例示とはとらえずに)解釈すること」
これを裏面から行ったものが反対解釈。
つまり「適正手続きを保障すれば、死刑を科して良い」と読みます。

憲法に限らず、法解釈学では、条文によって、さまざまな解釈の方法がとられ、条文の趣旨から、文理解釈・反対解釈が正しい解釈の場合も、当然有ります。

しかし、13条、31条を文理解釈して、死刑を積極的に肯定するのは、明らかに間違った読み方、解釈です。

むしろ、「個人の尊厳原理」を宣言している13条は、最初にも言いましたが、死刑廃止の根拠になるとさえ言えます。


世論と死刑

政府のアンケート調査によると、死刑廃止派は少数派のようです。

政府のアンケートの仕方は、判断に必要な情報を与えず、そして誘導的ですが、ここでは論じません。(別の投稿で書きます)

問題なのは、死刑の存廃を論じるのは、人権問題だという認識が欠けていることです。

主権者である国民が国会を通じて、民主主義で決めた、「法律」でさえも、ひっくり返すことができるのが、人権思想であり、自由主義であり、立憲主義なのです。
立憲民主制は、憲法に制限された民主主義なのです。
多数派から、少数派を守るために、憲法はあるのです。

「世論を無視しろ」というのはいけません。主権者国民を尊重しなければいけません。もちろんです。
しかし、人権問題の根拠に世論を使って正当化するのは、「人権」という言葉をまったく知らない人のやることです。

ヨーロッパの国々で廃止しようとしたとき、世論は反対がかなり多かったことが参考になると思います。
また、死刑廃止国で何年かして、制度復活の世論調査をすると、
「復活しないで良い」がかつての廃止派より増えていたり、 
「復活した方が良い」という人が比較的多くても、政府が復活させなかったり。

別に書いたものも参考にしてください。
死刑廃止条約とは - 死刑廃止の多国間条約について -

世界の潮流、外国の思想。そして日本がどこの国に近いか。

今回、このブログでは初めて、コメント欄を設置しました。
忌憚の無いご意見、お願いいたします。
罵詈雑言もご自由にどうぞ。

これも書いたので、読んでくださいませ(o*。_。)oペコッ
死刑制度と現場での犯人射殺 - 全然違うものを比べてはいけない



EUとは。人権、憲法などとの関係で考える。国連のことも。

イギリスが、国民投票で、EUから離脱することを決めましたね。

経済的な混乱が世界的に起きているようですね。
離脱まで、そして、離脱後にどのような世界になるのか。

※EUはEuropean Union の略です。日本語では、欧州連合と訳されています。

これからの世界情勢や経済のことについて、専門的に論じることは、このブログではやりません。
もっとんより能力の有る人にまかせれば良いです(^o^)


このブログでは、人権思想とEUの関係について書きます。

思いましたか?
なんの関係があんの?って。
 
それが大有りなんです。

国家とは何か?人権とは何か?という話からなのです。

人権とは、あらゆる人々が一人も例外無く、人間であるということだけを理由に認められる権利の集まりです。
一人一人が、例外無く、かけがえの無い、大切な存在だとして、扱うということが、人権を守るということです。

一人一人が大切ということから、当然に人権の内容も同じでなければいけません。

ここから、法の支配法の下の平等という考え方が出てきます。

 
正しい法が一つでなければいけない、ということになります。

国家も一つ、
憲法も一つ、
憲法が守られているかの最終判断をする所(裁判所)なども一つ、

ということになります。

「じゃあ、世界中全部同じ法律にしろってことか?」っていうツッコミは、ちょっと違います。
 
日本にもその他多くの国にも地方自治がありますよね?
それに、アメリカやドイツを始めとしてたくさんの連邦国家がありますね?

連邦国家の詳しい説明は省略しますが、
ざっくり言うと、連邦国家とは、
一つ一つの州が国家(一つの法システムで運営されている)で、さらに州の集まりが連邦として一つの国家にまとまっている(一つの法システム=連邦法でで運営されている)。
というものです。
連邦国家によって、違いもたくさんありますけどね。(連邦の権限、州の権限が違う)

難しい?(;^_^A

何が言いたいか、というと、
人権思想から、一つの憲法、一つの国家といっても、それぞれの地域の実情を無視して、全体の考えを押し付けるのではない、ということです。
押し付けだと、自由主義ではなくて、全体主義になってしまう。
三権分立と並んで、地方自治も、自由主義からの結論なのです。 

そもそも、自由主義、近代立憲主義自体が、国民の自由を尊重しろ、国家の価値観を押し付けるな、というのが出発点なのですから。

押し付けを広げるのだと、戦前の、日本の八紘一宇の大東亜共栄圏とか、ドイツの第三帝国になってしまう。



世界が一つの国なら、国と国との戦争は無いのです。
国でないテロ集団とかとの戦争や、内戦とかはあったりするのだった(;^_^A


戦後できた国連(国際連合)はどうなの?

基本的には、国の代表者が集まって話し合う場ですね。たくさんのNGOも参加していますが。
いろいろな機関があって、それこそ、複雑に大変な仕事をしている人がおおぜいいます。
詳しい説明は省きます。また今度(^o^)/ 

国連は、戦後、人権保障と平和のために、作られました。
国ごとにバラバラではだめだと考えたからです。
 
なかなかうまくいかないことも多いかもですが、なんとかかんとか頑張ってらっしゃる。
国連憲章という条約を基本にいろいろな条約で運営しています。
条約は、国と国との約束です。
目指すところは、地球連邦とか世界連邦ですが、まだ、途中の妥協です。

妥協だから、民族の自決権とか集団的自衛権を認めたりしているのでした。 
この2つ、特に民族自決をどう考えるかは、ものすごく難しいかもです。 

国際法、国際人権法との関係で重要なことは2つ。

1.国際法(国際公法=国と国との関係の国際法)の問題は、国際司法裁判所で決着をつけましょう。

2.人権侵害があって、その国の裁判所などで解決されない場合は、個人が国連の機関に訴えることができるようにしましょう(個人通報制度
(いくつかの人権条約(自由権規約など)の選択議定書にかかれています。
選択議定書も条約ですが、オプションにすることで、本体の条約を批准しやすくするためです。
なお、日本は、司法権の独立を理由に、これらの選択議定書全部を批准していません。アメリカもです。他の先進国では無いことです。)


また、国連だけでなく、地域ごとに、こういう取り組みをしているところがあります。
アメリカ大陸とヨーロッパ大陸です。

アメリカ大陸には、中南米24カ国が加盟している米州人権条約とそれに基づく米州人権裁判所が有ります。
加盟国と米州人権委員会が訴えることができます。個人通報制度はありません。

ヨーロッパの欧州人権条約欧州人権裁判所は、個人通報制度があります。国連といっしょです。(国連が後ですが)

そして、欧州人権裁判所の判決は、加盟国に対して強制力があります。
これは非常に大事なことです。

考えても見て下さい。
法だ、法だ、これが正義だ、判決だ、と言ってみたところで、強制力が無いとただの宣言なのです。こわくないのです。
刑罰が執行されない刑事判決みたいなもんです。

そして、国連の委員会のには、強制力が無いのでした。


欧州人権裁判所は、欧州評議会の機関です。欧州評議会には、他にもいろいろ機関があります。

1949年に、欧州評議会規程(ロンドン条約)で、欧州評議会が作られました。
他にもたくさんロンドン条約と呼ばれるものがあるので注意。
加盟国は47です。(EU加盟国27は全部加盟しています)。
設立国は、イギリスを含む10ヶ国でした。
その他、欧州人権条約を含む多くの条約があります。

日本の降伏直前まで、イギリスで首相だったチャーチルが、ヨーロッパ合衆国や欧州評議会を作ろう、と演説したりしていました。

今回、EU離脱をイギリスが決めちゃったのは皮肉ですね。

欧州評議会規程前文には、
「その人民の共同の世襲財産であり,かつ, すべての真正の民主主義の基礎を成す原則である個人の自由,政治的自由 及び法の支配の真の根源である精神及び道徳の価値のために献身するこ と」
と書いてあります。

第1条には、
「加盟国の共同の世襲財産たる理想及び主義を保護実現し, ならびに加盟国間に一層緊密な統一を達成すること」

第3条には、
「欧州評議会の各加盟国は,法の支配という原則 とその管轄権内にあるすべての者が人権及び基本的自由を享有するという 原則を受諾し,かつ,第1章に明記する評議会の目的の実現に誠実にかつ 有効に協力しなければならない。」
と書いてあります。

以上、立命館大学のページ(PDF)からの引用です。


こういういきさつがあって、こういう目的なので、当然、ヨーロッパが協力して、一つの国を作ろう、という流れなのです。

それで、いろいろと、~機構とか~共同体などが作られました。
みなさんご存じのOEEC、NATO、EEC、ECとか。

いろいろ紆余曲折が有って、やっと、1993年にEUが誕生するのでした。(マーストリヒト条約=欧州連合条約
EUは、もう一つ、1958年の欧州経済共同体設立条約も根拠にしています。ややこしい?

政治的まとまりも重要ですが、経済的な統合があったりします。
通貨統合(ユーロ)をしたりしてますね。
EUのすべての加盟国でない点に注意です。イギリスもずっとポンドを使っていますね。

いろいろな改革を盛り込んだ、欧州憲法条約を作って、いよいよ本格的に一つの国家になろうとしたんですが、フランスとオランダが国民投票で拒否。

結局、2007年、リスボン条約ができて、2009年に発効しています。

※リスボン条約=欧州連合条約および欧州共同体設立条約を修正するリスボン条約


まとめ

人権、平和、憲法、国家、国連、EU
これらの言葉をばらばらに理解などできないのです。

経済が大事でないとは言いません。人間、食べていけてなんぼです。

でも、それだけでは幸福ではない。

日本人は、字とか音声ばかりにとらわれて、言葉の定義を確認した上で話すということが苦手のようですが、それでは議論ができないのです。言葉遊び?
なんのために議論をするのか。
同じ字、同じ音声の言葉を、ほぼ同じ意味で使わなければ、コミュニケーションができないじゃんか。

せっかく、「けんぽう」とか「りっけんしゅぎ」とかという音声が、多く聞かれるようになったんだから。

EUについて、話すときも、ちょっとだけ、人権とか、憲法とか世界平和の話をしましょうよ。


EUが、加盟国に、死刑廃止を要求するのは、みなさんも知っているでしょう?
不思議ではなかったですか?
EU基本権憲章に書いてあるのです。 (リスボン条約で、法的効力を持ちました)
欧州人権条約の第6議定書と第13議定書にも書いてあります。
一応、もう1回確認しますが、欧州人権条約は、欧州評議会の条約です。

に書きました。


難民や経済の問題など多くの問題が有って、なかなか理想通りにはいかない。
けれども、今回のイギリスの結果が、理想に近づく流れに逆行しているのは確かなのです。
北部アイルランドが独立の動きを再開するのではないか、という心配も有ります。
スコットランドもね。
独立自体に反対はしませんけども。



※条約についての基礎知識メモ

条約の締結とか批准とかって、よく聞くけど何よ?

条約は、国と国の約束ですから、「締結」っていうのはわかりますよね?

「批准」が難しい(;^_^A

日本で言うと、内閣が署名した条約を国会が承認すると、締約国に義務を負うと同時に、日本の国内法になるんです。これが批准です。(締結の一つの方法です。)
日本では、憲法の下、法律の上。
国によって、手続きが違ったり、批准が不要だったりとかします。
条約の位置も違ったりします。


3ヶ国以上の国の間で条約を結ぶことが多いです。
多国間条約といいます。

これにたくさんの国で署名して「こんな条約で良いよね」と確認します。これで条約の内容が決まります。
署名した国=署名国

その後、批准しちゃうのです。署名した国に限りません。

署名だけして、批准しないこともあったりするのです。
普通の多国間条約は、少しの国の間だけで決めても意味が無いので、意味がある国の数を決めておいて、その数を批准国が超えると発効する、と決めてあるのが普通です。

外務省のページにわかりやすい図(PDF)があるので、どうぞ。 



国連憲章の前文の全文と、第1条の一部の日本語訳を載せておきます。
国連広報センターのページの引用です。

もっとんが、キーワードと思う言葉を太字にしました。 

日本の憲法の前文と9条に似てません? 


国連憲章の前文

われら連合国の人民は、 
われらの一生のうちに二度まで言語に絶する悲哀を人類に与えた戦争の惨害から将来の世代を救い、
基本的人権と人間の尊厳及び価値と男女及び大小各国の同権とに関する信念をあらためて確認し、
正義と条約その他の国際法の源泉から生ずる義務の尊重とを維持することができる条件を確立し、
一層大きな自由の中で社会的進歩と生活水準の向上とを促進すること
並びに、このために、
寛容を実行し、且つ、善良な隣人として互いに平和に生活し、
国際の平和及び安全を維持するためにわれらの力を合わせ、
共同の利益の場合を除く外は武力を用いないことを原則の受諾と方法の設定によって確保し、
すべての人民の経済的及び社会的発達を促進するために国際機構を用いることを決意して
、 これらの目的を達成するために、われらの努力を結集することに決定した。
よって、われらの各自の政府は、サン・フランシスコ市に会合し、全権委任状を示してそれが良好妥当であると認められた代表者を通じて、この国際連合憲章に同意したので、ここに国際連合という国際機構を設ける。


第1章 目的及び原則

第1条

国際連合の目的は、次のとおりである。
1.国際の平和及び安全を維持すること。そのために、平和に対する脅威の防止及び除去と侵略行為その他の平和の破壊の鎮圧とのため有効な集団的措置をとること並びに平和を破壊するに至る虞のある国際的の紛争又は事態の調整または解決を平和的手段によって且つ正義及び国際法の原則に従って実現すること。
2.人民の同権及び自決の原則の尊重に基礎をおく諸国間の友好関係を発展させること並びに世界平和を強化するために他の適当な措置をとること。
3.経済的、社会的、文化的または人道的性質を有する国際問題を解決することについて、並びに人種、性、言語または宗教による差別なくすべての者のために人権及び基本的自由を尊重するように助長奨励することについて、国際協力を達成すること。
4.これらの共通の目的の達成に当たって諸国の行動を調和するための中心となること。






 

国民が憲法を守る義務って、書いていいの?いけないの?

憲法に、憲法尊重擁護義務が書いてあります。

天皇と、国会議員、大臣、裁判官などの特殊な公務員(特別職の国家公務員)を含む、 公務員に、この義務が書いてあります。

第九十九条  天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。

「これに、国民も入れましょう」という話が有ります。
これに対して、「いや、入れるべきではない」という人たちがいます。

どちらが正しいのでしょうか?

国民を入れよう、という人は、「ドイツの憲法にも書いてあるよ」と言います。

なぜ、ドイツのには書いてあって、日本のには書いていないのでしょうか?
やはり、日本の憲法は、時代遅れなんでしょうか?

まず、日本の憲法には、なぜ書いていないのか? を、考えてみましょう。

そもそも、憲法って何?って話をすれば、自然と答えが出るのです。

「国民・人民の権利を守るために、国家の義務を定めたもの」が憲法です。
人権のカタログ(権利章典)と、統治の、二つの部分でできています。
統治の部分も、どう民主的にするか、どうやって人民の権利を守るか、と考えて、決められています。

この、憲法って何?という基本をすっとばして話されていることは、全部でたらめです。
もはや、憲法についての議論ではないのです。


だから
国家の義務が書いてある=当たり前
公務員が憲法を守る義務が書いてある=当たり前
国民・人民の権利が書いてある=当たり前



とは言っても、国民の義務も書いてありますよね?

学校でも習った三大義務ですね。

納税の義務、子女に教育を受けさせる義務、勤労の義務。


まず、納税の義務から

第三十条  国民は、法律の定めるところにより、納税の義務を負ふ。

どんな団体でもお金が無いと運営できません。
パトロンでもいなければ、会費を集めませんとね。

国家も同じです。
税金を集めませんと。
でも、会の会費は、会費をとられるのをわかってて、会に入りますよね。 
どこの国の国民になるかは、帰化とかが認めらるのでなければ、親の国籍などで決まってしまいます。
自由に入ったり出たりできません。
「強制加入の団体」なのです。 
だから、そこで、問答無用にとられる税金は、取り放題にされては困ります。

だから、租税法律主義といって、(国会が決める)「法律」でしか決められない、ということになっています。
(84条、さっきの30条にも)
役所が命令で決めてもいけません。
裁判所が決めてもいけません。

   第七章 財政

第八十三条  国の財政を処理する権限は、国会の議決に基いて、これを行使しなければならない。
第八十四条  あらたに租税を課し、又は現行の租税を変更するには、法律又は法律の定める条件によることを必要とする。
第八十五条  国費を支出し、又は国が債務を負担するには、国会の議決に基くことを必要とする。

以下略

名前が「○○税」でなくても、手数料とかでなく、とにかく問答無用で取られちゃうのは、この条文でいう「税」です。

租税法律主義も含めて、国家の財政について、民主的に決めなければいけない、っていう考えを、財政民主主義と言います。

脱税とかすると、刑罰などがあったりするのでした。


次に、子女に教育を受けさせる義務

義務教育って言葉、知っていますよね?
この義務で受ける教育のことです。今の日本だと小学校と中学校ですね。

勘違いしている人が、相当多くいますが、
子どもが教育を受ける義務ではありません。

子女(男の子、女の子)に教育を受けさせる義務、です。

義務があるのは、保護者=親(親権者)と未成年後見人です。
よく学校で保護者って呼ぶのは、親だけでなく未成年後見人を含んでいるからです。

民法 第四編 親族  第五章 後見
    第一節 後見の開始

第八百三十八条  後見は、次に掲げる場合に開始する。
一  未成年者に対して親権を行う者がないとき、又は親権を行う者が管理権を有しないとき。
二  後見開始の審判があったとき。
 
以下略

子どもに、「義務教育なんだから、学校に行かなきゃだめじゃないか」は、大間違い。
親に「子どもを学校に行かせてあげなければだめじゃないか」が正解。

子どもに義務があるどころか、憲法は「教育を受ける権利」を保障しています。
これは、自由権として、教育を受けるのを、国家がじゃましてはいけない意味もありますが、
社会権として、国家が、子供を含む国民に、教育を受けることができる環境を提供する義務があるのです。

憲法とは何か?がわかれば、子供に変な義務を課すことが、不自然だと気づくべきなのです。

人が先、国家が後、が、憲法です。立憲主義です。
国家が先、人が後、は、国家主義です。

第二十六条  すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。
2  すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は、これを無償とする。

条文も、教育を受ける権利とセットになっていますでしょう?

ここでいう法律は、教育基本法や学校教育法です。

ところで、子供を学校に行かせないと、親が罰を受けることがあります。
でも、いじめにあってる子どもを学校に行かせない、とか、正当な理由がある場合は、もちろんOKです。
あくまでも、子供の幸せのための、親の義務であり、国家の義務なのですから。

学校が、子供の事情を無視して、とにかく来させろ、みたいに言うのは、頭おかしいのです。


次に、勤労の義務

国民は、働かなければいけない、ってことなのです。

が、しかし、働いてなくても、何か罰を受けるとか、そういうことはありませんよね?
働けるのに、就職できるのに、働かない人は、生活保護などは受けられませんよ、と。
ただ、それだけの意味です。

お金持ちで、働く必要が無い人。
病気とかで働けない人。

そういう人に、「働け」というようなことを、憲法が言っているわけではないのです。

第二十七条  すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負ふ。
2  賃金、就業時間、休息その他の勤労条件に関する基準は、法律でこれを定める。
3  児童は、これを酷使してはならない。

この条文(1項)は、もろ、一つの文で、権利と義務がセットでしょう?
2項、3項も、労働者を守る条文でしょう?


さて、話をもとに戻しましょう。

そもそも、憲法とは何か?から、憲法に、国民の義務が書いてあることが例外なのがわかりました。

では、なぜ、ドイツの憲法(ドイツ連邦共和国基本法)には、国民が憲法を守る義務が書いてあるのでしょう?

ドイツは、「戦う民主制」 を採用しているからです。

「戦う民主制」 って何よ?

普通の民主制は、みんなが言いたいこと言って良い状態(表現の自由が保障されている状態)で、議論をいっぱいすると、正しい答えが出てきて良いじゃんか、と。(思想の自由市場)

それで、多数決(法律など )で、少数派がいじめられるときは、人権侵害として、その法律などを無効にして、助けましょう。(立憲民主制)

ドイツも、もちろん、立憲民主制なのですが、
ドイツは、戦後、反省しまくるのです。
そして、日本と違って、ずっと決意が固いままなのです。

多数派の意見が通って少数派がいじめられる状態が出来上がってしまっているのが全体主義です。
ドイツは、戦前、全体主義になってしまった歴史を絶対に繰り返してはいけない、と固く決意したのです。
憲法を慎重に徹底的に良く作るのは当然で、その上で、どんなに良いと思った憲法の下でも、国が間違った方向(全体主義)に行ってしまうのをなんとしてでも防ごう、という決意です。 

ですから、「民主主義に反対する表現の自由などを認めない」という、かなり思い切った民主制を導入したのです。
18条から21条に書いてあります。
その場合でも、人権を不当に制限しないように、条文が作られています。


そうすると、なぜ、ドイツの憲法が、国民に、憲法を守る義務を定めているのか、答えが見えますね?

ドイツの考え方は、それなりの合理性があります。

日本や他の国でも、表現の自由は無制限では無いものの、他人に害が無ければ、極力尊重されるべきものです。
詐欺や脅迫、名誉棄損などの表現は、当然に制限があります。

実害が無い場合は、制限がありません(なぜか日本にはたくさん有るように見えますが)。

実害の無い場合に、表現の自由を、内容で分けて規制するドイツのやりかたには、やはり批判があります。


こんな議論、見たこと、聞いたことありましたか?


日本人の、「ドイツが国民の憲法を守る義務を決めてるから、日本でも」ってのは、レベルが低すぎるのです。
ってか、そもそも、まともな議論ではないのです。

ドイツが、全体主義になった過去を反省して、矛盾を承知でやっていることと、
日本人のばか政治家が、憲法を理解せず、憲法を憲法でないものにしようとしている、
国民の権利が、無原則に侵害される状況を作り出そうとしている、というのは、
真逆の方向に向かっているのです。

改憲をじゃんじゃんしましょう、って言う人の中には、
ドイツは、たくさん憲法を改正しているじゃんか、って言う人がいますね?

背景には、ドイツの憲法が、日本の憲法に比べて改正しやすい、っていうのもありますが、
ドイツの憲法が改正されるときは、ほとんどが、技術的な改正なのでした。




 

グリム兄弟の本業?(法学者)といろんな法源(制定法、慣習法、判例とか)

シンデレラ、白雪姫、赤ずきん、ヘンゼルとグレーテルなど、多くの有名な童話を収集編纂したグリム兄弟は、非常に有名ですね。
ドイツ中を歩き回って、民話を集めたんですが、
同時に、ドイツ中で行われている慣習法も調べて集めていたのでした。

基礎法学を勉強した人や民法の歴史などを勉強した人には、けっこう有名な話なのですが、グリム兄弟は両方とも法学者なのです。 政治的にもかなり活躍しています。特にお兄さんのヤコブの方は大活躍です。
とはいっても、最近の研究ではやはり言語学の方に力を入れたかったのが本心らしいということで、どっちが本業なのかは、謎です。
まあ、どっちでもよいですけど(^o^)

それで、その「慣習法って何?」って話です。 

慣習が法だったりするのです。

慣習って何よ?」っていう話ですよね?

