「法治国家」とは、
普通の人の理解
国民を、法律で治めている国家(国民に法律を守らせている国家)
本当の意味
国会が作る法律を、国家(特に行政)が守る=法治主義の国家
国会が作る良い法律を、国家が守る=実質的法治主義の国家
正反対の意味なのですよ。
最近、憲法の説明として、
憲法は、国家をしばるもの
法律は、国民をしばるもの
としているものがあります。
憲法について、わかりやすい説明です。
確かに、法律は、国民の権利義務関係を定めることができるものです。
国民をしばるもの、というのも正しいです。
九州大学の南野先生が、AKBの内山奈月さんに、憲法を教える本「憲法主義」でも、こういう説明をしています。
だから、やたらと法律を作ることができては大変なので、
「法律」を作る権限(立法権)を、憲法は、国民の代表で作る国会だけに与えています。
日本国憲法 第四章 国会
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第四十一条 国会は、国権の最高機関であつて、国の唯一の立法機関である。
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そういう深い意味がこめられている条文なのですよ。(^o^)v
でも、国民が、法律にしばられるだけではありません。
行政関係の法律などは、行政が守らなければならないことだらけですし。
基本的に、国民をしばっているように見える法律でも、作った立法府(国会)はもちろんのこと、行政(内閣とその下の役所など)をしばっているのです。
たとえば、
犯罪の法律などは、もろに国民をしばっていますよね?
殺人罪をおかすと、一番すごいときは、死刑にしちゃいます、っていうんですから。
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(殺人)
第百九十九条 人を殺した者は、死刑又は無期若しくは五年以上の懲役に処する。
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でもね。
刑事訴訟法の、
逮捕はどういうときにできるか?(刑事訴訟法199条など)
家宅捜索などの強制捜査はどういうときにできるか?(刑事訴訟法222条1項と99条~)
どういうときに起訴できるか?(247条~)
というのも、殺人罪とリンクして行政(警察や検察)をしばっているのです。
そして、さらに、
どういうふうに裁判の手続き(公判の手続き)をすすめるか?
どういうふうなものを証拠と認めるか?(271条~)
どういうときに有罪とするか?
刑罰は、どういうふうに定めるか?
というのも、
刑法と刑事訴訟法が、裁判所をしばっているのです。
法治主義と法の支配との違い。今はほぼ同じ
法治主義はドイツなどで発達した考え方です。
法の支配は、イギリスで発達した考え方です。
法の支配の、「法」は法律ではなくて、法律の上にある法(人権を守る法)に、国家はしばられる、という意味です。
法律で決めたことならなんでも良いのではなく、正義の体系=法にもとづかない、勝手な政治をしてはいけない、という意味なんです。
だから、憲法を作って、法律より上に置いて、憲法に合わない法律を憲法違反として、うっちゃっちゃいましょう、ということになります。
憲法が最高法規なのも、裁判所に違憲立法審査権(81条)が有るのも法の支配の考え方なのです。
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第十章 最高法規
第九十七条 この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。
第九十八条 この憲法は、国の最高法規であつて、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。
○2 日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする。
第九十九条 天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。
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自民党憲法改正草案が、97条を削除して、99条の義務を負う人間に国民を追加することが、どれだけ狂ったことか。
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第八十一条 最高裁判所は、一切の法律、命令、規則又は処分が憲法に適合するかしないかを決定する権限を有する終審裁判所である。
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ドイツで法治主義が考えられるようになったときは、そんな、上の法とかは考えなくて、しょせん何が正しいかなんてわからない、議会が作った法律がすべてなんだ=法実証主義ということになっていました。
だから、法律を行政が守れば良かったのです。形式的法治主義と言います。
でも、今のドイツは違います。
法律は正しくなくてはいけないもので、正しい法にしたがって、国家は政治をしなければいけない、という発想です。実質的法治主義と言います。
だから、憲法裁判所で、法律が憲法違反かどうかの判断をします。
日本と違って、何かしらの裁判で憲法違反の法律が問題になっていないのに、憲法判断ができてしまいます。(抽象的違憲審査制)
そもそも、正しい法がある、って考え方ですが、
そんなの、何が正しいかなんて、わかるわけないじゃん、っていう人もいらっしゃると思います。
法実証主義もそういう考えが基礎です。
ドイツのビスマルク宰相のときに作った憲法(ワイマール憲法の前)をまねした日本の明治の憲法は、人権ではなくて、臣民の権利と書いていました。まねしたんだから当たり前ですが。
今の憲法の第三章の表題も「人権」ではなくて「国民の権利及び義務」なのは惜しい。
でも、人権とか、正しい法とか、って、だれが決めたのよ?って話ですよね?
そもそも正しい、って所から出発して、宗教でもやったら?なんて言われそうですよね。
近代人権思想自体が、ルネサンスやプロテスタンティズムの影響を強く受けているのです。
人権思想や立憲主義の基礎に、宗教が深く関係しているというのは、憲法を普通に勉強した人の常識なのです。
しょせん、西洋の宗教、キリスト教の話で、イスラムや仏教とは関係無いじゃん、っていう話になるかも知れません。
でも、イスラムも、法を尊重して、政教一致でなければ、人権思想と矛盾しないものを多く持っています。(女性差別など克服しなければならない問題もありますが)
また、仏教も、特に法華経にあるように、万人が仏だ(仏の生命がある)という思想は、キリスト教の神のもとに平等という考え方よりも、人権の基礎にある個人の尊厳の原理を、説明しやすいと思います。
また、仏教は、もともと法として説かれています。仏教という言葉は、近代になってから使われるようになった言葉で、仏法と呼ぶのが普通でした。
しょせん、人権思想も、宗教と同じで、信じるか、信じないか、の世界なのですね。
今の憲法を、国民が受け入れたということは、人権思想にもとづく国家を、日本国民が作ったということ、人権思想という共通の思想、価値観を持っている、ということなのです。
でもね。
人権の意味も、憲法の意味も、わからない人が、改憲だの護憲だの言ってる。
憲法がちゃんと機能していない、人権が守られていない、今の日本について、あまりにも無認識、無関心。
それだと、結局、最初からやり直しじゃん。
いや、マイナスからのスタートかも。
いや、逆のベクトル?