今日は、建国記念日ですね。正確には、「建国記念の日」。


元日に、国民の祝日について書きました。


元日だから、祝日の話


そこで、建国記念の日だけ、おかしな決め方になっている、という話もしました。


「国民の祝日に関する法律」

という法律には、日付祝日の名前意義が書いてあります。

元日だから、祝日の話に法律をまるごと引用しています。(短い法律です。)


「建国記念の日」だけが、「政令で定める日」と書いてあって、浮いています。


この法律自体は、1948年(昭和23年)に成立しているのですが、

後から、改正で、「建国記念の日」は、1966年(昭和41年)につけくわえました。


2月11日を建国記念の日にしようとする与党自民党と、

反対する野党(日本社会党、公明党、民社党)との間の妥協で、

とりあえず日付を後回しにすることで法律になりました。

そして、結局、政令で2月11日になったのでした。



日本の建国記念日について考える前に、

世界の国は、何の日を建国記念日にしているか」

という所から見てみましょう。


独立の日


アメリカは7月4日のイギリスから独立宣言をした日ですね。

アフリカの各国も、イギリスやフランスから独立した日ですね。

他にもたくさんあります。

これはわかりやすいですよね。


革命の日


革命をすると、国家体制が変わります。
自由主義革命、社会主義革命、イスラム革命、反共産主義革命、などがあります。

独立の日ほど、多くはないですが、革命の関係の日を、建国記念日にしている国が多数あります。

民族(nation)としては継続している場合でも、国家(state)としては、新しくなっているわけです。

難しいですか?



これを、日本に当てはめてみましょう。


独立の日はいつ?


1952年4月28日です。サンフランシスコ講和条約の発効の日です。


日本が、独立国でなかったことなどあったっけ?

1945年(昭和20年)、連合国に負けた日本は、連合国軍に占領されました。

総司令部(GHQ)が、直接ではなく、日本の政府の上で指示を出すという、間接統治という方法でした。

サンフランシスコ講和条約(正式名称:日本国との平和条約)が締結されて、占領が終わって、独立国家としてスタートすることになります。



革命の日または国家体制が変わった日はいつ?


明治維新が革命と言えるかどうかは、ともかく、

前の国体から今の国家体制に変わったのは、1947年(昭和22年)5月3日です。

日本国憲法はこの日から効力があります(施行されました)。

なんせ、主権者が変わっています。

天皇主権から主権在民になっています。


ここで、当然の疑問です。

日本国憲法は、大日本帝国憲法の改正手続きで改正された。(大日本帝国憲法第73条)


上諭(日本国憲法施行前の日本における天皇の言葉として記された法令の公布文。)が下のようになります。

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は、日本國民の總意に基いて、新日本建設の礎が、定まるに至つたことを、深くよろこび、樞密顧問の諮詢及び帝國憲法第七十三條による帝國議會の議決を經た帝國憲法の改正を裁可し、ここにこれを公布せしめる。

御名 御璽

昭和二十一年十一月三日

内閣總理大臣兼

外務大臣       吉田茂

國務大臣   男爵 幣原喜重郎

司法大臣       木村篤太郎

以下省略

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大きな矛盾があるのです。

主権者である天皇が、今までの憲法を改正しましたよ、というものの内容(新しい憲法)が、天皇の主権を否定しているのです。

形式的に連続しているように見えますが、法的な意味での国家(state)が変わってしまった。


国の名前も変わりましたしね。

大日本帝国 → 日本国


これって、有り得ないのです。

形式的に改正なのに、実質的にはまったく別物の憲法なのです。


昔、宮沢俊義っていう憲法の先生がいまして、この現象をこう説明しました。

1945年(昭和20年)敗戦=ポツダム宣言を受諾したときに、一種の革命が起こったんだ。だから、主権が変わっても、後の憲法の成立には正当性があるんだ、と。(八月革命説)

まあ、おもしろい説明なんですけど、ちょっと言葉遊びっぽい(^o^)
でも、
今の憲法が無効だなんて言っちゃだめです。良い憲法が定着してますから。 


いずれにしても、stateはつながっていないわけです。

nationとしては連続していますが。



じゃあ、どの日が良いでしょうね?