字は習慣の逆さまですね?
習慣」は、「個人のしょっちゅうやってることで当たり前になっちゃったこと」ですね。
慣習」は、「一定の社会の人たちみんながやってる当たり前になっちゃってること」、をいいます。

みんながやってて当たり前になっちゃってるから、すごく当たり前だと法になっちゃうのでした。

それでも、いろいろと考え方の違いもあります。
いつも仲良くというわけにはいきません。
いろいろと言い争いになることもあります。

じゃあ、堂々と議論をして、どっちに理屈があるか正義があるか、ちゃんとした人にジャッジしてもらっちゃいましょう、ということで、裁判になります。

人間社会はけっこう複雑ですが、ある程度、同じようなパターンが繰り返されたりします。
同じようなパターンの事例には同じような主張がされて、同じようなジャッジがされます。
同じような事例に同じようなジャッジが繰り返されると、これまた法になっちゃいます。
これが、判例法です。

慣習法とか判例法でも良いですが、やっぱり、きちんと文章になっていた方が安心ですよね。
みんなで集まって、わいわい話して、きちんとしたシステムを作りたいですよね。
あるいは、権力を持っている人は、これが法だっていうものを作っておきたいですよね。
これを制定法といいます。成文法ともいいます。

どこの国でも、程度の差はありますが、だいたい似たような歴史をたどっているようです。
政教一致の国は例外的ですけどもね。
中世ヨーロッパの教会が裁判やってたころとか。
イスラムの国の中で、政教一致の傾向の強い国とか。


古代ローマ帝国は、何千年も前の大昔に、かなり体系的にしっかりした法典(制定法)を作っています。
今の日本を含む多くの国の民法に大きな影響を与えることになります。すごいですね(^o^)/

日本人は、どうも、法っていうと、「お上が作った、してはいけないことの集まり」=「法度」(はっと)を想像しがちですが、それは、日本人が江戸時代に染み込まされた感覚で、もっと昔からの感覚ではなかったのです。

ちなみに江戸時代に、みなさんご存じの有名人、大岡越前がいますね。
あの人は、町奉行でした。

町奉行っていいますのは、町人(商人、職人 )について、さまざまな行政を行ったり、警察をやったり、訴追したり、裁判をやったりしました。幅広いですね(^o^;
民事の裁判も刑事の裁判もやりました。
獄門(死刑)判決を出したりするのは時代劇の嘘です。そこまでの権限はありませんでした。

話がそれましたが、判例の積み重ねをまとめようという話になります。 
大岡越前を重用した、徳川八代将軍吉宗です。
暴れん坊将軍ですね(^o^)/

吉宗に言われて、お偉いさんにまじって、越前がまとめたのが、公事方御定書(くじがたおさだめがき)、その下巻が刑事の判例をまとめたもので、御定書百箇条(おさだめがきひゃっかじょう)とか呼ばれるものです。
このときの越前は、寺社奉行だったりしますが。

明治になって、近代国家を大急ぎで作ることになりました。
近代的な法律を整備するのには、二つの理由がありました。 
・一つは、近代的な法律を整備しないと富国強兵ができない、ということです。
・もう一つは、不平等条約の改正です。
どういうことかというと、近代法の整備ができていない野蛮な国で「裁判を受けたくない」「関税を決められたくない」と、欧米人に言われて、外国人の治外法権(日本の法律、裁判権が及ばない)、関税自主権が無い、という条約だったのです。 
鹿鳴館で毎日ダンスパーティーをやってたのも同じ理由だったりする(^o^;

そこで、 明治に大活躍した雇われ外国人、パリ大学教授のボアソナードの登場です。

ボアソナードは本国フランスの法律の考え方を基本に、まず刑事訴訟法(治罪法)、刑法を作ります。
次に、フランス民法を基本に、日本の民法(案)を作りました。
 フランスの法典といえば、ちょー有名人のナポレオンが作ったものです。
ナポレオンは、缶詰やメートル法など、数々の偉業が有りますが、法典の編纂、特に民法の編纂が一番の功績と言われています。

民法というのは、私法の基本です。
私法というのは、私権について、定めた法です。
国家と国民ではなくて、
国家から自由を保障されたことを前提として、
国民同士が自分の意思で(契約など)活動することについて定めているのです。

ですから、自由の保障を求めて起こったフランス革命が、ナポレオン民法典によって、一応完結した、といって良いのです。人権宣言だけでは終われないのです。
そして、ナポレオンの支配を受けた国がナポレオン法典の影響を強く受けました。


話は日本に戻ります。

フランスの民法は、一つの事例を解決するのに順番に読んでいく書き方がされていますので、一つの同じことについてがあっちこっちに書いてあります。

今の日本の民法の親族とか相続にあたることが、日本に合わない、という人がいて、大騒ぎになったりしたのでした(民法典論争)。
そこで、結局、ボアソナード民法はお蔵入りになってしまいました。

さて、どうしようとなったとき、目をつけたのが、ドイツの民法です。
当時のドイツは、日本同様、後進国で、やはり近代法整備にあせりまくっていました。
そこでできた民法草案は、二つの特徴がありました。
・まだ、たたき台の段階(第一草案)だったので、条文の数がめちゃくちゃ少なかったのでした。
・そして、フランスの民法と違って、同じ関係のものを整理しまくる作り方なのでした。
(そのかわり、初心者にはさっぱりわからんです。)

日本には都合が良かったのです。

なぜかといいますと、親族とか相続の部分は純日本風でいいや、と。
そして、その他の部分(財産法)もいろんな国の条文をつまみ食いできるね、と。
日本独自の制度も入れることが簡単にできるね。
そして、急に本格的な法律を作っても、法律が浮いちゃってもいけないから、隙間だらけにしておいて、後は判例で埋めていけば良いね、と。
結局、千条くらいしかない法律になりました。

ドイツとかスイスの、憲法もその他の法律もおそろしく条文の数が多いのです。 
なぜかと言いますと、行政はもちろんのこと、裁判官が勝手な判断をするなんて許せない、っていう発想があるのでした。
だから、おそろしく細かく具体的に書いてあるのです。

ちなみに、日本の法律は、どうでも良い使えない法律は山のようにあるのですが、細かくきちんと定めるっていうことはできていないです。細かすぎて役所に便利な法律もけっこうありますけどね。
あまり細かすぎても意味が無いのですが、選挙で選ばれた議員が作った法律にあいまいな部分が多いと、結局、行政や司法の好き放題になってしまうのでした。

ちなみに、日本の民法の家族法でない部分、財産法の部分は、形はドイツのですが、中味は、ドイツ法のほかに、フランス法もいっぱい入っていまして、イギリス法もちょっと入っています。
当時の日本の法学界では、イギリス法学とフランス法学が主流だったから、当然でしょう。
明治や法政は、フランス法の法律家が作った大学、中央は、イギリス法の法律家が作った大学です。

さらに、日本的なものも、もちろん入れちゃいました。

比較的わかりやすい話を一つ。
ふつう、外国では、土地とその上に建っている建物は、一つの不動産なのですが、ご存じのように、日本では、土地と建物は別々の不動産です。
そのことからくる不都合を解消するために、法定地上権という日本独自の制度も作って、盛り込んじゃいました(^o^) わからんで良いですよ(^o^)/

明治の日本人は、短期間に、完成度の高い民法典を作ってしまったのでした。

それで、まあ、判例を積み重ねて、今にいたるわけです。

で、日本の国会議員はバカばかりなので、明治の法律家が夢見た、成熟した判例を条文にする作業はほとんど行われずに、平成になって30年近くたっちゃったのでした。民法ができてから、120年たっちゃいました。
多少、社会問題になったものや、外圧や財界の要望があったものは、改正がされましたが。
なお、戦後すぐ新憲法施行と同時に、親族相続は全面的に改正がされました。
でも、70年たっちゃいました。(特別養子縁組制度などの追加は有りました。)
親族相続(家族法)についても、問題がてんこもりなのはご存じの通りです。

ここまで話しておいて、なんですが、判例ってなんでしょうね? 
ちなみに、みなさん、結論の部分について、先例となっているものと思っている人が、相当多いと思うんですが、残念ながら違います。
~年の~刑とか、~万円を払え、とかっていうところは、判決の中の主文といいまして、判例にはならないのです。

その主文に持って行く理屈をこねているのが、判決理由になるわけですが、判決理由の中の、証拠を元にした事実認定ではなくて、どう法解釈をするかの理屈をこねている部分の中で、後の判決理由を書く先例となる部分があります。
これをラテン語で、レイシオデシデンダイっていうんですが(わからんでいいです(^o^) )

どうも、日本で、裁判例といわれているものは この辺りのこと(まったく同じではないかも)で、最高裁判所の裁判例が、判例といわれます。
なぜ、最高裁判所の裁判例が判例といわれて特別扱いなのかというと、法の下の平等の要請です。

よく、みんな、下の裁判所から上の裁判所に訴える、っていうと、「とにかく上に判断してもらおう」とか、「とにかく三回やってもらおう」とか言いますが、そういう問題じゃないのです。
日本のあちこちで、同じようなことで違う判断がされたら、
ちょっと前と、今と、ちょっと後で、同じようなことで違う判断がされたら、
平等じゃないのです。
だから、そろえるために、同じ系列の裁判所の上に判断を求めることができるのです。
そして、上の裁判所も同じことをやってくれると思ったら大間違いなのでした。
まあ、物理的にも無理なのです(じいさん(裁判官)たちが死んじゃう)が、実際、上の裁判所に訴えても、却下されることが圧倒的に多いです。
フランスの最高裁判所にあたる裁判所は、その名もずばり「破棄院」です。

憲法
第七十六条
 すべて司法権は、最高裁判所及び法律の定めるところにより設置する下級裁判所に属する。
2  特別裁判所は、これを設置することができない。行政機関は、終審として裁判を行ふことができない。
3  すべて裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される。

この憲法76条の司法権が裁判所にある、っていう話は、それだけ重要な意味があるのです。

 
イギリスは、コモンローの国で、いろいろと歴史で積み上げてきたものが中心で、国会の作る法律で補っています。
アメリカは、判例法の国で(ルイジアナはナポレオン法典ですが)、判例を、議会が作る法律が補っています。

日本は、ドイツやフランスと同じで、制定法主義の国です。

制定法っていうのは、ちゃんと作る人がいて、条文になっているものです。成文法ともいいます。
国会の作る法律、内閣が作る政令などや、内閣が結んで国会が承認する条約などです。
ちなみに、慣習法とかの、制定法でないものは、不文法といいます。

日本は制定法の国なので、慣習法などは、制定法の下になるのが基本ですし、判例は判例法という法源にはならないはずです。
ただ、ドイツやフランスは裁判官を信用しない傾向があって、とにかく法律を細かく決めます。
日本は、判例で補っている部分がかなり多くて、一種の判例法があるといっても、全然おかしくありません。

なんか、難しい話ですね(@_@)
なんで難しいのかな、と。
「三権分立をどう考えるのか」「民主主義をどう考えるのか」というような、根本の問題が、底にあるから難しいのです。
三権分立って、何だか本当に知ってる?に詳しく書きました。

前にも書いたこと(弁護士や裁判官は、六法全書を丸暗記してるって、本当?)ですが、「法律の条文を読めば、憶えれば、法律家が勤まる」なんてことは、日本を含めたどこの国にも存在しないことだ、ということはわかっていただけるでしょうか?

ちなみに、一応言っておきますと、商法の分野では、強行規定以外のことでは、民法より商慣習が上だったりします。

商法

(趣旨等)
第一条  商人の営業、商行為その他商事については、他の法律に特別の定めがあるものを除くほか、この法律の定めるところによる。
2  商事に関し、この法律に定めがない事項については商慣習に従い、商慣習がないときは、民法 (明治二十九年法律第八十九号)の定めるところによる。

ややこしいですね。

グリムから、ここまで話を引っ張るのってどうよ?って人もいるかもしれませんが、導入から中味、結論にいたるまで、確信犯のもっとんなのでした (^o^)v

こんな長い文章を最後まで読んでいただいて、本当にありがとうございますm(_ _)m




 

仮処分とは何か。

怒る関経連「なぜ一地裁の裁判官が」 高浜原発差し止め:朝日新聞デジタル


仮処分のニュースです。
最近、原子力発電所の再稼働のからみで、仮処分のことが、よく話題になっていますね。 

でも、そもそも、仮処分、って、なんでしょうか?
関経連の人も、関経連の人を批判する人も、正確に理解していますでしょうか?

民事保全法に出てくる言葉です。

初めて聞きますか?

民事保全法とはどういう法律か。

第一条に書いてあります。

(趣旨)
第一条  民事訴訟の本案の権利の実現を保全するための仮差押え及び係争物に関する仮処分並びに民事訴訟の本案の権利関係につき仮の地位を定めるための仮処分(以下「民事保全」と総称する。)については、他の法令に定めるもののほか、この法律の定めるところによる。

難しい言葉がいっぱい出てきましたね。
説明しますので、安心してくださいませ(下の説明は、全部、民事訴訟法の言葉として説明します。刑事訴訟法の説明ではない、ということです。)

民事訴訟の本案=民事訴訟で、原告(訴えを起こした人)が、こういう判決をもらいたい、という内容のこと

この本案についての判決が、本案判決

原告の請求が認められた判決なら、認容判決
原告の請求が認められない判決なら、棄却判決
他に、一部認容・一部棄却判決もあります。

判決=3つある(判決、決定、命令)裁判(裁判所や裁判官が行う拘束力のある判定)のうちの一つで、本案判決訴訟判決があります。
判決は、裁判所が出します。

この場合の裁判は、憲法の「裁判を受ける権利」とかの、訴訟全体の意味ではなくて、一定の手続きの後、裁判所や裁判官が出す、裁定のことです。
この場合の裁判所は、建物や組織のことではなくて、裁判をやるときに座ってる、3人だったり1人だったりの合議体(話し合って決めちゃう人たち)のことです(訴訟法上の裁判所)

民事訴訟の本案の権利の実現を保全するための」というのは、つまり、最終的には、本案判決が、認容だったり、棄却だったりで出るにしても、本案判決が出る前に、権利を争っていることが変更されてしまって、取返しがつかなくなっちゃうのを防ぐために、ちょっと待て、そのままにしとけ、というのが目的。

1条には、仮差押えと2種類の仮処分が出てきますね。
原発再稼働を待て、っていうのは、仮の地位を定める仮処分ですね。

原子力発電所の差し止め請求の場合、結局、再稼働の差し止めが認められるかもしれないし、認められないかもしれない。
でも、今、再稼働しちゃったら、原告が、差し止め請求をした意味が無くなっちゃうかも、と、だから、とりあえず、再稼働を止めさせましょう、っていう話になります。


(仮処分命令の必要性等)
第二十三条  係争物に関する仮処分命令は、その現状の変更により、債権者が権利を実行することができなくなるおそれがあるとき、又は権利を実行するのに著しい困難を生ずるおそれがあるときに発することができる。
2  仮の地位を定める仮処分命令は、争いがある権利関係について債権者に生ずる著しい損害又は急迫の危険を避けるためこれを必要とするときに発することができる。
3  第二十条第二項の規定は、仮処分命令について準用する。
4  第二項の仮処分命令は、口頭弁論又は債務者が立ち会うことができる審尋の期日を経なければ、これを発することができない。ただし、その期日を経ることにより仮処分命令の申立ての目的を達することができない事情があるときは、この限りでない。
(仮処分の方法)
第二十四条  裁判所は、仮処分命令の申立ての目的を達するため、債務者に対し一定の行為を命じ、若しくは禁止し、若しくは給付を命じ、又は保管人に目的物を保管させる処分その他の必要な処分をすることができる。

23条に書いてあるように、仮処分は、裁判の3つの形式のうち、「命令」で出されます。
命令は、裁判官一人が出します。(合議体としての裁判所ではありません。判決と決定は裁判所が出す)

そして、

(申立て及び疎明)
第十三条  保全命令の申立ては、その趣旨並びに保全すべき権利又は権利関係及び保全の必要性を明らかにして、これをしなければならない。
2  保全すべき権利又は権利関係及び保全の必要性は、疎明しなければならない。


さすがに、これを原告がしないと、訴えを起こしただけでは、仮処分命令は出ません。
早い話、仮処分の命令を出してもらわないと、えらいことだ、っていうことを言うわけです。
疎明をしなければいけません。

疎明っていうのは、「そめい」と読みます。
証明は、ちゃんとがっつり証拠を出して、裁判所とか裁判官がそりゃ確かにそうだ、と思うところまで、もっていかないといけないんです。
でも、疎明は、裁判所や裁判官が、確からしい、っていうところまで、持っていけばよい、っていうことです。

あくまでも、なので。

被告の側や、関係者は、とりあえず、仮でも、動かせないと頭に来ちゃうのはわかりますが、負けたわけではないのです。
そして、原告も、勝ったわけではないのです。

そして、仮処分命令は、異議申し立てができちゃいます。

(保全異議の申立て)
第二十六条  保全命令に対しては、債務者は、その命令を発した裁判所に保全異議を申し立てることができる。
(保全執行の停止の裁判等)
第二十七条  保全異議の申立てがあった場合において、保全命令の取消しの原因となることが明らかな事情及び保全執行により償うことができない損害を生ずるおそれがあることにつき疎明があったときに限り、裁判所は、申立てにより、保全異議の申立てについての決定において第三項の規定による裁判をするまでの間、担保を立てさせて、又は担保を立てることを条件として保全執行の停止又は既にした執行処分の取消しを命ずることができる。
2  抗告裁判所が保全命令を発した場合において、事件の記録が原裁判所に存するときは、その裁判所も、前項の規定による裁判をすることができる。
3  裁判所は、保全異議の申立てについての決定において、既にした第一項の規定による裁判を取り消し、変更し、又は認可しなければならない。
4  第一項及び前項の規定による裁判に対しては、不服を申し立てることができない。
5  第十五条の規定は、第一項の規定による裁判について準用する。

今度は逆に、保全命令が執行されると、(原発の場合は、再稼働が差し止められると)、取返しがつかないかもだから、取り消してね、と、疎明するわけです。

取り消されると、原発は再稼働しても、国におこらんなくなります。





一応、ここまで、仮処分命令、って、どんなもんか、について、見てきたわけです。

朝日新聞の記事には

「角副会長は17日、関経連の記者会見で「憤りを超えて怒りを覚えます」と切り出した。「なぜ一地裁の裁判官によって、(原発を活用する)国のエネルギー政策に支障をきたすことが起こるのか」と述べ、「こういうことができないよう、速やかな法改正をのぞむ」と訴えた。」 

とあります。

角さんは、阪急電鉄の会長さんだそうなので、電気代が少しでも安い方が良いので、愚痴を言いたくなるのはわ
かります。
でも、裁判所の制度について、理解が不足しているように思います。

一応、言いますと、地方裁判所だろうが、なんだろうが、国の司法機関です。
 
地方裁判所は国の機関です。都道府県の機関ではないですよ(^o^) : ドン もっとん del 八王子 の つれづれブログ - 憲法、人権、法律をメインに -

司法権を行使できるのです。
甘く見ちゃだめです。

そして、司法権というのは、あくまでも、合憲の法律などの法源をもとに、法がなんであるかを解釈して、適用する権限なのです。
司法機関は、政策判断をしませんし、させてもいけません(たまにしてるかも)。 
むしろ、法に合わないものだと、行政をストップさせる役割が、司法だとさえ言えるのです。
国だけでなく、関西電力にもストップをかけていますが。
それだけ、司法権っていうのは、ものすごく大きな権力なのです。
モンテスキューが「おそろしい」と大騒ぎしただけのことはあります。

だから、見当違いの批判です。
日本を代表する鉄道会社の経営に携わる人が、こんなんじゃだめです。
もちろん、仮処分命令自体が不当だ、っていうことを言うのなら、筋は通ります。 

上の話がよくわからない人は、この投稿を読んでください。三権分立って、何だか本当に知ってる? : ドン もっとん del 八王子 の つれづれブログ - 憲法、人権、法律をメインに -



ところで、何気に、途中で、いろいろな用語説明を入れました。

マスコミによって、表現が少しずつ違うんですが、どうも誤解しているんじゃないか。これを読んだり聞いたりしてる一般国民も誤解してるんじゃないか、って思うことがたくさんあるのです。

たとえば
「判決を」「裁判長が」「言い渡した」。これは合ってます。
一人の裁判官で裁判した場合は、「判決を」「裁判官が」「言い渡した」、となります。

でも、
「判決を」「裁判長が」「出しました」は、間違いです。
「判決を」「裁判所が」「出しました」が、正解です。

裁判長は、訴訟指揮を中心にやる人で、判決の言い渡しをする人なんですが、 
合議体である裁判所が、話し合って、判決を作るんです。法律上は。
最高裁は別として、1人でなければ、3人です。
二人が同じ意見だと、それが判決になっちゃいます。

おそろしい数の裁判に対して、 ちょびっとしか裁判官がいないので、裁判官はものすごく忙しいです。
だから、裁判長でないもう一人の裁判官のうち一人が、一つの事件の担当に決まっていて、 判決の下書きを書いて、裁判長がOKすれば、終わり。
裁判長がごねたら、書き直し。
書き直してもだめなら、3人で話し合い。(めったにない)
という感じらしいです。 

らしい、と書きましたが、情報源は確かです。

民事の裁判官を長年務めた、元高等裁判所判事から、もっとんが、生で聞いた話なので。 


それから、マスコミではなく、ブログなどで、 仮処分について、「判決」だの「決定」だの言ってるのがあります。
命令だってば。 意味が違うんだってば。
判決は、明らかに間違い。「決定」は、法律の意味とは違う意味で使ってるかもしれないけど、法律の知識が少しでもあれば、「決定」っていう言葉を使うのは、まずい場面だとわかるはず。


もっとんは、原告が、どういう法律の理論構成で、請求をしたのかは、よく知りません。
それから、原発を差し止めた方が良いかどうかの、政策判断は、とりあえず、ここでは書きません。
ちなみに、もっとんは、小学生のときから、原子力発電所は危ないからやめたほうが良い、と言っていましたが。 
もちろん、そのあとも、少しずつ、危ない理由を多く知ることになりますが。 

法的な話をもう少し掘り下げてみましょう。


話題の憲法改正の話です。

自民党の改正案にもあって、与党の公明党も、野党の民主党も、賛成しているらしい、環境権の話です。
(自民党の案の環境権は、おそろしく奇妙な条文ですが)
環境権は、社会権に分類される人権ですので、共産党も反対はしないと思います。
(共産党は、わけわかんないから、断言できませんが)