4月28日、サンフランシスコ講和条約発効の日を主張したのが、公明党。

5月3日、憲法が施行された日を主張したのが、日本社会党。


上にあげた2つですね。


他に、

4月3日、聖徳太子の十七条憲法制定の日を主張したのが、民社党。

これは、意味がよくわからないです。

憲法という名前ではあっても、十七条憲法は、公務員の道徳的な訓示くらいの意味ですから。 (英語やフランス語のconstitutionの訳としての憲法とは全然無関係。) 



そして、

2月11日を主張したのが、与党の自民党。

では、

2月11日に何があったのか?何の日なのか?


2月11日は、1873年(明治6年)から紀元節という祝日でした。

そして、1948年(昭和23年)に、GHQに言われて、廃止したのでした。


なぜ、祝日だったり、廃止したり、また、復活させようとしたのか。


そもそも、紀元節って何?


神武天皇(初代天皇)が即位した日=紀元節です。

古事記と日本書紀に書いてあります。

紀元前660年の1月1日(旧暦=昔のカレンダー)です。

新暦(今のカレンダー)に換算すると、2月11日になります。



明治政府は、天皇を神として、政教一致天皇主権の国家でした。

政教一致は、国家神道といって、伊勢神宮を始めとする神社神道に特権を与えるものでした。

国のお金で神社が作られました。

伊勢神宮をトップとして、全国の神社を、国の管理の下、組織しました。


その根拠は、今の天皇が、天照大神(てんしょうだいじん、あまてらすおおみかみ)(太陽の女神)の5代後の子孫である神武天皇(じんむてんのう)の子孫、ということでした。


神武天皇が実際にいたかどうかは、かなりあやしい、というのが、歴史学者の普通の意見です。あくまでも、神話。

古事記(712年)、日本書紀(720年)を編纂した大和朝廷の創作話だという意味です。


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大日本帝国憲法

第一章 天皇

第一条 大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス


第ニ条 皇位ハ皇室典範ノ定ムル所ニ依リ皇男子孫之ヲ継承ス

第三条 天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス

第四条 天皇ハ国ノ元首ニシテ統治権ヲ総攬シ此ノ憲法ノ条規ニ依リ之ヲ行フ

以下省略

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ちょっと、読みづらいし、わかりづらいですが。


1条は、神武天皇からの一つの系統の子孫の天皇が、支配する国だということ。

3条は、天皇は神様で、絶対だということ。

4条は、天皇は、国家元首で、国の統治権(支配する権限)を全部持っていて、この憲法にしたがって、統治する。


ということが書かれています。



天皇が神で、天皇主権で、政教一致の体制で、天皇陛下の名前を使って、軍も政府も、さらには議会も、責任をとらず、好き勝手やった結果が、国民を苦しめ、外国の国民を苦しめたということだった、というのが、連合国の認識・理解でした。

そして、ポツダム宣言は、日本の無条件降伏や武装解除を迫るだけでなく、そのような国の体制を改めて、思想の自由、表現の自由、信教の自由などの人権を守って、民主主義国家を作ることを要求した内容だったのです。


ポツダム宣言の十条に、こう書いてあります。(国立国会図書館のページから引用)

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十、吾等ハ日本人ヲ民族トシテ奴隷化セントシ又ハ国民トシテ滅亡セシメントスルノ意図ヲ有スルモノニ非サルモ吾等ノ俘虜ヲ虐待セル者ヲ含ム一切ノ戦争犯罪人ニ対シテハ厳重ナル処罰加ヘラルヘシ日本国政府ハ日本国国民ノ間ニ於ケル民主主義的傾向ノ復活強化ニ対スル一切ノ障礙ヲ除去スヘシ言論、宗教及思想ノ自由並ニ基本的人権ノ尊重ハ確立セラルヘシ

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読みづらいですが、後半に、今、上に書いたような意味が書いてあります。



当然、GHQは、このまずい思想がもとになっている紀元節を廃止しろ、と言いました。

国から神社神道を分離する、神道指令も出されました。


けっこう具体的に細かい内容なのですが、

一言で言えば、


政教分離しろ、

国を戦争する方向に向ける間違った思想にもとづく宣伝・教育をするな、


ということです。



ちなみに、神道は、「しんとう」と読みます。



神道指令(国家神道、神社神道ニ対スル政府ノ保証、支援、保全、監督並ニ弘布ノ廃止ニ関スル件)は、
文部科学省のページに、他の指令といっしょに載っています。



結局

紀元節は、戦後、しばらくしてから、「建国記念の日」として、復活したのでした。