環境権が、憲法に定められて、確定するとどうなるか。
国民が、まっとうな生活をするのにふさわしい環境を整える義務が、国に発生します。(またはあることが明確になる)
そして、 そのような環境を破壊する国民の行為を止める義務が、国に有ることになります。

そうすると、原子力発電所が有ると(稼働すると)、環境権が侵害されるという理屈で、国の行為が憲法違反になる可能性があります。

自民党の草案を作ったのは、あほだから、ノリで作っただけだから、他の国の憲法で環境権がはやりだから書いちゃったのね。
おそろしく変な書き方については、またの機会に書きます。 




 

マスコミが言ってる、条文に無い法律用語っぽいものとか、混乱してるのとか 拉致、着服、(婦女)暴行、容疑者、被告、拘置、弁護人

まずは、法律用語でないのに、法律用語のように使っているもの

拉致(らち)・監禁
着服
婦女暴行
容疑者



拉致(らち)・監禁

拉致罪とか、拉致・監禁罪というのは有りません。

こういうのは、通常、略取罪です。
暴行脅迫などを手段として、人を保護されている安全な場所から、連れて行って、自分の支配下におさめる犯罪です。
誘惑とか、だましたり、とかを手段として行うのは、誘拐罪です。
略取罪と、一つの条文でセットになっています。
略取と誘拐とセットにした言葉が「拐取」(かいしゅ)です。

以前から、マスコミは、略取の場合も誘拐という言葉を使っていました。
いつごろからか、拉致というようになりました。

グリコ・森永事件のとき(若い人は知らないかも?)、グリコの社長が連れていかれたのですが、「誘拐された」と報道されていました。かっこわるっ(^o^)/

一応、監禁罪とか、逮捕罪と同じ条文でセットの言い方で、逮捕・監禁罪という言葉はあります。
逮捕罪は、人の移動の自由を一時的に奪う罪、監禁罪は、人の移動の自由を継続して奪う罪。

略取してから監禁が続くのが通常ですが、その場合、略取罪一つです。監禁は略取罪に含まれます。


刑法
 第三十三章 略取、誘拐及び人身売買の罪

(未成年者略取及び誘拐)
第二百二十四条  未成年者を略取し、又は誘拐した者は、三月以上七年以下の懲役に処する。
(営利目的等略取及び誘拐)
第二百二十五条  営利、わいせつ、結婚又は生命若しくは身体に対する加害の目的で、人を略取し、又は誘拐した者は、一年以上十年以下の懲役に処する。
(身の代金目的略取等)
第二百二十五条の二  近親者その他略取され又は誘拐された者の安否を憂慮する者の憂慮に乗じてその財物を交付させる目的で、人を略取し、又は誘拐した者は、無期又は三年以上の懲役に処する。
2  人を略取し又は誘拐した者が近親者その他略取され又は誘拐された者の安否を憂慮する者の憂慮に乗じて、その財物を交付させ、又はこれを要求する行為をしたときも、前項と同様とする。
(所在国外移送目的略取及び誘拐)
第二百二十六条  所在国外に移送する目的で、人を略取し、又は誘拐した者は、二年以上の有期懲役に処する。

226条の2~229条まで省略

  第三十一章 逮捕及び監禁の罪

(逮捕及び監禁)
第二百二十条  不法に人を逮捕し、又は監禁した者は、三月以上七年以下の懲役に処する。
(逮捕等致死傷)
第二百二十一条  前条の罪を犯し、よって人を死傷させた者は、傷害の罪と比較して、重い刑により処断する。

 
着服

他人の物を持っていて、自分のものにしてしまうのは、横領罪です。5年以下の懲役です。
仕事とかで、預かっていたものについては、業務上横領です。倍の10年以下の懲役です。

これと似たものに、背任があります。自分の計算で、他人に損をさせて、自分や人をもうけさせることです。
事実をよくつめないと、横領か背任の区別が難しい場合も多くて、刑事裁判でも、検察官が、横領または背任で起訴、というやり方で、起訴したりします。

取締役などが背任をすると、特別背任罪です。これは会社法に条文があります。

マスコミは、昔は、「横領背任の疑い」とかって、言ってたんですが、いつの間にか、「着服の疑い」とか、って言うようになりましたね。

刑法
 第三十八章 横領の罪

(横領)
第二百五十二条  自己の占有する他人の物を横領した者は、五年以下の懲役に処する。
2  自己の物であっても、公務所から保管を命ぜられた場合において、これを横領した者も、前項と同様とする。
(業務上横領)
第二百五十三条  業務上自己の占有する他人の物を横領した者は、十年以下の懲役に処する。

254条、255条は、省略します。

 第三十七章 詐欺及び恐喝の罪  (246条~251条)

(背任)
第二百四十七条  他人のためにその事務を処理する者が、自己若しくは第三者の利益を図り又は本人に損害を加える目的で、その任務に背く行為をし、本人に財産上の損害を加えたときは、五年以下の懲役又は五十万円以下の罰金に処する。


会社法
 第八編 罰則

(取締役等の特別背任罪)
第九百六十条  次に掲げる者が、自己若しくは第三者の利益を図り又は株式会社に損害を加える目的で、その任務に背く行為をし、当該株式会社に財産上の損害を加えたときは、十年以下の懲役若しくは千万円以下の罰金に処し、又はこれを併科する。
一  発起人
二  設立時取締役又は設立時監査役
三  取締役、会計参与、監査役又は執行役
四  民事保全法第五十六条 に規定する仮処分命令により選任された取締役、監査役又は執行役の職務を代行する者
五  第三百四十六条第二項、第三百五十一条第二項又は第四百一条第三項(第四百三条第三項及び第四百二十条第三項において準用する場合を含む。)の規定により選任された一時取締役(監査等委員会設置会社にあっては、監査等委員である取締役又はそれ以外の取締役)、会計参与、監査役、代表取締役、委員(指名委員会、監査委員会又は報酬委員会の委員をいう。)、執行役又は代表執行役の職務を行うべき者
六  支配人
七  事業に関するある種類又は特定の事項の委任を受けた使用人
八  検査役
2  次に掲げる者が、自己若しくは第三者の利益を図り又は清算株式会社に損害を加える目的で、その任務に背く行為をし、当該清算株式会社に財産上の損害を加えたときも、前項と同様とする。
一  清算株式会社の清算人
二  民事保全法第五十六条 に規定する仮処分命令により選任された清算株式会社の清算人の職務を代行する者
三  第四百七十九条第四項において準用する第三百四十六条第二項又は第四百八十三条第六項において準用する第三百五十一条第二項の規定により選任された一時清算人又は代表清算人の職務を行うべき者
四  清算人代理
五  監督委員
六  調査委員


 
(婦女)暴行

※2017年刑法改正前に書きました

暴行罪はありますが、これは、暴力をふるったりする罪です。相手に当たらない場合でも、暴行になる場合があります。(狭い部屋で刀を振り回すなど。)
結果、相手をケガさせれば、傷害罪です。(殺人の故意があれば、殺人未遂になることが多い)
結果、死んでしまえば、傷害致死罪です。(殺人の故意があれば、殺人罪)

何かしら、抵抗が困難な状態にして(暴行とか脅迫とか)、性的なことをすれば、強制わいせつ罪
(13歳未満については、合意があっても、成立)
女性に対して、挿入行為があれば、強姦罪です。(露骨な表現をして、すみません(o_ _)o)) )
(これも、13歳未満については、合意があっても、成立)

マスコミが、暴行とか婦女暴行とか言うのは、
1.被害女性に対する配慮
2.直接的な表現を避ける
などが理由として、言われています。

しかし
1.被害の重大さに目をそむけてしまうことになるし、
2.そもそも直接的な表現をしたくないなら、報道しなければ良い。
3.それに、暴行だけだと、何をしたかさっぱりわからない。
暴力をふるったのか、強制的に性的なことをしたのか、強姦までしたのか。

言わなくてもわかるだろう?っていう人もいるかもしれません。めんどうくさい国ですね。


刑法  
  
  
第二十二章 わいせつ、姦淫及び重婚の罪   (174条~184条)

(強制わいせつ)
第百七十六条  十三歳以上の男女に対し、暴行又は脅迫を用いてわいせつな行為をした者は、六月以上十年以下の懲役に処する。十三歳未満の男女に対し、わいせつな行為をした者も、同様とする。
(強姦)
第百七十七条  暴行又は脅迫を用いて十三歳以上の女子を姦淫した者は、強姦の罪とし、三年以上の有期懲役に処する。十三歳未満の女子を姦淫した者も、同様とする。
(準強制わいせつ及び準強姦)
第百七十八条  人の心神喪失若しくは抗拒不能に乗じ、又は心神を喪失させ、若しくは抗拒不能にさせて、わいせつな行為をした者は、第百七十六条の例による。
2  女子の心神喪失若しくは抗拒不能に乗じ、又は心神を喪失させ、若しくは抗拒不能にさせて、姦淫した者は、前条の例による。
(集団強姦等)
第百七十八条の二  二人以上の者が現場において共同して第百七十七条又は前条第二項の罪を犯したときは、四年以上の有期懲役に処する。


   第二十七章 傷害の罪(204条~208条の2)

(暴行)
第二百八条  暴行を加えた者が人を傷害するに至らなかったときは、二年以下の懲役若しくは三十万円以下の罰金又は拘留若しくは科料に処する。


以上は、逮捕とか起訴とか言って、法律上の犯罪としての報道なのに、なぜか、法律用語ではないものが、使われている、という場合でした。


容疑者

容疑者というのは、警察とマスコミが使う言葉です。
昔は呼び捨てにしていましたが、いつの間にか、容疑者と呼ぶようになりました。

一般の辞書などでは、「法律用語ではなくて、法律用語の「被疑者」と同じ意味」と書いてあります。
でも、字が違う。漢字には意味があるから、当然、意味が変わります。本当は。

刑事訴訟法では、警察などの捜査機関に疑われている段階の人を、逮捕前か後を問わず、「被疑者」といいます。「疑われている人」、という意味です。
「容疑者」は「疑いを容(い)れる人」、つまり、「疑ってもよい人」という意味になります。

起訴されると、「被告人」になります。
「訴えられた人」という意味です。

刑事訴訟では、判決が出るまでは、検察と被告人が、同じ立場で自分の主張をする場であって、途中で犯罪者である、と決めつけてはいけません。
そして、有罪の証拠を出さなければいけない責任は検察側にあって、被告人の側には、無罪の証拠を出す義務はありません。(犯罪そのものについてではなくする主張で、被告人側が主張しないと有罪になってしまうものもありますが。)
これを、「無罪の推定の原則」といいます。

疑っている、張本人の捜査機関が「容疑者」と言ってもよいですが、中立の立場のマスコミが使ってはまずいでしょう?
法律を勉強しないで、警察発表をそのまま記事にする、っていう、頭を使わない、報道とは名ばかりの、単純肉体労働をやっているから、そういうことになる。
最近、脳科学者の茂木さんも「まちがっている」と言っていました。


さっき、犯罪の名前について、正確に使われていない、という話をしました。
「通じればいい」と思いますか?
刑事訴訟法で、「~罪で起訴」、って、起訴状に書かなくてはいけません。(刑事訴訟法256条4項)
なぜか、と言いますと、被告人の側に防御の機会を与えなくてはいけないからです。
何罪で訴えられているのかわからなければ、防御のしようがないです。
これは、人権問題です。
犯罪者の人権ではないですよ。かんちがいしてはいけません。被告人の人権問題です。

実務では、刑法という法律に書かれている犯罪と一部の犯罪については、「○○罪 ××条」で起訴、と起訴状に書きますが、たとえば、その他は「~~法違反~~条」というふうに書きます。これは、裁判所が認めている書き方です。

マスコミは、「~~法違反」だけ言うことが多いです。
何の罪で疑われたり、訴えられたのか、さっぱりわからないです。

刑事訴訟法

第二百五十六条  公訴の提起は、起訴状を提出してこれをしなければならない。
2  起訴状には、左の事項を記載しなければならない。
 一  被告人の氏名その他被告人を特定するに足りる事項
 二  公訴事実
 三  罪名
3  公訴事実は、訴因を明示してこれを記載しなければならない。訴因を明示するには、できる限り日時、場所及び方法を以て罪となるべき事実を特定してこれをしなければならない。
4  罪名は、適用すべき罰条を示してこれを記載しなければならない。但し、罰条の記載の誤は、被告人の防禦に実質的な不利益を生ずる虞がない限り、公訴提起の効力に影響を及ぼさない。
5  数個の訴因及び罰条は、予備的に又は択一的にこれを記載することができる。
6  起訴状には、裁判官に事件につき予断を生ぜしめる虞のある書類その他の物を添附し、又はその内容を引用してはならない。

条文の言葉の解説
公訴は、検察官=国が訴えること。起訴ですね。
公訴事実とか訴因は、わかんなくて良いです。わかったら、大学の法学部の刑事訴訟法でAとか優がもらえます。
「虞」は、「おそれ」と読みます。「~のおそれ」、っていう具合に、「~の心配」みたいな意味です。法律でよく使う言い回しですが、法律用語ではありません。

 
混乱してるもの

被告人

「被告人」のことについて、書きましたが、「被告」ではないの?と思う方も多いでしょう。
マスコミも、よく「被告」と言っています。
刑事訴訟で訴えられた人は、「被告人」です。上の起訴状についての条文にも書いてありますよ。
民事訴訟で訴えられた人が「被告」です。
まあ、そんなに目くじらを立てるほどの問題ではないかもしれませんが、法律の条文、法律用語としては違います。
民事で訴えられた人が、裁判所から送られた書類を見て、「犯罪の嫌疑をかけられているみたいで、いや」ということにもなっているようです。 


弁護人

この言葉については、マスコミより一般人に言えるかも知れません。

「弁護士」という職業がありますね。
 これは資格の名前で、同時に職業の名前です。(弁護士法

刑事訴訟で、被告人の弁護をすると、法律では、弁護人と呼ばれます。
これが非常に重要なことと考えられて、「弁護士」という名前になったようです。

民事訴訟では、訴えた人(原告)、訴えられた人(被告)のどちらの立場に立つかは、それぞれです。
法廷で民事訴訟についての味方をする人を「訴訟代理人」といいます。弁護人とはいいません。

ちなみに、弁護士以外の人でも、「訴訟代理人」になれる場合があります。

代理というのは、本人に代わって、本人の(法律上の)ことをすることです。
訴訟でなくても、代理とか代理人はあります。

この「弁護人」で書いたことは、全部、条文があります。
書かなかったのは、いっぱい出てくるからです。


拘置


警察に逮捕されたら、(警察署にある)留置場に入れられます。
逮捕した後は、すぐに、送検しなければいけません(例外で釈放の場合もたくさんあります) 

送検して、 勾留(こうりゅう)に切り替えます。
警察などから、 法務省に、身柄も移ることになるので、置かれる施設は、(法務省がやってる)拘置所です。
この「勾留」を、マスコミはなぜか「拘置」と言ったりします。

拘置とは、「刑罰として、収監すること」全般をいいます。(懲役とか禁錮とか拘留です。)

勾留と拘置に似た言葉に、拘留(これも、「こうりゅう」と読みます)というのがありますが、
拘留は、一日以上30日未満、拘留場に入れられる刑罰のことです。それ以上になると、禁錮になります。
(最近、禁固とか書くことが増えましたが、当て字です。)

起訴された人が、入れられる勾留は、拘置所に置かれるのが原則です。
例外として、留置場に引き続き置かれたりします。

この制度を「代用監獄」といいます。監獄(拘置所や刑務所)の代わりに留置場を使うからです。
世界では、日本にしか無いです。イラクにも、フセイン政権崩壊までありました。
国連も、世界中の法律家も、この制度に反対しています。
daiyokangokuという言葉は、人権に関心のある人には世界中で通用します。

今は、監獄法が改正されて、「監獄」という法律用語はなくなりました。「刑事施設」になりました。
でも、代用監獄の制度は残ったままです。

刑事収容施設及び被収容者等の処遇に関する法律(略して、刑事収容施設法)
  第二章 刑事施設

(刑事施設)
第三条  刑事施設は、次に掲げる者を収容し、これらの者に対し必要な処遇を行う施設とする。
一  懲役、禁錮又は拘留の刑の執行のため拘置される者
二  刑事訴訟法 の規定により、逮捕された者であって、留置されるもの
三  刑事訴訟法 の規定により勾留される者
四  死刑の言渡しを受けて拘置される者
五  前各号に掲げる者のほか、法令の規定により刑事施設に収容すべきこととされる者及び収容することができることとされる者

   第三章 留置施設

(留置施設)
第十四条  都道府県警察に、留置施設を設置する。
 留置施設は、次に掲げる者を留置し、これらの者に対し必要な処遇を行う施設とする。
 警察法 (昭和二十九年法律第百六十二号)及び刑事訴訟法 の規定により、都道府県警察の警察官が逮捕する者又は受け取る逮捕された者であって、留置されるもの
 前号に掲げる者で、次条第一項の規定の適用を受けて刑事訴訟法 の規定により勾留されるもの
 前二号に掲げる者のほか、法令の規定により留置施設に留置することができることとされる者
第十五条  第三条各号に掲げる者は、次に掲げる者を除き、刑事施設に収容することに代えて、留置施設に留置することができる。
 懲役、禁錮又は拘留の刑の執行のため拘置される者(これらの刑の執行以外の逮捕、勾留その他の事由により刑事訴訟法 その他の法令の規定に基づいて拘禁される者としての地位を有するものを除く。)
 死刑の言渡しを受けて拘置される者
 少年法 (昭和二十三年法律第百六十八号)第十七条の四第一項 、少年院法 (平成二十六年法律第五十八号)第百三十三条第二項 又は少年鑑別所法 (平成二十六年法律第五十九号)第百二十三条 の規定により仮に収容される者
 逃亡犯罪人引渡法 (昭和二十八年法律第六十八号)第五条第一項 、第十七条第二項若しくは第二十五条第一項、国際捜査共助等に関する法律 (昭和五十五年法律第六十九号)第二十三条第一項 又は国際刑事裁判所に対する協力等に関する法律 (平成十九年法律第三十七号)第二十一条第一項 若しくは第三十五条第一項 の規定により拘禁される者
 法務大臣は、国家公安委員会に対し、前項の規定による留置に関する留置施設の運営の状況について説明を求め、又は同項の規定により留置された者の処遇について意見を述べることができる。



黙秘権とか自己帰罪拒否権、自白だけでは有罪の決め手にならない、ということが、憲法・刑事訴訟法に書かれています。
そして、逮捕は、被疑者の逃亡または証拠隠滅を防止するのが目的でするものです。
警察の中の留置場に置いて、(検察官と違って)法律家ではない、警察官が自由に取り調べをする環境があることは、被疑者・被告人を嘘の自白に追い込んで、有罪にしてしまう、ということの温床になっています。

取り調べの可視化(録画・録音など)といっしょで、早く改めなくてはいけません。

自分に関係無い問題だと思いますか?
無実でも、警察に疑われたら最後、大変なことになります。
ですから、犯罪を絶対にしない、善良なあなたにも関係がおおありのことなのです。
人権とは、人間すべての権利なのです。

冗談でも、TVの映像の中での、取り調べ室で、かつ丼とか、机ドンとかやるべきではありません。違法です。

憲法を守るとか言う人がいますが、条文が変わらなければそれでいい、ということではありません。
憲法違反の法律や行政が、野放しにならないことが一番大事です。裁判所の行為もですが。
どんなに良い憲法だって、どんなに良い刑事訴訟法だって、守られなければ、意味無いです。あほくさいです。 

ただ、実際に入った人の話だと、同じ被告人でも、拘置所は、かなりおっかない所らしいです。
法務省の刑務官が担当です。
取り調べとかをしちゃう検察官とは独立した立場だから、逆に好き放題しちゃうのでしょうか。
警察は、取り調べをしやすくするために、わざと留置場をゆるくしているのでしょうか?
留置場担当の警察官が聞き出して、言いつけることもあるらしいですしね。 


マスコミが、法律用語を正確に使わないことは、
1.事実が正しく伝わらない(報道として致命的)
2.法律や制度を、受け手に誤解させる可能性がある。
3.当事者に、悪い影響がある。
4.国家権力があいまいな運用をすることを、国民が許してしまう土壌を作ることになりかねない。
など、良いことは一つも無いと、思います。

1.マスコミが、法律用語が専門用語であるとの認識が甘い。
2.法律用語に込められた意味についての理解が無い。 (つまり、法律についての教養が無い)
この2つが、原因でしょう。 

なんとなく、通じれば良い、という話ではすまされない、ということです。 




 

好きなことをやること、自分らしく生きること。「幸福追求権」

今日は、もっとんがブログを始めたきっかけについて、お話ししたいと思います。

もっとんは、20年くらい前から、 今書いているようなことを発信したい、と思っていました。

でも、我慢していました。

以前のもっとんは、好きでないことでも、「生きるためにはしかたがない。他人様(ひとさま)のお役に立って、自分が生活できればそれで良いではないか。」と思っていました。

でも、それって、良くないのです。合理的ではないのです。 

人間は、つまらないこと、いやなこと、をやると、ドーパミンが出ないのです。ドーパミンが出ないと、うつ気味になり、やる気が出ないし、頭が働かないのです。頭が働かないと仕事がうまくいかないのです。
もちろん、仕事を楽しくやる努力も必要です。楽しくなるようになるまで辛抱する時期も少しは必要でしょう。

でも、我慢をすることばかりになってしまって、仕事を楽しめる状況を作り出せないこともあるでしょう。
そして、余暇も無く、長時間労働をして、睡眠時間が少なくて、上司がしかるばかりで、さらに給料が安かったり、いつ首になるかわからない、だと、うつ病で自殺しない方が不自然です。 
極端な例かもしれませんが、自殺をする人の数が、抜群に多い日本では、深く考える必要が有ります。

やっていること自体が楽しいことなら、今は、はかどらなくて、長時間労働で、睡眠時間が少なくて、給料などの収入が少なくても、平気です(^O^)v
限度は有りますが(^_^;)

もっとんの個人的感想ではなくて、医学的に言っても、十分、合理的です。

最近、タモリさんとかたけしさんとかが「いつか先の夢のために今を犠牲にするという生き方ではなくて、今を楽しんでいたら、いつの間にか、成功した、と言われるようになった」というような話をしていました。二人のお話しには多少のニュアンスの違いがあるかもですが。

いろいろな人と接したりして、わかったことですが、タモリさんなどが否定している生き方は、うつ病などの人の生き方・考え方の共通点です。
自分が楽しんでなければ、他人に役立つパフォーマンスを発揮できませんし、嫌な気持ちが伝わります。
他人の成功をうらやんで、世間を憎みます。
自分をもろに犠牲にすると、他人をも不幸に巻き込んでしまうのです。

そんな生き方は良くないです。

客観的には、自分を犠牲にしているように見えても、その人にとっては楽しいことで幸福を感じられて、他人にも役立っていれば、一番です\(^o^)/

ここ、10年くらい、しんどいことは減らさないと、と思っていましたが、なかなかうまくいきません。妥協して、本当に自分のやりたいこと(自分の意見を発信すること)は我慢をしていたからだと思います。
ここ1年くらい、個人のFacebookページで、ニュースなどをシェアして、多少言いたいことを言っていました。でも、身近な友人を相手に、自分のことでないことを、くどくど言うのは、なんか違うかな、やっぱりブログが良いかな、とか思っていたのです。

そんなとき、Facebookで、他の人が頻繁に「いいね」するブログを読みました。(SNSの拡散力おそるべし。)

有名なブロガーだそうですが、知りませんでしたm(_ _)m
ブロガーというと、はあちゅうさんを最近知ったばかりです。
尊敬している学者とか弁護士のブログ以外では、前から読んでいる加藤紀子さんのブログと、最近、たまに、真野恵里菜さんのブログを読むくらいでした(^o^)m(__)m

好きなことを仕事として、仕事を成立させる手段としてブログで発信する、ということが、メインテーマのようです。

もっとんは、ブログで発信すること自体に興味があったので、多少、違うかもです(^_^;)


ここから、法学の話です。もっとんのブログらしくなってきました(^o^)

無理やりだなぁ、と思いますか?
ところが、ものすごく深い関係が有るのです。 

幸福追求権の話です。

憲法の13条に書いてあります。

第十三条  すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

シンプルに言うと、人権の基本が書いてある条文、っていうことです。
個人の尊厳原理(人権思想の根本原理)
幸福追求権(人権、または、人権の中の特に自由権を、包括する権利)(多少、学者によって解釈が違います)
について書かれています。


自由権というのは、人権の一種で、「国家権力が、国民、人民に、何かすることしないことを邪魔できない、という権利全般」のことです。つまり、「ほっとけ」という権利です。

3種類有ります。
精神的自由権(思想・良心の自由、表現の自由、信教の自由、学問の自由など)
経済的自由権(財産権、職業選択の自由、居住・移転の自由など)
身体的自由権(奴隷的拘束からの自由、適正手続の保障など)

自由権は、何をしても良い、という意味ではありません。
他人を害さなければ、何をしても、しなくても、権力が邪魔してはいけない、ということです。
(経済的自由権はさらに認められる制約がありますが。)
「公共の福祉に反しない限り」というのはそういう意味です。
 
他人を害さないにしても、自分が好かないことをする人はたくさんいます。
もっとんにも、好かない人はいっぱいいます(^_^;)

でも、その価値判断を、国家権力にまかせてはいけない、ということです。
どんなに、奇人変人の行為でも、ぎりぎりのところまで、放置すべきなのです。

「個人が幸福だと思う生き方を国家権力がじゃましないように」というのが、幸福追求権です。

カトリック教会に逆らう人がいたから、信教の自由が認められました。
専制君主や貴族政治に反発した人がいたから、民主主義ができました。 

スティーブ・ジョブスという変人がいたから、マッキントッシュができました。
iPhoneなどのスマートフォンもできました。

モーツァルトがいたから、ビートルズがいたから、新しい音楽が生まれました。
北斎がいたから、ピカソがいたから、岡本太郎がいたから、新しい美術が生まれました。

政党を支援したり、国家権力を批判するような宗教団体を、宗教団体に権力(裁判権とか徴税権とか自動的に公務員にさせたりとか)を持たせている国(政教一致している国)(戦前の国家神道の日本など)が、弾圧しました。
言論人も、学者も、芸術家も弾圧されました。 
中世ヨーロッパでは、政教一致の国=教会が、魔女裁判をしました。絵を修正しました。
ソ連では、芸術に、国をたたえることが求められました。ショスタコーヴィチやチャイコフスキーは、それを逆手にとっていますが(^o^)
1970年前後の中国では、資本家や、弁護士、医者、学者が弾圧され、文化遺産、宗教施設が破壊され、芸術も厳しく制限されました。麻雀も禁止。

新しいことをやる人は、みんな、最初は、奇人変人として、やっかい者扱いをされたり、バカ扱いされたのです。
そして、国家権力を批判する人、特に、宗教人、学者は、弾圧されたのです。
批判していない人まで、国の思想と違うと言って、弾圧したのです。

だれかが、自分のやりたいことをやろうとするときに、それが他人を害するものでなければ、邪魔をするのはやめましょうよ。
わがままだ、とか言うのはよしましょうよ。
好きにさせとけばいいじゃんか。

空気を読めとか言って、他人を邪魔して、
自分がたまたま居心地が良いグループにいたりして、でも、細かいことでは本当は違うのに我慢して、つまらない思いをして、とにかくグループ内で嫌われなければ良い、なんていう生き方はやめましょうよ。

仲間はずれされてる人のことも、明日は我が身です。
だって、本当は、人それぞれ全部違うんですから。
仲間の方にいようとしたって、ちょっとした結果で、仲間からはずされます。
一生、それにおびえて生きていくなんて、おかしいでしょう?
おびえなければいけないクソみたいな世の中を変えましょうよ。

空気を読めない人間を、国家権力が排除しようとすれば、それを自由権侵害と呼ぶのです。
みんなが空気を読むことが一番良いこととされている状態を「全体主義」「ファッショ」「ファシズム」と呼ぶのです。

民主主義の手続を踏んでいても、多数決でも侵害できないのが、人権なのです。だから、憲法違反の法律は無効なのです。これを立憲民主制といいます。

空気を読むことを第一にしている人は、 人権思想を理解できないです。
日本の中で空気を読んでいると、人権思想を重んじる外国から、日本は、悪く言われますよ。
すでに、国連からしょっちゅう「勧告」されていますけども。日本のマスコミがあまり報道しないので、知らない人が多いでしょうけど。

もちろん、空気を読むことは大事です。
あまりに場を考えない振る舞いは、他人を悲しませます。
以前、個人主義が進みすぎたヨーロッパには、そういう反省も有ります。

自分のことも、他人のことも、同じ人間として、同じように尊重することが大切なのではないでしょうか。
これが、自由主義で言うところの、平等です。
お金とかを平等にしようというのは、社会主義でいう平等です。

こういう文脈で考えれば、名誉毀損やヘイトスピーチが、表現の自由があっても、制限して良い場合だ、ということがわかるでしょう?
自由の意味がわからないから、何が問題かわからないから、
変な制限は積極的にする(路上ライブの取り締まりとか)くせに、放送法、電波法は危険な解釈をする余地があるまま放置で、そして、ヘイトスピーチなどには及び腰なのです。

憲法的価値観を教育する、道徳教育こそ、すべきなのではないでしょうか。
「人権を保障する=国の義務を書く」のがメインテーマの憲法に、国民が憲法を守る義務やその他の国民の義務を書くなんて、あさっての方向の話をしている場合ではないのです。


あとがき

いつも、長文ですみません。

12月10日にブログの初投稿をしました。
12月10日に、初の投稿日を選んだのは、自分のブログの方針を明確にしたかったからです。

今後とも、こびずに、しかし、共感していただけることを目指して、書き続けたい、と思います。
もっとんが言ってることが、「あたりまえじゃん」 って、言われることが多くなるまで。
そしたら、このブログの意味が無くなっちゃうかもですけど(^o^)

もっとんは、空気を読むのが不得意です。空気を読んだ上で、価値的な思想・行動を正しく選択できる人間でありたい、と思う今日このごろです(^o^)
未熟者で、ずっと未熟者のままかもですが、未熟者のまま、正直に頑張りますp(^O^)q


追記(2016年9月25日)

この投稿の題名と内容を一部変更しました。
(文章の趣旨、脈略、実質的な内容は変えていません。)




 

高市氏の発言問題は、日本の法システムの問題が根本。現政権の問題に矮小化してはいけない。

(池上彰の新聞ななめ読み)高市氏の電波停止発言 権力は油断も隙もない:朝日新聞デジタル


朝日新聞での池上彰氏の文章、特に、高市大臣の停波発言について「欧米の民主主義国なら、政権がひっくり返ってしまいかねない発言です。」ということを取り上げている人が多いように思います。
 
たしかに、自民党はおかしいし、高市大臣は相当にいかれた人だとは思います。ぶっちゃけ虫唾が走るほどきらい。
池上氏が言うように、学者の通説、4条は努力目標と読む解釈が良いでしょう。

しかし、そもそも、努力目標なんて、書く必要が無い。
放送法そのものが、行政をしばることができていないのです。

私のブログで引用している、予算委員会の質疑の動画を見て下さい。
高市大臣の停波発言は、質問から誘導されています。

しつこいようですが、高市大臣がいかれた人だということを否定するつもりは、さらさらありませんよ。
池上氏の言うように、放送法の解釈がおかしい。停波の可能性が無い、と言えるのですから。

しかし、言ってしまっても、大丈夫な書き方をしている法律が、放送法と電波法なのです。
ブログで引用している、高市大臣のWEBでの言い訳が通るように書いてあるのです。

具体的に、どういう場合に、停波なり、免許停止などの処分ができるのか(電波法とリンク)、ということを書けば良いのです。 
車の免許だって、どういうときに停止や取り消しになるか、素人でもわかるようになっているでしょう?
法律でもって、行政をコントロールするのが、法治主義であり、憲法でもって、国家をコントロールするのが、立憲主義です。
「法治国家」って、国家が、国民に法律を守らせてる国家、だと思ってる? : ドン もっとん del 八王子 の つれづれブログ - 憲法、人権、法律をメインに - 
三権分立を定めた意味もそこにこそある。
憲法を変に改正するのも止めなければいけない。

ただ単に、「高市大臣がおバカね」、ですませてはいけない。
日本は、法治国家なのだから。
国民、人民のための、法治主義であり、立憲主義なのだから。


私のブログを読めば、わかります。
わからなければ、みなさんがわかるまで書き続けます(^o^)/
長文を3つお読みいただくのは、恐縮です。


電波停止ってできるの? 放送法と表現の自由 : ドン もっとん del 八王子 の つれづれブログ - 憲法、人権、法律をメインに -

上に書いたことを、法律を勉強していない方は、理解できないのが通常と思います。
普通の要領で、その辺の公務員試験に受かったくらいでは、わからないかもしれません。
でも、わかりたい人は、お読み下さい。

国民の幸福が目的の議論ではなく
民主党のように、国会の予算審議の場を利用した人気取りのために、
池上さんや朝日新聞のように、安倍政権を倒したいという目的から、
議論をする。

そういう人たちに利用されるのは、バカらしくありませんか?

私は、バカを批判したいですが、バカを批判するバカの味方にもなりたくないし、利用されたくないし、利用される人が気の毒に思います。

国会が、立法機関として機能していないこと、そもそも、日本の国会議員の能力(立法の能力)が低いことについての問題は、近いうちに書きます。




 

法律によって、「人」の意味もいろいろ。(脳死についても書きました) 法律の解釈って、どんなの?

法律の解釈の話をしようと思います。


法律の解釈の話はややこしいのが多いので、

簡単で、なじみやすい話をします。


法律で「人」の意味です。


法律や条文によって、その条文の趣旨にあった解釈が有りますので、

法律によって、場合分けします。



まずは、刑法から


犯罪と犯罪に対応する刑罰が、書いてあれば、刑法です。

刑法は、「刑法」という名前の法律の他にも、いろんな法律にあります。


刑法の解釈は、シビアにしなければいけません。


あらかじめ、何が犯罪か知らされていない、とか、あいまいだったりして、普通に生活していたつもりが、いきなり、それは犯罪だ、と言われたら、困るでしょう?

「殺人」とか「窃盗」なら、わかりやすいですけど、

悪いことだけど犯罪ではない、とか、外国では犯罪ではないけど、日本だと犯罪とか。



刑法は、「犯罪と刑罰を、法律ではっきりさせとかなければいけない」、っていう原則が有ります。

罪刑法定主義といいます。

せっかく法律で決めても、テキトーに広げた解釈をされると困るので、普通の人がわかる言葉の範囲で解釈しましょう、ってことになっています。日本の裁判所の解釈はもうちょっと広かったりしますが(^o^;

このように、罪刑法定主義は自由主義からの意味があります。むずかしいですか?

そして、国会で法律にすることで、民主主義からの意味もあります。


これは、刑法全般の話です。
 

具体的な話がわかりやすいですし、「人」と一口に言っても、条文によりますので、

重過失致死傷、傷害、傷害致死、殺人などの被害者(傷を負ったり、殺されちゃったり)の「人」とは何か? って話をしましょう。


-------------------------------------------

(殺人)

第百九十九条  人を殺した者は、死刑又は無期若しくは五年以上の懲役に処する。

(傷害)

第二百四条  人の身体を傷害した者は、十五年以下の懲役又は五十万円以下の罰金に処する。

(傷害致死)

第二百五条  身体を傷害し、よって人を死亡させた者は、三年以上の有期懲役に処する。

(過失傷害)

第二百九条  過失により人を傷害した者は、三十万円以下の罰金又は科料に処する。

 前項の罪は、告訴がなければ公訴を提起することができない。

(過失致死)

第二百十条  過失により人を死亡させた者は、五十万円以下の罰金に処する。

(業務上過失致死傷等)

第二百十一条  業務上必要な注意を怠り、よって人を死傷させた者は、五年以下の懲役若しくは禁錮又は百万円以下の罰金に処する。重大な過失により人を死傷させた者も、同様とする。

-------------------------------------------

まず、この場合の人は生身の人間ですね。(法人とかではない、ってことです)
そして、チンパンジーとかはだめです。


人間と人間でないのの境目を考えれば良いのですが、なんでしょう?


生まれたときと、死んだときを考えれば、良いわけです。




まずは、生まれたとき

人が生まれる前、お母さんのお腹に入っている状態のことを胎児といいますね。

胎児を殺したり、、産むより早く流産させると、堕胎罪(だたいざい)という罪になります。殺し方や故意か過失かでも犯罪の種類が別れますが。


生まれたかどうか=「胎児」が「人」になったかどうかの区別は、堕胎罪と殺人罪を区別することになります。


堕胎も相当ひどい犯罪ですが、殺人などよりは刑罰がだいぶ軽いので、区別は重要です。



刑法 第二編 罪

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  第二十九章 堕胎の罪


(堕胎)

第二百十二条  妊娠中の女子が薬物を用い、又はその他の方法により、堕胎したときは、一年以下の懲役に処する。

(同意堕胎及び同致死傷)

第二百十三条  女子の嘱託を受け、又はその承諾を得て堕胎させた者は、二年以下の懲役に処する。よって女子を死傷させた者は、三月以上五年以下の懲役に処する。

(業務上堕胎及び同致死傷)

第二百十四条  医師、助産師、薬剤師又は医薬品販売業者が女子の嘱託を受け、又はその承諾を得て堕胎させたときは、三月以上五年以下の懲役に処する。よって女子を死傷させたときは、六月以上七年以下の懲役に処する。

(不同意堕胎)

第二百十五条  女子の嘱託を受けないで、又はその承諾を得ないで堕胎させた者は、六月以上七年以下の懲役に処する。

 前項の罪の未遂は、罰する。

(不同意堕胎致死傷)

第二百十六条  前条の罪を犯し、よって女子を死傷させた者は、傷害の罪と比較して、重い刑により処断する。

-------------------------------------------

では、殺人罪や傷害罪とかの「人」は、どこからか。

お母さんのお腹から少しでも出て、直接攻撃できるようになったときです。

(一部露出説です。判例です。)

こんなことするバカがいるとは思えませんが、法律学者とかは、こういうことをマジメに話しちゃうのです。因果な学問ですね(^_^;)

目的をわからず面白がっている法律オタクは嫌ですよね。

私、もっとんも、こういうことを書いていて、いっしょにされると、困りますが (^o^;




では、次の境目、人間が人間でなくなるとき、つまり、死んだとき


「人」か「死体」かの区別は、

ナイフで突いた場合は、傷害または殺人 か 死体損壊 のどちらかの問題。

穴に埋めた場合は、殺人(生き埋め) と 死体遺棄 のどちらかの問題。


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   第二十四章 礼拝所及び墳墓に関する罪 (188条~192条)


(死体損壊等)

第百九十条  死体、遺骨、遺髪又は棺に納めてある物を損壊し、遺棄し、又は領得した者は、三年以下の懲役に処する。

-------------------------------------------

死体損壊と死体遺棄は同じ条文です。墓に入っている死体については別の条文です。


では、「どういうときに死んだと言えるか」です。


3つの徴候(呼吸停止、心臓停止、瞳孔拡散)があったときです。

正確には、呼吸と、心臓には、不可逆的(ふかぎゃくてき)という言葉がつきます。

なんか、難しい言葉ですが、後戻りできないってことです。

瞳孔拡散(どうこうかくさん)、って言葉も難しいですね。

生きている人は、まぶしいと瞳孔が小さくなります。

これが開きっぱなしになるってことです。


病院で人が亡くなった場面に居合わせると経験しますが、お医者さんが、確認しているはずです。

特に、瞳孔拡散は、機械とかに頼らず、お医者さんが、目を開けて、光を当てるでしょう?


今までこの解釈でやってきましたし、今もこの解釈でやっています。


でも、問題が起きました。


脳死と臓器移植です。


まず、脳死とは何か、について説明します。

(知ってる方は読み飛ばして下さい。法律の話ではないので)


もっと詳しくは、日本臓器移植ネットワークのページを見て下さい。脳死と植物状態


脳は、大脳、小脳、脳幹に別れます。さらに、間脳が有ったり、脳幹がさらに3つに別れたりです。

植物状態についても誤解があるかもですが、大脳が死んでるかほとんど機能していなくて、脳幹だけ生きている。呼吸、心臓などが、自分でできています。


脳幹っていうところは、生命を維持する最低限のことを、勝手にやってるところで、これが死んじゃうと、完全にアウトです。


昔は、脳死とか気にしなかったのです。

なぜかっていいますと、3つの徴候は、(比較的)簡単に確認できるし、3つの徴候があれば、多少の時間差はあっても、完全に死んじゃいますので。


ところが、医療機器が発達した今の世の中、病院に運ばれた患者さんが、頭とか打ったりとか病気とかで脳にダメージがあって、相当弱った状態で運ばれて来て、呼吸が弱っているから、生命維持装置(人工呼吸器など)をつけなきゃ、ってなるわけです。

それで、めでたく回復すれば、良いんですが、運悪く、そのまま、脳幹を含めた脳全体が死んでしまうことがあるわけです。脳幹死=全脳死=脳死。

生命維持装置がつけっぱなしなので、呼吸はしていて、心臓が動いたままなのです。身体が死んでいないのです。生命維持装置をはずすと身体も死にます。

そのままほうっておくと、結局は、ふつう、数日で死んでしまうのですが。


結局、3つの徴候は無いけど、脳が死んでる、という状態=脳死が生まれます。


脳死の説明は、ここまで----------------------------------



脳死したって、ほうっておけばいいじゃんか、と。

そのまま、放置をして、身体も死ぬのを待てば、いいじゃんか、と。

あるいは、生命維持装置をはずしてしまえばいいじゃんか、と。

(表現が露骨ですみません)


ところが、ここで、問題が生まれます。


もし、脳死が死でないと、生命維持装置をはずした医者は殺人罪になるのです。

(じき死んじゃうにしても、はずしてすぐ死んじゃいますから)

家族に頼まれてやった場合は、家族は、殺人教唆です。


でも、今は、臓器移植やっていますよね?

法律はどうなっているのでしょうか?


1997年に法律ができました。普通は、臓器移植法と呼ばれています。


臓器の移植に関する法律

----------------------------------

(臓器の摘出)

第六条  医師は、次の各号のいずれかに該当する場合には、移植術に使用されるための臓器を、死体(脳死した者の身体を含む。以下同じ。)から摘出することができる。

 死亡した者が生存中に当該臓器を移植術に使用されるために提供する意思を書面により表示している場合であって、その旨の告知を受けた遺族が当該臓器の摘出を拒まないとき又は遺族がないとき。

 死亡した者が生存中に当該臓器を移植術に使用されるために提供する意思を書面により表示している場合及び当該意思がないことを表示している場合以外の場合であって、遺族が当該臓器の摘出について書面により承諾しているとき。

 前項に規定する「脳死した者の身体」とは、脳幹を含む全脳の機能が不可逆的に停止するに至ったと判定された者の身体をいう。

----------------------------------

臓器移植をするために、医者は、死体から臓器を取り出して良いですよ。(条件付きですけど)

その「死体」っていうのには、「脳死」した人も含みますよ。


となっているわけです。


もし、この条文が無いと、脳死して、身体が生きている=三徴候説では「人」から臓器を取り出すと殺人罪なのです。

取り出しても死なない臓器(腎臓の片方、骨髄など)は、ドナーを募って、生体移植しますが。

脳死だと、そういう臓器でも、身体がまいっちゃうかもですが。


刑法の総論の話ですが、

脳死の場合、無罪になるにしても、2つの論理構成が考えられます。、

そもそも、殺人罪に当たらないのか(構成要件に該当しない)、

それとも、一応形は殺人罪になるけれども(構成要件に該当する)、違法性が無い、結局犯罪ではない(無罪)になる。


実務でやっているように、ふだんは三徴候説で、臓器移植のときだけ脳死説だと、刑法199条の「人」の意味が2つあることになってしまいます。

条文は、どちらともとれる書き方ですね。死とは何か、という議論を避ける狙いが有ったと思います。西洋と違って、日本では、割りきって考えることができなかったようです。
ずいぶん、反対も多く有ったようでした。西洋よりだいぶ法律の整備が遅れました。

医療関係者や脳死者の家族、臓器を必要とする患者を、相当悩ませてしまいました。

結局、議員立法でやっと成立しました。(内閣提出法案ではなく、議員が提案してできる法律)


余談ですが、脳死でなくて、3つの徴候が現れた後の死体も、臓器を取り出して、移植することがあります。6条もそれを想定しています。
角膜なんかは昔からやっていますね。

脳死したばかりの死体の臓器の方が新鮮で良い(臓器によっては死んじゃう)のですが、そこまで新鮮でなくてもできる臓器移植もあるということです。


刑法の殺人とかの話なので、表現が露骨で、すみませんでしたm(_ _)m

窃盗とか詐欺とか放火の話にしようかと思ったのですが、ものすんごく難しいので。





次に、民法で「人」とは何か? という話です。


以前、法人って、団体のこと? で簡単に説明しましたね。

普通の人間=自然人

法律上でっちあげた人=法人

両方、あわせて、民法上「人」です。

と、言いました。


今日は、自然人(狭い意味での人)の説明をします。


民法 第一編 総則 第二章 人

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   第一節 権利能力

第三条  私権の享有は、出生に始まる。

 外国人は、法令又は条約の規定により禁止される場合を除き、私権を享有する。

--------------------------------

この第1節は、この第3条しかありません。


権利能力というのは、権利があったり、義務があったりできるということです。


第3条1項に「私権」という言葉が出てきますが、民法とか商法(私法)での権利のことです。

民法を知らないとさっぱりわからないじゃないかっ、という話ですね。

民法は、財産権身分権(家族関係の権利)を決めています。

他に、人格権もあります。
財産権の一種で、社員権(株主の権利などのこと)もあります。
社員権については、会社員とは何か?会社の構成員(メンバー)?

商法も財産権についてですね。
私法=民法+商法です。

上の説明を読んでも、さっぱりわからないかも知れません。すみません。

民法については、国民に一番身近な法律なのに知られていないので、別の機会に書きます。


それで、いよいよ本題。


「私権の享有は、出生に始まる。」は、

私法上の権利義務は、生まれたときから、持てるようになります。ということです。

生まれたら、「人」ってことです。法律用語で、「権利能力がある」といいます。

権利を得たり、義務を負ったりは、契約とかでできますが、これは、行為能力といいまして、未成年とかは大人と同じではありませんね。未成年については、成人って何? 成人の日だし。18歳選挙権ももうすぐ始まるし。で説明しました。(他にも行為能力の無い人もいます。)


この場合、刑法と違って、ちゃんと外に全部出て、自分で息を始めたら、出生です。

この辺、微妙に学説が別れていますが。民法の条文に書いていないのが悪いのです。


赤ん坊に権利があるとか言ったってしょうがないじゃん。とか思うかも知れませんね。

でも、

生まれると、相続ができますよね。


ここで、賢い人は考えるわけです。

「だって、お父さんとかが死んじゃうのが早いか、子供が生まれるのが早いかで、相続の仕方が変わってきちゃうなんて」と。

「所詮、法律なんてそんなもんよ。」と言う人もいるかも知れませんが、

日本の法律はそうなっていません。


相続損害賠償について、例外が有ります。



一つ目の例外 相続について。


民法 第五編 相続 第二章 相続人

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(相続に関する胎児の権利能力)

第八百八十六条  胎児は、相続については、既に生まれたものとみなす。

 前項の規定は、胎児が死体で生まれたときは、適用しない。

----------------------------------


1項にある「みなす」というのは、本当はそうじゃないけど、そういうことにしちゃいましょう、っていうことです。

胎児は、相続の話をするとき限定で、生まれちゃってることにしましょう=相続できちゃうことにしましょう。

ただ、かわいそうに、死産(出てきたときに死んでた)だと、元も子もないので、原則通りしなかったことにしましょう(2項)

となっています。


2つ目の例外 損害賠償について


たとえば、普通は、だれかがケガをしたとき、ケガをした被害者本人が、加害者に対して「治療費払え」「会社休んだ分の給料払え」「精神的損害を負ったから慰藉料(いしゃりょう)払え」と言います。

ところが、だれかが死んだ場合、家族が、
1.(相続した遺族の場合)相続した損害賠償を請求。
2.遺族自身の損害賠償を請求。


胎児も、そういう場合に、損害賠償請求権がある、っていうのが、この条文です。


民法 第三編 債権 第五章 不法行為

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(損害賠償請求権に関する胎児の権利能力)

第七百二十一条  胎児は、損害賠償の請求権については、既に生まれたものとみなす。

----------------------------------


この2つの例外の話も、学説が分かれます。

相続の例外の話は、

生まれたときに、相続が確定するんだ、っていう説と

死産・流産だったときに、相続しなかったことにするんだ、っていう説


損害賠償請求権の例外の話は、

うまれたときに、損害賠償請求権が確定するんだ、っていう説

死産・流産だったときに、損害賠償請求権が無かったことにするんだ、っていう説


何のために、こんな話をするかといいますと、相続権が発生したとき(被相続人が死んだとき)と損害賠償請求権が発生したとき(近親者が死んだとき)に、胎児でも大丈夫なんですが、

生まれる前(胎児のうち)に手続きを進められるかどうか、が違ってくるんです。


今までは、判例・通説とも、一応、認めるにしても、生まれたら初めてできることになる、っていう説をとっていました。

この説の場合、

相続の場合は、遺産分割をするのは、生まれた後まで待たなければいけない。

損害賠償請求は、請求するのを、生まれるまで待たなければいけない。


ところが、死産・流産だったとき、無かったことにする説だと、

生まれる前に、遺産分割をして、死産・流産だったら、遺産分割しなおす。

生まれる前に、損害賠償請求して、死産・流産だったら、引っ込める。もらってたら返す。

とかいうことになります。


昔は、死産も多かったので、判例の考えでも良かったかもしれませんが、今は、死産が少なくなっているので、考え方を変えた方が良いという学者が多いです。


次に、民法で、人でなくなる場合


死んだら、人でなくなります。

権利能力が無くなります。条文はありません。
昔の学者は、当たり前のことは条文に書かないで良い、と思っていたようです。


相続が開始されます。死んだ人(被相続人)から子供とか奥さんとかに相続されます。(相続人) 


第五編 相続 第一章 総則 の最初の条文です。

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(相続開始の原因)

第八百八十二条  相続は、死亡によって開始する。

----------------------------------


婚姻(結婚)は解消です。(いわゆる、「死別」ですね)

委任契約も終わります。委任者、受任者どちらでも。(653条) 


他にもいろいろ有りますが、キリが無いし、ちょっと難しいのでやめます。

簡単に言いますと、死んでも終わらないものは、相続されることになります。 



死亡について、一つ、例外的なものとして、
失踪宣告があります。


失踪宣告っていうのは、どっか行っちゃったまま行方不明とか、事故とかで行方不明とかの場合に、ある程度たった後、家族とか契約関係にある人との間で、死んだことにしましょう、っていう制度です。(民法 第一編 総則 第三章 人 第四節 不在者の財産の管理及び失踪の宣告 の後半に条文があります。)

周りの人は、帰ってくるまで、再婚もできない、財産を管理しなきゃいけないでは大変ですから。

どこかで、生きていた場合、本人は、もちろん、法律上「人」のままです。

失踪宣告で死んだことになった後に帰ってきたりすると、面倒くさいことになります。

この辺も条文に書いてあります。

昔、沢口靖子さん主演のNHK朝ドラ「澪つくし」で、こういうストーリーがありました。


次の第五節は1条しかありません。

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第五節 同時死亡の推定

第三十二条の二  数人の者が死亡した場合において、そのうちの一人が他の者の死亡後になお生存していたことが明らかでないときは、これらの者は、同時に死亡したものと推定する。

-------------------------------------------------

赤の他人なら問題が無いのですが、

もし、家族・親戚が、ほぼ同時に死んだ場合、

順番によっては、

ある人は相続人になり、ある人は相続人でなくなる、とか、

相続分が増えたり、減ったり、ってことになるのです。


だから、わからないときは、同時にしましょう、ってしました。

条文にある「推定する」っていうのは、「もし、反対の証拠が無かったら、そういうことにしましょう」という意味です。

この場合は、同時でない証拠、順番がわかる証拠が無かったら、という意味ですね。



もう一つ、失踪宣告と似たものに、認定死亡があります。

戸籍法の条文です。

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第八十九条  水難、火災その他の事変によつて死亡した者がある場合には、その取調をした官庁又は公署は、死亡地の市町村長に死亡の報告をしなければならない。但し、外国又は法務省令で定める地域で死亡があつたときは、死亡者の本籍地の市町村長に死亡の報告をしなければならない。

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あくまでも、戸籍法という手続きの法律の話なのですが、

民法上死亡したと同じになって、婚姻は解消、相続が始まる、という効果があります。

死亡の確認がちゃんととれなくても、死亡しただろうと十分考えられる状況があった場合は、OKと解釈されて、運用されています。

2011年の東日本大震災のときも、この制度が使われました。

条文を比べるとわかりますが、失踪宣告よりも、面倒が無いです。
大きな事故や災害のときしか使えませんが。



ごあいさつ

いつも、長い文章を読んでいただきまして、ありがとうございます。


「法律の解釈の話はややこしいのが多いので、
簡単で、なじみやすい話をします。」と書きましたが、十分ややこしかったですねm(_ _)m

法律の解釈って、ややこしくて、
・日本語として読んだだけではわからないのね、
・背景にある知識があるだけでも、わからないのね、
ということがわかってもらえれば、目的達成なのでした。

前から、書こうと思ったテーマで、最近下書きはできていました。 昨日、脳死がキーワードになるニュースがあったので、急いで仕上げて、投稿した次第です。 亡くなられた少女のご冥福をお祈りするとともに、移植を受けられる方々の健康をお祈りします。 




 

電波停止ってできるの? 放送法と表現の自由




2016年2月8日の衆議院予算委員会で民主党の奥野総一郎議員の質問に対する、高市早苗総務大臣の答弁が問題にされていますね。

ちょっと遅くなりまして、すみませんm(_ _)m

法的に何が問題なのかを考えたいと思います。
具体的には、放送法、電波法と行政手続法(行政指導)についてです。あと、憲法も。

放送法について


まず、この法律の目的です。
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   第一章 総則

(目的)
第一条  この法律は、次に掲げる原則に従つて、放送を公共の福祉に適合するように規律し、その健全な発達を図ることを目的とする。
一  放送が国民に最大限に普及されて、その効用をもたらすことを保障すること。
二  放送の不偏不党、真実及び自律を保障することによつて、放送による表現の自由を確保すること。
三  放送に携わる者の職責を明らかにすることによつて、放送が健全な民主主義の発達に資するようにすること。

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まず、「放送」についての法律だということです。ラジオとかテレビの話です。
映画館の映画とか、新聞とか雑誌とかは関係が無いってことです。ここ重要です。

それで、この第1条を読んで、どう思います?
まあ、なかなか、国民=視聴者にやさしい法律なのね、って思いますか?

「不偏不党」 って書いてあるでしょう?

「そんなのムリっ」、っていうのが、なきゃいけない感覚です。
だってね。どんなメディアでも、具体的には、テレビ、ラジオだけでなく、 新聞でも、雑誌でも、広告が有るでしょう?広告主(スポンサー)がすごく嫌がることは書けるわけがない。

たとえば、自動車会社がスポンサーのドラマで、自動車事故で大変なことになる話は、ムリ。
保険会社がスポンサーの場合に、保険会社が保険金を出し渋るのと戦うドラマは、ムリ。

それに、そもそも、日本人は、マスコミに、中立性を求める、っていうことを、フツーに言っちゃう人が多いですけど。
産経だって、読売だって、朝日だって、どれもこれも、同じことを違うように報道しているでしょう?
そもそも、中立、ってどこですか?
自動車のギヤみたいに、ニュートラル(中立)の場所がはっきりしてますか?(最近、自動車のことを知らない人が多いから、わかんないたとえかも?)
だいたい真ん中だと、中立ですか?
日本人みんながかたよっていたら、その真ん中は、中立ですか?

外国では、宗教の新聞とか、政党などの新聞が、多くの人に読まれるようになって、メジャーになるっていうことがよくあります。
ある新聞が、どこの政党支持なのか、というのが、非常に明確なのです。

実際、民主党が政権を取ったときの前後、読売新聞は減っています。
そして、今は、朝日新聞が減っています。(いろいろ有りましたが)

別に、それで、いいじゃないですか。

そもそも、他人の名誉毀損をしているでもなく、 他人のプライバシーを侵害しているでもなく、テロの扇動をしているのでもないわけですから。
まあ名誉毀損とかはしてるかも?


なんで、放送に限って、不偏不党を求められるのかっ。

「なんで、こういうことを、放送に限って定めているか」の理由ですが、

1.放送の電波って、少ないでしょう、有限でしょう?ってことです。
2.新聞とかと違って、放送は時間単位でスポンサーに売るから、勝手にさせると、どんどん、商業的になっちゃう、ってこと、です。

1は、理系でない人には、わかりにくいかも知れませんが、
周波数(電波の波のサイクルの長さ)が近いとだめですし、周波数が高すぎるとだめだし、低すぎてもだめ。そして、テレビやラジオより高いところや低いところは、携帯電話やアマチュア無線や飛行機の無線やその他いろいろな無線が割り当てられているのです。外国とも協力しています。
最近、デジタルになって、少ない帯域(周波数の高い低いが狭い)で、良い画質やたくさんのチャンネルが放送できるようになりました(^o^)/
その分、チャンネルがすごく多くなれば、この1の理由も無くなる(完全には無くならない)のですが、少なくてすんだ分、他の電波(携帯電話の電波とか)の帯域が増えちゃったりしたのですね(T_T)/



さっき見た1条の次の第2条 定義と、第3条、どんな制約があるのか見ましょう。

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第二条  この法律及びこの法律に基づく命令の規定の解釈に関しては、次の定義に従うものとする。
 「放送」とは、公衆によつて直接受信されることを目的とする電気通信(電気通信事業法 (昭和五十九年法律第八十六号)第二条第一号 に規定する電気通信をいう。)の送信(他人の電気通信設備(同条第二号 に規定する電気通信設備をいう。以下同じ。)を用いて行われるものを含む。)をいう。
 「基幹放送」とは、電波法 (昭和二十五年法律第百三十一号)の規定により放送をする無線局に専ら又は優先的に割り当てられるものとされた周波数の電波を使用する放送をいう。
 「国内放送」とは、国内において受信されることを目的とする放送をいう。
十二  「内外放送」とは、国内及び外国において受信されることを目的とする放送をいう。
 
3号と5号~11号と13号~は省略

  第二章 放送番組の編集等に関する通則

(放送番組編集の自由)
第三条  放送番組は、法律に定める権限に基づく場合でなければ、何人からも干渉され、又は規律されることがない。

(国内放送等の放送番組の編集等)
第四条  放送事業者は、国内放送及び内外放送(以下「国内放送等」という。)の放送番組の編集に当たつては、次の各号の定めるところによらなければならない。
一  公安及び善良な風俗を害しないこと。
二  政治的に公平であること。
三  報道は事実をまげないですること。
四  意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること。
2  放送事業者は、テレビジョン放送による国内放送等の放送番組の編集に当たつては、静止し、又は移動する事物の瞬間的影像を視覚障害者に対して説明するための音声その他の音響を聴くことができる放送番組及び音声その他の音響を聴覚障害者に対して説明するための文字又は図形を見ることができる放送番組をできる限り多く設けるようにしなければならない。 
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こんなに、いろいろなことが求められているのですね。

特に、問題になるのは、
2号の、「政治的に公平であること。」
ですね。

そして、放送法や、放送法にもとづく命令(内閣が定める政令や省(この場合は総務省)が定める省令のこと)、放送法にもとづく処分に違反した場合は、総務大臣の権限で、放送業務の停止を命じることができます。(放送法174条)
そして、無線局の運用の停止(電波の停止=停波)などが、総務大臣の権限でできます。(電波法76条)
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放送法
   第十章 雑則

(業務の停止)
第百七十四条  総務大臣は、放送事業者(特定地上基幹放送事業者を除く。)がこの法律又はこの法律に基づく命令若しくは処分に違反したときは、三月以内の期間を定めて、放送の業務の停止を命ずることができる。
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電波法

第七十六条  総務大臣は、免許人等がこの法律、放送法 若しくはこれらの法律に基づく命令又はこれらに基づく処分に違反したときは、三箇月以内の期間を定めて無線局の運用の停止を命じ、又は期間を定めて運用許容時間、周波数若しくは空中線電力を制限することができる。
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放送以外の電波も、放送の電波免許制なのです。(ほんの一部、免許制でないのもありますが)
そして、放送業務も、認定が必要です。

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電波法
(無線局の開設)
第四条  無線局を開設しようとする者は、総務大臣の免許を受けなければならない。ただし、次の各号に掲げる無線局については、この限りでない。
1号~4号は省略 
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そして、基幹放送局として、免許を受ける手続きについて、後の条文に書いてあります。

放送法には、NHKの根拠が書いてあります。そして、民間放送については、認定を受けなければならない、とか、認定の更新が必要だと、書いてあります。

所管は総務省なので、電波法とか放送法では、総務大臣という言葉が頻繁に出てきます。



表現の自由の問題



ある人が、何か、言論なり芸術などの手段によって、外部に何かしらの表現をすることを、他人に危害を与えない限り、国家権力は制限してはならない、ということです。
これは、「表現の自由」 の説明です。

放送で、何かを表現する場合も、表現の自由の「表現」ですね。特に、ニュースの場合は、表現の自由の中の報道の自由の問題です。

日本国憲法21条に書いてあります。
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第二十一条  集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
2項は省略
--------------------------------------------------------

「他人に危害を与えない限り」 と上にも書きました。
これは、harm principle(ハーム プリンシプル)といって、 すべての自由権に共通する原則です。
日本語では危害原理と訳されます。

例えばですね。

名誉毀損について、考えましょう。
名誉毀損は表現の自由の問題です。
名誉毀損をすると、刑法の名誉毀損罪になります。 

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(名誉毀損)
第二百三十条  公然と事実を摘示し、人の名誉を毀損した者は、その事実の有無にかかわらず、三年以下の懲役若しくは禁錮又は五十万円以下の罰金に処する。
2項は省略 
-------------------------------------------------------- 


そして、民法の不法行為として、損害賠償責任を負うことになります。 
-------------------------------------------------------- 
 (不法行為による損害賠償)
第七百九条  故意又は過失によって他人の権利又は法律上保護される利益を侵害した者は、これによって生じた損害を賠償する責任を負う。
(財産以外の損害の賠償)
第七百十条  他人の身体、自由若しくは名誉を侵害した場合又は他人の財産権を侵害した場合のいずれであるかを問わず、前条の規定により損害賠償の責任を負う者は、財産以外の損害に対しても、その賠償をしなければならない。
--------------------------------------------------------
国家が刑罰を課す、とか、民事で義務を負わせる判決を書くとか、これは、両方とも、表現の自由の制限なのです。
他人に危害を与える場合ですから、当然、憲法上許される制約ということになります。

憲法の人権の問題、特に自由権の問題は、国がする制限が、して良いものかどうか、の問題です。

してはいけない制限を法律が決めている場合、憲法違反の法律ということになります。
法律に問題が無くても、行政や裁判所が、憲法違反のことをする場合もあります。

危害原理について、自由権に共通する問題として書きましたが、
経済的自由権は、さらに他にも制限をかけて良い場合があります。
くわしくは別の機会に書きますが、社会権(労働者の権利や環境についての権利など)を大切にすると、財産権などを制限しなくてはならないからです。 


表現の自由の限界はどこか? それはなぜか?

憲法学には、有名な、学説で、二重の基準論(ダブル スタンダード)というのがあります。

どういうことかと言いますと、
精神的自由権と経済的自由権では、違憲にするかどうかの判定基準(違憲審査基準)が違う、ということです。
精神的自由権の審査基準を、厳しくする、ということです。

(表現の自由は、精神的自由権の一つです。他には、思想・良心の自由、信教の自由、学問の自由などが有ります。)

理由
精神的自由権を不当に制約すると、民主主義の政治の過程(プロセス)自体が傷ついてしまう。
→取り返しがつかない。
経済的自由権を不当に制約しても、民主政治の過程が正常なら、後から直せます。
それに、経済政策とか社会政策とかが関わってくる話なので、裁判所が判断するのは難しいです。


思想の自由市場といいまして、いろいろな人のいろいろな意見が自由に表明されて、そして、自由に聞くことができる状態で、正しい意見が勝利して、人類が進歩できる、という考え方です。

いろんな人が、いろんな所で、いろんなことを、邪魔されずに、言えないといけません。
そうしないと、みんなが、情弱(情報弱者)になってしまうのです。
このブログは、足りない情報を補うことが目的です(^o^)v

(ちなみに、この思想の自由市場という話を頑張ると、マスコミの一方通行の独占的な情報は、すごく問題になります。でも、それを言っちゃうと、今回の報道の自由の話が元も子も無くなりますので(^_^;))


そこで、表現の自由の制約は、 ものすごく例外的なものなのです。よほどのことが無ければ、憲法違反だろう、と言えるというくらいになるのです。

そして、今、生きている憲法学者で、このことを違うじゃんって言う人はほとんどいないとは思いますが、日本の最高裁判所は、まだまだです。
(一応、二重の基準論については言っていても、経済的自由権の制限の話をするときに使っているだけで、精神的自由権の制限については、使わずに、甘々です。)


厳しい審査基準に、照らし合わせて、考える

内容については、具体的に重大な実害が無いのに、制限するのは、おかしいです。
また、どういう場合に制限するのかが明白でないといけません。

だって、前もって、あいまいに言われると、広い範囲のことについて、萎縮してしまいますでしょう?

そして、内容について、制限するのが仕方ないとしても、
制限は、最小限のものでなくてはなりません。

放送法は、違憲でないとは言い切れない、と思うのですが。どうでしょう?


「総務相、電波停止に言及」報道に驚く - 早苗コラム | 高市早苗(たかいちさなえ)

いろいろ言い訳をしています。
これだけ読むと、総務大臣としては、まともですね。なんくせをつける意味がわかりません。

ですが、最近やっている行政指導とかをからめて考えると、おや?とは思います。

行政指導というのは、行政が行った指導について、あくまでも、国民が協力するかどうかは自由、自主的にやるものです。高市総務大臣もそう言っていますね。

ここがミソなのです。

強制じゃないよ。あくまで、そちらの自由ですよ、と。
でも、強制ではないから、「不当な行政処分を受けた、回復してくれ」という、行政不服審査法行政手続法のような制度、手続きは無いのです。
(一応、行政手続法に、後から(2015年施行)36条の2を加えて、救済っぽいことは書きましたけどねぇ。意味無いのよね。)
(この行政手続法の所管も総務省なのよね。電波とか放送は、昔は、郵政省だったんですがね。大昔は逓信省。)

行政指導について、条文も確認しましょう。

行政手続法

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(定義)
第二条  この法律において、次の各号に掲げる用語の意義は、当該各号に定めるところによる。
二  処分 行政庁の処分その他公権力の行使に当たる行為をいう。
五  行政機関 次に掲げる機関をいう。
 行政指導 行政機関がその任務又は所掌事務の範囲内において一定の行政目的を実現するため特定の者に一定の作為又は不作為を求める指導、勧告、助言その他の行為であって処分に該当しないものをいう。
1号、3号、4号と7号~は省略
-------------------------------------------------------------------------

「指導、勧告、助言」とか書いてあるでしょう。
いるでしょう?面倒くさいいやなやつほど、「命令だ」と言わず、「アドバイスだよ」と言う。
命令だったら、「なんだと?」と言えます。
アドバイスだと、ありがたく頂戴しないといけないわけですよ。その先がこわいですからね。

つまり、「真綿で首を締める」のが行政指導です。日本独特の制度です。こんなのばっかし(^_^;)



行政指導の問題はこの辺にしましょう。

行政指導を守らなかった先に有るものが問題です。

先にも書いたように、法律が、そもそもしょうもない作りなのです。

本当に、日本のテレビ・ラジオのことを考えるなら、本当に日本国民のことを考えるなら、放送法を改正して、行政がいろいろ勝手にできる可能性が無いようにしたら、良いと思います。

予算委員会で大臣をいじって、中継されて、報道されて、喜ぶんでなくて、質問の最後でも言っていたように、最初から総務委員会で話すべきです。
NHKの中継を利用して、予算委員会で質問をしていて、放送界や国民のことを考えているようなことを言えるか、バカ。
国民にとって、大事な、予算審議の時間をなんだと思っているのか。
予算委員会はTV中継されますから、アピールする場としては、もってこい。もちろん、そういう場ではない。





今日は建国記念の日。2月11日になんかあったっけ?

今日は、建国記念日ですね。正確には、「建国記念の日」。


元日に、国民の祝日について書きました。


元日だから、祝日の話


そこで、建国記念の日だけ、おかしな決め方になっている、という話もしました。


「国民の祝日に関する法律」

という法律には、日付祝日の名前意義が書いてあります。

元日だから、祝日の話に法律をまるごと引用しています。(短い法律です。)


「建国記念の日」だけが、「政令で定める日」と書いてあって、浮いています。


この法律自体は、1948年(昭和23年)に成立しているのですが、

後から、改正で、「建国記念の日」は、1966年(昭和41年)につけくわえました。


2月11日を建国記念の日にしようとする与党自民党と、

反対する野党(日本社会党、公明党、民社党)との間の妥協で、

とりあえず日付を後回しにすることで法律になりました。

そして、結局、政令で2月11日になったのでした。



日本の建国記念日について考える前に、

世界の国は、何の日を建国記念日にしているか」

という所から見てみましょう。


独立の日


アメリカは7月4日のイギリスから独立宣言をした日ですね。

アフリカの各国も、イギリスやフランスから独立した日ですね。

他にもたくさんあります。

これはわかりやすいですよね。


革命の日


革命をすると、国家体制が変わります。
自由主義革命、社会主義革命、イスラム革命、反共産主義革命、などがあります。

独立の日ほど、多くはないですが、革命の関係の日を、建国記念日にしている国が多数あります。

民族(nation)としては継続している場合でも、国家(state)としては、新しくなっているわけです。

難しいですか?



これを、日本に当てはめてみましょう。


独立の日はいつ?


1952年4月28日です。サンフランシスコ講和条約の発効の日です。


日本が、独立国でなかったことなどあったっけ?

1945年(昭和20年)、連合国に負けた日本は、連合国軍に占領されました。

総司令部(GHQ)が、直接ではなく、日本の政府の上で指示を出すという、間接統治という方法でした。

サンフランシスコ講和条約(正式名称:日本国との平和条約)が締結されて、占領が終わって、独立国家としてスタートすることになります。



革命の日または国家体制が変わった日はいつ?


明治維新が革命と言えるかどうかは、ともかく、

前の国体から今の国家体制に変わったのは、1947年(昭和22年)5月3日です。

日本国憲法はこの日から効力があります(施行されました)。

なんせ、主権者が変わっています。

天皇主権から主権在民になっています。


ここで、当然の疑問です。

日本国憲法は、大日本帝国憲法の改正手続きで改正された。(大日本帝国憲法第73条)


上諭(日本国憲法施行前の日本における天皇の言葉として記された法令の公布文。)が下のようになります。

---------------------------------------------------------

は、日本國民の總意に基いて、新日本建設の礎が、定まるに至つたことを、深くよろこび、樞密顧問の諮詢及び帝國憲法第七十三條による帝國議會の議決を經た帝國憲法の改正を裁可し、ここにこれを公布せしめる。

御名 御璽

昭和二十一年十一月三日

内閣總理大臣兼

外務大臣       吉田茂

國務大臣   男爵 幣原喜重郎

司法大臣       木村篤太郎

以下省略

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大きな矛盾があるのです。

主権者である天皇が、今までの憲法を改正しましたよ、というものの内容(新しい憲法)が、天皇の主権を否定しているのです。

形式的に連続しているように見えますが、法的な意味での国家(state)が変わってしまった。


国の名前も変わりましたしね。

大日本帝国 → 日本国


これって、有り得ないのです。

形式的に改正なのに、実質的にはまったく別物の憲法なのです。


昔、宮沢俊義っていう憲法の先生がいまして、この現象をこう説明しました。

1945年(昭和20年)敗戦=ポツダム宣言を受諾したときに、一種の革命が起こったんだ。だから、主権が変わっても、後の憲法の成立には正当性があるんだ、と。(八月革命説)

まあ、おもしろい説明なんですけど、ちょっと言葉遊びっぽい(^o^)
でも、
今の憲法が無効だなんて言っちゃだめです。良い憲法が定着してますから。 


いずれにしても、stateはつながっていないわけです。

nationとしては連続していますが。



じゃあ、どの日が良いでしょうね?


4月28日、サンフランシスコ講和条約発効の日を主張したのが、公明党。

5月3日、憲法が施行された日を主張したのが、日本社会党。


上にあげた2つですね。


他に、

4月3日、聖徳太子の十七条憲法制定の日を主張したのが、民社党。

これは、意味がよくわからないです。

憲法という名前ではあっても、十七条憲法は、公務員の道徳的な訓示くらいの意味ですから。 (英語やフランス語のconstitutionの訳としての憲法とは全然無関係。) 



そして、

2月11日を主張したのが、与党の自民党。

では、

2月11日に何があったのか?何の日なのか?


2月11日は、1873年(明治6年)から紀元節という祝日でした。

そして、1948年(昭和23年)に、GHQに言われて、廃止したのでした。


なぜ、祝日だったり、廃止したり、また、復活させようとしたのか。


そもそも、紀元節って何?


神武天皇(初代天皇)が即位した日=紀元節です。

古事記と日本書紀に書いてあります。

紀元前660年の1月1日(旧暦=昔のカレンダー)です。

新暦(今のカレンダー)に換算すると、2月11日になります。



明治政府は、天皇を神として、政教一致天皇主権の国家でした。

政教一致は、国家神道といって、伊勢神宮を始めとする神社神道に特権を与えるものでした。

国のお金で神社が作られました。

伊勢神宮をトップとして、全国の神社を、国の管理の下、組織しました。


その根拠は、今の天皇が、天照大神(てんしょうだいじん、あまてらすおおみかみ)(太陽の女神)の5代後の子孫である神武天皇(じんむてんのう)の子孫、ということでした。


神武天皇が実際にいたかどうかは、かなりあやしい、というのが、歴史学者の普通の意見です。あくまでも、神話。

古事記(712年)、日本書紀(720年)を編纂した大和朝廷の創作話だという意味です。


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大日本帝国憲法

第一章 天皇

第一条 大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス


第ニ条 皇位ハ皇室典範ノ定ムル所ニ依リ皇男子孫之ヲ継承ス

第三条 天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス

第四条 天皇ハ国ノ元首ニシテ統治権ヲ総攬シ此ノ憲法ノ条規ニ依リ之ヲ行フ

以下省略

-------------------------------

ちょっと、読みづらいし、わかりづらいですが。


1条は、神武天皇からの一つの系統の子孫の天皇が、支配する国だということ。

3条は、天皇は神様で、絶対だということ。

4条は、天皇は、国家元首で、国の統治権(支配する権限)を全部持っていて、この憲法にしたがって、統治する。


ということが書かれています。



天皇が神で、天皇主権で、政教一致の体制で、天皇陛下の名前を使って、軍も政府も、さらには議会も、責任をとらず、好き勝手やった結果が、国民を苦しめ、外国の国民を苦しめたということだった、というのが、連合国の認識・理解でした。

そして、ポツダム宣言は、日本の無条件降伏や武装解除を迫るだけでなく、そのような国の体制を改めて、思想の自由、表現の自由、信教の自由などの人権を守って、民主主義国家を作ることを要求した内容だったのです。


ポツダム宣言の十条に、こう書いてあります。(国立国会図書館のページから引用)

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十、吾等ハ日本人ヲ民族トシテ奴隷化セントシ又ハ国民トシテ滅亡セシメントスルノ意図ヲ有スルモノニ非サルモ吾等ノ俘虜ヲ虐待セル者ヲ含ム一切ノ戦争犯罪人ニ対シテハ厳重ナル処罰加ヘラルヘシ日本国政府ハ日本国国民ノ間ニ於ケル民主主義的傾向ノ復活強化ニ対スル一切ノ障礙ヲ除去スヘシ言論、宗教及思想ノ自由並ニ基本的人権ノ尊重ハ確立セラルヘシ

-----------------------------------------

読みづらいですが、後半に、今、上に書いたような意味が書いてあります。



当然、GHQは、このまずい思想がもとになっている紀元節を廃止しろ、と言いました。

国から神社神道を分離する、神道指令も出されました。


けっこう具体的に細かい内容なのですが、

一言で言えば、


政教分離しろ、

国を戦争する方向に向ける間違った思想にもとづく宣伝・教育をするな、


ということです。



ちなみに、神道は、「しんとう」と読みます。



神道指令(国家神道、神社神道ニ対スル政府ノ保証、支援、保全、監督並ニ弘布ノ廃止ニ関スル件)は、
文部科学省のページに、他の指令といっしょに載っています。



結局

紀元節は、戦後、しばらくしてから、「建国記念の日」として、復活したのでした。






「法治国家」って、国家が、国民に法律を守らせてる国家、だと思ってる?

「法治国家」とは、


普通の人の理解

国民を、法律で治めている国家(国民に法律を守らせている国家)


本当の意味


国会が作る法律を、国家(特に行政)が守る=法治主義の国家

国会が作る良い法律を、国家が守る=実質的法治主義の国家



正反対の意味なのですよ。




最近、憲法の説明として、


憲法は、国家をしばるもの

法律は、国民をしばるもの


としているものがあります。


憲法について、わかりやすい説明です。


確かに、法律は、国民の権利義務関係を定めることができるものです。

国民をしばるもの、というのも正しいです。

九州大学の南野先生が、AKBの内山奈月さんに、憲法を教える本「憲法主義」でも、こういう説明をしています。


だから、やたらと法律を作ることができては大変なので、

「法律」を作る権限(立法権)を、憲法は、国民の代表で作る国会だけに与えています。


日本国憲法 第四章 国会

----------------------------------------------

第四十一条  国会は、国権の最高機関であつて、国の唯一の立法機関である。

----------------------------------------------

そういう深い意味がこめられている条文なのですよ。(^o^)v



でも、国民が、法律にしばられるだけではありません。


行政関係の法律などは、行政が守らなければならないことだらけですし。


基本的に、国民をしばっているように見える法律でも、作った立法府(国会)はもちろんのこと、行政(内閣とその下の役所など)をしばっているのです。


たとえば、

犯罪の法律などは、もろに国民をしばっていますよね?

殺人罪をおかすと、一番すごいときは、死刑にしちゃいます、っていうんですから。


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(殺人)

第百九十九条  人を殺した者は、死刑又は無期若しくは五年以上の懲役に処する。

------------------------------------------



でもね。

刑事訴訟法の、

逮捕はどういうときにできるか?(刑事訴訟法199条など)

家宅捜索などの強制捜査はどういうときにできるか?(刑事訴訟法222条1項と99条~)

どういうときに起訴できるか?(247条~)

というのも、殺人罪とリンクして行政(警察や検察)をしばっているのです。


そして、さらに、

どういうふうに裁判の手続き(公判の手続き)をすすめるか?

どういうふうなものを証拠と認めるか?(271条~)

どういうときに有罪とするか?

刑罰は、どういうふうに定めるか?

というのも、

刑法と刑事訴訟法が、裁判所をしばっているのです。




法治主義法の支配との違い。今はほぼ同じ


法治主義ドイツなどで発達した考え方です。


法の支配は、イギリスで発達した考え方です。

法の支配の、「法」は法律ではなくて、法律の上にある法(人権を守る法)に、国家はしばられる、という意味です。

法律で決めたことならなんでも良いのではなく、正義の体系=法にもとづかない、勝手な政治をしてはいけない、という意味なんです。


だから、憲法を作って、法律より上に置いて、憲法に合わない法律を憲法違反として、うっちゃっちゃいましょう、ということになります。


憲法が最高法規なのも、裁判所に違憲立法審査権(81条)が有るのも法の支配の考え方なのです。


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  第十章 最高法規

第九十七条  この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。

第九十八条  この憲法は、国の最高法規であつて、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。

○2  日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする。

第九十九条  天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。

----------------------------------------------------.

自民党憲法改正草案が、97条を削除して、99条の義務を負う人間に国民を追加することが、どれだけ狂ったことか。


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第八十一条  最高裁判所は、一切の法律、命令、規則又は処分が憲法に適合するかしないかを決定する権限を有する終審裁判所である。

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ドイツで法治主義が考えられるようになったときは、そんな、上の法とかは考えなくて、しょせん何が正しいかなんてわからない、議会が作った法律がすべてなんだ=法実証主義ということになっていました。


だから、法律を行政が守れば良かったのです。形式的法治主義と言います。


でも、今のドイツは違います。


法律は正しくなくてはいけないもので、正しい法にしたがって、国家は政治をしなければいけない、という発想です。実質的法治主義と言います。


だから、憲法裁判所で、法律が憲法違反かどうかの判断をします。

日本と違って、何かしらの裁判で憲法違反の法律が問題になっていないのに、憲法判断ができてしまいます。(抽象的違憲審査制


そもそも、正しい法がある、って考え方ですが、

そんなの、何が正しいかなんて、わかるわけないじゃん、っていう人もいらっしゃると思います。

法実証主義もそういう考えが基礎です。

ドイツのビスマルク宰相のときに作った憲法(ワイマール憲法の前)をまねした日本の明治の憲法は、人権ではなくて、臣民の権利と書いていました。まねしたんだから当たり前ですが。

今の憲法の第三章の表題も「人権」ではなくて「国民の権利及び義務」なのは惜しい。


でも、人権とか、正しい法とか、って、だれが決めたのよ?って話ですよね?

そもそも正しい、って所から出発して、宗教でもやったら?なんて言われそうですよね。


近代人権思想自体が、ルネサンスやプロテスタンティズムの影響を強く受けているのです。

人権思想や立憲主義の基礎に、宗教が深く関係しているというのは、憲法を普通に勉強した人の常識なのです。


しょせん、西洋の宗教、キリスト教の話で、イスラムや仏教とは関係無いじゃん、っていう話になるかも知れません。

でも、イスラムも、法を尊重して、政教一致でなければ、人権思想と矛盾しないものを多く持っています。(女性差別など克服しなければならない問題もありますが)

また、仏教も、特に法華経にあるように、万人が仏だ(仏の生命がある)という思想は、キリスト教の神のもとに平等という考え方よりも、人権の基礎にある個人の尊厳の原理を、説明しやすいと思います。

また、仏教は、もともと法として説かれています。仏教という言葉は、近代になってから使われるようになった言葉で、仏法と呼ぶのが普通でした。


しょせん、人権思想も、宗教と同じで、信じるか、信じないか、の世界なのですね。

今の憲法を、国民が受け入れたということは、人権思想にもとづく国家を、日本国民が作ったということ、人権思想という共通の思想、価値観を持っている、ということなのです。

でもね。

人権の意味も、憲法の意味も、わからない人が、改憲だの護憲だの言ってる。

憲法がちゃんと機能していない、人権が守られていない、今の日本について、あまりにも無認識、無関心。


それだと、結局、最初からやり直しじゃん。

いや、マイナスからのスタートかも。

いや、逆のベクトル?










生徒の政治活動。子供の人権は大人と違うのか

高校生の政治活動について、文部科学省がQ&A集を作成した、というニュースがあります。

高校生の政治活動でQA集 文科省作成 毎日新聞の記事です。

子供を、性悪説で見てるんだ(性善説で見ろとも言いませんが。)。そうやって、とにかく管理する発想。それで、教育ができると思ってる。学校を(表面だけ)良い子ちゃん製造工場にしたいのか。


選挙権が18才からになる前から、そもそも、小学生の頃から、政治についてどう向き合うか、社会科とか公民とかで、ちゃんと教えれば良いのだ。


政治は大人の趣味ではないんだ。

もちろん、子供の趣味でもない。


学校生活を台無しにしてまで、他人の迷惑をかえりみずに、政治活動をするのは、もちろん、良いことではない。
でも、それって、政治活動に限ったことではないんじゃない?
わざわざ、政治活動に限って、校則に定めることも、だめとは言わない、って、何それ?


どうせ、若い人は、ラディカルな(急進的な)、現政権に批判的な方に、のめり込むとか、警戒しているんだろう?

大正時代に、民主主義思想が盛り上がって(大正デモクラシー)、(男子)普通選挙(納税額などの制限を一切認めない)を決めたと同時に、治安維持法を定め、選挙運動を厳しく限定する法律(運動期間を直前に限定。投票日当日の運動を禁止。戸別訪問禁止など)を作って、共産主義勢力が台頭するのを防ごうと思ったのと、似たような考えだろう?(今の公職選挙法にも残ってしまってる、世界的にも珍しい制限)

デモ行進を仕方ない限度で規制するのではなく、デモをやってる人は暴力を振るう人たちになると、はなっから決めつけて取り締まろうとする連中と同じ発想だろう?

そもそも、庶民は、特に若い人は、何をしでかすかわからん、たちの悪い連中だ、と思っているだろう?


何様のつもりだ。


現にそういう人もいるかも知れないけど。

そうやって決めつけるのはだめだろう?

そもそも、まともな政治教育をしないから、大騒ぎになっちゃうか、それを冷めて見る人の両極になってしまうのではないか。
生徒たちを利用しようとする勢力に、生徒たちが利用されてしまうのを、防ぐことができなくなってしまうではないか。

マスコミも、権力闘争の話ばかりをしたり、政策の話をするにも、政治家の発言を(自分たちの意図に当てはめて)報道してちゃ、だめだろう。

そもそも、マスコミが、政治家の発言以前に、よく政治(政治に限らず)を勉強した上で、政治家や政党の発言を冷静に分析して、報道しなければだめだろう。

問題が出てから、マスコミが好きな、たった一人とかの法学部の先生や政治学の先生に、インスタントな講義を受けて、分かった気になって、エラソーに変な記事を書いてる場合じゃないだろう。


私は、マスコミの背景に、どういう、権力や、商業的な力が働いているかは、知りません。そういう分析は必要でしょう。

でも、マスコミのことをマスゴミとか言ってる一部の若い人たちよ。
法学や政治学や経済学や社会学などを、少しでも、まともに勉強した上で、何が正しいのか(何が国民みなの幸福のためになるのか)を自分なりに考えた上で、マスコミを批判しようよ。

ゴミと同じ穴のむじなになってしまうよ。


子供も、政治の意味がわからない状態の人にも、国の政治は関係があるんだ。国民は国家の支配下にあるんだから。

だから、本来、民主主義を徹底すれば、子供だって、大人だって、政治にどんどん参加するのがまともなのに。

ただ、選挙権だけは、一定の年齢以上という区切りで判断力があると仮定して、妥協して、行使できる人を区切っているだけなんだから。

基本、選挙権を含む参政権は、本来、国民ならだれにでも認められるべきものなんだ。

日本は永住権を持っている外国人にさえ、選挙権を認めない。そもそも、永住権をちょっとやそっとじゃ認めないし。

永住する気なら、母国を捨てて帰化しろ、というスタンス。(帰化もあまり認めないけど。)

日本に住んでいたら、国民でなくたって(日本国籍が無くたって)、日本国の支配に服するんだ。
所得税も消費税も固定資産税も、外国人も日本人と同じようにとられているのに。
他のことだって、国民と同じように義務があるじゃないか。
むしろ、国民でないことで、不利益が多すぎる。なんなんだ、このバランスは。


選挙権を認めない。その他の参政権を認めなかったとしても。

言論の自由や、集会の自由、結社の自由を不当に制約することはやめよう。

大人についても不当に制約しようとするし、不当な制約を規定する(つまり憲法違反の)法律が多いから、子供にはもっと厳しくしたいのだろう。

でも、あからさまに厳しくしようとすると、左翼勢力の教育者たちを中心に騒がれるから、学校がやるならどうぞ、みたいなスタンスなんだろう。


法の下の平等という言葉を知っていますか?


(公立学校は、国や自治体の権力が及んでいるから、人権を不当に制約してはいけないのは当たり前だが)

私立学校も、一定の限度で、学校の教育の目的にそった自治が認められるとはいえ、生徒の人権を不当に制約してはいけないんだ。

そうでなければ、憲法が最高法規であって、日本の国家の支配が、国民と国内にいる人たちに及ぶ、という大原則が崩れてしまう。(近代以前の封建制などになってしまう)

一定のくくりの中で、人権が認められない=人間扱いがされない、ということになってしまうじゃないか。
 

老人保護施設や障害者施設や保育園や家庭内などで虐待をする人間の意識も、そして問題が発覚するまで動きが鈍い国や自治体も、考え方の根は同じだろう。

宗教団体だって、信者に何かを強制をしたり、信者を虐待してはいけないんだ。当たり前のことなんだ。そんなことを保護することは、信教の自由の意味とはまったく違う。

会社だってそう。強制は一切だめです。犯罪です。
会社に命令されて働いていることは、強制ではないです。本人が望んで(自由な意思で)雇用契約をしているから(自由主義)。ただ、労働者は会社の提示する条件に従うしかない弱い立場だから、あえて国がバックアップします(社会主義の考え方を取り入れている。)。


子供に特別な人権があるわけではない。人権が大人と違うわけでもない。

生まれたら、もう人間なんだから、人権もあるんだ。

ただ、国が、子供を守る立場からの親心で(パターナリスティックな)制限をできるに過ぎないんだ。あくまでも、例外なのだ。だから、行き過ぎはまずい。

そもそもそういう理念を知らず(または無視して)、子供を人間扱いしないことが、世界中で行われているから、あえて、子供の人権の保障を強調して、守る必要があるんだ。子どもの権利条約もそういう意味からできたものだ。


文部科学省にこういう基本的な理解が無いことが、日本の学校で、正しい人権教育ができないことの大きな原因になっているのではないか、と思える。

そして、正しい人権教育を受けられなかった、人権が何かを全くわかっていない連中が、文部科学省の官僚になって、バカを繰り返すのか。

あるいは、政治家になって、より良くする憲法改正ではなく、人権思想を無視した、憲法を憲法でないものにすることを、なんの臆面も無く言い出すのか。


どこかで断ち切らないと。


追記

いったんアップした後、誤解されそうかな、と思われることについて、後から書きました。

一つは、外国人について、永住権とか帰化についてです。 これは、一般的な話です。 戦前に韓(朝鮮)半島から来た人とその子孫、いわゆる在日韓国人、在日朝鮮人とについては、また違った話になります。帰化は簡単に認められているようです。
もう一つは、以前も、今回も、共産主義勢力について、不当な取り締まりをすることに、批判的なことを書いていますが、自由主義を尊重する立場から書いているだけで、私自身が共産主義勢力の考え方に同調することを表明しているわけでもなければ、日本共産党の支持を表明しているわけでもありません。

あえて書く必要が無いのですが、誤解する人が多いのではないかな、と、今までの経験上思いますので、書きました。





 

このブログの条文などの引用(法令の著作権について) - ごあいさつ -

タイトルの意味ですが、

著作権関係の法律全般の話ではありません。

法令の条文の著作権の話です。

ややこしい(^o^;


このブログの条文などの引用について


私のブログには、みなさんにわかりやすいように、と思って、条文を載せています。

関係有る条文を全部載せるとうざいでしょうから、大事かな、と思う条文だけにしています。

なかなか、こういうことをしてくれる法律の本は少ないです。(丁寧な本には「条文Noを書くから勝手に六法を読め」と親切に書いてあります。)

特に法律をお勉強したいわけではない、一般人が読む本や新聞にも、条文が書いてあることは少ないです。

法律の名前や条文の番号が書いていないことも、ざらです。

「わからなくても良い。」「わかった気にさせれば良い。」とでも思っているんでしょうか?

スペースの都合かな?

それで、「国民の知る権利」とかって (^m^)


ところで、私は、条文を引用するとき、どこから持ってきたか、を書いていませんね。

日本の法令は、電子政府のサイト法令検索からコピペしています。

たぶん、間違いがありませんからね。市販の六法だと誤字があったりします。

加工していませんし。(第五十二条→第52条  とか)

条約は、外務省条約データ検索からです。

日本が締結・批准していない条約や、外国の憲法・法令などを引用する場合は、どこかのサイトや紙の本から引用しています。


法令の条文の著作権について


著作権法 

第一章 総則 第一節 通則

(定義)

第二条  この法律において、次の各号に掲げる用語の意義は、当該各号に定めるところによる。

一  著作物 思想又は感情を創作的に表現したものであつて、文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するものをいう。

1項2号~は省略しました。


第二章 著作者の権利 第一節 著作物

(著作物の例示)
第十条  この法律にいう著作物を例示すると、おおむね次のとおりである。
一  小説、脚本、論文、講演その他の言語の著作物
1項2号~は省略しました。

(権利の目的とならない著作物)

第十三条  次の各号のいずれかに該当する著作物は、この章の規定による権利の目的となることができない。

 憲法その他の法令

 国若しくは地方公共団体の機関、独立行政法人(独立行政法人通則法 (平成十一年法律第百三号)第二条第一項 に規定する独立行政法人をいう。以下同じ。)又は地方独立行政法人(地方独立行政法人法 (平成十五年法律第百十八号)第二条第一項 に規定する地方独立行政法人をいう。以下同じ。)が発する告示、訓令、通達その他これらに類するもの

 裁判所の判決、決定、命令及び審判並びに行政庁の裁決及び決定で裁判に準ずる手続により行われるもの

 前三号に掲げるものの翻訳物及び編集物で、国若しくは地方公共団体の機関、独立行政法人又は地方独立行政法人が作成するもの

----------------------------------

憲法やその他の法令については、著作権というものが無いので、書き放題なのです。(13条1号)

日本が締結・批准した条約は、日本の国内法なので、同じ扱いになります。

判決文とかも書き放題(2号)

日本のものになっていない条約や外国の法令などは、和訳したものに著作権が有りますので、引用するときに、どこから引用したか、を書いています。(4号の場合とは違います)


先ほど、政府のサイトの条文は加工がされていない、と書きました。

実は、古い法律の項の番号は無く、後から挿入されています(例 ○4)。あとからつけられた番号は、削除しています(そこまで徹底する?)。削除しなかったのもあるかも。

また、古い法律の旧字体を新字体に変更していますが、これはそのまま使っています。

加工しているとその限度で、著作権が発生します。

上の例を、加工と言って著作権が発生する、というように、著作権法の解釈をして、訴えたりすることは有り得ないですが。


法律のブログを書いているだけあって、この辺、抜かりは無いのでした (^o^)v


万一うっかりが有ったときは、ご指摘下さいませm(_ _)m



なお、写真などの画像ファイルをブログに挿入していたりすることがあります。

この場合、私が作ったり撮影したりしたものでない場合は、著作権がフリーのもの(ネットで、勝手に使って下さい、と書いてあるもの)を使っています。

著作権の問題はなくても、どこからもらったか書くのが礼儀ですので、これから書こうと思います。

なお、今まで、使わせていただいたものを下に書きます。

お世話になっておりますm(_ _)m

このブログをご覧になった方も、ごひいきにして下さいませ。m(_ _)m


ブログサービスライブドアブログ

サブドメインだけですし、ライブドアブログの表示をさせていないので、お気づきにならない方も多いかも知れません。わざとですが(^o^)   ばらしちゃいました。今後書きません(^b^)

似顔絵似顔絵メーカーで作りました。

下の方にあるボタンの上のボタン忍者ツールズ忍者おまとめボタンです。

その下の3つのボタン:ライブドアブログのものです。

写真:ホームページ制作会社 合資会社 電広堂 さん 運営の WEB向け無料写真素材です。


その他、このブログを運営するにあたって、主にWEB上にある、多くの方の公開しているノウハウを参考にしております。

この場をお借りしまして、厚く御礼申し上げます。









公安だらけ(公安委員会、公安部、公安調査庁、公安条例)、警察の組織など

よく、公安が話題になりますよね。

もともとは、「公共の安寧(あんねい)」という意味です。
「公共の安全」、という意味で大体合っています。

ただ、よく刑事ドラマに出てくる、「公安」は、ちょっと、違います。

組織の名前ですね。
他にも、よく見るのは、自動車の運転免許証に書いてある、「○○県公安委員会」ですね。
組閣(新しく大臣の人事を決めること)をしたときも、「国家公安委員長」っていう人がいるなあ、と思いますね。

他にも、公安調査庁とか公安審査委員会もあります。


混乱してる人が多いみたいです。



※ まとめを最後に書きますので、時間が無い方は、まとめだけ読んで下さい。
先に、まとめを読んでから、この下を読んでくださっても、わかりやすいかもしれませんね。



国家公安委員会と都道府県公安委員会は、警察と関係が深いので、

まず、日本の警察の組織の大枠を説明します。


警察のことを決めている法律は、警察法です。


具体的に、警察の業務をやっているのは、都道府県にそれぞれ一つずつある警察の組織の人たちです。


東京都だけ、警視庁、といいます。トップは警視総監

京都府は、京都府警察本部。トップは、京都府警察本部長。

大阪府は、大阪府警察本部。トップは、大阪府警察本部長。

北海道は、北海道警察本部。トップは、北海道警察本部長。

その他の県は、たとえば、神奈川県警察本部、など。トップは、神奈川県警察本部長、など。


警察法 第四章 都道府県警察 第三節 都道府県警察の組織

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(警視庁及び道府県警察本部)

第四十七条  都警察の本部として警視庁を、道府県警察の本部として道府県警察本部を置く。

 警視庁及び道府県警察本部は、それぞれ、都道府県公安委員会の管理の下に、都警察及び道府県警察の事務をつかさどり、並びに第三十八条第四項において準用する第五条第三項の事務について都道府県公安委員会を補佐する。

 警視庁は特別区の区域内に、道府県警察本部は道府県庁所在地に置く。

 警視庁及び道府県警察本部の内部組織は、政令で定める基準に従い、条例で定める。

(警視総監及び警察本部長)

第四十八条  都警察に警視総監を、道府県警察に道府県警察本部長を置く。

 警視総監及び道府県警察本部長(以下「警察本部長」という。)は、それぞれ、都道府県公安委員会の管理に服し、警視庁及び道府県警察本部の事務を統括し、並びに都警察及び道府県警察の所属の警察職員を指揮監督する。

-------------------------------------------


49条~は省略しました。


47条4項を見ますと、それぞれの都道府県警察は、(政令準拠の)条例で決める、と書いてありますね。

条例とは、国の法令に反しない限度で認められる、普通地方公共団体(=自治体)(都道府県、市町村)の議会で作る、その自治体のことについて決める法令です。(憲法94条と地方自治法14条1項)
古い法律とかで、「~条例」とかありますが、関係無いです。


各都道府県で、各都道府県の組織である各都道府県警察の組織の具体的なことについて、条例で決めているのです。


そういうわけで、警視庁とか愛知県警察本部とかの組織に、刑事部とか交通部とか警備部があるわけです。大体似ていますが、都道府県によって、違いもあります。

そして、お勤めの方々の身分は、地方公務員なのです。

(国家公務員=警察庁の人が、出向で勤務していたりはします)


公共の安全のことは、警備部がやります。

いろいろな、やばい団体・集団の暴動とかの防止、捜査、鎮圧とか、要人警護とか、イベントの警備などです。


機動隊も警備部の所属です。


そして、この警備部の中で、、やばい団体関係、テロ、外国スパイとかを、公安課が担当します。


そして、東京都の警察=警視庁だけ、公安部があります。警備部とは別です。

刑事ドラマに出てくる「公安」はこれです。


CIAみたいに情報活動をやってるらしいです。

極左とか右翼、変な宗教団体や、政党、官僚、大手マスコミ、自衛隊、公安の中の同僚も、調べているらしいです。

具体的に公安が何をやっているのかは、よくわかりません。

警察の人も、公安以外の人はよく知らないそうです。

警察の人も、だれが公安にいるかもよくわからないそうです。

公安を調べていると、尾行されるそうです。


警察庁(これは国です)の警備局が、国全体の公安警察の指揮・管理を行います。基本は、各都道府県警察がほぼ独立しているのですが、公安は例外です。


さて、

この各都道府県警察を管理しているのが、都道府県の公安委員会です。

委員の数は、東京都、北海道、大阪府、京都府と政令指定都市がある県は5人、その他の県は3人です。(警察法38条2項)
運転免許、交通規制、風俗営業の許可、デモ行進の届けで受理、古物商の許可、質屋の許可などの事務をやってます。実際は委任とかして警察とかがやってることが多いです。

警察職員に対する苦情の受付先でもあります。


この上に都道府県知事がいるわけです。(警察法38条1項)


警察法 第四章 都道府県警察 第二節 都道府県公安委員会

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(組織及び権限)

第三十八条  都道府県知事の所轄の下に、都道府県公安委員会を置く。

 都道府県公安委員会は、都、道、府及び地方自治法 (昭和二十二年法律第六十七号)第二百五十二条の十九第一項 の規定により指定する市(以下「指定市」という。)を包括する県(以下「指定県」という。)にあつては五人の委員、指定県以外の県にあつては三人の委員をもつて組織する。

 都道府県公安委員会は、都道府県警察を管理する。

-------------------------------------------

4項~6項と39条~は省略しました。

2項にある指定する都市っていうのは、政令指定都市のことです。


ちょっと整理をしましょうか。


都道府県知事→都道府県公安委員会→都道府県警察です。


東京都  の場合は、東京都知事 →東京都公安委員会 →警視庁

神奈川県の場合は、神奈川県知事→神奈川県公安委員会→神奈川県警察本部


北海道だけ方面本部(51条)と方面公安委員会(46条)というのがありまして、


北海道知事→北海道公安委員会┬─北海道警察本部

                      ┗─方面公安委員会(4つ)─方面本部(4つ)


となります。


なんで、こんなもの(都道府県公安委員会)を作ったのか、と言いますと、警察の民主的運営と政治的中立性を考えて、警察行政の大綱方針を作って、大綱にそってやってるか監督するためです。

今、形ばかりで、役に立っていません。



次は、警察庁国家公安委員会です。地方でなく、国の話です。


国家公安委員会は、

内閣府の外局。警察行政の民主的管理と政治的中立性の確保のため警察庁を管理する行政委員会。」


-------------------------------------------

警察法 


 第二章 国家公安委員会

(設置及び組織)

第四条  内閣総理大臣の所轄の下に、国家公安委員会を置く。

 国家公安委員会は、委員長及び五人の委員をもつて組織する。

(任務及び所掌事務)

第五条  国家公安委員会は、国の公安に係る警察運営をつかさどり、警察教養、警察通信、情報技術の解析、犯罪鑑識、犯罪統計及び警察装備に関する事項を統轄し、並びに警察行政に関する調整を行うことにより、個人の権利と自由を保護し、公共の安全と秩序を維持することを任務とする。

 国家公安委員会は、前項の任務を達成するため、次に掲げる事務について、警察庁を管理する。

(委員長)

第六条  委員長は、国務大臣をもつて充てる。

 委員長は、会務を総理し、国家公安委員会を代表する。

-------------------------------------------

5条2項の1号~25号、3項、4項、6条の3項~、7条~は、省略しました。


これも、警察にやりたい放題をさせないために、国の警察である警察庁の監督をするために、作りました。直接命令はしません。

国家公安委員会に監督される、警察庁が、警察の事務をやって、警察庁長官が、都道府県警察を指揮、監督します。


警察法

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第三章 警察庁

    第一節 総則

(設置)

第十五条  国家公安委員会に、警察庁を置く。

(長官)

第十六条  警察庁の長は、警察庁長官とし、国家公安委員会が内閣総理大臣の承認を得て、任免する。

 警察庁長官(以下「長官」という。)は、国家公安委員会の管理に服し、警察庁の庁務を統括し、所部の職員を任免し、及びその服務についてこれを統督し、並びに警察庁の所掌事務について、都道府県警察を指揮監督する。

(所掌事務)

第十七条  警察庁は、国家公安委員会の管理の下に、第五条第二項各号に掲げる事務をつかさどり、及び同条第三項の事務について国家公安委員会を補佐する。

-------------------------------------------

18条~は省略


国家公安委員長は国務大臣(内閣のメンバー)です。


そして、警察庁は、お役所で、事務しかやりません。アメリカのFBIみたいのを想像しちゃだめです。)


国家公安委員会も、形だけになってます。




今は、国と都道府県に分かれている警察ですが、国で一つにまとまっていたのを、戦後GHQに解体するように命令されたのでした。


戦前の警察制度


内務大臣┬警視総監→警視庁

    └府県知事→道府県警察部


全部、国家の機関です。戦前は地方自治制度が無かったので当たり前なんですが(^o^;



公安委員会の説明だけで良いのに、なんで、戦前の話までするのかな?と思っている方、いらっしゃいますか?


警察の公安部門(警視庁公安部、道府県警察本部の警備部公安課)は、戦前のやりたい放題を一番やった所=特別高等警察(略して特高)を復活させたものだからです。

まったく同じものではないので、正確には、復活ではないのですが。

戦前、GHQに言われて、警察の改革をやったとき、特別高等警察は廃止されました。

そして、特別高等警察にいた人は首になりました(公職追放)。

アメリカの占領が終わった後、ほとぼりが冷めて、多くの公職追放になった人が公務員に復帰しています。特別高等警察にいた人は、このころ作った公安に戻ってきたのです。


特別高等警察は、政治警察・思想警察で、内務省直属でした。公安が警察庁から直に指示を受けるのと似てますでしょう?

使った法律は、新聞紙法、治安警察法、治安維持法などです。


これらの法律もGHQに言われて廃止しました。


治安維持法は、最初、共産主義者だけを標的にしていましたが、政府を批判する者は全部、右翼や自由主義者や宗教団体の弾圧にも使われました。

拷問も相当派手にやっていたようです。

有名なところでは、日本共産党(当時非合法)の小林多喜二が、留置場から病院に運ばれてすぐに死んでいます。公式には拷問とはなっていませんが、ひどく拷問されたあとが体中に有ったそうです。



戦後すぐの警察との警察


では、戦後すぐの組織が今に続いているかというと、そうではないのです。

戦後すぐは、本当に、警察はバラバラになります。

市と人口5千人以上の町村に自治体警察を作っていて、その他の地域で、国が、国家地方警察という組織で警察をやっていました。


1954年に、今の、警察庁と都道府県警察の体制にしました。(分権→中央集権)

このとき、公安も作ったのでした。



次に、公安調査庁公安審査委員会です。


この2つは、内閣府関係でもないし、警察関係でもないですね。

両方とも、法務省の外局です。

外局とは、中央官庁(この場合は法務省)に直属して、そして独立性が強い役所のこと。


公安調査庁は「公共の安全を脅かす可能性がある団体等に対し調査をおこなう法務省の外局。」です。


両方とも、1952年に、破壊活動防止法とセットでできました。

調査だけです。警察みたいに捜査(逮捕などを含む)はやりません。


公安調査庁設置法

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   第一章 総則

(目的)

第一条  この法律は、公安調査庁の設置並びに任務及びこれを達成するため必要となる明確な範囲の所掌事務を定めるとともに、その所掌する行政事務を能率的に遂行するため必要な組織を定めることを目的とする。

(設置)

第二条  国家行政組織法 (昭和二十三年法律第百二十号)第三条第二項 の規定に基づいて、法務省の外局として、公安調査庁を設置する。

 公安調査庁の長は、公安調査庁長官とする。

(任務)

第三条  公安調査庁は、破壊活動防止法 (昭和二十七年法律第二百四十号)の規定による破壊的団体の規制に関する調査及び処分の請求並びに無差別大量殺人行為を行った団体の規制に関する法律 (平成十一年法律第百四十七号)の規定による無差別大量殺人行為を行つた団体の規制に関する調査、処分の請求及び規制措置を行い、もつて、公共の安全の確保を図ることを任務とする。

(所掌事務)

第四条  公安調査庁は、前条の任務を達成するため、次に掲げる事務をつかさどる。

 破壊的団体の規制に関する調査に関すること。

 無差別大量殺人行為を行つた団体の規制に関する調査に関すること。

 破壊的団体に対する処分の請求に関すること。

 無差別大量殺人行為を行つた団体に対する処分の請求に関すること。

 無差別大量殺人行為を行つた団体に対する規制措置に関すること。

 政令で定める文教研修施設において所掌事務に関する研修を行うこと。

 前各号に掲げるもののほか、法律(法律に基づく命令を含む。)に基づき公安調査庁に属させられた事務

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5条~は省略します。


3条にあるように、破壊活動防止法団体規制法を根拠に活動する、情報機関です。

2つの法律の規制する団体に該当するかどうかを、調査、処分、請求します。

この調査は、警察みたいに強制捜査はできません。


その請求を受けて、処分を審査・決定する行政委員会が、公安審査委員会です。


公安審査委員会設置法

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(目的)

第一条  この法律は、公安審査委員会の設置並びに任務及びこれを達成するため必要となる明確な範囲の所掌事務を定めるとともに、その所掌する行政事務を能率的に遂行するため必要な組織を定めることを目的とする。

(設置)

第一条の二  国家行政組織法 (昭和二十三年法律第百二十号)第三条第二項 の規定に基づいて、法務省の外局として、公安審査委員会(以下「委員会」という。)を設置する。

(任務)

第一条の三  委員会は、破壊活動防止法 (昭和二十七年法律第二百四十号)及び無差別大量殺人行為を行った団体の規制に関する法律 (平成十一年法律第百四十七号)の規定により公共の安全の確保に寄与するために行う破壊的団体及び無差別大量殺人行為を行つた団体の規制に関し適正な審査及び決定を行うことを任務とする。

(所掌事務)

第二条  委員会は、前条の任務を達成するため、次に掲げる事務をつかさどる。

 破壊的団体に対する規制に関する審査を行うこと。

 破壊的団体に対する活動制限の処分を行うこと。

 破壊的団体に対する解散の指定を行うこと。

 無差別大量殺人行為を行つた団体に対する観察処分を行うこと。

 無差別大量殺人行為を行つた団体に対する再発防止処分を行うこと。

 前各号に掲げるもののほか、法律(法律に基づく命令を含む。)に基づき委員会に属させられた事務

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3条~は省略しました。


1952年にできた、破壊活動防止法は、暴力主義的破壊活動を行った団体を規制する法律です。

公安調査庁のターゲットは、日本共産党、右翼は日本愛国党など8団体、北朝鮮の在日の団体(在日本朝鮮人総連合会)などです。

念のため言っておきますと、北朝鮮の国籍の日本にいる人(在日朝鮮人)で、朝鮮総連に入っていない人は多く、北朝鮮国籍の人みんなが、今の北朝鮮政府が好きなわけではないです。当たり前のことですが。


内閣から法案が出たときは、かなりやばい内容で、治安維持法の復活と言われました。

多くの反対にあって、けっこう骨抜きになりました。

しかし、結社の自由やその他多くの人権との関係で、たくさんの問題が多く含まれています。憲法違反の疑いが強い法律の一つです。

ただ、弱い法律だと、暴力革命をする団体を、暴力革命を防止する目的で規制するのが難しい。

強い法律だと、人権問題がわんさか。


団体活動の規制の他に、解散指定とかができます。


オウム真理教が、これに該当するのではないか、ということで、公安調査庁が、処分請求をしましたら、公安審査委員会が却下しまして、結局、団体規制法の方で観察処分にしました。このとき、破防法は意味の無い法律だと批判されました。


まあ、団体規制法は、オウムのために、1999年に作ったんですから、適用できるのは当たり前ですが。

この法律も、結社の自由との関係で、問題となります。


なお、結社の自由は憲法21条ですが、宗教団体の場合は20条、労働組合の場合は28条、と条文が変わります。



最後に公安条例です。


条例ですから、自治体が定めたものです。

デモ行進などについての規制が書いてある条例を、こう呼ぶことが多いです。


集会の自由(憲法21条)との関係で問題があります。



公安条例以外のまとめ


警察のまとめ


内閣総理大臣─国家公安委員会─警察庁┬都知事   ─ 東京都公安委員会 ─ 警視庁

                  ├北海道知事 ─ 北海道公安委員会 ┬ 北海道警察本部

                  │                 └ 方面公安委員会─方面本部

                  府県知事 ─ 府県公安委員会  ─ 府県警察本部

警視庁の中に公安部

各道府県警察本部の警備部に公安課


法務省のまとめ


法務省の外局として、公安調査庁公安審査委員会







 

世の中、単純じゃない。政治も単純じゃないでしょう?

私が言いたいのは、
単純化しないで、物事を分析しなければいけない、ということです。
 
安倍=ヒトラー=悪。というのは簡単です。
あるいは、野党は、平和ボケとかいうのは簡単です。

ですけど、そうそう単純に割り切れるのなら、6歳児から選挙権を行使できるようにすれば良い。

自民党の主張の何が問題なのか。
自民党の意見は、どのように形成されているのか?
さらに、公明党も含む与党の中で、どのような議論がされているのか?
安倍首相の影響力はどうなのか?

日本が独裁国家になることを危惧しているみなさん。 たしかに、日本の民主主義は未熟です。 しかし、
まだ、現状は、安倍首相の独裁国家ではないのですから、安倍だけでなく、自民だけでなく、自民公明の与党だけでなく、政治家だけでなく、だれのどういう思想が影響して、どういうように形になって、私達の目に見えるようになっているのか?を考えましょう。


そりゃ、戦争より平和の方が良い。
独裁より民主が良い。

レッテル張りをして、わあわあ言ってる人の人気取りに利用されるだけです
 
正しいことが実現されません。
 
結局、多数派や権力を持っている人間のいいようになるだけです。かつての55年体制の社会党の二の舞いです。
(社会党が大騒ぎをする→結局、自民党政権の法案が無修正で通る。)

与党の中はもちろん、野党も含めて、議論をしなければ。
ただ、レッテル張りをして、敵を批判して、自分を良く見せる。
そんなやつらにはうんざりだ。

反知性主義を撲滅したい。
statesman(国家を語る政治家)ではないpolitician(政治屋)よ。
右翼も左翼も関係無い。
バカ(何が大切かの価値観がおかしいという意味)は全部、議員をやめて下さい。 政党助成金をもらっていない政党の政治家さんも、あなたがたの議員報酬も税金です。

6歳児でもわかる言葉で、国民を誘導しないで下さい。

難しいことを職場で一生懸命やっていらっしゃる、多くの有能な国民の方々。
いつもは「世の中、複雑なんだ。お前が言うみたいに単純ではない」と言ってるでしょう?
法律とか政治だけ、変に単純に考えるのは、やめましょうよ。
安倍にまかせておけば、とりあえず、日本はなんとかなる、とか。
野党結集とか安倍打倒とか言って、それですべてが解決すると思っている一部の国民のみなさん。
どっちも、甘すぎます。

最後にあえて言います。
物事を、政治を、もっと単純に考えましょうよ。
自分の家族なり大切な人の幸福を真剣に考えて、そして、その願いを多くの人の幸福に広げて、そのときに、何がもっとも良い政治かを考えましょう。ここで例外を作らないことが大事なポイントです。 お父さん、お母さん、奥さん、だんなさん、恋人、息子、娘、孫を、真剣に愛しているみなさん。 あなたなら、必ずできます。 バカに利用されないで下さい。





緊急事態条項って、やばいの?

安倍首相が、憲法に、緊急事態条項を盛り込むことを、積極的に考えているようです。

そこで、

緊急事態条項、って何?

緊急事態条項って、有った方が良いの?悪いの?

ということを、書きます。

まず、 緊急事態条項が有った方が良いかも、っていう話から。


憲法の基本

憲法は、

1.法律は国会で作って、

2.内閣が法律を執行して、
3.何かあったら、裁判所に、法の解釈適用をすることで解決してもらいましょう、
となっています。

その際、 1.人権を侵害するような法律は作ってはいけないし、
2.人権を侵害するような行政、
3.人権を侵害するような裁判をしてはいけない、
ということになっています。

あくまでも、「国家権力を制限することで人権を守るために憲法を作った」(立憲主義)が基本です。

このシステムは、昔から、頭の良い人が、たくさんの苦労をして考えたものだけあって、よくできています。 でも、欠点も有ります。

人権を守るような憲法・法律で、普段通りの行政をしていると、かえって、国民・住民の生命・財産が危険になる場合がある。
その場合、普段通りの手続きで対処しようとすると、遅くて間に合わない。
こういう
緊急事態にどうするの?

憲法は国民の人権を保障して、幸せになる基礎を作るためのものなのに、 憲法を守っていたら、かえって、国民・住民が、どんどん死んだり、道路や建物が壊れたり、というときに、「憲法を守りましょう」ってふざけたことを言うのか、って話です。

ここでいう、緊急事態(非常事態ともいいます)は、
1.海外から侵略された
2.内乱
3.大災害 などです。

なので、国家緊急権と言いまして、 「緊急事態に(憲法を守ったら、かえって、国民を守れない、っていうとき)に、 国が無くなるのを防ぐために、秩序回復(普通に憲法が機能する状態に戻す)のために、 憲法通りのことをしないという権限」が、国家にもともとあるんじゃない?っていう考えがあります。

ただ、認めるにしても、
・そもそも、こういう権限があるってことと(国家緊急権の存在)
・どういうときに、この権限を使えるのか?(行使の条件) ・具体的にどういう権限が認められるのか?
・いつまで認められるのか?
・やっちゃいけないことをしたかどうかのチェックを、どうやってするのか?

などを、憲法に書いていた方が良いのではないかな? ということが多く言われています。

ただ、国家緊急権を認めて、いざというとき、やりたい放題じゃ困るわけです。

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ここで、勘違いしてはいけないこと
・国家緊急権を認めることと、
・緊急事態条項を定めるべきかどうか、
という議論は別だということです。

国家緊急権の存在を認めない→ end
国家緊急権の存在を認める → 緊急事態条項を作らない → end
               緊急事態条項を条文とする→ 緊急事態条項をどのように定めるか
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日本は、憲法に緊急事態条項
有りません。

(憲法54条2項ただし書きの、参議院の緊急集会の制度は、一応、緊急のときにそなえたものですが、緊急事態条項とまでは言えません。)

明治憲法(大日本帝国憲法)には、ありました。
緊急勅令(きんきゅうちょくれい)(第8条)、戒厳令(かいげんれい)(第14条)、非常大権(ひじょうたいけん)(第31条)です。
 第八条 天皇ハ公共ノ安全ヲ保持シ又ハ其ノ災厄ヲ避クル為緊急ノ必要ニ由リ帝国議会閉会ノ場合ニ於テ法律ニ代ルヘキ勅令ヲ発ス
 此ノ勅令ハ次ノ会期ニ於テ帝国議会ニ提出スヘシ若議会ニ於テ承諾セサルトキハ政府ハ将来ニ向テ其ノ効力ヲ失フコトヲ公布スヘシ

第十四条 天皇ハ戒厳ヲ宣告ス 戒厳ノ要件及効力ハ法律ヲ以テ之ヲ定ム

第三十一条 本章ニ掲ケタル条規ハ戦時又ハ国家事変ノ場合ニ於テ天皇大
権ノ施行ヲ妨クルコトナシ

天皇が出す命令のことを「勅令」といいますが、法律より下です。
緊急勅令」は、緊急命令(緊急事態のときに、議会から独立して、政府が発することができる命令で、法律と同じ力がある)の一種です。
戒厳令は、緊急事態のときに、全国または一地方を軍が警備する必要があるので、行政や司法の権限の一部を軍司令官に移行する制度。 非常大権は、戦時または国家事変のときに、国民の権利の全部または一部を停止することができる、という天皇の大権。

海外では、
フランスの憲法に(第16条)に、大統領に非常措置大権が書いてあります。
ドイツの憲法には10a章に、たくさんの条文で、くわしく書いてあって、他の章の条文でリンクしているものもあります。
イギリスアメリカは、憲法には書いてなくて、法律である程度対処しています。 (マーシャル・ロー(martial law)=戒厳令)
(もっとも、イギリスは、「憲法」っていう、一つのまとまったものが無いんですが(;^_^A  )
ここまで、有った方が良いかも、という話でした。



次に

緊急事態条項って、やばいんじゃないの?

という話


やっぱり危険なわけですよ。
決め方にもよりますが、
人権の制限を認めたり、
首相とかに権限を集中させたり、
法律でできないことになっていることも国会で話すことなく認めたり、
軍隊に警備をまかせたり、
っていうのはですね。
一時的にせよ、危ないでしょう?

実際、ワイマール憲法という、なかなか良いと言われていた、戦前のドイツの憲法が、大統領の非常権限を認めていたわけですが、これを利用して、独裁を勝ち取ったのがヒトラーなのですね。
ヒトラーが首相になったあと、
2つの大統領令を、大統領に出させて、
その大統領令で、共産党と社会民主党などの議員を逮捕して、
出席できない議員を、議会の議員の数に入れない、議院運営規則改正案を通して、
残った党の人を、ある程度、味方につけて、 3分の2以上の賛成多数で、全権委任法を成立させました。
(憲法改正手続きは、(立法(法律を作る)と同じだが、二院とも)、2/3以上の出席と2/3以上の賛成が必要)
この全権委任法は、立法権を政府にゆずって、憲法に違反する法律でも有効(国会・第2院と大統領権限を除く)というもの。

緊急事態条項に反対する方々が、ヒトラーの例を持ち出すのはこういう背景あります。

でも、かなり複雑ですし、ワイマール憲法の条文に問題が有ったんですよね。
だから、ヒトラーとナチ(国家社会主義ドイツ労働者党の略)の独裁を経験したドイツが、緊急事態について、今の憲法(ドイツ共和国基本法)に書いて、でも、手続きについて、ものすごく細かく書いているのは、すごい賢いのです。

何が大事か 口だけ、憲法を守る、って言っても、意味が無いのです。 憲法はあくまでも、国民を守る手段なのです。
改憲とか、護憲とか、って何それ?に詳しく書きました。) 憲法で国民を守れない事態のときは、国民を守るために、一時的に憲法を否定しなくてはいけないのです。 だからといって、なんでもかんでもやらせては危険です。 権力者は、「国民のため」と言って、権力を持とうとします。 憲法秩序の回復が目的(普段通り憲法が機能して、個人の人権保障ができる状態の回復が目的)
と書いて、 ・どういう場合を緊急事態と認めるか、くわしく書いて、 ・遅くならないように、でも、できるだけ民主的な手続きをとって、権限を集中させて、 ・できることをある程度きちんと決めて
(細かく決めすぎると緊急事態条項を決めた意味が少なくなったり、無くなったりします。)
なるべく早く、権限の集中を終わりにさせるように、工夫して、 ・後から、問題が無かったかのチェックをできるようにする。

そうでなければ、権力が暴走することを許して、憲法の自殺になってしまう。

自民党案はまさに憲法の自殺です。
こんな条文を作ろうと思う人間の、憲法理解度はゼロと言ってよい。
もっとんは、正月にスター・ウォーズの今までのを見ました。 実は黒幕だった議長に、非常大権をあげてしまって、大変なことになっちゃう、というストーリーがありました。 あ、これじゃん、やばいじゃん。って思ったんですが、弁護士さんに、先に言われてしまいました。

これも、あげっぱなしになるような安易な決め方だったのですが。



自民党のブレーンになっている
日本政策研究センターが、当然ながら、緊急事態条項の必要性を語っています。 共産党は、反対しています。 民主党が記者会見で、法律があるし、憲法に緊急事態条項は不要、と言っています。





改憲とか、護憲とか、って何それ?

憲法の話を、毎日のようにニュースで見ます。

多いのが、憲法改正ですね。


「憲法を改正すべきだ」って言う人と、

「憲法をまもろう」って言う人。


改憲とか、護憲とか


世の中の多くの人は、この対立そのものに、違和感が無いみたいに見えます。

なんか、日本の政治とか憲法を語るときに、定着していることのように思えます。


でも。

普通に憲法を勉強したことがある人には、正直なところ、意味がわからない話なんです。

逆から言えば、改憲、とか、護憲、って言ってる人は、憲法がわからないで言ってるか、わかっててあえて自分たちのために言ってる悪い人なんです。

憲法は、あくまで手段なんですよ。憲法自体が目的になってしまってる。下らん。

みんなの幸福のための手段である憲法を、自分たちのための手段にしている、という言い方もできるかも知れませんね。



まず憲法を改正してはいけないの?、っていう話からです。


憲法は、人間が作ったものです。

だから、

作ったときに、想定していなかったことがあったりします。

間違いも有るかも知れません。


だから、憲法自体に、改正手続きを定めています。1条(第96条)しか無い第九章です。

改正がありえること自体、憲法自体が、当たり前じゃん、って言ってるんです。

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  第九章 改正

第九十六条  この憲法の改正は、各議院の総議員の三分の二以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行はれる投票において、その過半数の賛成を必要とする。

○2  憲法改正について前項の承認を経たときは、天皇は、国民の名で、この憲法と一体を成すものとして、直ちにこれを公布する。

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たとえば、新しい人権(昔は、人権として考えられていなかったもの)を憲法の条文に入れましょう、という話。

プライバシー権とか、環境権とか。

一応、(個人の尊厳原理と幸福追求権を定めた)13条などを根拠に、ある程度解釈で認めていますが、独立した条文で、人権の名前を書いた方が良いに決まっています。


憲法89条は、宗教団体や私的な教育事業などに公金(国などのお金)を出すことを禁じていますが、この条文も問題があります。


第七章 財政の中の条文です。

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第八十九条  公金その他の公の財産は、宗教上の組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため、又は公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業に対し、これを支出し、又はその利用に供してはならない。

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宗教団体にお金を出さない、のは、もちろん良いことです。政教分離からです。

でも、私立の学校にお金を出さないのはまずいですし、実際、いっぱい出しています。解釈で一応OKになっていますが、条文の言葉を変えた方がすっきりします。



他にも、大きく変える話だと、


二院制をやめて、一院制にしよう。

参議院の力を強化しよう。

参議院に、職能代表を入れよう。

憲法裁判所を作ろう。

最高裁判所が抽象的違憲立法審査権を持つようにしよう。

首相公選制にしよう。

天皇制をもう少しはっきりさせよう。

天皇制を廃止しよう。


など、論点をあげるといっぱいあります。

細かい論点(言葉づかいを直した方が良い、とか、もう少し具体的に書いた方が良い、とか)をあげたら、かなり多くあります。


アンテナを張っていないと、なかなか、入ってこない話だと思います。


いずれにしても改憲=軍国主義者だから、悪いやつ、みたいなのは、やめましょう。




次、「改正すべきだ」、って人


1.押し付け憲法だから、改正しよう、とか。

2.義務が少ないから、改正しよう、とか。

3.普通の国のように、軍隊を持ちたいから、改正しよう、とか。


1と2はまったくナンセンス。

3はビミョー。


押し付け憲法ではないし、押し付けだったとしても、改正の理由にはならない。


GHQ=(連合国軍)総司令部が作った草案が元だから、押し付けられた。

というんですが、

松本試案という案を作っていまして、明治憲法よりは進歩的だったみたいですが、天皇主権の体制=国体を変更していないものでした。

他のもうちょっと進歩的な案も作っていたらしいのですが、GHQに提出する前に、毎日新聞にスクープされちゃったんですね。

天皇制を残すことを、GHQ草案受け入れの条件にされたようです。

まあ、形を変えたとはいえ(象徴天皇制)、天皇制を残すことについて、よく連合国を説得できたなぁと驚きますが。


そもそも、占領されているのに、間接統治という形で、GHQの下とはいえ、日本の統治機関による政治をさせてもらって、新憲法の草案を作らせてもらうチャンスを与えられただけ、すごいことです。


さらに、GHQの草案を下地にしたとはいえ、日本の政府が草案を作って、衆議院で男女平等の普通選挙を実施した上で開かれた帝国議会で、多くの修正や付け加えが有って、できた憲法です。

そして、この新しい憲法を、当時の国民は、喜んで受け入れた。


これって、押し付けですか?


たしかに、ちょっと見たとき、日本の憲法の成立の過程は、ちょっと不幸な感じがしますね。

でも、新しい憲法ができるときって、大きなこと(戦争とか革命とか)が起こった後が普通なんですよね。

日本は、敗戦がきっかけとはいえ、かなり良い方なのではないでしょうか?


憲法制定の過程については、国会図書館のサイト内の日本国憲法の誕生に詳しいです。


内容も、当時の各国の憲法の良いところに学んだ、先進的な内容でした。

また、日本の人権侵害の歴史を踏まえたものにもなっていました。

(信教の自由の具体的条文、政教分離の徹底、刑事手続の適正に関する具体的条文、学問の自由、家庭内の男女平等、社会権(生存権、労働三権など)を規定、戦争の放棄など多数)

刑事手続に関する条文などは、刑事訴訟法の条文ではないか、と思うほどです。

同時に改正された刑事訴訟法も、この憲法の条文を踏まえた内容になっています。

ちゃんと守られていませんけど。



そもそも、なんのために憲法があるか、といえば、人権を保障するためです。

国家が人権を侵害しないために、国家に義務を課しているものです。

民主主義を確保しつつ、人権を侵害しないように、国家の統治機関(立法、司法、行政)を、作るためです。


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   第十章 最高法規

第九十七条  この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。

第九十八条  この憲法は、国の最高法規であつて、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。

○2  日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする。

第九十九条  天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。

----------------------------------------


だから、最高法規の章に、人権の意義について書いてあるの(97条)はすばらしいことです。

98条は、読んでいただくとして、(憲法に反する法令は無効、、国際法規遵守)

99条に、公務員の憲法をまもる義務が書いてあるのは、当然すぎることだし、良いことです。


内容が良ければ、仮に押し付けだったとしても、あえて変える必要が無いし、国民の義務を書いていない(少ない)のは当たり前すぎることです。


この辺のことを変えよう、と言うのであれば、できたものは、名前はともかく、憲法ではなくなってしまいます。


自民党は、97条を削除したり、99条の義務を負う者に、国民を入れようとしていますが、憲法を憲法でない違うものに変える案です。(自民党の憲法改正草案(pdfファイル)(自民党のサイト))

人権思想自体、否定しているようです。

人権思想は、自由権を人権として、国家権力を制限して、国民の自由を守ることを憲法を作ることで実現する=自由主義=立憲主義から出発しました。

国民が、国家に守らせる義務を書いた契約書が憲法なのです。


自由民主党(自民党の正式名称)は、自由党と民主党が合体して作られた政党です。(昭和30年、1955年)

自由主義と民主主義の政党であるはずです。


立党宣言には

われら立党の政治理念は、第一に、ひたすら議会民主政治の大道を歩むにある。従ってわれらは、暴力と破壊、革命と独裁を政治手段とするすべての勢力又は思想をあくまで排撃する。第二に、個人の自由と人格の尊厳を社会秩序の基本的条件となす。故に、権力による専制と階級主義に反対する。

と書いてあります。(下線はもっとんによる。)


また、平成17年(2005年)の新理念には、

・わが党は、すべての人々の人格の尊厳と基本的人権を尊重する、真の自由主義・民主主義の政党である。

と書いてあります。


平成22年(2010年)綱領を読むと、

個人の尊重とか自由が大切というような意味が書いてあるが、同時に、秩序とか義務とかを強調していて、明治憲法のように、あくまでも国の枠組みの中で、自由が保障されている、というニュアンスを読み取ることができる。(あくまでも、私=もっとんの見解ですが)

人権思想は、そもそも、国家が成立する以前に、もともと人間全員にある権利だ、っていうのが出発点ですから、矛盾します。

以上、自民党のサイトの立党宣言・綱領のページを参考にしました。


フランス人権宣言には、こう書いてあります。(引用:「解説 世界憲法集 第3版」樋口陽一・吉田喜明 編、三省堂)

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第16条(権利の保障と権力分立) 権利の保障が確保されず、権力の分立が定められていないすべての社会は、憲法をもたない。

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ややこしい言い方ですが、憲法っていうのは、人権保障があって、権力分立(三権分立とか地方自治とか)の統治機構がある、っていうのだけをいう、と言っているわけです。

ちなみに、憲法は、最初、フランスもアメリカも、人権宣言(権利章典)と憲法(統治機構について定めていた)が別々でした。

今の憲法は、日本の憲法も、権利章典と統治機構の両方の部分からできていますね。


自民党には、自由の党の看板を下ろすことを強くおすすめします。



軍隊を持つことができるように改正しようか?という話は、なかなか難しい問題です。

そもそも、自衛隊が違憲だ、という話もありますが、

現実問題としては、とりあえず、自衛隊の整備をしっかりして、自衛以上のことをしないようにすることが重要かと思います。

この点、昨年(2015年)成立した、安保法制が違憲か合憲かの問題もありますし、そもそも、このような政策が良いのかどうか、との話もありますが、非常に難しい問題ですので、別の機会に書こうと思います。

いずれにしても、憲法を変えて軍隊を持とうとするのは、やめておいた方が良いでのはないかな、とは思います。

ちなみに、この話では9条ばかりが論点になりますが、軍事裁判所(軍法会議)を作ることを許していない憲法76条が大きな問題になります。最近、軍隊を持つ国でも、独立した軍法や軍事裁判所をやめる傾向がありますが。

また、今の憲法の下で、なしくずし的に、さまざまなことができるようになって、9条が無視されるような事態も避けなければいけないでしょう。すでに無視されてる?


これは9条に限りません。


日本は、国連から、しょっちゅう、人権に関して、勧告を受けています。

憲法違反のことが多く野放しになっているのが現状です。

中国とかアメリカのことなどは、マスコミが報じるので、知っている方も多いでしょう。

日本のことは、NHKも含めて、日本のマスコミは報じません。なぜでしょうか?

国連がなんでこういうことを言うか、ですが、

そもそも、国連がなんのためにあるのか、どういうものか、っていうことを教わっていない、のですね。組織の名前ばかり暗記させる。

今、憲法がちゃんと(形だけ守られていて)実際は守られていない状況で、憲法を守ろうとか、時代に合わないとか言っても、おばかな話なんです。

政治家も、「人権」って騒いでいたり、「人権は守るべき」と言っていても、全然認識が足りていないようです。

そもそも、人権とは何か、について、具体的に知識・教養・認識が無いのです。


人権とは何か、っていう話は、また、別の機会に書きます。

そんなに詳しく書かなくても、膨大な量の文章になってしまいます。

普通の人は、そんなの読めませんよね。僕も、そんなの読むのだるいです(^o^;


人権とは何か、という大きなテーマの他に、

具体的な人権の具体的な内容、たとえば表現の自由の中で、選挙運動について、とかを、

一つずつ書くことを積み重ねる方が、良いのかな、と思っています。



左翼=護憲?


さっき、改憲=軍国主義者だから悪いやつ、っていうのはよしましょう、って書きました。

憲法改正すべき、って言っている人が、右翼の仲間と思われると、ものすごく困ります


しかし、もっと不思議なことがあります。


左翼、っていう言葉ですが、もともとは、体制に反対している勢力のことです。

日本の体制=憲法は、自由主義を基本として社会主義的な修正を加えたものです。

これは、一部の国を除いて、多くの国の体制です。(細かいところの違いはもちろんたくさんあります。)

この体制に反対しているのが、日本の左翼、っていうことになります。

普通は、社会主義者、共産主義者のことですね。

この人たちは、革命を起こして(国の統治体制を暴力で破壊して)、国の体制(憲法)を変えようという人たちです。


今の共産党は、社会主義革命の前に民主主義革命をする、とか、言っています。今の綱領(2004年の綱領)(日本共産党のサイト)

革命が、暴力革命なのかそうでないのかの説明は有りません。普通、特別な説明が無い場合は、暴力革命=刑法の内乱罪なのですが、どうも、そうでないようなニュアンスがあるようですが。意味がよくわかりません。

綱領を見ると、憲法の全条項を守る、って言っています。

警察庁は、広報誌「焦点」で、「暴力革命の方針を堅持する日本共産党」という題の記事を書いていますが。


また、社会民主主義の人たちは、自由主義でいう民主主義(今の日本のような国の民主主義)の中で、革命を起こさず、社会主義を達成していこう(憲法を社会主義的に解釈したり、社会主義を強化する法律を作ったり、社会主義の憲法を作ったり)、という人たちです。


この人達が、憲法をまもる?

とりあえず守るにしても、

改憲がだめ?

何かの冗談ですか?


ちなみに、9条について言うと、、

共産党は、憲法を制定する議会で、9条に反対して、軍隊を持つべきだと言った、ただ一つの政党です。


政党も、その他のいろんな人も、言葉を好き勝手に使って、イメージ戦略でやっているようです。

自分たちもわかっていないのかも知れませんが、言葉に込められた先人の苦労を考えず、理念も何も無いです。もともと嘘つきだから、しょっちゅう平気で嘘をつく。嘘つきの自覚も無いのかも知れない。


冗談がまかり通る国、国民をだまして平気でいる指導者が充満している国。それが今の日本です。


こういうことを言うと、日本をしょっているつもりになっている人におこられちゃいそうです。


内容にかかわらず、日本を良く言うことで満足して、日本を悪く言うことを不満に思う人たちが多